アリウス出身だけど幸せになれますか? 作:侘 濡羽
レイカです。施設を脱走してから、実に二週間が経過しました。
カイリは本当に優しい人だ。僕が脱走するに際して、水や食べ物がたくさん入ったリュックを用意しておいてくれた。それから、最低限の弾薬と医療品も。
多分、僕が銃を扱うのが苦手だってことを分かってくれているからこそ、生存に必要なものを多めに入れておいてくれたのだと思う。
アリウスから抜け出せたら、また会いたいな。
しかし、脱走したはいいものの……やはりアリウス、怨嗟渦巻く呪いの地だからなのか──抜け出すとかそれ以前に、生き残るので精一杯だ。
そりゃあそうだよね。だって僕は、どこからどう見たって
この二週間、僕はずーっと逃げ続けていた。
様々な組織や勢力から。中にはどう見ても軍事的な連中だっていた。なんとか逃げ切れているのは、本当に奇跡的だ。
だけど、奇跡っていうのはそう何回も続かないもので……。
「物資、盗られた……!」
寝ている間に物資を取られてしまいました!
根こそぎだよ、根こそぎ。もったいなくてちまちま食べてたパンも、水も弾薬も医療用品も。
愛銃(別に愛してないけど)とカイリからもらった懐中時計が残っていたのは、ラッキーだったね。
あとは、そうだな。命が取られなかったのも、きっと幸運だった。
つくづく、野営のスキルを身につけていて良かったと思う。施設で学んだことも、まるきり無駄というわけではなかったらしい。
だけど、
カイリからもらった懐中時計が奪われていなかったことだけが、僕の救いだ。本人は「アンティークに価値はない」と言っていたけど、むしろそのおかげで、こうして手元に残っているのだから、価値あるものだけが全てではないということだよね。
ありがとう、カイリ。この懐中時計を見るたびに、あなたの顔を思い出せる。僕は時計をしばらく眺めてから、上着のポケットに仕舞い込みつつ立ち上がった。
さて。ひとまずは、今日のご飯を確保しないと。
とは言っても……どうやって? 雑草でも拾い集めて、それを煮たものを食べようか……あっ、水もないんだった。それじゃあまずは、どこかで水を汲まないと。
水なあ、水……川なんかがどこかにあればいいんだけど。綺麗な井戸があればそれが最上だけど、毒とかが投げ込まれていた場合、かりかりの僕の身体は耐え切れないだろうし。
僕に毒物を食べさせるのは、施設でも禁止されていたからな。げえげえ吐いた後、三週間ほど生死の境を彷徨ったから。
簡単に死んでたまるかっての。
カイリにも「長生きしろ」って言われたからね。
「泥水啜ってでも、生き延びてやる……!」
その日の夜。
僕のご飯は、雑草とお花の雑炊だった。
お粗末なものだったけど、お粗末さまでした。
……今週の献立発表! 雑草とお花の煮物! お腹を壊したので抜き! 鳥の水煮! お腹空かなかったので抜き! 雑草! 雑草とお花と木の実! そして今日はお水だけ!
食えてるだけマシ、食えてるだけマシ。そうやって誤魔化す日々だ。
鳥の水煮は結構美味しくできた。味付けとかできないから本当にプレーンな味だったけど、我ながら良くやっていると思う。
ちなみにだが、お腹が空かなかった日はシンプルに
ほら、あれだ。銃で撃たれちゃって。痛くて痛くて、泣きながらすごすごと逃げ帰ったというわけだ。今も痛い。骨折れてんじゃないのか。
胸元にかけている懐中時計を手に取って見る。カイリ、僕はまだなんとかやれてるよ。あなたは今どこで何をしているんだろうか。
願わくば、好きなことを沢山できているといいんだけど。あと、子供とか守ってくれてると嬉しいんだけど。
火を起こして煮沸した水を飲み込む。ドブみたいな味がしたが、流石に水分補給を欠かすわけにはいかないからね。
明日の僕がお腹を壊さないことを祈りつつ、雑巾の煮汁みたいなお水を嚥下した──おえぇ……気持ち悪い……。
この一週間、胃はむかむかしっぱなしだ。
でも、なんとか頑張って生き抜かないと。
僕の夢のためにも──カイリに託された夢のためにも。
絶対に生き延びてやる。
驚くべきことに、僕はまだ生きている。といっても、僕の姿を細かに描写すれば、それはもう酷い有様でしかないのだけど。
僕の矮躯にも磨きがかかってきた。現代日本なら誰が見たって虐待を疑うだろう。
今週の献立発表! 胃痛のため抜き! 同上! めちゃめちゃ熱したネズミ! 腹痛のため抜き! お水! 木の実! 草とお花!
何が厄介って、アリウスはどこもかしこも戦火に巻き込まれたせいで、植物が根絶やしになりかけているってことだ。どうしても草が見つからない日だってある。
僕のお腹は雑魚雑魚もいいところなので、少し食べただけでお腹いっぱいになる。油断してるとすぐ腹痛にもなる。一長一短だ。
今のところは、短所の方が多いかな。正直栄養なんてあってないようなものだし、そもそも人間の身体に雑草や花、ネズミなんかが合ってるわけもない。
声を出すのも億劫だ。とにかく疲れた。でも、動き続けないとアリウスから脱出する手がかりも掴めないし、それに約束も果たせない。
辛くて何度も枕(その辺の崩れたブロック塀を再利用!)を濡らした。でも、そういう時は、カイリからもらった懐中時計を握りしめ、必死に寒さに耐えながら眠っている。
雨が降った日は特にやばかったなあ。おかげさまで常時発熱状態だ。僕の体力よ、頼むからもってくれ。
……ここまで悪い知らせばかりだけど、良いこともあった──
施設に拾われたことと、カイリと仲良くなれたこと。それだけ。
追加の悪い知らせ。
多分、
この一週間、視線を感じることが増えた。気づけばどこからか、誰かの視線を感じている。おかげさまで、僕はずーっと寝不足だ。
発熱もあいまって、コンディションは最悪。次眠ったら死んでるんじゃないかと思うと、怖くておちおちご飯も食べられやしない。食べないと死ぬからかきこんでるけど。
何か用があるなら、さっさと僕の目の前に現れて目的を明かしてほしい。この懐中時計以外のものなら、全部あげてもいいから。
なんなら衣服もくれてやろう。火を絶やさなければ、凍えることもないだろうし。
生き残るためなら、何だってやってやる。どれだけ酷い目に遭っても、絶対に生きることだけは諦めない。
生きるんだ。
生きて、青空の下で笑うんだ。
決意を新たに、僕は闇の中、眠りについた。
おやすみ、世界。どうか明日が訪れますように。
生きてはいるけど、動けない。
死ぬのも時間の問題だ。
今週の献立発表。ネズミ。水。草。土。土。花。虫。
熱は下がらなかった。起き上がることももうできない。
結局、視線の主は姿を現さなかった。そりゃそうだ、ほっときゃ僕はこのまま死ぬ。
僕の姿は、もはや「矮躯」という言葉では表せないだろう。欠食児童どころの騒ぎではない。まともな食べ物を、この一ヶ月は口にしていないのだから。
どんどんと痩せこけていった。歩くたび、節々が痛んだ。古傷と生傷がしっちゃかめっちゃかで、水浴びをしたのもいつだったか覚えてない。
疲れた。
動きたくない。動けない。頭の中には青い空が広がっている。海で泳ごう。潮風に吹かれて、ぎとぎとになった髪をシャワー室で洗ってみたい。
生きなきゃいけない。全身痛くて、まともな生活を送れるとは思えない。アリウスから出たい。逃げ出したい。僕は懐中時計をぼうっと眺めた。
ふと手を見ると、虫が這いずっている。幻覚なら良かったんだけど、そうでもないらしい。ぞわぞわと悪寒が背筋を登ってきて──それは悪寒ではなく、吐き気だったみたいで、吐いた。嘘だ。吐くものなんて残ってなかった。口から出たのは、みっともない嗚咽と、ねばついた唾液。
熱が下がっていないからだ。多分、40℃はゆうに超えている。弱りきった僕には、致命的だった。
疲れた。
何か食べなければ。何を? 食べるものなんてとっくにない。食べたとして、吐き出したりして終わるだけだ。
全身が痛い。撃たれた時の傷が化膿しているらしく、ぐじぐじしている。
全身が痛い。熱い。寒い。身体に必要不可欠な物質が、根こそぎ不足している。もう嫌だ。いつまでこんなに苦しめばいいんだ。どうして僕ばっかりこんな目に遭うんだ。
あと何秒こうしていればいい? いつになったら、僕は安らげる?
疲れた。
懐中時計を持つ手にも力が入らなくなり、ついに僕の右手は地面へと激突した。それと同時に、胸元に当たる首かけの懐中時計。
カイリ、カイリ、カイリ。あなたが隣にいてくれたなら、どれだけ心強いだろうか。
カイリ。助けてくれてありがとう、夢を見せてくれて、最後に楽しい思い出をくれて、本当にありがとう。
眠い。痛みがふわっと抜けていく感覚。
疲れた。
もう、疲れた。
カイリ。
ごめんなさい。
おやすみ。
……あいつ、やっと死んだか。ここはむしろ、あの身体でここまで生きていたことを褒めるべきなんだろうな。
ここ二週間ほどこいつを尾けていたが──見た目から推測するに、大体三歳くらいか? 少なくとも、私よりは年下だろう。
こんなに小さな子供が苦しみに喘いでいるのを見るのは、中々に心が痛む行為だったけど……。
悪いな。私もつい先日、
「それにしても、こいつ……酷い見た目だな」
ぴくりとも動かなくなった幼女(自分自身も幼女だというのに、この言い方は変かもしれない)に近づくと、遠くから見ていた時のそれよりも、遥かに痩せこけて見える。
手首と足首に巻いた包帯は血まみれ、衣服はぼろぼろであちこちに穴が空いている。髪もぼさぼさで、虫がたかっていた。
一応は銃も持っていたらしい──体格に不釣り合いなARだ──が、発砲された形跡はない。この二週間監視していたから間違いない。
心優しいやつだったんだろう。そんな性格なら、多分今までも虐げられてきただろうに……それでもなお善性を失わないとは、本当に大したものだ。
生まれた場所がアリウスじゃなければ、幸せになれただろうな。ささやかながら、安らかな眠りを祈るとしよう。
……さて。とりあえず祈ったし、私は私の目的を果たすとしようか。眼前の幼女が後生大事に首にかけていたものに、私は興味があったのだ。
どれだけ苦しくても、それだけは離そうとしなかったもんなあ、お前。そんなに大切なものってことは、つまり
どこぞの組織の連中にでも引き渡せば、食料品や弾薬、もしかしたら医療品がもらえるかもしれない。
悪く思うなよ、可哀想な幼女。
お前の大切なものは、私がきっちり受け継いで、生きるための糧となるから。お前がここまで生きてきたのは、きっと無駄じゃない。
ありがとう。それじゃ、もらってくよ。心の中でそう唱えながら、幼女が着ていたジャケットの前を開き、首からかけられたそれを手に取った。
「……
私はてっきり、宝石のペンダントでも持ってるのかと、そう思っていたのだが……まさか、ただの懐中時計だとは。
いやまあ、レア物といえばレア物なのだが、しかし……うーん。時計なんざ、誰も交換してくれないんじゃないか?
はあ。二週間も張り込んだのに、とんだ無駄骨だった。骨折り損のくたびれ儲けとは、まさしくこのことか。先日五歳になったばかりの私は、こうしてまた一つ、世界の真理を知った。
まあいいや、せっかくだから貰っていこう。そう考えた私は、さらに幼女の屍に近づき、首元から懐中時計のネックレス部分を外そうとした──ところで、バカみたいに強い女から、言われたことを思い出した。
金色の懐中時計を持ってる、痩せっぽちの貧相なガキ──レイカっていうんだけどな? そいつを見かけたら、私の知り合いだから、助けてやってほしい。
そうだ。あの女──須磨カイリとかいう女は、助けた奴ら全員に、そんなことを言って聞かせていたんだった。
どうでも良すぎてすっかり忘れていた。今のアリウスに、まさか自分の命以外を優先するやつなどいるはずもあるまい──。
そんなことを考えていたのが、いけなかったのだろうか。
懐中時計をくすねようとしていた私の手が、
「──おい、離せよ」
「ッ!? なっ、お前……
「勝手に……殺す、な……!」
息も絶え絶え、腕を掴む力も弱々しく頼りない。振り払えば、すぐにこいつと私の縁は切れる。
「そんな……こと、より……
「…………あっそ」
カイリ。こいつ今、確かに「カイリからもらった」と言ったな。ふうん、なるほどなるほど、そういうことか。
ただ、そうだな。もしかしたら人違いかもしれないし、念のため、お名前を聞いておくことにしようか。
「お前、もしかして、レイカってやつ?」
「まず、お前が……名乗れ……」
「私か。私はセイカ──
私の問いかけに、弱々しく頷くレイカという幼女。なるほどなあ、そうかそうか。
それじゃあ私たち、二人とも
ふふふふふ。奇妙な縁もあったもんだねえ、まったく。アリウスも案外、捨てたものじゃないのかもしれない。
「レイカ。お前、このまま死にたい?」
「そんな、わけ、ないだろ……!」
「そ。じゃ、決まりだ──
「……っ! それって、もしかして──」
「はいはい、静かにしてろ。舌噛んで出血のショックで死にたいなら、喋り続けても良いけどな」
私はレイカの矮躯を背負う。軽すぎる。それに、体温が高すぎる。これはさっさと、信頼できるやつに診せないとまずいかもしれないな。
とりあえず、私たちの拠点にでも連れていってやるか。たまには徳を積むのも一興だろう。
「さ、行くぞ。こんなところで死なれたら、私の恩人に申し訳が立たないからな」
「……ありが、とう。セイカ……」
「恩返しのついでだって。だから、感謝するんなら、私じゃなくて、お前の知り合いにするんだな──」
……実のところ、どうしてこの時の私が、レイカを助けたのか──今になっても、分かっていない。
あの時の私は、きっとどうかしていた。あのカイリとかいう女に感化されて、頭がおかしくなっていた。
そのせいで、私とレイカの縁は交わった。
そのおかげで、私とレイカの人生は重なった。
私は、あの時。
きっと、一生忘れられない出会いを遂げた。
【補足】
⚪︎レイカ
・普段からあまり何も食べていないため、消化器系が非常に弱い。
・本人は傷まみれだが、懐中時計にはかすり傷の一つもついていなかった。
・現在発熱しており、加えて栄養失調・脱水症状を抱えている。
⚪︎澪標セイカ
・数週間前、「アリウス青少年解放戦線」によって解放された五歳の少女。元少年兵。
・レイカを助けたのは気まぐれ。恩人である須磨カイリに恩返しをするためでもある。
・レイカの年齢を三歳程度だと推測している。体つきのことを考えれば、むしろ自然なことだろう。
【追記】
現時点で、須磨カイリは死亡していない。
ハーメルンがダウンしていたため、投稿が一日遅れました。申し訳ない。
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