アリウス出身だけど幸せになれますか? 作:侘 濡羽
「……知らない天井だ」
目が覚めたとき、どうやらどこかに運び込まれていたときに言いたい言葉ランキング、堂々の第一位。まさか人生の内で口にすることがあるだなんて、思ってもみなかった。
……というか、ここ、どこだ? 知らない天井──アリウスらしく穴ぼこまみれ──なのはまあいいんだけど、問題とするべきは、知らない天井どころか
ベッドの横にはサイドテーブル。その上にはカイリからもらった懐中時計が丁寧に置かれていた。とりあえず、奪われたりはしていないらしい。
ほっとした僕は胸を人撫で。……以前にも増して、僕の矮躯はかりかりになってしまったようだった。骨と皮しか残ってないんじゃないか、この身体。
胸に手を当てると、すぐ近くに心臓の拍動を感じた。とくん、とくん。弱々しいにも程があるけど、しかし確かにここにあって、そして動いていた。
……さて。現状を把握しよう。壁は──これ、あれじゃないか? 重度の精神病を患った方を隔離しておくところ。そこの壁みたいに、(少なくとも見た目の上では)もこもこした壁紙が貼り付けられていた。この表現が適切なのかどうかは分からない。
壁に謎のもこもこ素材が貼り付けられていることを考えると、当然床もそうだと思うだろう。実際僕はそう思った。しかし、実態はまさかのリノリウム。標準的な病院の床だ──と、そう思っていたのだけど。
僕は辺りを見渡し、そこで視界に入った。
そこだけ何か、周囲と比べて
よくよく周囲を見渡してみると、何やら机や棚のようなものがある。ようなもの、というか、まるきり机と棚だった。机の上には本やら書類やらが山のように積まれていて、その向こうの様子を窺い知ることはできそうにもない。
僕が立って歩くことができれば、きっと容易に知ることができたのだろうけど……。具体的にどれくらいの間眠っていたのかは分からないが、しかし現状、見たまんま欠食児童であるところの僕には、「立ち歩く」という行為そのものが、まさしく生命を削るのと等号であるということは、わざわざ確認するまでもないことだった。
続いて棚の内部を確認しようとしてみたが、どうにも視界がぼやけてしまって、僕の凝視はまったくの無駄骨だった(施設で受けた暴力の影響もあり、僕の視力は平均のそれよりも著しく低いからだ。両目合わせたって0.1もない)。
辺りに漂っている匂いから推測するに、恐らくは薬品やら医療品やらの類が並べられているのだろう。となるとこの部屋を内包している施設──ひとまず「アリウス総合病院」とでも仮定しておく──は、アリウスにしては随分と潤沢な物資を有しているらしい。
ただ、仮にここがアリウス総合病院なる施設だったとして、するとむしろ新たな疑問が浮かんでくるばかりである。
例えばベッド。いくらアリウスだとはいえ、病院に類する施設がこんな
例えば棚。僕がここに寝かされていた以上、壁にもこもこな、患者の自傷を防ぐための壁紙が貼られていた以上、ここが病室であるということはまず間違いないはずだ。
……でも、普通の病院が
つまり、僕が何を言いたいのか。
単純、アリウスの病室に薬品なんか置いていたら、
……この表現も、また適切ではない。というか、正確ではない。もっと正確に言い表すのであれば、つまり「殺される人」が爆増するだろう。「ヘイローを壊される人」と表現するのが、世界観上最も正確なのだが……ここはあえて、慣れ親しんだ物騒な表現の方でいかせてもらうことにする。
殺される?
どこの誰に?
無論、
仮に「どこかの誰かさんA」と「どこかの誰かさんB」という二人の人物をこの部屋にぶち込んで一日放置したら、次の日にはどちらも自殺しているか、どちらかが「どこかの殺人鬼さんA」になっていて、どちらかが「どこかの屍さんA」になっていることだろう。
もちろん、閉じ込めた翌日にはどちらともまだ「どこかの誰かさんA・B」である可能性もある。薬品を過剰に投与されても、頑丈な私たちは
当然、内臓なんかはずたぼろになってまるで駄目になるだろう。でも、僕たちの身体は、そんなもので安らかな眠りへと向かえるほど甘っちょろくない。
じわじわと衰弱していき、痛みに喘ぎながら、みっともなくのたうち回って。そうして一週間もするころには、きっと世界中の辛苦全てを寄せ集められているみたいな気持ちになりながら、生まれてきたこと自体を後悔して死んでいく。
誇張気味に思えるかもしれないが……アリウスは、そういう世界観も内包している。今までに語ったことは、全て仮定の上でのものだったが、しかしあながち「その可能性は無い」とも言い切れない。
そういうわけで、つまり僕が何を言いたいのかというと、「
もこもこの壁紙とベッドの角に付けられたクッションから読み取るに、アリウス総合病院においては
人がいなけりゃ何もできない。正しく宝の持ち腐れ──福利厚生や衛生観念なんかはまるでないアリウスでさえも、人にいなくなられたら困るのだ。
……と、そういう稚拙な考察を元にして考えると。ここで気になってくるのは、やはり「なぜ病室に薬品棚を置いたのか?」ということである。それから、ベッドの角だけは保護して、机の角は一切保護していないことも気になる。僕は頭を捻りつつ、うんうんと考え込んだ。
うーん、うーん……駄目だ、考えれば考えるほど理由が分からない。ここが仮に、元々はアリウス総合病院の隔離病棟だったのであれば、病室に机と薬品棚を置く理由は絶無なはずなのに。
それからもう一つ、どうしても気になったことがある。これもまた、今僕がいる場所が隔離病棟の一室であると仮定した場合の話だが──
となれば、
机と薬品棚が、後から持ち込まれたのではなく。
つまり、時系列はこう。
まず初めに、この場所には机と薬品棚、それからベッドが備え付けられた部屋だった。続いて、内戦が激化。同時にこの建物は
それから長い時が経ち、そして今。内戦が(一応は)終決した結果、隔離病室であったこの部屋はその任を解かれ、元の姿を取り戻すと同時に、長らく外に投げ出されていた机と薬品棚を再搬入した……と考えれば、全体の辻褄も合う。
リノリウムの床。無理矢理取ってつけたみたいな、不自然な壁紙。穴ぼこまみれの見知らぬ天井。かちかちのマットレスと、角をクッションで包まれた、無骨な金属フレームのベッド。薬品棚に加えて、剥き出しの机。そして、どこか親しみのあるぼろっちい扉──。
ここまで延々と考え込んできた僕の稚拙な仮定が、もし全て的を射ていたのならば。この場所が元々どのように運用されていて、そして僕がどうしてここに運び込まれたのか、ある程度の説得力を持たせることはできるだろう。
……正直、目覚めて最初に飛び込んできたのが、隔離病室をイメージさせる壁紙だったものだから、僕は内心怯えていた。そりゃそうだ、
とまあ、そういうわけで。僕は自身の不安を軽減し、平常心を取り戻すためにも、仮定の末に辿り着いた解答を、一旦口に出してみることにした。
「──ここ、
「おや、目覚めてすぐさまご名答。やるねえ、きみ」
「うわあぁっ!? だっ、誰ですか!? ていうかどこから声が!?」
「んん? あー、そっか。寝転んでるきみからは、うちの姿は見えないよね。ごめんごめん、今そっちに行くから」
直後、机に積み上げられた書類やら本やらの向こう側から、ひょっこり現れる女性の姿。左腕には腕章が付けられていて、それを見る限り、どうやら衛生兵の方らしい。
鋭い目つきに鋭い雰囲気、ついでに鋭い上下の歯。俗に言うギザ歯ってやつなのか。えっ、すごい、初めて見た!
生まれて初めて目にするギザ歯衛生兵さんは、僕が目を輝かせているのを見ると、口の両端を両手の指で押し上げてにいっと笑いながら、こちらに近づいてきた。「うちのチャームポイントに速攻で気づくとは、きみってばいい子だねえ!」と言いながら、僕の寝ているベッドの隣にパイプ椅子を置き、座り込むギザ歯衛生兵さん。
はあ……びっっっっっくりしたあ! アリウスでいきなり死角から話しかけられることほど怖いことも中々ない。僕はため息をつき、肩の力を抜いた。急激に緊張したせいで心臓がばくばく暴れ回って痛い。
ただまあ、痛いということは生きているということだ。栄養失調でぽっくり逝っちゃって、あの世からお迎えが来たとかそういうわけではないらしい。一安心、一安心。
「それで、ええと……僕のことを助けてくださったのは、あなたですか? ありがとうございます、この恩は、必ず──」
「んーや、違う違う! うちはあくまで
「──そうなんですか?」
「そうなのよ。だから、きみが今生きているのは、きみをここまで迅速に運んできてくれた子と、そして何よりきみの身体が頑張ったから!」
一ヶ月近く眠ってたよ。きみは相当生きたかったんだろうねえ。ギザ歯衛生兵さんはそう言ってけらけら笑いながら、続けて僕の頭に手を置こうとした。
「ッ──!!」
「……ありゃ。ま、そりゃそっか」
が、反射でそれを払いのける僕。自分でも、なんでそんなことをしたのかは分からない。命の恩人になんてことを……。当然ながら、すぐさま僕は謝ろうとして、寝ている姿勢から正座になった。
「ごっ、ごめんなさい……違うんです、今のは、咄嗟に──そう、そんなことがしたかったんじゃなくて、咄嗟に!」
「分かってる分かってる! 安心して、悪意があるわけじゃないってのは分かってるから! アリウスにはそういう子が多いからねえ……まったく、本当どうしようもない世の中だよ」
「……怒らないんですか?」
「怒らないよ。うちだってそういう時期はあったからね──頭、触っていい?」
「…………」
困惑しながらも、頷きをもって返す僕。それを受けたギザ歯衛生兵さんはにかっと笑って、僕の頭にぽんっと優しく手を置いた。
一体どういうつもりなんだろうか、そうも思ったが、しかし今の僕の身体では逃げることなど叶うはずもない。ドアの方をちらと見ようとしたが、しかし視線で思考を読まれても困るので、ギザ歯衛生兵さんの顔をぼんやり眺めるだけに留めた。
するとギザ歯衛生兵さんはやはりくすっと笑って、それから僕に視線を合わせ、手を動かし始めた。
予想に反し、ひどく優しい手つきだ。
まるで、壊れ物を扱うかのように。
……
「生きててくれてありがとうね。きみは頑張ったよ、えらい、えらい!」
「…………ぅ」
「あれ、泣かせちゃった……まあいーや! 生きてるなら泣け! そんで、気が済んでから笑え!」
優しく微笑みながらそう言うギザ歯衛生兵さん。頭を撫でていた手はそのままに、ベッドの上まで移動してきた彼女は、僕を抱きしめてきた。
……暖かい。人肌の温もりなんて、アリウスに生まれて初めて感じた。身長が離れているからか、僕の耳がちょうどギザ歯衛生兵さんの胸に当たり、拍動が鼓膜を揺らす。
安心する。暖かい。どうにも目頭が熱くなってしまって、嗚咽が抑えられなくって、でもそれを聞かれるのは恥ずかしいから、ギザ歯衛生兵さんの胸に顔を埋めて誤魔化した。
「ぅ……ぐ、ふぅっ……!」
「偉いぞ、生きてて偉い! きみほっそいな、この身体で今までよく頑張った! よーしよし、うちのことは気にしなくていいからなー」
頭に加えて背中もさすられてしまって、いよいよ涙が止まらない。アリウスにこんな良い人が残っていただなんて、目から鱗といった感じだ。まあ僕は現在進行形で落涙しているわけだけど。
……ずっとこうしていたい。本当なら、いっそこのままもたれかかったままでいたい。だけど、それじゃあギザ歯衛生兵さんにも迷惑がかかってしまうだろう。
そう考えた僕は、ひとしきり泣き終わったあと、流した涙もそのままに、笑顔を作って彼女に見せることにした。
「あははははっ! ひどい顔だな、きみ! 涙と鼻水でぐっちゃぐちゃだ──でも、うん。
「……はい。ぼく、ぐすっ……生きてます、生きてます……!」
生まれてこの方みっともないところを晒し続けている僕は、やはりここでも惨めな笑顔を晒す羽目になる。だけど、それを咎められないこの空間は、僕にとって居心地のいいものだった。
僕の顔面をハンカチで拭いたギザ歯衛生兵さんは、ベッドから降りて再びパイプ椅子に着座した。よく見ると、胸元が僕の涙やら鼻水やらでひどいことになっている。申し訳ない。
「あの……衛生兵さん。お名前、聞いてもいいですか?」
「うちの名前? うちは
「そ、それじゃあ……ミギワちゃん、助けてくれて、ありがとうございました──っと、そうだ。僕の名前はレイカです。好きに呼んでください」
「レイカ、ねえ。名字はない感じ?」
ミギワちゃんの問いに「はい」と返す。すると彼女は、慣れた様子で「はいはーい、了解」と言った。やはりアリウス、名前があるだけでもありがたいことらしかった。
しかしミギワちゃん、
だって、そうだろう。物資に余裕がないのなら、薬品なんて置いておけるはずがない。僕はそんな推測のもと、組織の規模をだいたい定めた。
多くて50人、少なくて20人規模ってところだろう。こうして綺麗な部屋が残っていて、なおかつ構成員の身だしなみが整っているということは、戦闘能力もかなり高いはず。
とか、そんなことを考えていたタイミングで、突如として僕の脳裏にとある考えが到来。僕は口を開き、ミギワちゃんに問いを投げかけた。
「ミギワちゃん。質問があるんですけど、さっき『ここまで迅速に運んできてくれた子』って言ってましたよね?」
「あー、うん。確かに言ったよ。それがどうかした? レイカってばいい子ちゃんだから、お礼が言いたくなっちゃった?」
「僕がいい子かどうかは議論の余地があるところですけど……まあ、はい。もう一人の命の恩人にも、しっかり感謝を伝えておきたくて」
「もー、レイカはいい子すぎ! アリウスでそんな調子のままだと、騙されて身ぐるみ剥がされちゃうよ? ま、ここに来たからにはそんなことさせないけど!」
力こぶを作るようにしながら、楽しそうに笑うミギワちゃん。僕よりも長い間アリウスで生き延びていながら、こうして笑えることそれ自体が、既にミギワちゃんの強さを物語っている気がする。
僕がそうして考えていると、「眉間に皺寄せすぎ! 子供なんだから、ほら、笑え!」と言って、ミギワちゃんは頬を引っ張ってくる。痛いです。でもやめないで。
「ま、こんな世の中でも感謝の心を忘れないってのは、もうそれだけで美徳だよね。そういうつもりなら、うちが呼んできてあげよっか?」
「あ、やっぱりここにいるんですか! 口ぶりからして、なんとなくそんな気がしてたんですけど……よかったです、お礼を言えないまま終わるところでした」
「そうだねえ。アリウス、内戦が終わったとはいえ、
「えっ?」
セイカ。そうだ、セイカだ。
僕が死にかけていたときに聞いた名前だ。僕をここまで連れてきてくれた、命の恩人。ミギワちゃんは今、確かにその名を呼んだ。
そのミギワちゃんは今、僕の右手側にあるドアに視線を向けている。ということは……
セイカが、そこにいるのならば。
全身全霊で、お礼を言わなくては。
僕は右に振り向き、その姿を確認した。
「──ようやく気付いたな、死に損ない」
僕よりも、少し大きい背丈の少女。
勝気に笑うその姿が、どうしてか、やけに強い印象を与えた。
……今にして思えば、きっと僕の運命が決まったのは、この時だったのだと思う。いや、もしかしたらもっと前──カイリから懐中時計をもらった時に、決まっていたのかもしれない。
そのせいで、僕とセイカの縁は交わった。
そのおかげで、僕とセイカの人生は重なった。
僕は、この時。
きっと、一生忘れられない出会いを遂げた。
【補足】
⚪︎レイカ
・一ヶ月の間ダウンしていた。
・やたらと頭が回る。生き抜くために身につけた洞察力によるものである。
⚪︎明石ミギワ
・内戦時代の衛生兵。現在十五歳。
・子供が好き。結果としてレイカに甘い。
・ギザ歯。好物はジャーキー。噛みちぎる時の感覚が好きなんだとか(本人談)。
⚪︎澪標セイカ
・ギリギリで入室していた。
【追記】
明石ミギワが所属している、レイカを保護した組織の名前は「アリウス青少年解放戦線」である。創設者は須磨カイリ。現時点で結成から二ヶ月が経過している。
昨日は間違って一時間前に投稿してしまったのですが、今日は反対に四分遅れました。計画性が皆無。
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