首筋に手を当て、私を嘲笑してみせる
細くて小さい女性の手刀は、見た目的には全く驚異には映らない。だけど魔力が視える者が視れば、指先に込められた魔力が人間の頚椎を容易く損傷させて致命傷を与えるものだとわかる。
魔力とは不思議なもので、目に見えないし触れもしないのに魔力の方は私たちに影響を与えられるし強大な力を齎す。
見方によっては、実に一方的な力だと解釈できるだろう。
そもそも魔力とは何なのか? 実の所、その答えは私にもよくわかっていない。
魔力は脳を発起点として、脊椎を通り真っ直ぐ降りて、下腹部の辺りでぐるりと勢いを増して血液のように全身に行き渡る。
全身を巡る魔力を知覚してその勢いを増せば、肉体は人間の限界を超えた膂力や速度を発揮できるようになる。
この流れを“逆転”させることで、肉体を強化、あるいは損傷させる働きを持つ魔力は“反転魔力”となり、肉体を再生させる働きを持つエネルギーに変わる。
私は学者じゃないから、魔力が持つエネルギーの原理とか根源にさして興味はない。私は魔力を扱うことができているのだから、それでいいと考えている。
だけど魔力の正体を掴めなければ、手の届かない人がいるとわかった。
例えばそれは強い呪いに苦しむ双子の姉弟であり、呪いの源を断つために自らの命を差し出した飯の恩人であり、彼女や双子の無事を祈っているであろう村の人々であり。
そんな人たちを笑いながら踏み躙る“呪い”という存在がこの世にあるとわかったことで、私は今一度、魔力を理解する必要があると考えた。
すなわち、魔力に対するより鮮明で具体的なイメージを固める必要があると。そしてそれは私自身の魔力の運用を高めることに繋がるのだ。
餓骸を拳で打って気付いたことだが、恐らくあの骸骨が魔力を吸収する理由は、骸骨自体が非常に安定して固着した魔力の塊であるからだ。
外部からの干渉を受け付けないほど強い魔力で構成された物体は、代わりに骸骨自体が自由に動くことができないという“縛り”によって成り立っている。
自らの呪いを振り撒くという以外で、外界に干渉する術がない。恐らく骨美さんの体を乗っ取れたのは彼女自身がそれを望んだという非常に稀なケースによって成り立っている。
“縛り”とは、魔力に一定の制限を加えることで特定の性能に特化させる手法だ。
自ら動けない代わりに不壊となる。逆に自由に動ける分、限界を超えた魔力の出力はできない……といった様に、差し引きの釣り合いが取れれば魔力に特定分野に特化した性能を与えられる。
それは例えば、呪いに憑依された人間の肉体部分にはダメージを与えず、それを操る呪いだけを狙い撃ちするといった離れ業だって、可能になるだろう。
縛りを使うには、私は何かを差し出す必要がある。
──ならば、一撃だ。
次の一撃で骸骸を斃せなければ、私は1時間魔力を失う。
その1時間分の魔力を前借りする代わりに、この一撃の威力を高める。
失敗すれば、魔力を失った私は殺される。
《……? 貴様、何を考えて……》
瞬。
《──は?》
私は、瞬き以下の一瞬で骸骸との距離を詰め、法外の魔力を込めた拳の一撃を繰り出した。
《ッ!!》
骸骸を確実に葬り去る威力を持った拳は……しかし、寸前で透かされた。
正確には、骨美さんの体から骸骨が取れて、ただの人間に戻ったのだ。
依代を脱した骸骸に拳が届かない。
『クッ……ハッハッハ!! 残念だったなぁ雌猿!! その威力、全てを賭した一撃と見た!! それを外すとはな!!》
自由になった餓骸が骨美さんの体を挟んで向こう側で笑う。
このまま攻撃が当たれば、人間の体を傷つけないという条件付きの力を与えた私の拳は逃げる餓骸にすら届かず、ただ縛りの代償たる魔力を失うだけの無駄な足掻きと化す。
そうなる前に、拳を引っ込めて再度攻撃を……。
──否。
まだだ。
放った一撃の威力はまだ死んでいない。
私は体内魔力を総動員して、突き出した拳の先に集中させた。もっとだ、もっと。
身体中の魔力を一点に。激流のような流れを制御して。
反転魔力と魔力はそれぞれ、プラスとマイナスの関係だ。
脳から発せられる魔力は怒り、恐怖、悲しみなどを原料とする負の情動エネルギーによって強く引き出される。脳から出力された時点ではまだ微弱なそれらは体の中心で大きなエネルギーとなって、身体に流せば筋力強化などの現象を引き起こす。最も自然で、最も強大な魔力が行き着く先の力。
これを“呪力”と呼ぶ。
一方、反転魔力は脳から発せられる負のエネルギーを、正のエネルギーに変換して再生、治癒などの効果を引き起こす。私は流れを逆転させるという方法でこれを達成したけど、これは例外的で、多分一番効率がいいのは脳内から出力される時点で負のエネルギー同士をかけあわせて正への変換を完了させておくこと。そうすれば二倍魔力を消費する代わりに素早く、効率的に力を引き出せる。
こちらは“命力”と呼ぶ。
魔力、呪力、命力。
それらは全て本質的には同じエネルギーだ。
違いは指向性だけ。
プラスか、マイナスか、ニュートラルか。その違いだけ。
だからあとは解釈次第。
傷つけたくないものは傷つけず、斃したい者だけにこの必殺の一撃を届かせる。そんな都合のいい解釈を広げるだけ。
出来るはずだ。魔力の全てを活かし切れば。
私の拳に、呪力と命力が混じり合った灰色の魔力が宿る。私の求める力が宿る。
そして、拳が体に触れた瞬間。
魔力が、黒く閃った。
……気がした。
『──馬鹿な』
魔力は体を貫通して、大気を伝って、その先の呪いへと至った。
呪いは髑髏の半分を削られ、呆然と呟いた。
『ありえん。我が……こんな矮小な雌猿ごときに』
宙を漂う髑髏が、塵となって風に吹かれて消えていく。
『忘れんぞ、決して。この恨みを……!』
あっそ。
私はすぐ忘れちゃうだろうから、また会ったら思い出させてよ。
『この、猿どもが……ッ!』
そして……骸骨が消えて、闇の中に溶ける。
夜の森は静寂に包まれた。
◆
瞼が震えて、ぱちりと目を覚ます。
おはよ。
気分はどう? 骨美さん。
「……」
骨美さんは地面に横たわりながら、私の顔を見て、なんとも言えない表情で顔を歪めたと思うと。
「……ゴメンナサイ」
手で顔を覆って泣き出してしまった。
「ゴメン、ナサイ」
私は彼女の頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく撫でた。
「ワタシハ……アナタを、ダマシテ……」
よーしよしよし。
全部わかってるよ。今までよく頑張ったよ、あなたは。
「チガウ……ワタシノ、セイデ……」
骨美さんの頭を胸に抱きかかえる。
「ワタシが……ノロイを……!」
頭を優しく撫でる。
「わたしが……にいさんを……!」
うん。わかってるよ。
あなたが私と出会った時からずっと……心に大きな罪悪感を抱えていたこと、全部知ってたんだ。
村を見るまでは確信できなかったけど。
きっとあなたは一人で向き合っていたんだろう。恐ろしい呪いと。
だから、あの双子が死んじゃうかもしれないってなって……なんとかしなきゃって思ったんだろうね。
「わたしの……せいなんです……」
大丈夫、大丈夫。
呪いはもうなくなったからね。
「……にいさんは、しにました」
そうだね。
もう亡くなってしまった人は戻らない。でも……。
あなたは生きてる。
「……っ」
それから、ダムが決壊したかのように泣き続ける彼女の頭を、私は黙って撫で続けていた。
何があったのか。その全てを私は知っているわけじゃないけど……多分、最悪の結末だけは回避できたんだろうから。
それでいい。それでいいのだ。
……あ、そうだ。
骨美さん、もしよかったら、あなたの本当の名前を教えてくれない?
「なまえ……」
そう。あなたの名前。
「──タマミ」
タマミ。
タマミ……“玉美”。
うん。
──惜しいな!!