湿った土の匂いが鼻に刺さる。しゃがみ込んで指先で葉を撫でると、まだ柔らかいギボウシの芽が顔を出していた。
指で挟むと茎がわずかにきしむ。毒草ではない。
口元に寄せて匂いを確かめると、ほのかに甘い青臭さ。
うん、使えるね。
茎を折ると ぱきっと小さな音がして、掌に冷たい露が落ちた。
編んだ籠の底に並べると、葉同士がしゃらっと擦れる。その音だけが静かな山に溶けていく。
私は朝早くに山に入り、山菜を収穫していた。
フキ、ヨモギ、ワラビ、ゼンマイ、クズ。
この時代の山菜は背の低い植物が主で、雑草を掻き分け地表近くの柔らかい芽を指先で摘む。
この時虫食いのものは取り分ける必要があり、これがまぁ時間がかかるし体力も使う。
けど、その辺は魔力を見れば一発でわかるんだなー、これが。
生物が残す様々な痕跡は、足跡や折れた枝、よけた枯葉などばかりじゃない。全ての生物は魔力を発しており、それが“残穢”として至る所に残っているのだ。
目で見るよりもずっと鮮明に、そこで誰がどんなふうに動いたのか、何をしたのかが一目でわかる。山菜が採りやすい採取ポイントには自然と多数の獣の足が向かうし、逆に危険な地形には近寄らない。
その傾向さえ見分けていけば、普通よりもずっと短時間で沢山の成果が得られる。
つくづく私は見えないだけで便利な目を持ってるなぁ。と、自分のチートっぷりに戦々恐々。
最近じゃ、稽古中に僅かな力の弛緩や動きの乱れを即座に指摘しすぎて玉美さんに「許してください」と泣きを入れられる始末だ。すみません、私も加減がよう分からんのです。
全部この体が悪いんだこの体が。普通の人が魔力加速するとめちゃくちゃ筋肉痛で寝れなくなるとかそんなん知らんし。先に言うといてや。
ともかく、玉美さんは私が無茶をさせてしまったせいで今は療養期間中だ。そんで時間が空いた私は反省がてら、こうして山に足を運んだってわけ。
最近、私が外に出ようとすると村のみんなが付いてこようとする。一回倒れちゃったのが変に心配かけてるみたいだ。あれは突発的な事故のようなもので、そんな頻繁に同じことが起きるわけじゃないんだけどね。
魔力の流れを制御し続けていれば、いつ“そうなる”のか予兆を感じ取ることはできるし、仮にそういう波がきても意識を繋ぎ留めておくってことも不可能じゃない。
要するにあれは、所々体が上手く機能してない私が起こす立ちくらみのようなものだ意識していれば大丈夫。
……それでも、多分こういうことが起きる頻度は、これからちょっとずつ多くなっていくと思う。
魂というのがなんなのか。私にはまだ掴めてないけど、元は他人だった私の魂がこの体に入ったことで起きている不調は私が消えることでしか完全に無くなることはないだろう。
その時が来れば、私は大人しく体を元の持ち主に返すつもりだ。
だけど、今はまだ待って欲しい。やり残したこともやりたいことも多く残ってるんだ。それらにいち段落つくまでは、まだ私は消えるわけにいかない。
それに……上手くいくかどうかはわからないけど、ちょっと考えてることもあるしね。成功確率は低いだろうけど。
と、そんな風に色々と考えながら山の中を歩いていたのが悪かったのか。
迷った!!
はい、遭難しました完全に。投了でーす。
つっても別に水さえあれば生きていける便利な体なんで死ぬことは無いだろうけどねー、何日も戻らなかったらまーた玉美さんに心配かけちゃうなぁ。わざわざ護衛を断った上でのこれだから言い訳もできないぞ。
おっ、と思ったら山の中腹あたりに村人ハケーン。よしよし、村の方角がどっちか聞いて……ん? なんか戦ってるっぽい?
……しかも月読村の人じゃないな、この人ら。
4人のうち1人は見たことない人間の魔力だけど、3人は見たことある。あれは確か……そうだ。
最初に月読村にやってきた、高勾村の使者たちだ。
あの時よりほんの僅かだけど、魔力精度が向上してる。なんか修行でもしたんかな?
で、その3人達が戦ってる相手というのは、結構な大きさの“呪い”だ。3人で囲んで戦っているらしい。
呪いが見えるということは、この3人はやはり意図的に魔力を鍛えてるみたいだ。この世界で会った中では結構上位の実力者と言ってもいいんじゃないかな。それでも多分、私が鍛えた今の玉美さんの方が強いけど。
それにしても、あのレベルの呪いに3人がかりでこんなに苦戦してるのはちょっとよくわかんないな?
3人はそれぞれ距離を取りつつ三角形の陣形を維持。一人が注意を引いたらもう二人が背後から仕掛けるという結構合理的かつ効果的な戦術を取っている。
それなのに呪いの方は特に消耗した様子がなく、3人の方が一方的に疲弊している。あれくらいの魔力出力が出せるなら、それこそ数発攻撃を入れれば倒せそうなもんだけど……。
……ん? あ。いや、そうか。そういうことかこれ? あーなるほど。そりゃいつまで経っても倒せないわけだ。
こんな初歩的なことに気づかなかった私も私だが、どうやら向こうも呪いに対する対処法ってのはほとんど伝わってないみたいだ。凡ミスすぎて逆に気づかなかった。
どうしようか。
このまま続けてたらあの3人、多分死ぬな。
それだけじゃない。少し離れた所から戦いの様子を窺っている見たことない魔力の男も、逃げきれなければ殺されるかもしれない。そうでなくともこんな山奥に一人で放り出されたら普通に命の危機だし。
私の見る限りでは、少しやり方を変えるだけで多分あっという間に勝てると思うけど……私たちと敵対してる高勾村にわざわざ呪いの対処法を教えてやる義理はない。
むしろ呪いにやられて数を減らしてくれるなら月読村の脅威が減って万々歳。それはそうなんだけど……。
私が悩んでいると、不意に呪いが膠着した状況に痺れを切らしたのか手足を振り乱して暴れ始めた。素早く3人は距離を取ったが、一人が呪いの攻撃を足に受けて、転倒。そして運の悪いことにその勢いで頭を木の幹にぶつけ昏倒した。
作戦が崩壊し、陣形が乱れた残りの2人に呪いが襲いかかる。それを見た私は反射的に魔力に乗せた“声”を放った。
武器を捨てて!!
「!? 誰だ!」
「この声は……」
頭の中に響いた声に困惑する2人に向けて続けて叫ぶ。
早く武器を捨てて! 死にたいの!?
「ぶ、武器を捨てろだと!?」
「降参しろとでも言うつもりか! その方が余程死にやすくなるに決まって──」
君たちの武器には全く呪力が篭ってない! そんなんでいくら呪いに攻撃し続けても無駄だよ! 素手で殴った方がまだマシ!!
「! ジュリョク……?」
「素手で殴るだと……」
私の叫びを受け、疑心暗鬼ながらも2人は武器を捨て、素手で呪いと戦い始めた。
「じゅるずぞぞそぉっ」
「き、効いている!?」
「本当に素手の方が強いのか!?」
黒曜石の槍で貫いてもなんの反応も示さなかった呪いが、拳による殴打で明らかに苦しみ始める。
正確には拳に僅かに纏った呪力が効いているんだ。武器に呪力を乗せるのは結構難しい技術だから、今すぐ彼らに習得させる事はできない。だから邪魔な武器は捨てさせた。
無意識にでも呪力を体に纏っているのなら、ただ拳を当てるだけであの程度の強さの呪いには十分な威力だ。
……その上で無理なインファイトをせず、2人残っていることを活かしてヒットアンドアウェーで安全策を徹底しているのは私的にかなり高評価だ。
あの3人は鍛えれば相当伸びるだろう。敵のままにしておくのが勿体無いくらいだ。
地に伏せ、塵となって消滅していく呪いを見て雄叫びを上げる男達を見ながら私はそう評した。