「きゃああああああ!!」
「へへ、おいおい嬢ちゃん。どこ行くんだよ〜?」
「誰か! 誰かぁ!!」
子供の腕を引っ張って、決死の表情で逃げる女性。
そんな女性を後ろから追う、でっぷりと太った男の顔には下卑た笑みが張り付いていた。
「逃げれば逃げるほどガキどもを殴る時間は増えていくんだからな〜? 早めに諦めたほうが身のためだと思うぞぉ!?」
「いやああぁぁぁ!!」
男はノロマだったが、子供を抱える女性の足は遅々として進まない。結果として、徐々に女性は男に追いつかれつつあった。
「そら、あと三秒以内にその場に伏せれば優しくしてやるよ。それ以上逃げたら夜までぶん殴る」
「きゃあ!」
「ナミ!? ダメ! 走って!」
「うえぇぇぇん!!」
「3……2……1……」
「あ、あぁ」
倒れ込んだ母子に、追いついた男の大きな影が指す。
女性の瞳が、絶望の色に染まり。
「ぜー……ぼおぉぉっ!?」
覆っていた影が吹き飛ばされた。
「え?」
吹き飛んだ男はゴロゴロと地面を転がり、貝塚の中に突っ込んだ。
廃棄物が巻き上がって悪臭が撒き散らされるが、収まるべきところに収まったという印象しかない。ゴミはゴミ箱だ。
「月巫女様……!?」
「つきみこさま!」
そして、吹き飛ばした男たちに乱暴をされそうになっていたのはナギナミ一家(私が勝手にそう呼んでいる。ちなみにお母さんの名前はナミギさんだ)。
遅れちゃってごめんね。あんなギリギリなタイミングになるとは思わなくて。
「いえ……いいのです、本当に。貴方様が無事であったなら……それだけで……」
私が姿を見せると、ナミギさんは涙を流してぎゅっと子供達を抱き寄せた。
……どうやら、月読村は私が不在の間に何者かの襲撃を受けたようだった。
帰ってくると、村の中心に集まっていたはずのみんなは散り散りに逃げていて、代わりに村を我が物顔で占拠している見知らぬ男たちがいた。
……いや、違う。その中には見たことがある顔が何人もいた。
スザンと共にやってきた高勾村の男たちだ。彼らが村人たちを追い払い、あるいは今見たように襲いかかって月読村に入り込んでいるのだった。
すでに今の男を最後に村内にいた男は全員掃討した。幸い、誰かが殺されたり乱暴された様子はなかった。かなり危ない状態ではあったけど。
反吐が出る。
そして何より問題なのは、玉美さんとリンの姿が見えないことだ。リンはともかく、玉美さんにはみんなのことを頼んでいたはずだ。それがどうして、こんなことに。
「月巫女様、玉美様は連れ去られたのです」
そんな私の疑問に先んじて答えるようにナミギさんが言った。
「私が目覚めると、玉美さんは何やら細身の男に木製の手錠をかけられて連行されるところだったのです。側にはリンが付いていって、玉美さんをお守りするかのように振る舞っていました」
そっか。と答えながら、私は自分の中の魔力が暴れ出さないように抑えるのに必死だった。
村に来て玉美さんとリンがいなくなっていたことにはすぐに気づいた。その時から、覚悟していたことではある。
それでも……。
「月巫女様! 賊は東に向かって行きました。恐らくはそこに根城があるものと……」
東。やはり高勾村だ。
私はありがとう、と返して男の手足を縄で縛り上げ、東に向かって走り出そうとした時。
「まって!」
幼い制止の声が私の足を止めた。
「つきみこさま……いっちゃダメです……」
その声はナミギさんの足元。彼女の足にしがみついていた女の子、ナミちゃんが発したモノだった。
「ナミ! ダメよ、月巫女様にご迷惑をかけちゃ。申し訳ありません月巫女様。この子のことはお気になさらず……」
「い、いっちゃダメなの!」
「ナミ!!」
私はナミちゃんの顔を捉えながら、しばし悩んで……彼女に近づき、視線を合わせて聞いた。
どうしてダメなの? と。
「……つきみこさま、まっくらにつれていかれて、かえってこれなくなります……」
真っ暗、と私はナミちゃんの言葉を吟味する。
続けて、どうして君がそんなことを知っているの? とナミちゃんに聞く。
彼女は視線を右に左にと彷徨わせて不安がったが、おずおずと話し始めた。
「ゆめで……みたの……」
「ナミ。その話は……」
「うそじゃないもん!」
ナミの言葉に、ナミギさんは気まずそうにしていた。
「この子……最近よく言うんです。夢で見たって。ただ、何も起きないことも多いので……」
「うそじゃないもん……」
ぎゅっと拳を握るナミちゃんを見ながら、私は少し考えてナミちゃんに言った。
ありがとう。私のこと心配してくれたんだね。ナミちゃんの言ってたこと、覚えておく。
「……ん」
ナミちゃんはまだ何か言いたいことがありそうだったけど、こくんと頷いて顔を上げた。
「つきみこさま、がんばって」
◆
魔力は“残穢”を残す。
残穢を感じ取ることは、魔力を認識できるならそう難しいことではない。生物が残す魔力は、山の中で枯葉を掻き分けて足跡を追うより、ずっとわかりやすくその場に残る。
だから玉美さんも、身動きが取れない状態でわかりやすく残穢を残すことが出来た。
お陰で私は村を出てからほとんどノンストップで駆け抜けて、急速に玉美さんに追いつきつつあった。
そして、ほぼ真っ直ぐ続いていた残穢の痕跡がある時急に方向転換して、山の方へ向かった。
そのまま山の中に入ったところで、残穢が薄まっている。
……恐らくは、玉美さんは気絶させられたのだ。残穢を残していることを勘づかれて。
だとしたら敵の呪術師は相当な手練れだ。魔力が見えるだけじゃなく、呪術師からの追跡を逃れる方法についてもかなりの知識がある。
スザンが言ってしまえば低レベルな呪術師だったもんで油断した。高勾村にはもっと高い能力を持つ呪術師がいたんだ。そして、私の戦闘を見て玉美さんを連れ去ることを思いついた。
私が呪いの対処のために村を離れた隙の犯行。そしてその後の迅速な動き。計画的に仕組まれていたとしか思えない。
加えて……この一連の事件の犯人には、村の内情がかなり細かいところまでバレていたと見ていい。
そうでなければ玉美さんを連れ去ることができるという絶妙な戦力をここまで効果的に扱うことはできないからだ。
私をある程度阻害できるアマネちゃんという呪術師と、玉美さんを無力化できる戦力。まるでわかっていたみたいにこの村の弱点を突かれた。
敵は智謀に秀でた手練れ。私は最大級の警戒を持ってその認識をして、山の中に足を踏み入れた。
……濃密な魔力が渦巻いている山の中へと。
枯葉を踏みしめる音以外は聞こえない、静かな山中。残穢は薄れてはいるがこの先に続いている。
そして。
──!!!
耳をつんざく咆哮が、びりびりと大気を震わして山を駆け抜けた。
魔力がいっそう濃く吹き荒れて、視界は魔力の嵐で掻き乱される。
吹き荒れる魔力の中から現れたのは、見上るほどの威容を誇る、四足の“獣”だった。
……呪いか? これ。今まで見た呪いとはまるでレベルが違う。
グルルル……と低い唸り声を上げて、獣は私の前に立ち塞がった。
その体の中心に、見知った魔力の波が渦巻いていた。
……玉美さん? 中に囚われて、いや、違う。
──こいつ自体が玉美さんなのか!
「──!!!」
肯定も否定もなく、ただ身を震わせるほどの咆哮だけが返された。
まったく、確かにあの人、犬好きだったけどさぁ?
流石に、自分が犬になりたいほどとは思ってなかったね。
私は地面を蹴って、こちらに敵意の籠った視線を向ける呪いの獣の攻撃を避けながら苦笑した。