「──!!」
呪いの獣の前足が大きく振り上げられ、枝葉の隙間から僅かに照らす月明かりを隠す。
それが振り下ろされる時には、すでにそこに私の姿はない。空に飛び上がって、枝の上に身を寄せる。
さて、どうしようか。
いや、まぁ対処すること自体は簡単だ。獣は動きが大振りで、鈍いからね。あの前足に込められた魔力量は脅威だけど、文字通り目を瞑っていても当たることはない。
だけど、果たしてこの獣に攻撃を加えてしまっていいものなのか。そもそも、玉美さんが今どういう状況になってるのかわからない。
獣の中にいることは間違いないけど、それ以外のことはわかんないし。無事かどうかも、意識があるのかどうかもわからない。
なんか状況的に、これって餓骸の時と似てるんだよな。玉美さんの意識もないっぽいし。ただあの時と違って玉美さんが何故こんな状況になっているのかわからない。
……そう思えば玉美さんって、呪いに乗っ取られることに縁があるな。呪い的に美味しい乗っ取り先に見えるフェロモンとか出てんじゃないの。
「──!!」
あっ、怒った。
振り乱される尻尾をかわしながら、獣の背後へと回る。
殴るのダメなら拘束ならどうだ、ということで骨針と魔力の糸を伸ばして私は獣の動きを止めにかかった。
……が、これもダメ。
体が大きすぎて糸が回り切らないのだ。それ以前に長さも足りない。仮に足りたとしても、強度が持つかもわからない。
仕方ない。
私は飛び上がって、右足を大きく振り上げた。
重力、体重を乗せた踵落とし。地面にそのままぶつかれば、地盤がひっくり返り大きなクレーターを作る一撃。
それを獣の頭部……呪いの急所と思われる部位に撃ち落とす。
玉美さんがいるのは呪いの腹の中。仮に呪いのダメージがそのまま玉美さんに行く鬼畜仕様だったとしても、彼女の肉体への直接的なダメージはある程度避けられる……そんな思惑で頭を狙ったが。
まぁ、もしこれで玉美さんにダメージ行ったらそん時は治すから! 他に手もないし! 許して!!
そんな、慎重なのか大胆なのかもわからない思惑で放った私の一撃が呪いの体を大きく揺らし──。
「──」
は、しなかった。
……え、マジ?
突如、体の側面から強烈に叩きつける衝撃が駆け抜ける。
私は全身に魔力を漲らせて襲いくる衝撃に対して、全身全霊の防御を為した。
それは頭への痛撃に対して特に大きなリアクションを起こさなかった獣の尾が振るわれた結果の不意の一撃だ。
バキィ!!
という破壊音と共に私の体が吹き飛ばされ、太い木の幹に打ち付けられて粉砕する。
ビリビリ、と全身に流れる痺れのような感触は。明確なダメージこそ伝わらなかったが衝撃が体を走って麻痺させたことを示していた。
……まさか私の攻撃がろくに効いていないなんてね。そんな相手、今まで出会ったこともなかったのに。
あの餓骸ですら、ダメージはしっかりと通っていたし反撃を恐れていた。私の攻撃が通じないなんてことはなかったんだ。
それがまさか、ダメージにならないどころか反撃されるなんて。
全身の痺れに眉を顰めて、私は悠々と近づいてくる獣を見上げた。
──頭部に与えたはずのダメージは、多少の痕跡はあれどすでに完治といえるくらいに平常の状態に戻っており。やはり先ほどの私の攻撃が大して通用しなかったことがわかる。
獣が全身を引き絞り、放たれるように飛び出す。
そのまま噛みつきによる突進攻撃に移行したのを確認した私は、地面を蹴って空に逃れながら獣の横面を右拳で叩いた。
ドッ……と、やはり空気を震わす重い一撃は獣の顔を逸らし、釣られて上体が傾く程度の結果は見せた。だが、そこまでだ。すぐに体勢を立て直した獣はギロリと私を睨むと、左前足を払って追撃を繰り出そうとする私を牽制してきた。
……やっぱり私の攻撃が大して入らないらしい。これは困った。
私にとっての最大火力は、何よりも私自身の体から放たれる魔力で強化された殴打だ。その威力は民家くらいなら一撃で吹き飛ばし、脚力を強化すれば人間の目が追いつかないスピードで動くことができる。
そして呪いに対してのダメージというのは、呪力で強化された身体が齎すダメージだ。それは人間が対処不能な見えない呪い相手であっても、拳に纏った呪力で攻撃が通用する存在へと変える。
要するに、私の呪いに対して唯一の対抗手段である魔力の拳が有効打を与えられない以上、私はこの呪いに対して打つ手なしということ。
まさかここまで防御に特化した呪いが現れるなんて夢にも思わなかった……いや、これは単なる防御か? 打撃無効、あるいは吸収。そういう類の“術式”効果に似ているようにも思う。
だけど、呪具ならともかく呪いに術式を付与するなんて現状不可能だし、出来たとしてもやらないだろう。
あまりにも危険だし、不確定要素が多すぎる。そもそも術式を刻むことができるのは。
「──!!」
大きく鳴いた獣が全身で押しつぶすようにのしかかり攻撃を放ってきた。
まさかこんなことまで。ここまで攻撃パターン豊富だと、まるで本物の動物みたいだ。
獣の動きは、最初は単純に前足を振り下ろしたり尻尾で叩いてきたりとシンプルな攻撃パターンだった。
しかし今では前足と尻尾の攻撃の連携。追い詰めての猫パンチ連撃。ゴロゴロと暴れ回り攻撃と攻撃方法は多彩になっていった。
まるで獣がこちらの動きを学習し、どんどん賢くなっているかのような錯覚を思わせる。
……いや、実際それは錯覚ではないのかもしれない。
獣は明らかに玉美さんとは全く違う思考回路を持っている。私に対して攻撃を躊躇する様子を見せたりとか、苦しんだりする様子はない。だからこの獣を動かしているのは玉美さんではないはずだ。
それより、もっと本能的な動きが増えていることに注目すべきだ。まさに獣そのものな行動が増えていることに。
もしかしたら、そこに突破口があるのかも……。
と、後ろ足で砂を引っ掛けるような攻撃を避けた直後。
……?
突如、獣の動きが止まり。
「カハッ、カハッ」
大きく、えずくような動作を見せ始めた。
……今度はなんだ? と訝しげに思いつつも、なぜか一匹で勝手に苦しみ始めた獣に少し近づき……。
直後。
「──!!!」
視界が、魔力と光の奔流に飲み込まれた。
獣は、まるで喉につっかえていた毛玉を吐き出すように──その口から魔力の砲撃。謂わば“魔弾”を放ったのだった。
しかし威力と規模が桁違い。
極太ビームと化した魔弾……“魔咆”は、明け方の山を一瞬完全に昼に変えてしまうほどの凄まじい光を放っていた。
そして光と魔力が暴威を振るい、後に残ったものは……何もなかった。
獣は勝利したのだ。
人間は皆自分にひれ伏すべき下等な生き物である。強さこそが最大の正義であるならば、最も強い生物である自分はこの世の頂点である。
かの人間は強き者であったが、獣の前では弱き者であった。その証拠として、弱者はこの世から消え去るという当然の末路を辿ったのだ。
天晴れだ、人間。貴様のことは生涯忘れることはないだろう──。
なーんて思ってそうな顔してんなぁお前!!
「──!?」
突如、首にかけた糸がギリギリと締まり獣は苦悶の鳴き声を上げた。
相手を殺したと思い込んで、油断したその瞬間が1番の隙となる。全身を拘束することはできなくても、糸をかけようとしても暴れ回ったとしても。
この首に絡みついた糸を解くことはそうそう出来やしない。
さーぁ猫ちゃんよ。あるいはワンちゃんよ。
我慢比べと行こうか。