「……彼女が純潔なのは当然だ。俺が見てきた中で、彼女ほど清純な女性は他にいない」
「おい、
「ディス……?」
「貶すという意味らしい。月巫女曰くな」
言いながら歩を進め、坊よりも前に立つ。
「坊にしても其方にしても、女というものを特別に見過ぎじゃ。女も男もただの人間であろ」
「ただの人間? であれば、貴女のような強大な力を持ったただの人間は、この世に大勢いるんでしょうか?」
「……何が言いたい」
一歩進んだアマネに対して、動かないオガンは言葉を募る。
「俺はかつて、本当に弱い人間でした。“ただの人間”が当たり前に出来ることが全くできないくらい。俺にとってただの人間ってのは憧れの存在ですよ」
「そうか。苦労したのじゃな。そして今、自分が受けたその苦労を他者に課しているのが其方じゃ」
「まさに! それが強者の特権というやつですよ。アマネ様」
突然始まった自分語りに対して話の腰を折って牽制をかけると、オガンはへこたれるどころか、さらに舌が回り始めた。
どうやらこの男は話したくて仕方ないらしい……と、四肢の動きに注意だけは払って、ひとまず話を聞く体勢に入る。
「強者は人生のあらゆる場面で様々な“選択肢”が得られます。自分にとって最も都合のいい選択を引き続ける権利があるのです。それどころか、自分が受けるはずだった苦難を他者になすりつける事すら許される。そんな特権が、ただ“産まれが違う”という理由で差配されるのです」
演説に熱が籠っていくオガンとは対照的に、冷静な頭でスザンにこっそりと指示を出して、オガンの後ろに回り込むように指示する。
前後からの挟み撃ち。オガンは呪力を全く纏っていないが、それは呪力が見えないという意味でもある。
スザンの隠蔽が甘い呪力操作でも、奇襲が可能だ。
「同じただの人間なのに、生まれ持った才や立場、境遇で全く違う人生を歩むことになるのは何故でしょう? 何故、隣の家の彼女はあんなにも美しく、俺はこんなにも醜いのでしょう?」
「権力や器量だけで人が人を見ているわけではないぞ。そう見えているのなら、其方がその程度の価値観に縛られているだけじゃ」
「それは嘘ですね。俺が強くなった途端、それまでの態度が嘘のように女が寄ってきましたよ? 憧れの存在もただの家畜のような存在になりました」
会話で気を引きつつ、ゆっくりと歩いて背後に回るスザンが奇襲を仕掛けやすい位置に陣取れるよう誘導する。
正面からやり合えば、自分とスザンの二人がかりとてオガンに対して対抗するのは難しい。
月巫女に対して奮戦出来たのは“猿の手”があってのものだった。
それも今は月巫女に没収されてしまっているし、自分自身も強制される以外でアレを使うのは避けたかった。
猿の手は人の魂を凌辱するとされる魔手。使うのは、相手を問答無用で殺す時だけだ。
「人は結局、器量や権力に惹かれます。最後に勝つのはいつだって強い者だ。ですからね、俺は俺よりも強い人間が好きです。まぁ、そんな人間はそうそう居ないので、代わりに権力があった翁と組んでいたのですが……」
……良し。
スザンがいい位置に着けた。相手から見えづらく、スザンからは視界が通っている建物の隙間。
飛び出そうと思えばすぐに飛び出せて、そのまま背後を取れるという都合のいい位置どり。
オガンはこちらに気が向いている。仕掛ければ気を引けるはずだ。その隙に背後からスザンが奇襲をかければ、戦いの趨勢は大きくこちらに傾く。
オガンという人間は女に執着している。逆に言えば男、もっと言えば弱い男は意識の外に追いやる傾向があった。それを逆手に利用した。
本来彼の強みである自身の性癖と体質が、彼の足元を崩して敗北へと繋がるという皮肉──。
「“彼女”のような存在がいるなら、あのジジイも……その息子の存在もいりませんね?」
「……ッ!?」
瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走る。
まずい、と思うと同時に声を張り上げる。
「スザ──」
「男のくせにこそこそと、感心しません」
声と同時に、ヒュッ──と風を切る音がして。
視界に捉えていたはずのオガンの体の輪郭がブレて掻き消え、建物が吹き飛ぶ爆砕音と、パラパラと木片が落ちる静かな音が聞こえた。
「スザン!」
叫びながら、失策を悟る。
オガンは背後のスザンの存在に勘づき、奇襲を仕掛ける側だったはずのスザンを逆に不意打ちで打ち砕いた。
倒壊する建物の中で、スザンが無事かどうかもわからない。頑丈な男ではあるが……。
「この体になってから、様々な感覚が鋭敏なのです」
そして、心配している余裕すらなく状況は逼迫していく。
「貴女達の言う気配、呪力とやらは確かに自分には見えませんが、それらの力の波が生み出す空気の流れ、匂い、肌を刺す気温の変化は感じ取れます。呪力は見えずとも、そこに何かが在ることはわかるのです」
「オガン!!」
瞬きの間に背後に回り込んだオガンに対して、渾身の貫手を放つ。見た目には細くとも、呪力を纏ったその掌は痛撃に値する一撃。
「そんなに怒らないでください。性器の質が落ちます」
「かはっ……!?」
しかしそんな全力の一撃すらも、オガンにとっては止まって視えるような鈍い動きにしかならない。
カウンターで懐の潜り込まれ、腹に掌底を喰らい肺から空気が押し出される。
膝から力が抜け、その場に蹲るようにして倒れてしまう。
「俺はこれでも、女性の顔を殴ったことはないんです。“味”が落ちるので。そもそも、これから食べようとしてる食材の良い部分をわざわざ傷つけるようなこと、普通はしませんよね」
「くぅっ……!」
「貴女も、顔が良いのでそこは傷つけませんよ」
蹲る自分の顎に指が添えられ、強い力で上向かせられる。
こちらを底なし沼のような昏い瞳で見つめるオガンの顔がそこにはあった。
「……哀れな奴じゃ」
「はい?」
無感情、無表情なオガンの顔に無理矢理に口の端を歪ませて嘲笑する。
「女に見下された経験が余程応えたか? それが忘れられんから、こうして女を下して見下すことで安心を得ているに過ぎん」
「……」
「せっかくの力も、自己満足にしか使えないようでは赤子と変わら──うぐっ!?」
「黙れ、女風情が」
言葉の途中で、膨れ上がる殺意と共に首に手がかけられ、ぎりぎりと締め付ける力が強まっていく。
首を締め付ける腕を引き剥がそうと力を込めるが、節くれだった手はびくともせず、意識が霧がかったように白く混濁していく。
「弱さは罪だ。弱者は強者の前に這いつくばり、媚びへつらっていればいい。口答えをするな。笑うな。喋るな。それをするごとに、弱者である自分の少ない価値を下げることになぜ気付かない? なぜ女は喋りたがる? 黙っていれば、そこそこの環境で飼ってやったものを」
「あ、あがっ……!」
「生き残るために、体すら売った売女の分際で!」
……そう、そうだ。怒れ。怒ればいい。
自分の命など、今更惜しくはない。同胞を見捨てられなかったがために拾っただけの、もはや穢れ切った魂だ。惜しくなどない。
だが、時間が必要だ。最後の希望である彼女が自由に動けるだけの時間がいる。時間を稼ぐためなら、いくらでも命を削ろう。
どんな罵倒も、暴力も、凌辱も、この身一つで済むなら……。
「──ハァッ!」
「! チッ」
目の前を銀光が通り過ぎた。
と同時に、首にかけられていた圧力が消え去り、体が地面に解放される。
「ッ! はぁっ! はっ……! げほっ、ごほっ!」
「立てますか、アマネ殿」
「……マヒトか」
自由を取り戻した体が酸素を求めえずくのを支えたのは、職人の腕を持ったマヒトだった。
「解放したのはスザン殿です。彼が頑丈で良かった」
言われて前を見ると……体のあちこちに傷を作りながら自分の前に立つ広い背中が目に入った。
「……あれで終わっては、彼女に顔向けできないからな。それだけだ」
「……相変わらず、素直じゃない奴よのう」
今にも倒れそうなふらふらの状態でよく言うものだ。と嘆息と同時に笑いが溢れ出る。
笑う膝に鞭を入れて立ち上がると、再び呪力を練ってスザンの横に立った。
「もうひと踏ん張りといこうかの」
「ここで死んだら、俺はよくやっていたと彼女に伝えろ」
「……雑魚が並んでも、何にもなりませんよ」
構えた自分たちと、相対する細身の男。
元はこの村で一つの窯を囲んでいた者たちの数奇な戦いは終わりを迎えようとしていた。