天使の羽休めと呼ばれる、そのビーチは真っ白な砂浜とエメラルドグリーンの海が美しい。
ランカーの着装者として過ごすのにこれほど美しい場所はない。
ネリルはそのファイトマネーで天使の羽休めを購入することに躊躇いはなかった。
かつて自分がいた場所では海は憧れるばかりで
ネリルは白いパラソルの下、ゆったりとビーチチェアに体を沈めていた。
陽光を浴びた金色の髪が、肩から背中にかけて緩やかに流れ、薄手の白いビキニが彼女の鍛えられた肢体を強調している。
第五位という地位に相応しい、華やかさと危険さを併せ持った美貌。
しかし今、その碧い瞳は、眼前で浮遊する大型の配信ラクリマに釘付けだった。
「ふふ……またやってるわね、白銀の弟くん」
画面の中では、白銀の《ベイルナイト》が跳ね回っていた。
アルビオン。
姉のヒルダが使っていたのと同じ、白銀の輝きを放つ機体。
着装者はルーデンス――ヒルダの弟。
ネリルは指先でラクリマを操作し、過去の配信記録を次々と呼び出した。
最近話題の「紅い流星」との一戦から、狼王との激闘、第六位ロック・ボックスとの戦いまで。
すべてを高速で巻き戻し、重要な箇所だけをスロー再生する。
白銀の拳が炸裂する瞬間。
相手の武装を奪い取り、即座に自分のものに変える異能。
触れたものを白銀に染め上げる、まるで「感染」のような力。
「……すごい。ほんとに、すごいわ」
ネリルは唇を湿らせ、ため息を漏らした。
しかしその声には、純粋な賞賛だけではなかった。
苦々しさと、熱いねじれた感情が混じっていた。
彼女は自分の右手をゆっくりと持ち上げた。
細くしなやかな指。
この手で無数のベイルタルを砕き、相手の着装を強制解除させてきた手。
散弾天使の異名は伊達ではない。
彼女の《マグナスローネ》は、無数の小型スケイルをばらまき、敵を蜂の巣にする。
一撃の重さより、速度と残虐性で相手を追い詰めるスタイル。
それでも――ヒルダには勝てなかった。
十年前。
まだランカーでなかった頃、ネリルは「絶対女王」アルビオン・ブリュンヒルドに挑戦した。
結果は惨敗。
白銀の剣が一閃しただけで、彼女のスケイルはすべて粉砕され、ベイルタルに深手を負わされた。
あのときヒルダは笑っていた。
優しく、しかし圧倒的な余裕を持って。
「可愛い子ね。でも、まだ早いわ」
あの言葉が、今もネリルの胸に棘のように刺さっている。
そして今、そのヒルダの影が、再び現れた。
白銀の鎧を纏い、姉と同じように人々を魅了し始めている少年。
ルーデンス。
ネリルはラクリマを拡大し、少年の顔をクローズアップした。
まだ幼さの残る横顔。
必死に拳を振り、相手の攻撃を凌ぎながらも、どこか楽しげに戦う表情。
姉の才能を継ぎながらも、完全に同じではない、未熟で粗削りな動き。
「ヒルダの弟……あなたは、姉さんを超えられるのかしら?」
彼女はビーチチェアから立ち上がり、波打ち際まで歩いた。
裸足の足が白い砂を踏みしめる。
冷たい海水が足首を洗う。
配信記録をさらに遡る。
ガラクタ山での初戦。赤い流星との遭遇。
アルビオンを着装した瞬間から、ルーデンスは変わった。
最初はただのジャンク拾いの少年だったのに、今や大会で注目を集める存在。
観客の歓声、解説者の興奮した声。
すべてがヒルダの再来を連想させる。
「悔しい……本当に、悔しい」
ネリルは小さく笑った。
笑いながら、左手の爪が自分の右腕に食い込む。
薄い血の筋が浮かぶが、彼女は気にしない。
痛みは、彼女にとって快楽に近い。
ヒルダに勝てなかった自分。
第五位という中途半端な地位。
ファイトマネーで手に入れたこの美しいビーチさえ、ヒルダの前ではただの慰め物にしか思えない。
だが、ルーデンスは違う。
彼はまだ「未完成」だ。
ヒルダのように完璧ではない。
隙だらけで、感情的で、必死すぎる。
だからこそ、壊したくなる。
自分の色に染めたくなる。
「ルーデンス……あなたは私のものよ」
ネリルはラクリマに向かって囁いた。
画面の中の少年が、アルビオンのブーメランを放つシーン。
白銀の武装が回転しながら敵に突き刺さり、相手の《ベイルナイト》を白銀に侵食していく。
あの力。
触れたものを自分のものにする力。
ネリルはそれを、自分の《マグナスローネ》で再現できないかと何度も試した。
結果は失敗。
彼女のスケイルは破壊と散弾に特化している。
感染・同化の力は持っていない。
だからこそ、余計に欲しくなる。
彼女は再びチェアに戻り、配信をループ再生させた。
ルーデンスが勝利した後のマイクパフォーマンス。
照れくさそうに、しかし確かな笑顔で観客に手を振る姿。
姉の面影がありながら、少年らしい純粋さが残っている。
「ヒルダは冷たかったわ。完璧すぎて、近寄りがたかった。
でもあなたは……もっと、脆くて、温かくて、壊しやすい」
ネリルは自分の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が速くなっている。
これは戦闘時の高揚感とは違う。
もっと粘着質で、甘く、病的な執着。
彼女は過去の自分の試合記録も呼び出した。
第五位決定戦。
相手を文字通り蜂の巣にし、ベイルタルに無数の穴を開けた残虐なシーン。
観客は恐怖と興奮でどよめいた。
「散弾天使」の名を轟かせた瞬間。
でもヒルダの白銀の前では、そんな残虐さなど無力だった。
「今度は違う。私は第五位。あなたを……ルーデンスを、ちゃんと味わってから、壊してあげる」
ネリルは立ち上がり、《マグナスローネ》の待機形態である銀色のリングを左手中指に嵌めた。
軽く魔力を流すと、無数の小さな羽根のようなスケイルが周囲に舞う。
陽光を受けてキラキラと輝くが、その一つ一つに殺傷能力が宿っている。
彼女はスケイルの一つを指で摘み、ルーデンスの投影された顔に向けた。
「ガラクタ山でもいい。あなたにゆっくり、教えてあげる。
姉さんを超えるには、どうすればいいのか。
どうすれば、私に勝てるのか」
スケイルが回転し、ルーデンスの幻影のベイルタル部分に突き刺さるイメージ。
ネリルは恍惚とした表情を浮かべた。
劣等感は、執着に変わっていた。
ヒルダに勝てなかった悔しさは、ヒルダの弟を手に入れることで晴らしたいという、歪んだ欲望に変換された。
海風が彼女の髪をなびかせる。
エメラルドグリーンの海が、静かに波を打ち寄せる。
ネリルはラクリマを閉じ、ゆっくりと海に入った。
水が膝、腰、胸まで達する。
冷たい海水が、熱くなった体を冷ましてくれる。
「ルーデンス……早く、強くなって。
私に相応しい獲物になって。その白銀の鎧を、貴方の赤い血で染めてあげるから」
彼女は水の中で微笑んだ。
天使のような笑顔。
しかしその瞳の奥には、狂気と愛情が渦巻いていた。
第五位“散弾天使”ネリル。
彼女の執着は、静かなビーチの波音と共に、静かに、しかし確実に膨らんでいった。
――次の戦いで、ルーデンスがランカーに挑戦する日が近づいていた。
ネリルはそれを、心待ちにしていた。