棺の中のスノウ・ホワイト   作:ぜっけい

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今回から不定期になります。可能な限り毎日投稿しますが……ごめんなさい。


魔女~Gretel~

 ──時刻は数分前に巻き戻る。

 

 加賀美真白は通話が切れたスマホを両手に持って車内に座っていた。玄馬は助手席で渋い顔をする。夏子が運転する軽自動車は変わらず夜道を走っているが、アクセルを踏む彼女の足は少し強くなっている。

 

 銀我のいる一家に異端者(グリム)の魔の手が迫っていることに疑いの余地はない。

 ……それはつまり、一刻の猶予もないことを示している。

 銀我は焚書官といえど異端能力はない。異端者の能力に対する耐性こそ持っているが、時間稼ぎをしてくれる、なんてのは高望みだ。例えるなら一般人にプラスチックの脆い盾だけを渡して飢えた狼や熊といった野生動物と戦えというようなものだ。まず助からない、できるのはせいぜい一撃を凌ぐだけだ。

 

「大変、いそいで行かないと……」

「だが、ここから悠丘まで車で20分だ。到底間に合わん」

「でも、銀我くんが……!」

「……しかたねぇ、使うか。真白、良いか?」

「わかったわ」

 

 たった20分、それでも異端者が銀我とその友人一家を皆殺しにするには十分すぎる時間。

 焚書官として、その犠牲は看過できない。故に──雲居玄馬は切り札を使う。

 

「──指切りげんまん」

 

 その言葉をきっかけに、しゅるしゅると玄馬の両手の小指が解けた。

 玄馬の枯木めいたざらざらとした指は、瞬く間に銀色のか細い糸に変貌し、真白の白いほっそりとした首に結わえられる。

 さながら絞首刑のようだ、と真白はぼんやり連想する。……自分にぴったりだ。

 

「真白、おまえは先行しろ。後から俺達も駆けつける」

「ええ。すべて終わらせて、待っているわ」

「クックック、頼もしいな」

 

 焚書官、雲居玄馬──その異端の名にして語られる異名は”閻魔(えんま)蜘蛛(くも)”。

 その糸は罪人の首を吊る獄卒の縄。しかし、応用すれば仏が垂らす救いにもなる。

 

「──んじゃ、ちょっと苦しいと思うが我慢しろやッ!!」

 

 その声と同時に、ぐっ、と真白の首が絞まり息が止まる。

 糸が水滴を伝うように。あるいは、極楽から地獄まで垂らされたように、玄馬の小指は縁を結ぶ。それは死者も生者も関係ない。ただ、確かに繋がっていたという事実さえあれば距離の概念を無視するのも容易いことだ。

 

「──”また会おうね”……指切ったッ!!」

 

 ぷつん、と糸が切れる音がし──真白の身体は結ばれた縁の彼方へと伝い始めた。

 

◆◆◆

 

「クモイさんの異端の力でここまで伝ってきたのよ。彼の糸は縁を伝わせるから……距離や空間の概念はある程度無視できるのよ」

「へぇ、あのオッサンやっぱすげぇんだ……ってそんなこと言ってる場合じゃねぇ! 早く陽一を助けねぇと! 冷蔵庫から保冷剤を取れば良いのか?」

 

 真白は赤く腫れた首筋をさすりながら、これまでの経緯を簡潔に話した。

 銀我は自分の知らなかった玄馬の能力を知って驚き……直ぐにそんな場合じゃないことに気づく。

 陽一が危ない。顔は真っ赤で、もはや汗さえ流さない有り様……一刻も早く救命活動をしなければ死んでしまうのは明らかだ。

 しかし、真白はいつも通り無表情。汗の一筋さえ流さず、落ち着いた様子で陽一を見る。

 

「問題ないわ。彼の症状は異端によるもの、十分ではないでしょうけど……わたしの瞳で回復できるわ」

「そうなのか!? なら、早くしてくれ」

 頷いた真白は、緋色の櫛をメスのように持ち、倒れ伏した陽一を睨む。

「──鏡よ鏡、世界(いのち)を写せ。……これで、大丈夫」

 

 銀の瞳は異端を砕く。それは、この迷宮(ラビュリス)に蠢く異端者の毒牙も例外ではない。

 パリン、と小さいながらも明瞭に聞こえた鏡の砕ける音と共に、陽一の痙攣は収まり顔色も幾ばくかよくなる。

 

「──ッ、かはっ、くっ……い、いまのは……なんだ?」

「陽一っ! 大丈夫か!!?」

「ぎんが……いや、それよりこの家は、あの女は? それに、その女の子は誰だ?」

 

 数秒と待たずに陽一は目を覚ました。動作は緩慢ではあるものの命に別状はなさそうだ。

 目覚めた陽一は困惑した様子でお菓子の家に変貌したリビングと、あの異端者の少女……そして目の前のゴスロリ姿の少女、真白を見上げる。

 

「説明は後よ。

 ──あなたの家に異端者がいるわ。もう時間がないの、他の家族はどこにいるの」

 

 真白は陽一の問いに答えず、簡潔に必要なことを聞く。

 

「いや、何を言って──」

「ニ階の寝室だ。確か、手前から2番目の部屋だ」

「わかったわ」

 

 銀我の答えを聞いた真白は踵を返し、リビングの出口に向かう。冷徹に見えるほど、彼女の言葉に迷いはない。最速で救う方法だけを選んでいるようだ。

 

「銀我っ! おまえ何を言って」

「彼女は、俺の命の恩人だ。だから、信頼していい」

 

 非常識の連続にパニックを起こしかけた陽一を、銀我は彼の手を強く握り、そして両目を睨んで落ち着かせる。信頼にかけた、これまでの6年間の友情に任せた説得だ。

 

「……ああ、わかったよ。とりあえず、信頼するよ」

「ありがとう。真白、陽一は──」

「連れていきなさい。一人でいるほうが危険よ」

 

 そう言って、真白はチョコレートの扉を緋色の櫛で指し示し、一瞥で粉砕しリビングを出ていく。

 

「……だとよ。陽一、立てるか?」

「あ、ああ……なんとか、な」

 

 銀我の肩を借りて、陽一は立ち上がる。触れた陽一の体温はまだまだ高い、なるべく早く病院に送らないと問題が起きてしまうのは明らかだ。

 ……だが、ここから出ることはできない。

 2人は真白の後に続いてリビングからニ階へ……家族のいる寝室に向かう。

 階段もプレッツェルに変わっており、小麦の焼けた香ばしい匂いがしている。一歩踏むごとにサクサクとした小気味よい音がしてくる。

 

 ……陽一は真白が普通ではないことに怖れているようだが、しかし、同時に我が家を襲うこの異常事態を解決してくれるのは彼女しかいないことは分かっているようだ。

 そして、それは。

 

「なあ、銀我」

「なんだ、陽一」

「おまえが野球を辞めたってのは、この……グリム? ってやつが原因なのか?」

 

 友人である銀我が突然野球をやめた理由も察すことができるということだ。

 銀我はバツが悪そうに視線を泳がせ……観念して話すことにする。

 

「……まあな。俺の場合は腕を奪われた、野球の才能を根こそぎ奪われっちまって……絶望していた俺を真白……あのゴスロリの女の子に助けられた。そんんで、野球の才能は取り返せたけど、そこでちょっと問題があってな……しばらく焚書官(バーナー)っていう異端者を倒す一員に加わることにしたんだよ」

 

 3人は階段を登っていく。真白は油断無く四方を睨み、異端者の不意打ちを警戒している。

 銀我は陽一の指摘と困惑を解消するために自分の経験を簡潔に話す。

 

「はぁー……よく分かんねぇが、大変だったんだな。まっ、野球依存者のおまえが野球をやめるってのは、それこそこんなトンデモ非常識が原因なんだろうな」

「んだよそれ……」

 

 話すのは気恥ずかしかったが、しかし陽一にとっては十分であったようだ。

 ……よかった。陽一はだいぶ消耗しているようだが、それでも軽口を叩けるくらいには正気らしい。

 銀我は彼の様子に安堵し──そして、覚悟を決める。

 

「なあ、陽一。これからどんなことがあっても、気を強く持てよ」

「はぁ? なんだよいきなり……もうとっくに困惑や恐怖を飛び越えて冷静になって」

「いや、十分じゃない。痛みもなく腕を抜き取られたり、自分から才能(ちから)が奪い足られる悍ましさをおまえは知らない。……異端ってのはどこまでも残酷に人を絶望に突き落とすんだよ」

 

 ……だから、

 

「どんなことがあっても、恐怖に負けるな。家族を、みんなを助けるためにはおまえが正気じゃねぇと無理なんだ」

「……ああ、分かったよ」

「──ここね」

 

 陽一が頷くと同時に、3人は目的の場所に着いた。

 即ち、寝室へと。拓、千鶴、そして英二の3人が眠っている場所だ。

 その出入り口のドアはスコーンに変わっている。

 

「ああ、そうだ」

 

 もわり、と濃密な甘い香りが肺を侵す。

 寝室の前はそれはもう甘い香りで充満していた。

 リビングで生クリームの中にいるようであったが、ここはもはや溶けた砂糖の塊の中にいるようだ、呼吸するだけで体内が砂糖漬けになって、焼けるような甘みを感じてしかたない。もう当分甘い菓子はいらないくらいだ。

 そして、同時に暑さも最大限に達している。火が吹き出したコンロの前にいるようだが、しかしその暑さはやはりサウナの延長線上にすぎない、人を蒸し殺すにはまだ足りないが……しかし熱中症で意識を奪うには十分過ぎる熱量。

 

 ──ああ、嫌な予感がする。

 

 銀我は言葉にせずとも、本能は冷淡にそう呟いた。

 

「──鏡よ鏡、世界(いのち)を写せ」

 

 そして、真白は、躊躇無く──扉を異端で破砕する。

 

 そして、そして、そして──

 

「……アーア、ミツカッチャッタ」

 

 異形の熊がベッドの枕元にいた。リビングで遭遇したのは真実体の一部であったらしい。今まで捕食してきた腐乱死体と一体となっているのか、そいつは天井に届くほど巨大だ。

 そう、小骨の縫い目に、腐肉の毛皮を持つ異端者(グリム)は小さな器のスープを飲んでいた。

 

 ずるずる、べちゃべちゃ、音を立てて、汁と肉片を辺りに食べ散らしながら。

 ずるずる、べちゃべちゃ、オトコのスープは苦くてしょっぱいから、一口だけ。

 ずるずる、べちゃべちゃ、オンナのスープは酸っぱいけれど旨味が沢山で、二口飲む。

 ずるずる、べちゃべちゃ、コドモのスープはとっても甘い、愛の味がいっぱいで、沢山飲む。

 

 ベッドはテーブル、脆い皮膚の器、マナーはいらない気にしない、ただただ飢えを満たす。

 胴体と頭はスープに浮かぶ硬いパン。浸して、ふやかして、柔らかくなったら一気に頂く。

 ぶちゅり、と皮膚が破れて──拓さんの、千鶴さんの、そして英二の手足(なかみ)を──

 ──異端者(グリム)は貪っていた。

 

「う、ぐぅうッおぇえええええ──っ!?」

 

 その狂気的な惨状に陽一は吐いた。当然だ、覚悟を決めて、既に6つと同じ惨状を見ていなければ銀我もそうしていた。跳ねた吐瀉物が真白のゴスロリ服の裾と銀我の靴下を汚す。真白はそれを気にせず、きッと視線の先の異端者を睨み緋色の櫛で狙いを定める。

 

「──写せ」

「ギャアアアアアッ!!? ッ、ヒドイワ、イタイワ、クルシイワ!」

 

 真白が告げる。銀の瞳は”鏡の射手”という異名の通りに異端者を誤ず穿ち砕く。

 腐肉と小骨を鮮血のようにぶち撒けながら異端者は怒りを滲む言葉を吐くが、不利を悟ったのか逃走する。全身を腐らせ液状化させることでジンジャーブレッドの床を柔らかくし、一瞬で階下に降りる。

 

「うそだ、うそだぁ!! と、とうさんっ!? かあぁさん……!? えいじっえいじっ!! うわぁあああああ!!!?」

「陽一ッしっかりしろ!! 大丈夫だ、大丈夫だから落ち着けッ!!!」

 狂乱する陽一を銀我は咄嗟に取り押さえる。気持ちは痛いほど分かるが、陽一が不用意に近づいて異端者のトラップにかかったら、もう耐えられない。この絶望に打ち勝てない。

「てめっ、何言ってやんだ離せっ離せっ離せっ!! みんな、みんなが……ぁぅう、あああっあっ、嫌だ、嫌だ、そんな……夢じゃねぇからさぁ!! 

 ぎんがぁッ! おまえ、なんで冷静なんだよぉおおお!!?」

 

 陽一の絶叫に銀我の心は締め付けられる。

 陽一の指摘は、当然だ。銀我としても、自分がどうしてこれほど落ち着いていられるのか分からない。既に異端は経験している? 同じ惨状を見ているから? まだ最悪ではないから? だとして、家族同然のみんなの姿を見て冷静でいられる理由にはならない。

 ……それでも、正気であるのなら十分だ。

 

「真白……みんなを、助けてくれ」

「えぇ、当然よ。──写せ」

 その一言で、バキィンと、鏡の砕ける音がベッドの上から響き渡る。

 腐敗しかけていた夫妻と英二の胴体と頭がもとに戻る。……だが、拓さんの右腕と、千鶴さんの左の手足、そして……英二の四肢は元に戻らない。でろでろに溶解したような手足の断面が残酷に写っている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、うぇえっ……ッみんな、無事、なのか?」

「……少なくとも、命に別状はないはずよ。そう……無事よ」

「ほんとう、なのか? ほんとなのか!?」

「ええ、早く病院に行かなくちゃだめだけど……カミサワくん、ここをお願い。わたしは異端者を追うわ」

「ああ、わかった。任せてくれ」

 

 それだけを言って、真白は矢のように寝室を飛び出し、階下へと……異端者を討つために飛び降りる。

 

 ……銀我は気づいている。

 真白が意図的に、一言だけ言っていないことを。

 それは──陽一の家族が異端にならないわけではないことを。

 異端者(かいぶつ)に変貌しないと限らない……それを言うのは、眠る家族に泣いて抱きつく陽一に言うのは、銀我にはできないことだった。

 

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