棺の中のスノウ・ホワイト   作:ぜっけい

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力~Airget-lamh~

「うぅ、なんで、なんで……こんな? こんなことになってんだよぉ」

 

 ──真白が立ち去ったあと、2階は異様な静けさに包まれていた。

 いや、音はある。真白の異端による鏡を砕くような音や異端者の絶叫、そして……絶望した陽一のうめき声。

 ただ、銀我の胸中には残酷な光景しか反響しなかった。両目からただただ涙を流しながら無惨な姿になった家族に抱きつく陽一の姿と、腐敗したために四肢を欠落した拓さん、千鶴さん、そして……英二の姿。自分が守りたかった風景が目の前で崩壊していた。

 

「……くそ」

 

 小さく吐き捨てることしかできない。悔しさも、無力さも、こんな光景を見て涙一つ流さない自分の薄情さも、たった二文字の言葉に固めてしまえる。

 下では真白が戦っているのに、自分は家族を元の形に治すことも、慰めるための優しい言葉も言えやしなかった。

 

「……なあ、銀我」

「なんだ、陽一」

「これ、夢だよなぁ? こんな、こんなに英二が軽いなんてさ、ひでぇ冗談だぜ……。あいつ最近さ、背ぇ伸びて……体重もすごい重くなってさ。なのに、どうして片手で持てるくらい軽くなってんだ! ウソだって、ウソだって言ってくれよ! 銀我ァ!!」

 

 四肢を失い、そしてこの高温のせいで眠り続けている英二を抱きながら、陽一が銀我に問いかける。夢なら、覚めれば解決するからと、もとの幸せな家族に戻れると縋り付くように、陽一は銀我に問いかける。

 

「……真実だ。これが本当におまえの悪夢なら、俺はきっと泣いている」

「っ~~、てっめぇ!! そうだ、そうだよ! なんで泣かねぇんだよ! ずっと黙って! ずっと、ずっと一緒にいたのに、なんで!!」

「ッ、ここが戦場(いくさば)だからだ! この場で戦えるのは真白だけだ、俺は少し堪えられるだけでほとんど無力っ! だけど任されたんだよ、真白に! おまえたちの無事を!! だから、おまえたちを守るためにも……泣いてなんかいられるものかよッ!!」

 

 銀我もまたウソをついた。銀我は真白が任せる前から少しも泣いてなんかいない。自分でも不思議なまでに冷静だ。

 だが、事実としてここは危険なのだ。今は真白が異端者と交戦し、余裕を奪っていることでここは静かなままだ。だが、もしも真白がやられたときに己が冷静でなければ誰が戦える?

 ほとんど無力な銀我であるが、それでも抵抗はできる。時間を稼げれば、もしかしたら他の焚書官の到着が間に合うかもしれない。

 だから、薄情とも言えるこの冷静さが……今の銀我にはありがたかった。

 

「っ……、チクショウ」

 

 どすん、と。怒りと嘆きの混じった言葉を、銀我は拳とともにベッドに叩きつける。その言葉に、銀我の心も酷く沈む。涙こそ流していないが、異様なまでに冷静だが、それでも銀我はショックを何も受けてないわけではないのだ。

 こうなってしまえば、今までのように拓さんの大きな手で頭を撫でられることも、千鶴さんの料理を食べることも、英二と一緒にゲームをすることもない。もう、銀我に微笑みかける家族の形は喪ってしまったのだ。自分がもっと力があれば、守れたのか。問いかけて、答えは見つかった。

 できたと、無根拠な想像が断言してくる。真白のような強さを待たぬ自分の無能さ故に、この家族は幸福(ふつう)を失ったと。

 

 銀我が悔しさに奥歯を噛み締めた瞬間──ふ、と暑さが絶える、菓子の甘ったるい香りも消えた。

 サウナめいた纏わりつくような暑さは消え失せ、クッキーだった床は元の木目調のフローリングに、サブレの壁は白い壁紙に戻っている。

「え……?」

 そして、ガシャンッ、という鏡が砕けるような轟音が家に響く。

 ……あとにはシンとした静寂だけが寝室に広がった。

 

「……助かった、のか」

 陽一が安堵と困惑の混じった声音でぽつりと言葉を零す。

 銀我も胸を撫で下ろし、そうだ、と頷こうとして……ふと、違和感に気づく。

「なんで、真白の力より先に──部屋が戻ったんだ?」

 

 その不安を、ピシリ、という崩壊の音が肯定する。

 がくん、と床が傾く。今までこの屋敷を支えていたモノが喪失したことを──恐らく、異端者の悪あがきを──銀我は理解した。

 

「陽一ッ! 今すぐ、みんなを壁際に──ッ!!」

「っ! なにが、なにが起きてんだよォ!!?」

 陽一は英二と千鶴さんを両脇に抱えてベッドから飛び降りる。銀我もまたほとんど突進するように拓さんを抱えて壁に駆け寄る。つん、と鼻に腐敗臭が突き刺さる。焚書官になるということは、つまりこれからもこういう地獄を見ていくことだと……銀我は思い知った。

 

 そして、床は──一階の天井はお菓子を粉砕しながら、階下へと墜落していった。

 

◆◆◆

 

 ……

 …………

 ……………………

 

「う、く……はぁ。陽一、無事か? 拓さんも俺も、無事だ」

 頭を振って、銀我は身体を起こす。パラパラと背中から小さな破片が落ちていく。床は落ちたが屋根は崩れなかったのは幸運だった。

 身体を盾として守った拓さんはすぅすぅと息をしており無事であるようだ。

「あ、ああ……なんとか、な。2人も、多分無事だ」

 

 一泊遅れて、陽一からも返事が来る。よかった、と銀我は安堵の息を吐く。

 ビュウ、と涼しい夜風がひび割れた壁の隙間から吹き込み、火照った2人の身体から熱を奪っていく。いっそ寒さすら感じる風だが、しかし甘ったるい香りもへばりつく湿気も奪ってくれる。異端の気配が薄れていく、悪夢が終わりを迎えたのだ。

 

 ──本当に?

 

 銀我の胸の中には不安だけで一杯だった。みんなが無事だあったことは嬉しいが、それ以上に真白に対する不安で一杯だった。真白の最後の異端の発動より前に迷宮(ラビュリス)が解けたこともそうだが、もしこの瓦礫に真白が埋まっているとすれば一刻も早く助け出さなくてはいけないからだ。

 真白は不死身だ。目の前で頭部が破壊されてもなお、涼しい顔で蘇ったのを間近で見ているから理解している。それでも、もし真白が瓦礫に押しつぶされていたら──そして、異端者が活きていたら……その可能性を考慮するだけで銀我は居ても立っても居られなくなってしまう。

 

 ──隙間風に、甘い香りが交じる。

「っ、異端者……まだ死んでいないのか?」

 残り香かもしれない、微弱すぎて勘違いの可能性もある。それでも銀我の胸には不安が瞬く間に、大量に、積み上がっていく。

 もう、待てはしない。あれだけあった冷静さがみるみる消失していくのが、銀我自身にも分かる。

 ……なんて、薄情さ。5年以上の友情や大切な人たちよりも、知り合って1ヶ月もしていない少女にばかり心配しているなんて。

 

「……銀我、行くのか?」

「陽一……」

 身を起こし、立ち上がった銀我を陽一が呼び止める。

 縋りつかれるのか、と思い銀我が振り返ったその先に、恐怖に震える少年はいなかった。

 ……ただ、ただ、理不尽に苛立つ男がそこにいた。かつて、あれだけ笑顔だった少年は酷く昏い眼差しで銀我を……銀我のその先を、戦場を睨んでいた。

 

「グリムって怪物は、まだいんのかよ」

「……分からない。それを確かめるためにも、俺は少しここを離れる」

「ここを守る、って言ってたくせにか?」

「…………」

 

 言葉が思いつかなかった。

 確かに、そう。そう言った、真白からも託されている。真白が破れた可能性がある今、ここを離れるのは下策である可能性の方がずっと高い。

 それでも、それでも……そうだとしても。

 

「俺は……真白も、守りたい」

「……バカを言いやがって。行けよ」

「いい、のか?」

「ああ、いいさ」

 

 陽一はフッ、と笑う。それは、家族を話すときとは真逆の、野球の試合で見せる獰猛な笑みとも違う──怒りと憎しみに塗れた悪鬼の顔だった。どす黒い瞳は、その感情だけで渦巻いていた。

 

「だってよ──家族を、家を、全部メチャクチャにしやがったバケモンを殺すには、おまえを送り出すのが一番だろ? だから、任せた。跡形もなく、ブッ殺せよ」

「ああ……任された」

 

 ……友情が、壊れた。もう、今までのように馬鹿みたいに陽一と過ごすことはなくなったのだと、銀我は感じ取った。表面上はそう過ごせるとしても、本質的にはもうあの好青年は今日この夜に壊れてしまったのだと。

 言葉を今ここで重ねれば、取り戻せるのか──だとしても、銀我は陽一ではなく真白を選ぶ。

 ……もう、それでしか陽一に報いることはできないから。

 

 銀我は瓦礫の山を慎重に登る。途中で、拓さんの持ち物であるゴルフクラブがあったので、武器代わりに拝借する。

 そして──戦場へと、この悪夢に終止符を撃つために瓦礫の中を進んでいった。

 

◆◆◆

 

異端者(グリム)野郎! テメェは許さねぇ、百ぺんブン殴ってやらぁ!!」

 ゴルフクラブにふっ飛ばされた肉熊(グリム)を指さし、銀我は啖呵を切る。

 

 銀我は怒り心頭だった。なにせ、目の前で異端者が真白の血肉を捕食する姿を見たのだ。その傍らには真っ赤に砕けた木材と真白の真っ赤に染まった頭があれば何があったかなんて簡単に、銀我の単純な脳ミソだからこそ一発でその最悪な想像にたどり着く。

 真白の頭が、洋人形めいた美しい白い顔が、さながら餅のように木材でぶん殴られたことを。

 そして、真白の肉をこの異端者は食べやがった。なぜか吐き戻していたがそこはどうでもいい。

 

 重要なことは、銀我は間に合わなかったということだ。

 また、だ。また、銀我は守りたい人を目の前で失った。

 蘇るとかそういう問題ではない。銀我の恐怖(いたん)は、そんな些細な事例を例外だからと無視できない。銀我の恐怖は目の前で、何もできずに大切な人を喪うこと。

 今回もまた、銀我は目の前で大切な人を……友人を、真白を喪った。

 

「イタイ、イタイ……ドウシテミンナ、ミッチャンニイジワルスルノォ!?」

 

 吹き飛んだ先、異端者は泣きじゃくりながら、腐敗液を撒き散らしながら這い起きる。大したダメージはない、銀我の全力の殴打は真白の視線の万分の一にも満たなかった。その事実に、銀我は改めて己の無力さを痛感する。

 

「ッ、おまえが人を殺すからに決まってんだろうが! ガキだからって容赦しねぇんだよこっちは!!」

「ドナッタ!? マッチャンニモ、シカラレナカッタノニィ!!」

 子熊は腐肉の毛を逆立て、縫い目の小骨のこすれるカチャカチャという軽い音を響かせながら銀我に襲いかかる。

「っ、クソ!」

 

 咄嗟に瓦礫から飛び降り、銀我は小骨の爪を回避する。ついでにゴルフクラブで反撃を試み、確かにクラブの先端は異端者に直撃したが……手応えはほとんどなかった。まるでとろみのついたスープをスプーンでかき混ぜるような、そんな僅かな手応えがゴルフクラブの先から返って銀我はその気色悪さに顔を歪めた。

 銀我は見誤った。この異端者はただの肉じゃない、腐って溶けた肉──スライムのようなゲル状の物体を相手にしているのに等しいのだ。真白の力は異端を砕くためその性質は無視できたが、物理攻撃しかできない銀我には最悪の相手と言わざるを得ない。

 

「っ……なめんなァ!」

「イイモンイイモン! アンナヒドイアジハ、イジワルナオニイチャンノスープデイヤスンダカラァ!!」

 

 だとしても、と怒りで加速した勇気──蛮勇とも呼べる感情のままに銀我はゴルフクラブを構え異端者に突貫し──ぐしゅり、と鈍い音が右手からした。

「あぐっ……ほ、ね?」

 激痛に銀我の身体は痺れて瓦礫の上に倒れ伏す。視線を落とす。その先には無数の小骨……子どもの小さな指の骨が、銀我の右腕に突き刺さっていた。先程身震いしたときに飛び散った腐敗液とそこに混じった小骨による不意打ちだ。

 小骨の突き刺さる傷口からはどろり、と腐敗した肉がこぼれ落ちていく。まるで、ほんの少し蛇口が開いているせいで滴り落ちる水滴のように、強烈な腐敗臭を伴いながら肉片がこぼれ落ちていく。

 

「ソウ! ワタシノユビサキ、ワタシノスプーンデ! オニイチャンヲスクウノヨ!」 

「ぐ、ああああああぁああああ!!!?」

 

 じくじくとした痛み──それは、皮膚や筋繊維、そして血管が異端者の指先によって腐敗していく痛みだった。常人なら味わうだけで痛みで発狂しかねないほどの変容。しかし、銀我はこの手の攻撃は既に2度目だ。異端による攻撃には耐性があるが、それでもこの痛みは酷いものだった。

 腐敗した生温い肉や体液が神経を伝っていく、心臓が脈打つ度に血管が脈動して腐肉がこぼれ落ち……どくん、と神経に激痛が走る。軽減されてなお、異端は人の魂を凄惨に凌辱する。

 

「トケルノガオソイナァ、モットタァクサンカキマゼナイト、ダメカナァ?」

「……ざけるな」

「ン?」

「ふざけンなぁ!!」

 

 だからとて、痛みが銀我の足を、焚書官を怯ませるにたるものではない。

 銀我はそれでも走り出した。右腕から腐肉を滴らせながら、跳ね起きて駆け抜けだす。

 クラブは邪魔だから投げ捨てる。ただ両手を拳に固める。右腕の激痛は無視する。瓦礫を飛び越え、クツクツと嘲笑うキモい熊の横っ面をめがけて走り出す。無視できないほどの激痛で泣きたくなるが、そんなダサいことはできやしない。

 ましてや、泣けば見えなくなって──このクソ異端者(グリム)野郎を殴れない!!

 

「アレ、モシカシテ、イイヒトナノ? オニイチャン? オニイチャンカラ、ワタシノクチニトビコンデクレルナンテ! ジャア──ゴールヲツクッテアゲナイトッ!!」

 肉熊の異端者(グリム)は毛皮を波打たせ、その姿を変容していく。

 つまり、縫い目の変化。縫い目の”骨”が不定で千切れそうな四肢を縫い留める役割から、食欲のままに命を噛んで嚥下するための”歯”に変わる。そして、巨大な口が突貫する銀我の前に現れる。

 巨大な顎、銀我の矮小な肉体なんて一噛みで丸呑みできる、猛獣の似姿。

 ──けれど、それは飢餓の象徴。立派な牙こそ並んでも、満たせる腹はどこにもない。

 永遠に満たされない食欲の形。そこに、銀我は飛び込む。

 

「イ・タ・ダ・キ・マァアアアアアス!!!」

 

 ──死。

 明確なイメージが脳裏に過る。籠目に両肩を掴まれ宙吊りにされた時と同じような危機。

 あのときと違うのは、自分からそこに飛び込んでいること。それは成長か、それとも愚行か。

 

 実のところ……野球から離れた時点で、野球という一番の好きなコトにして一番の才能を捨てた時点で銀我は無能だ。

 他の取り柄はそれっぽく仕立て上げた人付き合いのスキルと、優れた身体能力だけ。そんなものはそこらに歩いている誰かも持っているものに過ぎない。

 結局──銀我はあの日のまま、腕を失い続けている。

 だから、ずっと苛立っていた。その感情から折り合いをつけようとしたが……いざ異端に巻き込まれたら激情のままに突貫して死に飛び込んでいる。そうした方が、マシだからと。

 

 ──そう。銀我の恐怖とは、無能であることだ。

 

 銀我が野球に打ち込んだのは、それで活躍すれば父が見てくれると、家族の形が治ると思ったから。そして、大会で優勝しても治らなかった時点で銀我の心には深い傷が、恐怖が焼き付いた。

 目の前で少女が殺されたことも、そう。ずっと前の、小学生の頃になにも出来ないままに母が死んだことも、そう。全部、自分の腕が……才能とか、力とか、意志とか、色んなものが足りていないせいで、喪った。父は無駄だとしても、母は不幸だとしても、真白は不運だったしても、それでも銀我は己の力のなさに、無力さに落ち込んだ。

 タコにまみれた自分の手は、自分の夢を何一つ掴んでくれない。だから、この激痛も堪えられる、腕を喪うことは、もはや怖くなんてなかった。

 

 ……そういえば、アイツは腕を何に見立てていた?

 

 ふと、思考にノイズが交じる。クツクツと狂気のままに腕を蒐集した夜鷹の姿。

 彼は腕を才能に見立てていた。人を夢へと飛翔させ、夢を掴むための器官。

 彼は数多の腕を以て全能になろうとした。なら、銀我は。

 銀我の絶望(ねがい)を掴むには──どんな腕が必要か?

 

 拳を握る。このまま異端者に殴りかかったとしても、結局は噛み砕かれて、スープになって、嚥下されるだけ。必要なものは──そう、力だ。

 異端を打ち砕くだけの、みんなを守るための、真白を救える巨大な力──!!!

 

「ッナニ、ソノ……ヒカリハ!?」

 

 拳からガキリ、と金属めいた硬質な音が響く。

 今まで激痛に痺れていた右腕にギン、と力が漲ってくる。

 未だかつてないほどに腕は万全だった。三振なんて鼻歌交じりでも取れるほど!

 右腕から迸る光は闇夜を晴らす。その清廉な力は異端を浄化するッ!!

 

「──俺の、俺の異端(ちから)だァッ!!!」

「ギィ、イヤァアアアアアアア!!!??」

 振り抜かれたその一撃は、腐肉の顎を光のままに焼き穿つ。

 たったそれだけで異端者(グリム)は消滅した。

 腐肉の悪臭も、菓子の甘い香りも、あの湿気ったへばりつくような暑さもない。

 ただ、夜空の中に銀の腕が瞬いて。

 

 上沢銀我が宿した異端──その()はアガートラーム。

 銀に輝く神の義手にして、王権を保管する剣なり。

 

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