棺の中のスノウ・ホワイト 作:ぜっけい
──そういえば、自分はこの街のことをあまり知らないのだと、銀我は今更になって気づく。
寂れた商店街、店主の急死で閉店されたラーメン屋、チカチカと喧しいゲームセンター。どれも、銀我にとって見覚えのない場所であった。
当然のことである。銀我はこの街は駅と学校にしか行ったことはないのだから。
「それで、そろそろおまえの名前ぐらいは教えてくれてもいいんじゃねぇのか」
「……そうね。わたしは
「……同い年? どう見てもしょう……いや、悪い」
「いいわ。だって事実だもの。この身体はわたしが十歳の頃から少しも変わっていないの、棺に収められた白雪姫と同じように」
驚きのあまり飛び出しかけた失言を真白という少女はまったく気にする素振りもみせず、更なるの衝撃の事実で迎撃した。
「どういう……いや、おまえもなのか?」
「そう。あなたが
無感動に、あるいはつまらなそうに真白は言葉を紡ぐ。
銀我は信じ難いと思いつつも、たぶん真実なのだろうと感じた。自分が才能を失ったのであれば、未来……つまり成長することなのか?……を失うくらいは当然だと思ったからだ。
「ここなら誰にも邪魔されないはずよ」
「……おまえの家、なのか?」
「まあ、そんなところね。たまにしか帰らないから実感は薄いわ」
そこはマンションであった。場所はたぶん一等地、周りには幾つも高いマンションが並んでいる。真白はエントランスの自動ドアを顔認証で開け、銀我を案内する。
素人目ではあるが、銀我はこのマンションを結構良いマンションなのだろうと思った。
エントランスは綺麗だし、額縁に入った絵画まで飾られていた。真白の着ている衣装もあって、この少女は実はかなりのお嬢様なのではないかと、思い至る。
エレベーターを操作し4階に昇る。一番上は12階だった。
「ここが私の部屋よ。なにもないけど、悪く思わないで」
「え、ああ。失礼する……うわ」
405号室が真白の部屋であった。
小学生以来の女子の家に少し戸惑う銀我であったが、中に入った瞬間ぞっとした。
ほとんど家具がなかったのだ。玄関には先に入った真白のブーツが1,2足……続く廊下はがらんとしており、隅まで掃除はされていたが、だからこそ寒々としていた。
案内されたリビングも似たような空間だった。
テーブルと一つの椅子。ソファの代わりにベッドが一つ置かれ、リビング全体を暗幕で囲まれていた。
銀我は不意に棺を連想した。ベッドで眠るお姫様を隠す、というより埋葬するための空間だと、そんな馬鹿げたことを連想した。
「……驚いた?」
「え、ああ。まあな。ここまで生活感のない空間は初めてだ。ミニマリストってやつか?」
「……別に。ただ関心がないだけよ。この部屋はわたししか生活してないから、自然とわたしのカタチに染まってしまったの」
「ここに住んでいるのはおまえだけなのか? 他にも部屋はあったが」
「ええ、ここに住んでいるのはわたしだけ。他の部屋はクローゼットの代わりにしているわ。そうね、ここよりもそっちの方が生活感はあるかもしれないわね」
真白は会話をしながら椅子を指差す。真白に促されて銀我は席に座ると、真白はずいとその顔を近づけた。
どきりと銀我の心臓が跳ねる……こうしてみると真白は絵本の中のお姫様のように可愛らしい少女だと思ったから。ただ、その左目の眼帯だけがその感想に穴を開けている。
「まずは……そうね、あなたの本当の姿を見せた方が早いわね」
「本当の姿? ゾンビ映画よろしく、俺はもうあの怪人の仲間入りしているってか?」
「それに近いわ。少し、覚悟してちょうだい」
「な、に……!?」
突然、真白は左目の眼帯の留め具に手を当て、眼帯を外す。
意図が分からず左目を見返すと、そこには銀色の眼があった。
いや、義眼だ。それを証明するように、瞳孔は少しも動いていなかった。
鏡のように風景を映す瞳を見て──覚悟して、と真白が言った意図を理解した。
「腕が、ない……のか!?」
「そうよ。正しくは魂の腕の部分かしら。あなたのその腕は、あなたの
視界がぐらついた。銀我は恐る恐る右腕を見る。腕はあった。
真白は嘘をついているのか、と逃避しようとしたが、今朝の出来事と昨日の恐怖がそれを真実と保証した。
「腕、というのは掴むための部位よ。人は焦がれる夢に手を伸ばし……そして、掴むもの。腕を無くせば、その夢を……才能を奪われることと同義。あなたが野球をできなくなったのもそのせいよ」
「……そうか。俺の夢は……野球だったのか」
自分の腕は存在しない。野球が出来ないのも当然だ。昨日、あの怪人に奪われたままであり、腕がないのだから。投げるなんて夢のまた夢な話であった。
せっかく夢の形を見つけても、触れることもできないのだ。
「魂というのは、人間の根源にしてもう一つの中身よ。人が経験して、成長して、肉体が変化すれば魂も肉体に合わせて成長していくの。」
けれど。
「ときに、魂に異常をきたすと人はこれまでと同じように生活できなくなるわ。わたしがもう5年以上成長していないように、あなたが野球という才能を失ったように。そしてその最たるものが
「グリムって……あの腕の怪人のことなのか?」
銀我の言葉に真白は小さく頷く。
「異端者と書いてグリムと呼ぶわ。公にはされていないけど、存在は1000年以上前から確認されていたわ。
……魂は感情と密接に関与しているとされているの。嬉しいことがあれば魂も健やかに、悲しいことがあればしおれるように。そして、人が絶望しきると魂は砕けてしまうの。ちょっとの悲しみや苦しみ、立ち直れる悲劇なら魂はひび割れてもその内ある程度もとのカタチに戻るわ。けど、完全に砕けてしまった場合、魂は歪なカタチで蘇ってしまう。そうすると、肉体も異形に変貌してしまうの」
一見、銀我の右腕がちゃんとあるように見えるように、異端者はかつての記憶の名残で人間の姿を取れる。だが、本質としては銀我の腕は空であるのと同じく、異端者は怪人の姿の方が本質だ。
「あの腕の怪人は今もどこかで一般人に紛れ込んで生きているってことかよ。気味が悪いぜ」
「そうね。だからこそ異端者は厄介なのよ。異端者は日常に紛れて己の異端で多くの人間を襲う。割れた花瓶から水が漏れるように、砕けた魂は蘇っても崩れて消えてしまう。それを補うために他者の魂を奪って補い続けるの。あなたはそのターゲットに選ばれてしまったのよ」
「じゃあなんだ、俺が襲われたのは偶然ってことか?」
「半分は偶然ではあると思うわ。襲う現場を見られたからあなたも襲われた。でもね、あの現場で死んだのは最近話題になっていたラーメン屋の店主なのよ。他に似たような死因の人が確認できるだけで20人ほどで、その誰もが絵やスポーツ、勉学とかその道では才能のある人ばかり。野球で大活躍したあなたも十分ターゲット足り得るのよ」
「そうか……前々から狙われてたなら随分間抜けな話だぜ。ちくしょう」
想像する。あの腕の怪人が学校の屋上からグラウンドを見下す姿や、駅の乗り降りを空から狙う姿を。それだけなら漫画のワンシーンのようだが、その視線の先が自分であるのなら悍ましい限りだ。そして、それに気づかない自分の滑稽さも、銀我の心を逆撫でる。
「襲われた理由もわかった。じゃあ
「それうね……まず、異端者は己の絶望に応じて様々な異能力を発現するわ。どういうわけか知らないけど、童話や神話の物語をモチーフにしているとされているの。そしてその力は共通して異端者が枯渇する魂を誰かから奪うわ。……崩れた願いで歪んだ物語が、現実を侵食していくのよ」
昨日の異端者は腕……いや、正しくは翼だろう。
その根源は空を飛びたいとかそういう願いを持っていたのだろうか。
銀我はそう考え、たぶん違うと思った。
「昨日の異端者のモチーフはたぶん、イカロスの翼ね。あなたの腕の断面は溶けた蝋と似ているし、他者の腕……才能を羽と見立てているのでしょうね」
「イカロスの、翼……」
銀我もその物語は知っていた。
迷宮から脱出するために、父と共に鳥の羽と蝋を使って翼を作った彼らは見事空を飛び脱出することに成功した。けれど、空を飛べることに思い上がったイカロスは父の忠告を無視してぐんぐんと上昇してしまう。最後は、太陽の熱によって蝋が溶けてしまったことでイカロスは墜落し、絶命してしまう。
音楽の授業で合唱されるほど、馴染みのある有名な物語だ。
「……俺を襲ってきた奴のことは分かった。それで、あんたは何者なんだ? 仮面のヒーローみたいな異端者から人々を守る正義の味方なのか?」
「そんなところよ。わたしたちは
眼帯を左目に留めなおしながら真白は答える。
「異端ってことは、おまえもホントはあの怪人みたいな姿なのか?」
「違うわ。けど、身体の一部はそうなっている。わたしの伽藍堂の眼は異端者の瞳となってしまっているし、他の人は指や髪の毛、足なんかが異端となっているわ。……
焚書官は自分たちのような悲劇をこれ以上増やさないために、あるいは復讐のために異端者を
「……昨日のあの墜落死体が消えていたのもおまえたちバーナーの仕業なのか?」
「そうね、わたしじゃないけど焚書官のメンバーがしたわ。異端を隠蔽することで、絶望の種を減らす必要があるから」
非常識な事件が公になれば社会は混沌となる。そうなれば社会の激動に巻き込まれて絶望してしまう人の数はグッと増える。矛盾するようだが、異端者の事件を減らすには、異端者の存在を隠蔽することが一番なのだ。
「異端者と焚書官のことはこれでだいたい全てよ。わたしは、あの後からあなたの身元を調べて、あなたを異端者から守るためにあの学校の前で待っていたの」
そして、
「あの異端者を倒して腕を取り返す。無事に取り返せればあなたの魂の変容は止まって……日常に戻れるはずよ」
ベッドに腰掛けながら、真白は銀我の顔を見ながらそう言った。
やはりその顔は無表情であったが、言葉は強く断言されていた。
こんな小さな少女にお願いするのも情けない話だと思ったが、しかし解決できるのは彼女だけだと銀我はわかった。
「……わかった。俺の腕を頼む。手伝えることがあるなら、俺も力になる」
「ええ、少しお願いするかもしれないわ。わたし、
その思いを知ってか知らずか、真白は自嘲気味に口角を釣り上げて答える。
「それで、他に聞きたいことはあるかしら?」
「……それなら一つだけ聞いても良いか?」
「なにかしら」
「おまえは、どんな事件に巻き込まれて焚書官になったんだ?」
少し、好奇心に駆られて聞いてみたことだった。
真白は懐から緋色の櫛を取り出して、答えた。
「お母さんよ」
「……え」
「この左目はね、この
リフレイン。記憶の再起。
全身を串刺され、ぷらぷらと振り子のように揺れる継父の姿。泣いて、叫んで、櫛と鏡の怪物となった母がわたしにまたがり──視界がアカに、砕けた。
腐った果実のように、破れた眼球から液体が、溢れて、溢れて、溢れて──
櫛を手で弄びながら、なんでもないように真白はそういった。
「それは……」
「それだけの話よ。本当に、それだけのことよ」
あなたは何も、気にしないで。
そういう真白の姿に、銀我は何も言えなかった。