棺の中のスノウ・ホワイト   作:ぜっけい

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失墜~Nighthawks~

 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃ……なかった。

 

 ほとんど羽が抜け落ちた身体を引きずりながら籠目翼は自分の家に帰ろうとしていた。真白は知らなかったが、籠目翼と加賀美真白はかなり近い場所で生活していた。

 

 墜落してバラバラになりかけた身体を異端で接着させて無理やり治した。

 それでも、痛い。痛くて堪らない。

 僕は万能に……いや、いつしか全能(てんさい)になれたはずなのに、どうしてこんな目にあう?

 僕はどこまでも、そう、母さんの言う通りどこまでも飛べたハズなんだ。

 なのに、どうしてこうして地面の上で無様に逃げているんだ?

「ゆる、セナイ……ユルさない。ぜったい、ぜったい、ニィ……ッ!」

 

 そうだ。彼らは許されない、絶対に。

 だって、僕は愛されているからだ。僕が天才であるのなら、母さんは愛してくれるから。

 愛される存在はいつだって正しい、正しくないのはあいつらだ。

 あの女は知らないが、男は……銀我なら分かる。

 この腕を伝って彼の過去は識っている。母はとっくに死んで、父は彼を見捨てている。

 ほら、僕の方が上等だ。僕は母さんに愛されている。父さんは遠くで過ごしているけど、たまに僕に出会って小遣いと美味しいご飯を奢ってくれる。あんな目で、悲しそうな目で頭を撫でてくれるんだ……どうしてなんだ? いや、そんなことはいいんだ。だって、僕の方が愛されている。母さんは僕をぶつけど、愛してくれる。熱湯をかけられてもしょうがない、あのときの僕は天才ではなかったのだから。今の僕は天才だ、誰よりも万能だし、全能だし、できないことは何一つだってないのだから。母さんも愛してくれる。そう、絶対に、間違っていない。間違えちゃダメだ。間違っていない、ということは百点ということ。百点なら母さんは愛してくれる。けど、90点なら髪の毛を引っ張るんだ、いたい、やめて、でも抱きしめてくれる。次は百点をとるんだから当然だ。取れなかった、今も、取れていない。こんなにも(はね)が堕ちてしまった、頑張らないと、もっとがんばらないと、もっとがんばって、がんばって、がんばって、すべてで百点満点を取れば……母さんは愛してくれる。いまじゃだめ、たりない、ぜんぜん、まったく、手のひらいっぱいにも程遠い。

 そう、ぼくは、愛されているのだから。

 

「──キャァアアアア!!!」

 

 悲鳴が聞こえた。女の甲高い耳障りな声。

 誰だろう。砕けて割れた視界では分からない。

 でも、そうだ。とりあえずは目の前の女の(つばさ)を奪おう。

 千里の道も一歩から。どんな人間も、まったくの能無しということはない。

 ボロボロの翼を広げて女に飛びかかる。ぐぇ、という間抜けな悲鳴に少し胸がすっとする。いい気味だ、そうだ、僕は天才だ。

 だから誰もが、ボクノエモノ──

 

「──かあ、さん?」

 腕を見た。綺麗な、すべすべとした手。アスファルトに打ってひび割れたパールピンクのビジネスネイル。

 母さんの腕だ、間違いない。何度も僕を掴んで打って叩いて、そして抱きしめてくれた腕だ──

 

「はな、はなっしなさい、このバケモノッ!」

「ウグっ」

 ヒールが腹に突き刺さる。痛くて思わず後ずさる。腹の痛みではなくて、バケモノと呼ばれたことにショックを受ける。

 母さんは、怯えた目で僕を睨む。僕を怒る時と同じ氷の視線に動きが止まってしまう。

 

「どうして?」

 言葉が漏れる。

「ぼくだよ、つばさだよぉ?」

「はぁはぁ……つばさ? あんた何言ってんの……私の息子は、あんたみたいなバケモノじゃないわよ」

 怯えた女は変なことを言う。

 違う、そうじゃない。僕が欲しいのは、そんな言葉じゃない。

 

「助けてよ、ぼくいま辛いんだ。苦しいんだよ、痛いんだよぉ……! 助けてよ母さん……あいつらを殺してくれよ!」

「触らないで、このバケモノッ!!」

 母さんがカバンで僕を叩く。助けを求めて伸ばした腕は弾かれて、ぼとり、とあっけなく地面に落下した。断面は、朽ちてボロボロになった蝋だけだった。

「あ、ああっ」

 嘘だ、と否定する言葉が出るより早く、母さんは家に飛び込んで扉をしめた。

 ──がちゃり

 と、鍵を締める音が、拒絶の音がはっきりと響く。

 あとに残るのは雨音だけ。

 

 頭がぐらつく、僅かに残っていた(はね)も次々におちて雨と共にどこかへと流ていく。

「……籠目」

「なんだい、上沢くん」

 振り返るだけでひどく苦労した。砕けた全身を繋ぐ蝋が溶けているから、当然だった。

 

「腕は、返させてもらう。おまえに、俺の腕はもう……使えない」

「そうだね。うん、そうかもしれないね。僕は誰とも、キャッチボールなんか……したことなかったからね」

 無造作に、残り一つとなった腕をちぎって投げ渡す。彼は少しビビりながらもキャッチして……それだけだ。

 あとはただ、言葉もなく僕を見下ろす。

 溶けてバラバラになる僕を、複雑そうに見る。

 ……バカなやつだ。

 絶対テストで100点どころか70点も取ったこと無いだろ、こいつ。

 

 そして、見ているのはもう一人、あの棺の中の少女だ。

 少女は雨に濡れても、なお美しく無表情のまま僕を睨んでいた。

 

「哀れね」

「そういうモノだよ、僕らは。それは、君も同じだろう?」

「そうね。親に拒絶された子どもは、もう死ぬしかない。わたしは既に棺の中、あなたは地面に堕ちた幼鳥。その点では、そう、わたしとあなたは同じモノよ」

 だけど。

「あなたは他の鳥の翼を羨んだ。そうすれば、(はは)からも認められると思って。

──だからあなたは地に落ちた。星にもなれず、大地に落下した哀れな夜鷹」

 

 ああ、分かるよ。

 飛翔と墜落の違いは一つだけ。

 もう一度飛べるか、二度と飛べなくなるか。

 僕は後者、借り物の翼で星になんてなれるはずもなかった。

 

「もう、眠りなさい。あなたの物語は……泥に塗れた“夜鷹の星”は、この雨と共に終わるのよ」

 ──写れ。

 その一言で、僕の身体は完全にバラバラになって砕けた。

 ……空に、星はなかった。ただ、銀の月だけがきらきらと雨空を照らしていた。

 

◆◆◆

 

「ナイスボールッ! 体調も万全なら向かう所敵なしってか!? 流石は期待の一年生ってところだな!」

「うっす、よく寝てよく食べればこの程度! 余裕のモンですッ!」

 体験入部最期の日。野球部では新一年生を交えた部内の練習試合を行っていた。

 ここまで来るとほとんどの生徒は入部する先を決めている。

 グラウンドにいる一年生もそうだ。練習試合をする理由も今年に入部する一年生の正確な実力を測る側面がある。

 

 事件は解決した。

 俺の腕も十全にボールを掴んで、俺の意図した通り剛速球を唸り投げる。

 空振り、パシンとキャッチャーがボールを掴む音と歓声がグラウンドに響く。

「うっし」

 いつもの調子が戻っている。あの事件はまったくの夢であると思いたくなるほど、俺の腕は何事もなく働いてくれる。

 

 ……ただ。

 

 夕暮れには試合が終わる。道具を片付け、ちらほらと着替えた部員が帰っていく。

「それで、銀我クンも入部してくれるんだよな!」

 俺が入部することをほとんど確信した様子で先輩……野球部の現エースが笑顔で声をかけてくる。

 その笑顔をみると、じくりと後ろめたさが湧き上がる。

「……すんません。俺、野球部はいんないっす」

「えっ……!?」

 ショックを受けて目を見開く先輩。そうだろう、俺もずっと迷っていた。

 事件が解決してからも、部活の練習にまた参加するようになっても、今この瞬間まで迷っていた。

 だが、決めていた。

 

「他にやりたいことが出来たんすよ。今日は、自分を納得させるための最期の野球ってつもりで来ていました」

「……そうか。良ければ、君はなにをしたいのか教えてくれるかい?」

 俺のしたいこと、それは──

「人を守ることをしたいです。たった一人だけでも、守りきれる力を見つけるために、しばらく色々頑張ってみて……ちゃんと見つけられたら、また野球をやってみようと思っています」

「そうか……ウムッ何が何だかよく分からんがやる気に溢れていることだけは分かったッ! ならッ、言うことはないッ! 道は違えど君が納得するその日まで我々は待っているッ! ……なるべく早く見つけてくれよッ!!」

「ッ──ウッス! 短い間でしたが、ありがとうございました!」

 

 先輩に別れを告げて、俺は帰路につく。

 夕暮れ、駅までの道のりで俺は再びあの少女に出逢った。

「……あなたは、戻らないのね」

 あの日と同じくガードレールに腰掛けた、夜の少女──加賀美真白に。

「ああ、奪われたからとか、加賀美は死ななかったとか、言い訳はできるけど……俺は認められない。納得できない。俺の腕で、誰かが死んだことに」

 あの日、真白の頭を潰したのは俺の腕によるものだった。

 言い訳は幾らでもできる。でも、自分自身を納得させることはできなかった。

 今になってようやくわかった。ずっと迷っていたのに、やめようとすら考えていたくせに、自分は本当に野球が好きだってことに。

 だから、野球をやめた。人殺しの腕で、大好きな野球を汚すことはできないから。

 

「だから、俺は焚書官になる。異端から誰かを守れる力を身につける。話は、それからだ」

「そう、言っても聞かないのね……あなたは」

「おう、あいにく俺を叱る親はとんといなかったもんでな!」

 ……バカなひと。そう呟いて真白は俺に手を伸ばす。

 

「まあ、いいわ。……焚書官、鏡の射手があなたの入隊を認めるわ。しっかり励みなさい、上沢銀我」

「っ……ありがとうよ」

 ついてきなさい、と歩き出した少女……加賀美真白の小さな背を追って俺は歩き出す。

 認められる自分に、守れる力を得るために──黄昏の中を、ふたりで。

 

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