棺の中のスノウ・ホワイト   作:ぜっけい

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第二話、開幕


肉粥~Porridge~

 ──ゴールデンウィークが始まった。

 学校の先生はきちんと宿題をして、5月からの授業の予習して、遊び過ぎないように! なんて言っていたけど、ほんの一握りの生徒しか守っていないだろう。

 3年2組の少年、加藤(かとう)柊真(しゅうま)もその一人だ。

 柊真はリュックサックにポテチやチョコクッキーの箱と、ゲームソフト、そしてコマの玩具をいっぱい詰め込んで並木の道を走っていた。

 行き先は友人の田中(たなか)大智(たいち)の家だ。昨日、昼休みにGW最初の日を2人で朝から夜まで目一杯遊ぼうと約束したのだ。平日では時間が足りなくてやりきれない遊びもまるっと一日使えるのなら目一杯できる。

 どのゲームをしようか、いつコマバトルをしようか、かくれんぼもボードゲームも! ああ田中くんの家にはお庭もあるからキャッチボールをしたっていい!

 想像するだけで柊真の胸にはいっぱいワクワクが広がって、駆け出す足が止まらなくなる。

 

 ゲッキョクチューシャジョーをたったった、と軽やかに横切ってショートカットする。ママに見られたら叱られる、なんてことはこの場ではちょっと無視をする。

 そして、着いた。大智の家、白い壁の2階建ての家──小さな駐車スペースには大きな白い車が止まっている。柊真はこの駐車スペースを見るたびに、消しゴムと消しゴムカバーを連想する。ほんと、ほとんど隙間がないのにどうやって止めているのだろう? と、大人のすごさをほんのり感じるのだ。

 

 ぴんぽーん、とつま先立ちになって柊真はチャイムを鳴らした。

 ……

 …………

 ………………?

「あれ? おーい、大智ぃ! おれだよ、柊真だぞーっ!!」

 呼びかけても返事はない。ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……と、繰り返しチャイムを鳴らしてもシン、と大智の家は反応を示さない。ドタドタとした足音とか、大智のママの応答とかも、ない。

 ぞっと、柊真の背筋に冷たいものが伝う。もしかして、無視しているのか? 隣の3年3組であったっていうイジメってやつなのか? もしそうならとても辛い。大智は一番の友人だ、1年生の頃からずっと一緒に遊んでいた。大智からいじめられたら引きこもりになっちまう。

 それとも……大智の家はドロボーに襲われたのか? ニュースで見た、ヤミバイトっていうヤツらが襲ってくるって話。パパとママから戸締まりはしっかりしろと言われたばかりだ。

 もしそうなら大変だ。早く助けないと、大智が死んでしまう!

 

「おい、大智! いるんだろっ! 開けろよ、頼むからぁ!!」

 もう一度叫ぶ。反応はない、カブトムシが死んで空っぽになった虫かごを覗き込んでいるようながらん、とした感覚に……去年の秋に感じた哀しさを思い出したことに、柊真は困惑した。

 

「なあ! おい……っ、うぇッ?」

 それを振り払おうと、叫んで、八つ当たりにドアノブを引いて──ばら、と脆い抵抗だけで厚い扉が、パラパラと粉末を玄関に撒き散らしながら、簡単に開いた。

「……これって、クッキーなのか?」

 パラパラと落ちた粉末を見て、柊真は気づく。クッキーだ、食べこぼして服に引っ付いた茶色い粉末とよく似ているし、触れば粉末はトゲトゲとした感触と共に更に細かくなって指先にひっつく。どうして玄関にクッキーなんかが? と、柊真は困惑し──そして、気づく。開いた玄関からお菓子そのものの甘ったるい香りと、異様に湿った重い空気が溢れていることに。

 

「………………………………たいち?」

 玄関から続く廊下はなんの変哲もなかった。いつも通り、端に色々な棚やコートが引っ掛けられている。違いがあるとすれば、クッキーやチョコレートのお菓子の破片が食べこぼしのようにパラパラとあちらそちらにあること。

 たったそれだけ。それだけなのに、どうしてか柊真の足はガタガタと震えだす。食べ忘れたケーキの容器を開けたら、すえた匂いが肺いっぱいに満ちた瞬間みたいな──そう、吐き気が柊真のお腹の中に湧いてくる。

 

 異常だ。おかしい。大智のママは綺麗好きで、少しでもテーブルに汚れがついたら直ぐに拭く人だ。軽いケッペキショウなのよ、と笑いながらよくゲームをしているぼくと大智の隙間を縫うようにモップを掃除機で掃除をしていた。

 だから、おかしい。廊下に、どうしてこんなにもお菓子の食べかすが散らばっているんだ?

 

「…………っく」

 一歩踏み出す。靴を脱いで、お客さま用のスリッパを履いて、大智の家に入っていく。

 

「あれっ、つかない……なんでだ?」

 

 ぱちん、と廊下の明かりをつけようとしてスイッチを押すが、なんど繰り返しても明かりはつかない。

 どういうことだ、電気が切れてしまったのか?

 

 ばきんっ!

「ひっ!」

 

 最後に一度、ひときわ力を込めてスイッチを押すと、スイッチがあっけなく砕かれて壊れてしまった。パラパラと、白い破片……飴の破片がスイッチカバーの隙間から溢れていく。

 意味が、分からない。明かりがつかないことも、スイッチカバーの中から飴が溢れてきたことも。

 

「…………………………」

 

 ただ、理解できない悍ましさが柊真の背筋にへばり付いてくるだけだった。

 柊真は明かりを諦め、廊下の先に……大智らがいるであろうリビングに行くことにした。

 

 ずり……ずり……

 ──まるで、泥棒みたいだ。と、足音をできるだけ小さくしながら、いつもなら一瞬で通り過ぎる廊下をずっと長く歩いて移動する。

 

 ずり……ずり……、ずり……ずり……、ずり……ずり……。

 がちゃり、リビングの扉はいつも通り軽い手応えで開いた。広いリビングは空だった。

 隣り合ったダイニングも、その先のキッチンも空。リビングのソファで跳ねる大智も、椅子に座って新聞を読みながらコーヒーを飲む大智のパパも、大智の遊びを叱る大智のママも……いない。

 この時間なら、10時を過ぎた今なら、しているはずの光景が少しも──されていない。

 

 あるのはフローリングに転がったエアコンのリモコンだけだ。そこそこの高所から落ちたのかカバーが外れて乾電池が飛び出している。これもありえない光景だった、整理整頓を心がけている大智のママがこんな状態を見過ごすだろうか。

 

「また、お菓子?」

 

 ……リモコンの側にはやはり、お菓子……ポテチだろうか、スナック菓子の破片が散らばっていた。視線をあげると、リモコンを引っ掛けるフックが上から殴りつけられたかのように壊れ、ギザギザの断面を晒していた。

 フックがスナックになってしまったのか。それでリモコンの重さに堪えきれず、壊れてしまったのか。幼い柊真には分からない。

 ……ただただ、柊真はしんと静かなリビングから一刻も早く離れてしまいたかった。

 

 トイレも空だ。浴室も空だ。和室も空だ。かくれんぼでいつも使うクローゼットも、小さなお庭にも誰もいない。

 あとは、二階。大智とその両親の寝室やショサイ、物置のある二階しか残る場所はなかった。

 

「かくれんぼか? パパとママも一緒になって? す、すごいもてなしじゃん! だから、いるんだろぉ、大智ぃ! なあ!? いいから、負けていいからなんか言えよなぁ!!!」

 

 ──階段も、二階の廊下も一階と同じようにポテチや飴の破片が散らばっていた。

 柊真は笑いながら、そう大智たちを呼んだつもりだった。なのに、お菓子のカスを踏む度に、どうしてか声が上ずる。震える。こっそり動画サイトでみたホラーゲームの実況動画より怖い。シャツの中にカエルが飛び入って背中を跳ね回ったときより、背筋が凍える。

 

 ……返事はなかった。叫び声は虚しく階段の天井に反響するだけだった。

 

 大智の部屋は空だった。物置も、ショサイも、空っぽ。

 残る場所は寝室だ。大智は柊真と違って、まだ親といっしょの部屋で寝ている。子供っぽい、と柊真は大智笑っていたが、しかしホラーゲームの実況動画を見てしまったときは柊真も親のベッドに潜り込んだことは内緒の話だった。

 

「は──はは、そこにいんだろ? もう見つけるからさぁ、見つかるからさぁ、お願いだから……応えてくれよ!」

 寝室のドアノブを握る。ベタベタとした感触、溶けかけた飴のようなべったりとした汚れが手のひらにへばりつく。

 感触は軽い、ちょっと捻れば寝室の扉は簡単に開く。間違いない、あの──玄関の扉と同じように。なのに、どうして? どうして──こんなにも、動けない?

 

 扉の向こうから感じる異様な感覚。開けば、全部終わる。だけど、開けないわけにはいかない。だって、そこには友人がいるハズだから。いるべきなのだから、いないコトなんて……ありえない。

 

 ドアノブを捻る。がぎり、とあっけなく砕ける音と共に簡単に扉は開いた。

 

「うぐぅ──っう、げぇえええええっ!」

 

 瞬間──開いたドアの隙間からカスタードクリームのように濃密な甘い香りと共に、どす黒い腐臭が柊真の肺を、呼吸器を凌辱され柊真は堪えられずに膝を折って吐く。今朝食べたトーストとブロッコリーの断片とヨーグルトが混じった吐瀉物が床に広がりお菓子のゴミと交じっていく。

 

 ──なんだ、なんだよ、なんだよこれッ!!

 

 ぜぇぜぇと口の端から吐瀉物の糸を引きながら、一瞬見えたベッドの惨状に柊真は恐怖した。

 3つ並んだベッド、大智の小さなベッとパパとママの大きなベッドが並んだありふれた寝室。だが、ベッドには誰も眠ってなんかいなかった。

 そこには、どろり、と輪郭を崩壊させた死体があった。死んで、硬直し、背中に体液が偏り、胃酸によって体内をぐずぐずに液化され、腐敗して膨張し、口や鼻から黒ずんだ悪臭を放つ液体を溢れださせ、そして腐敗によって皮膚も黒ずみ──そして、ぶちゅり、と皮膚が決壊して腐敗液がベッドを黒に、影のようなヒトガタで染められていた。

 

 嘘だ、嘘だ、うそだ。

 そんなこと、アリエナイ。冷蔵庫でずっと食べるのを忘れていた野菜炒めの惨状が、どうしてここに……大智の家に? それも、それも、大智たちの屍で!?

 柊真は認められなかった。酷い悪夢だと思って、頬を抓り、ズキンとした痛みでコレを現実だと痛烈に突きつけられる。だから、ドッキリだとか、演技だとか、そういうものでなんてことはない遊びに違いない。そうじゃないと、堪えられない。

 

 もう一度、視線をあげる。俯いて、ガタガタ震えて言うことの聞かない足を無理やり立たせて、そして──柊真は真実恐怖した。

 

「あ、う……うわぁあああああっ!!?」

 

 大きいパパは腐敗液がベッドに吸収しきれずだらだらとベッドからあふれ、そしておかゆのようにドロドロとした屍には大きくて硬そうな骨がぷかぷか浮いている。

 中くらいのママは屍が少し残っていた。パパと同じように細く曲線的な骨がドロドロの屍に浮いている。

 そして、小さい大智の屍は少しも残っていなかった。黒にぐっしょりと染まったベッドの上はほとんど空っぽ。あるのは、飴玉のように小さくて細かい大智の骨ばかり。

 

 ──3人が、無二の親友が、死んでいる。

 先週の水曜日にお邪魔したときは笑顔で迎え入れてくれたママが! おれを家まで送ってくれたパパが! つい昨日まで仲良く一緒にグラウンドでサッカーを遊んでいた友人が! ドロドロになって、骨をベッドに浮かせて、亡くなっている!!!!

 

「うそだ、うそだッ、うそだぁああ!!! うわぁあああああああああああああ!!!!!」

 

 柊真は走った。スリッパが片方脱げたことも知らず、階段を転がり落ちるように降りて、何度も棚やコートに身体を打ち付けながら廊下を走り、靴を履くことすら忘れて大智の家から逃げ出した。

 

 

 

 ──かくして再び異端は現実に牙を剥く。

 魂を啜る怪物を討つために、焚書官(バーナー)は刃を握る。

 たとえ刃が自らの手を傷つけようとも、戦場に挑む。

 

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