棺の中のスノウ・ホワイト 作:ぜっけい
焚書官──それは異端者という狂った
ずっと昔から世界各地で焚書官は人知れず異端者と戦ってきた。百年も、千年も昔から。
日本において、焚書官の多くは異端犯罪対策機関(通称:
本部がないのにおかしい話だが、異対は日本全国、様々な場所に支部を置いている。図書館、公民館、喫茶店、古書店、探偵事務所、あるいはSNS……少しでも絶望を減らすために、姿を隠して戦い続けている。
焚書官の仕事は多くある。絶望を広げないための事件の隠蔽、異端犯罪の迅速な察知、そして異端者との戦闘──そう、戦闘だけが焚書官の戦いではない。その実、異対に属している人間の約半数は異端能力を有していない。被害者のアフターケアを行う精神科医などの医者、異常な殺人事件や動きをリークする警察官、そして活動資金の援助する資産家……異端こそ持っていないものの彼らもまた力強い異対の一員である。縁の下の力持ちがいるからこそ、
この潟貝市にも異対の支部がある。
雲居探偵事務所がそれだ。遺失物・迷子・ペット探し〼と書かれた看板が入口に虚しく飾られている築三十年の小さなビルを改装した、寂れた事務所。
ビルは3階建てであり、1階に探偵事務所、2階には所長の居住空間が、そして3階には──オンボロビルには到底似つかない立派な道場が存在していた。
柊真が友人の家から飛び出した頃、銀我は雲居探偵事務所の道場で修行をつけさせられていた。
「くっ、まだまだぁあああッ──!」
「動きが雑だ! もっと相手の動きを観ろ! 観て、予測し、常に先手を打てっ! ただ突撃するだけで
「ぐぅッ!」
道着姿の銀我は息を切らしていた。畳の上に何度も転がされ、汗が飛び散る。
一時間以上組手をしていたせいで全身が痛む、けれど銀我はなおも立ち上がり目の前の大男──
雲井玄馬はこの探偵事務所の所長にして、かつて焚書官として数多の異端者を討伐してきた古強者だ。年齢は50歳後半ほど。数年前に戦いで重症を負い、前線を引いたものの、現在も真白の上司として色々な指示を下している。
突貫する銀我を玄馬は一歩も動かず、最小限の動きだけで銀我を掴み・極み・投げて銀我を封殺する。体格や体重では間違いなく銀我の方が上なのに、玄馬はまるで枕を投げるように銀我を容易く圧倒する。
──技術が違う、それと覚悟も。それを示すように、玄馬の全身には無数の傷跡がついている。普段歩くのにも杖をつく必要があるほどその身体はボロボロなのに、それでも銀我は玄馬の足元に転がされ続けていた。この一週間、ずっと。
真白の案内もあって焚書官の一員になった銀我だが、いまだ異端能力を発現することはなかった。異端能力の芽そのものはある、とは真白の見立てだがこの一週間そのような素振りはまったくなかった。
先に示したように異端を持っていないからと言って焚書官が務まらないわけではない。むしろ、焚書官はいつだって人手不足であり、無能力者でも書類仕事や事件の隠蔽などで大忙しである。
それも、誰かを守ることに繋がる力の一つである。しかし、真白のように事件を直接解決できない歯痒さを銀我はこの一週間ずっと感じ続けていた。
真白はこの一週間、毎日のように事務所からどこかにでかけ、そして帰って来る。
帰ってきたら真白は事務所のソファに沈み、小さく丸くなり──胎児のような姿勢で深く眠りにつく。白磁人形か死体に間違えてしまいそうなほど真っ青な顔で……眠り続ける。
聞けば、異端事件を解決しに向かっているらしい。真白の不死身の
その姿を見るたびに……自分に、力はついているのだろうかと、銀我は不安になる。
この小さな背中を支えられる──いや、共に戦えるようになれるのか。
「銀我ッ! どこを狙っている!? 敵を観ろ、そして逸らすなッ!」
「っ……はいッ!」
力がなければ、異端者と戦えなければ、自分は結局無力な……腕を喪失したままで、何も変わっていない。そんな思いが銀我の胸中を掻き乱す。
「構えが甘い! 隙を晒し過ぎている!! 疲れているのか? 悩んでいるのか? 理想と違うと、混乱しているのか!?」
「ッ……がぁあッ!?」
がむしゃらに伸ばした腕は容易く玄馬に掴まれ、そして視界が反転して銀我の背中に強烈な痛みがぶつけられる。銀我の肺から空気が全部抜ける、受け身は取れたがそれでも痛い。
「戯けッ! そのような小賢しいプライドはそこらに捨てろッ! それを抱えて
「っ、う……」
「なんだぁ?」
「──うるッせぇええええ!!!」
胸に満ちるムシャクシャとした感情のままに、銀我は飛び起き玄馬に殴りかかる。
結局、銀我は器用な男ではない。上手くいかないときや感情が複雑骨折したときは決まって身体を動かし、30分もすればスッキリする……そういう体育会系の単純バカだった。
銀我は畳を蹴って、腕を雷のように伸ばす。
「お……やっとかッ」
「ムカつくんだよエラそうに! 真白に任せて、事務所にずっと引きこもっているクセにぃッ!」
銀我は玄馬の袖と襟首を掴み、身体を玄馬の脇に差し込み足をかける。拙い技術は筋力でカバーする。銀我の胸中を見出して唸るこの激情を解決するために、銀我は全力でこの激情を目の前の腹の立つ男に叩きつけようとする。
「そうだッ! 真に
「な……っ!?」
銀我のかけた足が動かない……なんという体幹、まったく崩せない!
あとは、身体を押すようにして投げれば終わりのはずだった銀我の大外刈……体育の授業で習った技……は中途半端な形で終了する。
「──なるんだよォッ!」
「うわっ!」
かけた足が逆に返され銀我は逆に畳に叩きつけられる。
敗北。一時間も畳に叩きつけられた結果、銀我の身体は疲労のせいで少しも動かない。
「はぁはぁ……クソっ、まだまだぁ……!」
それでも、なんとか銀我は身体を起こす。そうでなければここにいる意味がない。
「そこまでだ。これ以上はお前以上に俺も持たん。……やはりガッツだけはあるな」
「はぁ、はぁ……それだけが、取り柄なモンですから」
よくよく見ると、玄馬の身体からもだらだらと大量の汗が流れている。技を返した左足は震えていた。
玄馬は左足を引きずるように隅のパイプ椅子まで移動し、杖を取る。
玄馬はベテランの焚書官であった。ただ、数年前に戦いで重症を追い、その後遺症もあって前線を引いたそうだ。その決断は、銀我の想像を絶するものだっただろう。戦場に出られず真白に任せきりの現状に歯がゆい想いをしているのはこの人も同じではないか。そのことに思い至って、銀我はすごい失礼な物言いをしたと恥ずかしい感情に駆られる。
胸にわだかまっていたムシャクシャとした感情もだいぶスッキリしている。叫んで、全力で挑んで──失敗したとはいえ、ようやく技らしい技を玄馬にかけられたのが良かったのだろう。
……だからこそ、自分の怒りが逆上に過ぎないことに気づいて、やってしまったこと気づいてしまった。
「その……師匠。稽古、ありがとうございました」
「良いってことよ。身体を動かすのはキツイが……やはり、楽しいモンだ。クソガキの相手もなァ」
「うぅ、その……言い過ぎました」
「クックック、偶には良いさ。それくらい生意気なくらいが丁度よいのさ」
椅子に座りながら玄馬は口角を釣り上げクックックと喉を鳴らす。
少し不気味ではあるが、笑っているようだ。銀我も釣られて小さく笑う。
「──あら、所長、稽古は終わりですか? 麦茶を用意したのですが……」
「ああ、夏子か。ちょうど今終わった所だ、助かる」
道場の扉を開けられ、エプロンを身につけた女性が道場に入る。肩まで伸ばした茶髪をゆるくまとめ、丁寧でおっとりとした口調と優しい目つきの人。
宮内夏子だ。生活能力の低く、身体にハンデのある玄馬の補助のために派遣された異対の一人。普段は事務所の清掃や書類の整理、そして玄馬と真白の世話をしている。
「ありがとうございます、宮内さん」
「あらあら、そんなに急いで飲んじゃって。よほど熱中していたのですね」
二人して夏子からコップを受け取り、ぐいと麦茶を一気に飲み干す。熱くなった身体に冷たい麦茶が心地よかった。
──彼女、宮内夏子は焚書官ではなく、異端能力も有していない。それでも異端という狂気的な事件を防ぐために異対に所属し、玄馬と真白を支えることで貢献してくれている。
銀我も現状はそのような形として雲居探偵事務所──潟貝異対支部に所属している。探偵業や書類仕事の手伝いではなく、焚書官……真白を補助するための人員として。そんなこと、全然できていないのに。
「そうそう。それと、真白ちゃんがついさっき起きましたよ。下で紅茶を飲んでいます」
「そうか、わかった。銀我、さっさと立ち上がって降りるぞ」
「ウッス、わかりました」
そう言って、道場から出ようとして──
「もう、ダメですよ、所長に銀我くん。女の子に会うんですよ? ちゃんと汗水をシャワーに流してからにしてくださいね? 事務所を臭くするのはもう沢山ですから」
「「……はぁーい」」
むさ苦しい男二人、渋い顔をしながら彼らは揃って夏子によってシャワールームに放り込まれた。
10時頃、シャワーを浴び終え、銀我が事務所に降りると真白がソファに座りながら紅茶を飲んでいた。話には聞いていたとはいえ、事務所で真白が起きている姿を見るのはほとんどなかったため、銀我は少し驚いた。
「よお、おはようだな真白。元気してっか?」
「……別に。わたしにとってその概念は程遠いものよ」
冷たい言葉で応えながら、真白はその三日月の美貌を傾け、銀我を見る。顔色は悪くない。昨日事務所から帰る時にちらりと見たとき、その寝顔の顔色は幽霊の方がマシというレベルで酷かった。今の様子を見る限り、一晩休んで十分回復できたらしい。
「そうか? 顔色、今日は良さそうだし、珍しく起きてんじゃん」
「……眠ろうにもあなたたちが煩いから起きてしまっただけよ」
「それは悪かった」
ため息をつきながら真白は紅茶を一口飲む。銀我も平謝りしながら、冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出しコップに注ぐ。
「……今日も、鍛錬だったのね」
「おう。やっと師匠に技をかけられた。……まあ、すぐに返されたんだけどよ」
「ふぅん、すごいじゃない。柔道の有段者に技をかけられるなんて。努力しているのね」
「んっく、ぷはぁ……おう! 努力だけが俺の取り柄だからな」
銀我はコップの中身をまたも一気に飲み干し、冷蔵庫の隣の棚からプロテインバーを手に取る。
真白の話を聞いて、銀我は少しだけ気分が良くなる。初日はまったく……触れることさえできなかったのがたった一週間でかけられるまでいけた、その事実は銀我に確かな実力がついていることを意味していた。
「でも、調子には乗らないほうがいいわよ」
「むぐむぐ……んぐ。そりゃなんでだ?」
「──異端者に、武術はまったく有効ではねぇからだよ」
銀我がプロテインバーを飲み込むと同時に、コツコツと杖をつきながら玄馬が事務所に入ってくる。その半歩後ろに夏子が、玄馬を支えるように後ろからついている。
「……そうなんすか?」
「あったりまえだ。異端者の中には触れるだけでブチ殺しに来るようなヤツがいんだ。塩酸や針山みてぇなモンにパンチだのキックだのして無事でいられると思ってんのかぁ?」
「うっへぇ……そりゃダメっすね」
言われてみれば、確かに当然のことだ。
包装を捨てながら銀我は思い出す。銀我が籠目に殴りかかった時、拳は
「じゃあ、なんで柔道なんか指導するんですか。ひょっとしてシゴキってやつですか?」
「それもまあ無くはないが……一番は心を鍛えるためだよ」
衝撃的な言葉をさらっと言い放つ玄馬に、銀我はぎょっとする。
「えっ!? ああ、ええっと……心?」
そうだ、と頷きながら玄馬は向かいのソファに腰掛け、夏子が注いだお茶を受け取る。
「異端者ってのは正気を踏みにじるようなヤツらばっかだ。おれが現場にいたときには死ぬより悍ましい状態になった被害者を何人もみてきた。地獄のような場所で、パニックになる焚書官もな。そういうヤツは焚書官として失格だ。ただいたずらに犠牲を増やして自分もおっ死ぬ。
──だがら、クソみてぇな逆境に立たされた時“こなくそッ”って抗えるヤツこそ焚書官として相応しいとおれは思っている」
「……そうね」
玄馬の言葉に、真白が小さく頷き肯定する。銀我としてもその言葉には納得できた。
……が、それより指導者失格レベルの発言の方が気になった。
「なるほど……それで、シゴキってのは?」
「だから……あれだ。ちょっとキツイ修練やって音を上げるヤツは焚書官失格なんだよ。むしろ、おれにキレるくらいのヤツのが良い感じなんだよ。そういうわけでテメェは焚書官合格だよ……クソッタレ」
「えっ、ええぇ……?」
不愉快そうな表情で、玄馬はお茶を一気に飲み干す。夏子はあらあらとその様子を困ったように見つめ、真白は無関心そうに、新しい紅茶をティーポットから注ぐ。
……そんな気はしていたが、改めて事実ですと言われて銀我は少し傷つく。
「ごめんなさいね、玄馬さんは頑固で古い人だから……でも、許してやって? 玄馬さんは真白ちゃんがあなたに取られるのが心配なのよ。あなたが来る前の日なんてすごい面白かったのだから」
「ふぅん、そうなんすか?」
「うふふふ! えぇ、真白ちゃんが男の子を連れてくるのは初めてだったから『真白のやつ騙されてないのか~』とか『もし真白を騙すやつならこのおれがぶん投げてやる~』っなんて。ほんと、年頃の娘を心配するお父さんみたいだったわ」
「ばっ……おまえ、それは秘密にしろって言っただろう!?」
「あら、そんな約束しましたか? うふふふ」
クスクスと上品に笑う夏子の前に慌てふためいて、今のは忘れろっ、と騒ぐ玄馬の姿。
道場との姿とはまるっきり違う姿に、自然と銀我も笑ってしまう。
「銀我、おまえぇ……上司の醜態を見て笑うんじゃねぇよ。チックショーっ焚書官に認めねぇぞ!」
「くく……す、すいません」
「あらあら、もう仲良しですねぇ」
「……みたい、ね」
真白は紅茶に砂糖を注ぎながら夏子に同意する。どうやらこの一週間でこの事務所は随分騒々しくなっていたらしい。
──わたしが疲れ果てず眠らなければ、わたしも何か変化していたか……ありえない。
未来のない、成長もなにもしない、五感さえ凍てついた
──プルルルル、プルルルル……
電話のなる音に真白ははっと意識を現実に向き直す。
「夏子」
「分かりました」
玄馬の促しに、夏子は粛々と受話器を受け取る。
「──はい、もしもし雲居探偵事務所……ああ、
何度かこちらに振り向きながら──そして、実際に名前も呼ばれて──銀我は内心少し驚いた。会話の内容は異対──異端者関係であることは容易に想像できた。
「事件があったそうなのよ。異端者そのものは既に逃走しているみたいだけど、
「わかったわ」
夏子の言葉に、真白は空になったティーカップをテーブルにおく。あの日と同じように、その右目には異端を射落とす狩人としての冷徹な使命に満ちていた。
だが、それより銀我は気になることがあった。
「それで、俺になにか用があるんすか?」
「ええ、隠蔽班──そのリーダーの小鳥遊さんが、現場の安全確保のついでに初めての現場研修としてあなたを呼びたいと言ってね。……私としてはまだ異端事件の現場を見るのは早いと思うし、実際この現場もとても酷いものだそうだわ。それに、あの人のことだから……本音はきっと可愛い新入りをからかいたいだけだと思うわ」
「小鳥遊の小娘か……ヤツの性格としては後者が真実だろうな。……だが、いつかは見て、思い知ることだ。早いほうがいい。なんかあっても、真白のヤツがいんなら大丈夫だ」
「そうでしょうけど……」
現場に銀我を同行させるか否か。話の問題はそこだった。
夏子はまだ銀我には早く、玄馬は早い方がいいと言う。そこに処理班のリーダー……小鳥遊という人の性格が加わっている。
異端が起こす事件の凄惨さは銀我も知っている。目の前で墜落して破裂した人体だとか、行きたまま
むしろ、この2人に警戒される小鳥遊という人物はどういう人間なのか……と銀我は少し不安を覚える。昭和な頑固親父とたおやかな女性に一様に良い顔をされないとはどういうことだ?
「……カミサワくんは、どうしたいの?」
「そうだな……ああ、決まっている」
話を興味なさげに眺めていた真白が唐突に口を開く。渋い顔していた夏子も苛立たしげに湯呑を握っていた玄馬も一斉に銀我の顔を見る。
その問いは本質だった。結局、この問題を決めるのは渦中の人物……銀我の決断が一番であるのだ。
だから、そう、答えは決まっている。
「俺は、行きたいです。俺だって、焚書官なんすから」
「……そう、わかったわ。車を出すわ、真白ちゃんと一緒に下に降りなさい」
「あざっす、わかりました!」
銀我の言葉に、夏子さんは本当にしょうがなさそうに……渋々と頷き戸棚に車のキーを取りに行く。
「なら、いくわよ。カミサワくん」
「おう、真白!」
黒いフリルのスカートを翻し、階段を降りていく真白の後に銀我は勇んで続いていく。
──その身に眠る異端の萌芽は、未だ鞘に括られているくせに。