カール・フリッツ一代記 ーBefore the Wallー   作:allkeybeadeath

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第一部
第1話 フリッツ家


 

 

 

パラディ島への移住より百年前――。

 

世界を支配してきた国家、エルディア帝国があった。

 

これは、その国が迎える最後の戦争の物語である。

 

 

明け方。

出立の支度を終えたカール・フリッツは、静かにソファへ腰を下ろしていた。

彼は父を思い出そうとしていた。

 

不可解で、不気味でもある現在の状況を理解するためには、

記憶を少なくとも父の世代まで遡る必要があった。

 

父はエルディア帝国の皇帝であった。

フリッツ家に生まれ、幼い頃から放蕩と暴虐で名を馳せていた。

皇帝となるや否や戦争を仕掛け、そしてすべて勝利した。

人々はやがて彼を「征服王」と呼んだ。

 

彼は貴族の娘を妻として迎え、二人の息子をもうけた。

長男はエーミル、次男はヴィルヘルムである。

 

次男が生まれる前、妻は一人の娘を産んだが、

歴史に名を残さなかったため、その名を語る必要はない。

 

大陸の覇権を巡る戦争に勝つたび、多くの王朝が消えた。

征服王の名声と権勢は高まるばかりで、

その放蕩と暴虐も大陸に知れ渡っていった。

 

ある噂によれば、彼は一度に十三人の側室と寝たことがあるという。

彼が持つ「始祖の巨人」の再生能力は、

この場合ばかりは遺憾なく発揮されたらしい。

 

息子たちに対しても容赦はなかった。

軍事教本を暗唱できなければ拳が飛び、

よく与えられた罰は「大砲脅し」であった。

 

夜な夜な皇帝は息子を担ぎ上げ、

火薬の詰まった大砲の砲口へ押し込んだ。

「火をつければ、月まで吹き飛ぶだろうな」

その脅しの場面は、しばしば家臣たちに目撃された。

 

十歳にも満たぬ子らは、

涙と鼻水を垂らしながら教本を噛み砕くように覚えた。

 

眠れず意気消沈した子どもたちを見ると、

皇帝は食卓で怒鳴った。

 

「胸を張れ! 強き者だけが生き残る!」

 

皿が投げ飛ばされることもあった。

皇后が止めても無駄だった。

 

彼の信条はただ一つ。

「強き者がすべてを奪う」。

 

しかし、順風満帆だった征服王にも、

ただ一つ勝てなかった戦争があった。

それがマーレ王国との戦いである。

 

遥か昔、エルディアがマーレ帝国を打ち破ってより千年。

マーレの末裔たちは封臣関係から脱し、

今や帝国と対峙していた。

 

戦争は膠着した。

攻勢と守勢が繰り返された。

今回はいずれの貴族家も彼を支持しなかったからである。

 

貴族とは、九つの巨人を継承する家系のことであった。

フリッツ家は「始祖の巨人」を、

他家は「超大型巨人」や「鎧の巨人」などを継承していた。

 

始祖の巨人の力は、

古のエルディア王が貴族たちと交わした「盟約」によって制限されていた。

会議で決定された事項でなければ、その力は使えない。

 

その力は万能であった。

だが貴族たちは、皇帝の権力を抑制するために、

その能力を封じざるを得なかった。

 

結果、皇帝の権威は名目だけとなり、

帝国の重大事は九家の会議で決められた。

 

こうした状況で皇帝となった征服王は、

戦争によって権力を取り戻そうとした。

彼は戦争を繰り返し、

貴族たちは彼を牽制せざるを得なかった。

 

そんな折、騎兵隊を率いていた長男エーミルが落馬し重傷を負った。

彼は二度と歩けぬ身体となった。

騎兵隊は指揮官を失い、戦況は急激に傾いた。

 

征服王は激怒した。

 

「すべて貴様のせいだ! 弱虫め!

落馬程度で戦場に立てぬとは何だ?

銃剣に刺されたわけでも、砲弾を受けたわけでもない!

自分の馬すら扱えずこのざまか!

情けない! お前など息子ではない!」

 

その怒号は宮殿を震わせた。

 

エーミルは絶望し、

麻痺した下半身を引きずりながら幾度も自殺を試みた。

救助され続け、九度目の頃には

無傷の部分は残っていなかった。

 

皇后はそれを見て絶望し、

ついに城壁から身を投げた。

 

妻を失った征服王は、

精神的にも肉体的にも崩れ落ちた。

戦争を続けることはできなかった。

 

征服王は、マーレ王族の娘との結婚を条件に戦争を終わらせた。

その名はシルヴィア。

翌年、彼女は息子を産んだ。

 

「カール……カールがいい。カール・フリッツだ。」

 

その言葉のまま、

マーレ人の妻が産んだ子は「カール」と名付けられた。

 

彼が始祖の巨人を継承して十三年。

そろそろ後継者を決めねばならなかったが、

彼は誰にも満足しなかった。

 

長男エーミルは不具、

次は娘、

次男ヴィルヘルムは弱い。

唯一、末子カールは気に入っていたが、まだ幼かった。

 

「エーミルよ、子を産め。

そして私の巨人を継承せよ。」

 

彼は冷然と言った。

「お前は取るに足らぬが、

お前を経て生まれる子が私の巨人を継ぎ、帝国の皇帝となるのだ。」

 

しかしエーミルはすでに壊れていた。

父の命に背き、自ら命を絶った。

それが最初で最後の反抗であった。

 

「我が子らよ。」

征服王は遺言のように言った。

 

「お前たちは弱い。帝位を継ぐに値せぬ。

ゆえに孫の代わりにお前たちが巨人を継ぎ、

成人したとき、その者へ渡せ。

強き者のみが帝国を治めるのだ……」

 

それは、

血で血を繋ぐ同族殺しの命令であった。

 

彼の娘が巨人を継ぎ、

十三年後、次男ヴィルヘルムが姉を喰らい巨人を継いだ。

彼は甥である皇帝エーミル二世に代わり、摂政として帝国を治めた。

 

ヴィルヘルムは温和で、美しかった。

舞踏会ではいつも注目の的だった。

だがその内面は嵐のように揺れ動いていた。

 

幼い頃から受けた暴力、

皇帝の拳、切り落とされた髪、

人々の嘲笑。

それらの記憶が彼を蝕んでいた。

 

夜ごと彼は窓を開け、空を仰いだ。

「くそ……俺は皇帝になる。

皇帝になって、父のように自由を手に入れる。」

 

父が死に、甥が皇帝となった。

ヴィルヘルムは摂政となり、

望んでいた自由を全て手に入れた。

 

そして行動に出た。

異母弟カールが愛した超大型家の娘と、

前触れもなく結婚したのである。

 

同時にカールに命じた。

「顎家の娘と結婚せよ。南方へ下れ。」

 

憎んでいたマーレの血を引く弟を遠ざけ、

彼は満足した。

妻と夜を過ごすたび確信した。

「俺は弟を征服した。」

 

彼は帝国の実質的支配者となった。

だが幸福は長く続かなかった。

 

食卓でも寝室でも、

妻の顔にカールの面影が重なった。

あの柔らかく笑う弟の姿が、

嘲るように浮かんだ。

 

ついには妻と距離を置き、別宮で暮らすようになった。

忠実な妻を残し、

彼は孤独へ沈んでいった。

 

「なぜあの女と結婚した?

何のためだ?

すべてはカールとその母への憎悪ゆえ……

結局、マーレが元凶だ。

マーレ人は人の形をしたゴキブリだ。」

 

怒りに囚われながら彼は思った。

 

「今は摂政だが、

甥が成長すれば、巨人となった甥の口の中で

俺は最期を迎える。

俺が姉を喰らったように……」

 

彼は青ざめた笑みを浮かべた。

 

「甥は十四歳。

二年後には俺は巨人の餌だ。

幼い頃、皇帝になると誓ったのに……

三十年の人生が甥の内臓の中で終わるのか?」

 

そして一つの結論に至った。

欲望も恐怖も同時に満たす唯一の道。

だがそれは、帝国を揺るがす反逆計画であった。

 

ここからは、第四子カール・フリッツの物語となる。

 

兄たちとは違い、

彼は比較的穏やかな環境で育った。

そのため性格は温和で理性的だった。

 

だが軍事教育は依然として苛烈だった。

カールは戦争を知らぬまま育ち、

戦とは書物の中の概念にすぎなかった。

 

軍学は苦痛だったが、

文学とヴァイオリンだけが慰めだった。

 

幼い頃から図書館に籠もり、

詩や小説を読み耽った。

数学や物理でも頭角を現した。

 

人々は言った。

「天才だ。」

 

もちろんヴィルヘルムは、その言葉が気に入らなかった。

 

十七の頃、

カールはある貴族家の娘に一目惚れした。

 

文弱な青年らしく、恋文を書いた。

「夜空の星にも比すべからざる君へ――」

 

だが返事は来なかった。

 

三日間、部屋から出なかった。

 

二十になった頃、

彼は超大型家の娘リーゼルと出会い、

深く愛し合った。

 

しかしある日。

兄ヴィルヘルムが、何の前触れもなく

彼女と結婚した。

 

「くそっ……」

 

カールは歯を食いしばった。

兄は常に自分を妬んでいた。

今回は愛まで奪ったのだ。

 

そのヴィルヘルムの命により、

彼は南方の顎家へ向かわされた。

そこの娘と結婚せよという命令だった。

 

血の涙を飲み、

彼は馬を駆った。

森を抜け、川を渡り、草原を走った。

踏むたびにリーゼルを思い出した。

 

空を見上げれば、

星のように彼女の顔が浮かんだ。

手を伸ばすその幻影を追い、

カールは駆けた。

 

そして――

辿り着いた先は兄ヴィルヘルムの寝室だった。

 

リーゼルが裸で横たわっていた。

 

「くそ……くそ……」

 

涙を噛みしめ、

彼は南へ向かった。

 

顎家の領地は、

果てしなく続く田舎であった。

中世のような高い城がそびえていた。

 

城門の前で、

汚れた顔の女が彼を出迎えた。

 

「掃除婦か?」

そう思った瞬間、

後ろから貴族たちが現れた。

 

年配の男が、女の肩に手を置いた。

 

「よく来た、我が婿よ。」

 

カールは呆然とした。

 

(……終わった。)

 

こうして、彼の地獄の結婚生活は始まった。

 

エルザは醜女だった。

寝所を共にする気には到底なれなかった。

南方は何もかも遅れており、

都の華やかな夜会とは比べるまでもなかった。

 

彼は酒を飲んだ。

リーゼルを思い出した。

だが浮かぶのは兄の腕の中の彼女ばかりだった。

 

「……他のことを考えよう。」

 

彼は自分に言い聞かせた。

「妹カルラのことを……」

 

母シルヴィアは彼に妹を産んだ。

名はカルラ。

 

カールは母と妹を恋しがった。

涙が滲み、

読書で心を慰めた。

 

だがここは新刊すら届かぬ辺境だった。

憂鬱は深まった。

 

「母さんとカルラは無事だろうか……

兄は二人を嫌っているのに……」

 

彼は酒を煽った。

忘れるためだけに。

 

夜は酒で始まり、酒で終わった。

 

義父は彼を軍事顧問に任じた。

カールの数学と物理の才能により、

二年間砲兵隊を鍛え上げ、

成果は完璧だった。

 

田舎暮らしにも慣れ、

舞踏会や劇場へ赴くこともあった。

それなりに平穏な日々に見えた。

 

そんなある日。

彼のもとへ一通の手紙が届いた。

 

「帝都より急報です。」

 

侍従が告げた。

カールは封を切った。

 

『兄弟カールへ告ぐ。

十二月七日、皇帝エーミル二世、暗殺さる。

帝位は摂政ヴィルヘルム・フリッツへ継承さる。

都にて行われる即位式への参列を要求す。

拒むか、四十八時間以内に最寄り官庁へ移動を届出ぬ場合、

皇室の反逆者、国家の敵と見なす。

―― 皇帝ヴィルヘルム ――』

 

カールは茫然と立ち尽くした。

手紙が手から落ちた。

 

「……何だ、これは……」

 

呟いた。

何が起きているのか分からなかった。

 

ただ一つだけ確かなことがあった。

――自分は終わった。

 

彼は顔を上げた。

窓の外には闇が落ちていた。

 

その瞳に、炎の光が揺れていた。

 

その夜、カール・フリッツは

一夜にして反逆者となった。




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