カール・フリッツ一代記 ーBefore the Wallー   作:allkeybeadeath

2 / 12
第2話 顎家

 

 

 

手紙を読み終えたカール・フリッツは、しばらく考え込んでいた。

「俺が反逆者だと……?」

 

もう一度、彼は手紙を目で追った。

皇帝エミール二世が暗殺された。

 

甥が殺されたのだ。

 

その知らせはすぐに他の諸侯たちにも伝えられ、

この南方の城にいるカールの義父のもとにも届いた。

 

中世風のこの城では、皇帝の死を悼んで国旗が半旗として掲げられ、

葬送曲が流れ、教会の信徒たちが列をなして追悼行進をしていた。

 

顎家の面々は長い食卓に腰を下ろし、

一通ずつその手紙を回し読みしながら口々に話していた。

 

最初に口を開いたのは、カールの義父アウレルだった。

彼は還暦にさしかかった大柄な男で、少し太ってもいた。

 

だがその体格は白くなった髪をかえって頼もしく見せ、

狩りを好み、若い頃に幾つもの戦場を駆け回った彼は、

今なお豪胆で、カールの父を思い出させるところがあった。

 

「これは護国卿の罠だと、私は思う」

義父はそう言った。

「お前の兄ヴィルヘルムが、自ら皇帝になるために幼い皇帝を殺したに違いない」

 

カールの隣に座っていた妻エルザは、その話を聞いて亡き皇帝を気の毒がった。

 

「ですが、なぜ私を呼び出すのです?」

カールが問う。

 

「今度は皇帝暗殺の罪を、お前にかぶせるつもりなのだ」

アウレルが答えた。

 

「ですが私は今、南部にいます。

 どうやって帝都にいる従兄を暗殺したと言うのですか?」

 

「理由など、後からいくらでもでっちあげられる。

 あいつは今や“皇帝”だ。

 その口から出る言葉に逆らえる者は多くない」

 

カールは、帝都を離れる前の空気を思い出した。

護国卿ヴィルヘルムは、その端正な顔立ちのおかげで評判が良かった。

戦争狂だった父の治世の頃に比べ、世の中は穏やかになったと言われていた。

 

さらにマーレ人を嫌っていたヴィルヘルムは、

帝都に住むマーレ人たちを追放した。

それは市民が望んでいたことでもあった。

人々は、百戦百勝の征服王の時代の栄光を、ヴィルヘルムの顔に重ねて見ていた。

 

ただ一つの障害、甥エミール二世さえいなくなれば、

帝都の民はヴィルヘルムを皇帝として担ぎ上げるに違いない。

誰が暗殺したかなど、本当はどうでもよかったのだ。

 

「お前が帝都に行けば、すぐに拘束される。

 暗殺犯という汚名を着せられ、塔に閉じ込められ、やがて処刑されるだろう。

 あいつはずっと、マーレの血を引くお前を憎んできたのだろう?」

アウレルが言った。

 

「そうだ、カール。

 行ったところで得などない。

 全部、あいつの思惑どおりだ」

アギト家の長男アウレル二世も言った。

彼は顎の巨人を継承した、この家を次に率いるべき男だった。

 

カールは再び黙り込んだ。

 

自分の身が危険だからと言って、行かないわけにはいかない。

なぜなら帝都には、母シルヴィアと妹カルラがいるからだ。

 

自分に反逆の罪を押しつけようとしているのなら、

母と妹に同じことをしないはずがない。

家族が危険にさらされている。

 

カールは長男と義父と妻を順に見つめ、それから言った。

 

「明日にでも出発します。

 兄と直接会って、説明を聞かなければなりません」

 

妻エルザもアウレル二世も必死に止めた。

だが「家族のため」という言葉を聞いたとき、

それ以上は強く反対できなかった。

 

アウレルが言った。

 

「まもなく帝都で即位式が開かれるだろう。

 九つの家の貴族たちも集まるはずだ。

 私も一緒に行こう。

 ようやく得た婿だ。卑怯者の企みに奪われてなるものか」

 

こうして彼らは南部を発った。

 

遠くで、妻エルザが泣きながらカールを見送っていた。

カールはアウレルと共に、百名ほどの護衛兵に囲まれた馬車に乗り込んだ。

 

やがて馬車が走り出す。

カールは黄色い麦畑を眺め、その向こうに建つ中世風の城を見た。

もし兄が権力のために同じ血を引く者まで殺そうとしているのなら、

この光景を二度と見ることはないかもしれない。

 

それでもカールは心の中でつぶやいた。

 

――逃げはしない。戦ってやる。

 

何より、義父の顎家が自分を支持してくれている限り、

皇帝は恐るるに足りなかった。

 

遠い昔、始祖の巨人の力が「盟約」によって封じられて以来、

エルディア帝国の皇帝は、名ばかりの存在となっていた。

もし兄が権力を奪おうとするなら、他の貴族たちも動くだろう。

 

馬車の中で、アウレルが婿に向かって語り始めた。

 

「若い頃、私はお前の父上と共に戦場を駆け回った。

 我々は馬に乗って平原を疾走した。

 あの時の高揚感は、口で言っても伝わるまい。

 征服王は私の隣で騎兵を率いていた。

 砲弾がすぐ横に落ち、銃弾が頭の横をかすめていった。

 だが父上と共にいるとき、私は何も怖くなかった。

 我々は敗北というものを知らなかったのだ」

 

「父は……偉大な方でした」

 

「そうだ。

 家の事情で、あの友情はとうに終わってしまったがな。

 だが三十年経った今、私はまた彼と共にいるような気がする。

 お前の瞳を見ると、あの男を思い出す。

 お前を婿に迎えてから、ずっと感じていたことだ……

 他の誰でもない、お前こそが娘の夫となるべきだとな」

 

どれほどの日が過ぎただろうか。

 

カールは馬車の中で、眠っては目を覚まし、

途中の村で休憩を挟みながら進んでいった。

馬車は百名ほどの騎兵に守られていた。

 

ふと目を覚ますと、外はすでに黄昏時だった。

前方の座席では、アウレルが豪快ないびきをかいていた。

その音さえ、どこか頼もしく思えた。

 

カールはその姿を見ながら、再び父を思い出した。

幼い頃、一度だけ父の戦場に同行したことがあった。

兄エミールは騎兵を率いて勇敢に突撃し、

父は兵たちを指揮して、一度たりとも敗北しなかった。

 

今、その二人はどちらもこの世にいない。

フリッツ家を支える男は、もはや自分と兄ヴィルヘルムしかいない。

しかしその兄は、権力のために同族同士で血を流そうとしている。

 

御者が声をかけてきた。

「まもなく近くの村に着きます。今夜はそこで泊まる予定です」

 

その言葉を聞き、カールは再び目を閉じた。

ただ、馬の蹄が道を叩く音に耳を澄ましていた。

 

だがその音は、次第におかしくなっていった。

規則正しかった蹄のリズムが、どこか不協和音を帯び始めたのだ。

 

カールは違和感に眉をひそめ、窓を開けた。

 

外には、銃を構えた大勢の男たちが、

彼らを取り囲もうとしていた。

 

騎兵たちに向けて、一斉に銃火が放たれる。

弾丸を受けた馬が次々と倒れ込み始めた。

 

「奇襲だ!」

御者が叫んだ。

 

銃声に驚き、アウレルも目を覚ました。

「何ごとだ、何が起きている!」

そう叫びながら、懐から拳銃を引き抜く。

 

その間にも、男たちは馬車へと近づいてきた。

軍服ではなく、思い思いの服装をしている。

軍人ではない。

 

盗賊だった。

 

盗賊たちは一斉に馬車へと銃弾を浴びせかけた。

弾丸は馬や御者の内臓を貫き、

馬車の壁を穿ち、反対側の扉へと抜けていく。

 

被弾した馬は暴れ狂い、馬車は大きく揺れた。

やがて馬は倒れ、血を流す御者を下敷きにして横倒しになる。

 

激しく揺れる馬車の中で、カールは頭を打った。

痛みに顔をしかめながらも、倒れた馬車の扉を押し開け、外へ飛び出したすと、

 

そこは地獄だった。

 

奇襲に遭った騎兵の馬は倒れ、

血を流しながら道の上に散乱していた。

 

盗賊たちは剣や斧を手に、

馬から投げ出された騎兵たちを次々と斬り捨てていく。

 

「くそっ!」

 

カールは叫び、拳銃を抜いた。

三人の盗賊が、前から彼に襲いかかってきた。

 

カールは一発撃ち、ひとりを撃ち倒す。

中身のない拳銃をそのままもう一人の顔面に投げつけ、

同時にサーベルを抜いて残りの一人と切り結んだ。

 

カールの握るサーベル──それは、父が若い頃の戦場で振るったものだった。

少年時代にこの剣を贈られてから、

カールは毎日のように剣術の稽古を積んできた。

 

決して剣も戦いも好きではなかった。

今も、自分が剣を握ることに自信はない。

 

だがこの剣を握るたびに、

刃の奥から、あたたかな父の手が伸びてきて、

自分の右手を包み込んでくれるような気がするのだ。

 

カールは足裏で大地を感じ、頭上に空を感じた。

そのあいだを貫くように剣を振るい、敵の首元へ突き立てる。

刃を引き抜くと、血が噴水のように噴き上がった。

 

周囲では、血を浴びた馬が暴れ続け、

落馬を免れたわずかな騎兵たちがサーベルを手に盗賊と戦っていた。

 

剣と剣が噛み合い、打ち合い、

やがて相手の脇腹、胸、眼窩へと深く突き立てられていく。

 

カールも何人かを斬り伏せたが、

そのたびに別の盗賊が彼に向かって押し寄せた。

二本、三本の刃が同時に彼を襲い、

カールは次第に倒れた馬車の方へと追い詰められていった。

 

首も腕も胸も、すでに切り傷から血が流れ出していた。

 

盗賊たちの剣先は一直線に、

赤く染まったカールのシャツの下、心臓を狙って伸びてくる。

カールが思わず目を固く閉じた、その瞬間──

 

背後で雷鳴のような銃声が轟いた。

 

アウレルだった。

彼は馬車から身を投げ出し、盗賊たちに向けて拳銃を撃ったのだ。

 

続けてサーベルを抜き、カールの隣に並び立つ。

片腕で軽々と剣を振るい、盗賊たちの剣を弾き、突き返す。

 

往年の戦場で鍛え上げられた技は、

まだまったく錆びついてはいなかった。

 

アウレルの前で一瞬ひるんだ盗賊たちに、

残っていた騎兵たちが馬上から襲いかかった。

形勢が不利になったと悟った盗賊たちは、

やがて森の中へと逃げ込んでいった。

 

盗賊が去ると、アウレルはその場に座り込み、

豪快に笑ってみせた。

 

「危うく十年早くあの世へ行くところだったわい」

 

「お怪我は!?」

 

助けに入った騎兵のひとりが駆け寄る。

 

カールが見ると、アウレルの軍服のズボンが赤く染まっていた。

太腿に銃弾が食い込んでいる。

 

カールは急いで止血しようと駆け寄ったが、

アウレルはその腕をつかんだ。

 

「もし、もし私が死んだら……」

アウレルが口を開く。

 

「顎家は、息子が継ぐ。

 だが、あいつはまだ若い。

 フリッツ殿よ……どうか支えてやってくれ。

 この家の運命は、お前にかかっている」

 

そう言って、震える手でカールの肩を軽く叩くと、

彼は口から血を吐き、そのまま意識を失った。

騎兵たちが彼を背負い、急ぎ運んでいく。

 

カールは周囲を見回した。

 

道には馬、馬車、騎兵、盗賊の死体が入り乱れ、

血の海が広がっていた。

 

ほんの十分前まで他愛もない話をしていた御者は、

馬車の下敷きになり、血を吐いて死んでいた。

そこは、まさしく死体の畑だった。

 

状況がひとまず落ち着くと、

カールは先ほど自分を助けた騎兵とともに、

近くの村の家へ身を寄せた。

 

隣の家では、連れてきた外科医がアウレルの足から弾丸を取り出していた。

 

カールは考える。

 

(あれほどの数の盗賊が、偶然あの場所で待ち構えていたとは思えない。

 略奪が目的なら、この村を襲ったはずだ。

 奴らの狙いは最初から俺だった。

 誰かの命を受けて動いたと考えるべきだ)

 

「これから、どうなさるおつもりですか。

 帝都まではまだかなり距離があります。危険です」

四十代ほどに見える騎兵が言った。

 

「行くしかない。

 今さら引き返すことはできない」

カールは答えた。

 

(もしこの襲撃が兄の仕業なら、

 なぜこんなことをしたのか、その顔を見て問いたださねばならない)

 

翌朝。

 

アウレルを乗せた馬車は、

生き残った護衛たちに守られながら来た道を戻る準備を整えていた。

 

一方で、カールは一頭の馬を借りて跨がる。

彼の向かう先は、まったくの逆方向──帝都だった。

 

昨夜の騎兵のひとりが、後ろから彼について来る。

左の頬に長い傷跡がある男だ。

 

「名は?」

カールが問う。

 

「アッカーマンです」

 

「家名ではなく、名前のほうだ」

 

「私はただの護衛兵にすぎませんが……」

男は一度ためらい、それから言った。

「ヨゼフと申します」

 

「ヨゼフ。ヨゼフ・アッカーマン……。

 アッカーマンは、フリッツ家を護る一族だな」

 

「はい。私は先王陛下に仕えていた護衛のひとりでした。

 陛下が亡くなられる前、

 『末の息子を守れ』というお言葉を賜りました。

 その命に従い、私は南部までお供したのです」

 

カールは、彼なら信じられると思った。

その忠実そうな印象と、戦い慣れた様子が頼もしかった。

アッカーマン一族については、以前から噂で聞いていた。

巨人の科学の研究から生まれた一族。

主君を守るためなら、命を惜しまぬ兵たち。

 

「私と共に来てくれるか」

 

アッカーマンは、音もなくうなずいた。

 

こうして二人は、帝都を目指して再び馬を進めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。