カール・フリッツ一代記 ーBefore the Wallー 作:allkeybeadeath
皇帝の部屋に二人の男が立っていた。
一人は明日即位式を控えた皇帝ヴィルヘルム、
もう一人は彼の異母弟カール・フリッツだった。
宮殿の一角では貴族たちの舞踏会が盛んに行われており、
ヴィルヘルムもそこへ向かおうとしたまさにその時、
弟が訪ねてきたのだった。
カールは異母兄を説得しようと語りかけたが、
その声は平静さから始まり、
次第に激昂していった。
「我々がこうして争っても何の得にもならない!
今なお貴族たちは兄を皇帝と認めていないのだ」
ヴィルヘルムは彼の言葉に答えた。
「貴族の支持?
我が父は独りでマーレ王国と戦われた。」
カールの脳裏に征服王フリッツ、
彼の父への記憶がよぎった。
いかなる貴族も彼を支持しなかった。
その結果は征服王の息子と妻の死であった。
「身分など関係ない。
私に逆らう者は皆、反逆者に過ぎない。
私が継承した帝位を認めない者がいるなら
皇軍は打ち潰すだろう。」
「本当に皇帝を兄が殺したのか。」
ヴィルヘルムは弟の顔を見つめた。
自分が受け継いだ血の半分が確かに彼に流れているとはいえ
その顔は完全な偽りの顔であり
奴隷の血筋のものだった。
二人きりで立つ皇帝の部屋の灯りが
照らす弟の顔がどう変わるか想像しながら
彼は言った。
「ああ。私が殺した」
彼を見つめるカールの眼差しが嫌悪で歪んだ。
「私は皇帝になりたかった。
お前には想像すらできないだろう。
私がこれまでどんな日々を過ごしてきたかを······」
ヴィルヘルムは幼い頃の記憶を呼び起こした。
兄エーミルが戦死したあの時。
父が彼を大砲の砲口に押し込んだあの時。
そして軍事教本をしっかり暗記できなかった彼を
牢獄の狭い鉄格子の中に押し込んだあの時。
この全ての人生を彼の弟は経験したこともなく、
だからこそ彼がどれほど自由を渇望してきたか、
父の皇帝観がどれほど輝いて見えたかを
異母弟は全く想像すらできないだろうと
ヴィルヘルムは考えた。
彼の姉を食い物にし、
再び彼の甥に食い物にされる運命を
想像したことがあるだろうか。
「だから私も障害物だって言うのか!
私も反逆者として追い詰めて殺そうと……」
「お前は生まれた時からずっと我が家への反逆者だった」
その言葉はすなわちカール・フリッツの血筋——
マーレ人である母シルヴィアの血を受け継いでいるということだった。
ヴィルヘルムの中に、忘れていた感情が蘇った。
父がマーレ人をこの家に招き入れてから
全てが狂い始めた。
マーレ人のせいで母は死に、
兄は死に、
彼は毎日虐待に苦しめられた。
マーレ人たちに復讐すると何年も前からそう誓い、
実際にそれを制度で実行し彼らを追放した。
そして今、残された課題は二つ、
全ての不幸の元凶であるマーレ人シルヴィアとその息子を排除すること、
そしてマーレ王国を滅ぼすことだった。
実はただそれだけを望みながら
帝位を目指して駆け上がってきたのだ。
そして今、ヴィルヘルムは全ての権力を掌握した。
彼は皇帝となった。
二人が話している間
外からある女の声が聞こえた。
舞踏会に急いで行こうと促す皇后の声だった。
「母と妹のことは心配するな。
明日には彼らに会えるだろうから。
母は自由だ」
ヴィルヘルムはそう言いながら
カールの肩をポンと叩き、扉を指さした。
カールが扉を開けると、リーゼルが立っていた。
赤毛の彼女は金色の装飾と白い模様が刺繍された
真っ赤なドレスを着ていた。
カールは化粧をした彼女の顔を見つめた。
そういえば何年ぶりの再会だろうか?
数年前に彼らは口づけを交わし
永遠の愛を誓い合ったことがあった。
二人の間に不思議な眼差しが交わされた。
形容しがたいその眼差し——
彼女は舞踏会に浮かれて見えた。
彼女の眼差しが浮かれて見えるかと思えば、
また悲しそうにも見え、
また彼の皇帝を心から愛しているようにも見え、
またカールを今も恋しく思っているようにも見えた。
しかし真実はいずれにせよ
全ては過ぎ去ったことであり、取り戻せなかった。
カールは皇帝と皇后に礼儀正しく挨拶すると席を立った。
カールは廊下を歩きながら自分の寝室へ戻りながら気づいた。
若い頃彼女への情熱の炎が
少しも消えていないということを。
翌日の昼、即位式が執り行われた。
「皇帝陛下万歳!
エルディア帝国万歳!」
という貴族たちの轟くような声と共に
玉座から立ち上がった皇帝は巨大な皇帝冠を戴き、
フリッツ家を象徴する純白の皇帝衣を纏い
その威厳を現した。
そして皇后リーゼルと共に街の行進を始めた。
貴族、使用人、護衛兵が彼らに従い、
祝砲の音が鳴り響いた。
一方、カールとその護衛武士ヨゼフは、
母と妹に会わせてくれるという一人の使用人に従い、
城の方へ馬で移動していた。
街では市民全体が集まり
ヴィルヘルムの即位を祝っていた。
至る所で「ヴィルヘルム陛下万歳!」という声が響いた。
ヴィルヘルムは街を行進しながら市民に手を振った。
その端麗な容貌が真昼の陽光の下で一層輝いていた。
そして彼は用意された馬車に乗り込み
どこかへ向かい始めた。
「ここが城だ。
我が母が囚われている場所である」
使用人の案内で城に到着したカールが言った。
「しかし、すごい熱気ですね。
先代皇帝の戴冠式にも出席しましたが、
これほどの光景は予想していませんでした」
ヨゼフが言った。
彼らの周囲には五人の護衛兵が立っていた。
アッカーマンが彼らの方を振り返った。
城がある場所は宮殿よりも高い丘で、
ここからは帝都の広場が一望できた。
「さあ案内してくれ。
母上を一刻も早くお会いしたい」
「承知いたしました、公爵様」
「尋問の際、母上と弟は丁重に扱ったか?
従者も城内で彼らと共にいるのか?
あるいは、危害を加えたりはしていないか?」
「私が知る限り、決してそのようなことはありませんでした。
お二人ともご健勝です」
「早く城門を開けろ」
「承知いたしました。すぐに……母上にお会いさせます」
その時、カールの背後、広場の方から
市民たちの歓声がさらに激しくなり始めた。
皇帝ヴィルヘルムがそこに現れたのだろうが、
カールはすぐに家族に会いたい気持ちが先立ち
目も向けなかった。
ところが城門の鍵を持っている使用人は
門を開けもせずじっと立ち止まり
カールの背後を見つめていた。
「何をしている?
早く開けろ」
使用人は指で広場の方を指さした。
「あちらに……
あちらにお母様がおられます」
わけのわからない声に
カールは広場を覗き込んだ。
広場には木製の演壇が仮設されていた。
そしてそこに皇帝ヴィルヘルムが
純白の衣をまとって立っていた。
ヴィルヘルムが兵士たちに合図すると、
馬車の中から一人の女性が出てきた。
その女性は手足を縛られており、
髪は乱れ散って鬼のような姿で、
体中あちこちに痣ができ、
衣は血で染まっていた。
それはまさに母シルヴィアであった。
カールは信じがたい光景に、
ただ目を見開いて見つめるばかりだった。
演壇の上でヴィルヘルムが言った。
「誇り高きエルディア帝国の臣民よ!
今日は栄光に満ちた名誉ある日である」
ヴィルヘルムの言葉に
広場に蟻のように集まった市民たちが
耳を傾け始めた。
「朕は先代皇帝たちの皇帝冠を戴き、今この場に立っている。
先代王たちの血と魂で築かれたエルディア帝国は
今日また新たな光を放ち
歴史のこの瞬間に立っているのだ。
どうして栄光の日でなかろうか。」
彼の言葉に市民たちは一斉に拍手喝采を送った。
拍手の音が静まると、
皇帝は言葉を続けた。
「しかし帝国は今、危機に瀕している!
過去の戦争、マーレ王国との戦争を思い出せ。
常に騎兵隊の先頭に立って指揮し、
たとえ10倍、100倍の軍勢が立ちはだかろうとも
決して恐れず
帝国のために身を捧げた男がいた。
彼こそがエーミルだ。
しかし卑劣なマーレ人どもが彼を死へと導いた!」
市民たちは顔をしかめ、嘆息の声を漏らした。
「そして朕の母上について考えてみよ。
彼女は賢明で、質素であり、
常に皇室の模範となっていた。
彼女は我らの勇猛なるエミールと朕を育て上げた。
諸君なら彼女を知らぬ者はいないと存じる。
ところが彼女はどのようになったか?
不具となった息子の悲しみを抱え、
その華奢な身をあの城の底へと落としたのだ!」
ヴィルヘルムは市民たちの視線を
一斉にシルヴィアへと集中させ始めた。
「そしてどうなったか!
根無し草のマーレ人女、
異邦人が皇室を侵略してきた。
我々は勝てる戦争に屈辱的な条約を結び、
その代償がこのマーレ人女の国政干渉と
あのマーレ人の浮浪者、盗賊、商人たちだった。」
市民たちはシルビアに向かって野次を飛ばし始めた。
市民たちはこの信じがたい女を見つめながら
憎むべきマーレ人の連中を思い出し、
征服王時代の栄光の日々を懐かしみ、
その女にあらゆる罵声を浴びせた。
ヴィルヘルムは家臣が持ってきた紙を手に取った。
「そして今度はまた何が起きたか知っているか?
前回あったエミール二世皇帝の毒殺!
それがまさにこの女の仕業だ!
この紙には、この女が食事に毒を入れたという
従者と使用人たちの証言がある!」
市民たちはその言葉を聞いて怒りに燃えた。
それが真実かどうかは重要ではなかった。
怒りの感情がすでに頭の中を覆い尽くしていた。
「売女め!」
「死ね!」
彼らは怒りに歯ぎしりし、
声を枯らして叫び、
首を振りながら腕で女を指し、
石を拾い上げて女に投げつけた。
カールの母シルヴィアは
飛んできた石に当たり悲鳴を上げた。
顔、腕、脚が石で引っかかれ血が流れた。
市民たちは憎悪に満ちて叫びながら
感情が高ぶり、ついに涙を流して泣くほどになり、
口を開けて大声で叫ぶその姿は
笑いにも見え、狂気にも見えた。
シルビアは手足を縛られたまま
自分を見上げる数千人の大衆を見つめ
ただ震えるばかりだった。
「ああ、カール·····。カルラ······。」
一瞬、彼女は息子と娘を思い浮かべた。
石が飛んできて、彼女の全身を傷だらけにした。
目を開けることができなかった。
ただ闇だけが、狂気の笑い声と共に広がっていた。
「本日をもって、我がエルディア帝国は新たに生まれ変わる」
ヴィルヘルムは兵士たちに合図を送った。
広場の奥から、数台の馬車が
四角い鉄檻を引いて近づいてきた。
その檻の中には
飢えにもがく巨人が
手足を縛られ拘束されたまま収められていた。
「この女を檻の中に入れろ!
反逆者を処断せよ!」
兵士数人がシルヴィアの縛られた手足を解き
檻の方へ移動した。
「だめ!助けて!」
彼女は叫びながら逃げ出そうともがいた。
「この女が、静かにしなかった!」
兵士の一人が短剣を抜くと
無造作に彼女の顔に突き刺した。
血と呻き声が噴き出した。
「殺せ!殺せ!あの女を殺せ!」
市民たちは歓声、憎悪、恐怖、怒り、嫌悪、悲しみ、不満が入り混じった声を上げた。
カールはこの一瞬一瞬をはっきりと見ていた。
彼の母が巨人の口へと引きずられていく姿を。
カールとアッカーマンを取り囲む護衛兵たちは
銃剣で彼らを脅し、じっとしているよう要求した。
しかし、その場に留まるわけにはいかなかった。
カールは即座に剣を抜いて兵士の一人の首を斬った。
しかしすぐに四本の銃剣が彼に向かって飛んできた。
カールは傷を負い倒れた。
その時ヨゼフは驚異的な速さで剣を振るい
四人の兵士と同時に戦った。
「公爵様!今こそ逃げるべきです!」
カールは絶望に満ちた眼差しで戦っている彼らの背後を見た。
百人を超える騎兵隊がこちらへ駆け寄ってきていた。
カールの前には彼が乗ってきた馬がいた。
逃げる馬がいた。
しかし母はあの広場の方角にいた。
カールは広場を見つめた。
彼の母は剣で刺され、ぐらつく鼻から血を噴き出し
裂けた唇で助けてくれと叫んでいた。
やがて兵士たちは鉄格子の中に彼女を押し込んだ。
飢えに飢えた5mの小型巨人は
彼女を捕らえ、まず片足から引きちぎって飲み込んだ。
飛び出した内臓が長く伸び
巨人の腕を巻きついた。
その時までも彼女は生きており、叫んだ。
—そしてその声に応えるかのように
剣もまた怒りと悲しみの叫びをあげた。
母よ!
女性の身体解剖ショーで市民の歓声が頂点に達したのは
巨人が彼女の頭部を脊椎ごと引き抜いた瞬間だった。
母よ······!
剣は奥歯を食いしばった。
怒りで歯が軋んだ。
逃げなければ、とヨゼフが言った。
しかし聞こえなかった。
何も聞こえなかった。
カールは剣を抜いて、自分を捕らえに来る騎兵隊を見つめた。
そして彼らに向かって馬を駆り、立ち向かって戦おうとした。
「お兄様!」
その時、一つの声がカールの意識を覚醒させた。
城から聞こえる声だった。
妹のカルラだった。
「お兄様!逃げてください!」
妹もまたその光景を見ていた。
彼女は涙を流していた。
カルラの涙が一筋、城壁の下にいるカールの顔に落ちた。
城壁の上で一人の男がカルラを捕まえて立っていた。
彼は彼女の髪を掴みながら、手すりに顔を押し付けていた。
「さあ、早く見ろ!お前の母の最期を」
男は無理やり彼女の顔を広場の方へ向けさせた。
「安心しろ。お前の母のように殺したりはしない。
代わりに……」
「逃げて、兄さん!」
「公爵様!奴らが来ます!」
「反逆者カール・フリッツを捕らえよ!」
蹄鉄の音がドクドクと響く。
カールは剣を鞘に収めた。
「必ずまた来る……。」
カールとヨゼフの馬は城を背に駆け抜け、
北門へと抜け出した。
北門にいた十数名の警備兵たちは
ヨゼフの剣に倒れ、皆血を流した。
カールは馬に乗り北門を出て城外へ抜けながら考えた。
『必ずまた来る。我が軍と共に。
そして全てを灰にしてみせよう』
その時、彼の瞳から大地全体が
怒りと共に赤く燃え上がった。
その怒りは遠からぬ未来に
この国全体を戦争と殺戮の血で真っ赤に染めることとなる。
その後彼が招いた戦争は、
九つの家門が血を流し合い、戦い殺し合うことを繰り返したのだ······。
後世これを⌜巨人大戦⌟と呼んだ。