織田の外道   作:佐伯 裕一

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大人気織田家を書くプレッシャーにビビらず、がんばります。


たれそかれ

 天文二三年。尾張国。

 

 津島湊からいくらか北へ引いた塩畑の屋敷は、どこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。

 それもそのはず。屋敷の主である、織田弾正忠信定の子が産まれようとしていたのだ。

 嫡男というわけではない。既に正室に二人も子がいる。出産するのは、信定が手をつけた下女である。

 信定自身は、「子を産むのは女の役目」と割り切っているため政務に支障はないのだが、庶子とは言え主の実の子が産まれようというときに、のほほんとしていられる家臣は多くない。その、数少ない側の家臣である林佐渡守通安と共に、津島牛頭天王社やその門前町である津島湊と如何にして向き合うか話し込んでいたのだが、どうにも具合が悪い。

 

 そもそもこの信定、本来は屋敷の正式な主ではない。津島湊に店を構える商家の者の別邸を、一時的に借り受け使用しているに過ぎないのだ。

 本拠は、信定の父である織田良信が築城した塩畑城である。しかし徐々に当初の縄張りでは手狭になってしまったため、没した父の喪に服すことを理由に城を空け、その間に改築してしまおう、という腹なのだ。

 喪に服すと言いながら平気で政務をとるのもどうなのだ、という話ではあるが、信定自身はあまりそうしたことに頓着していなかった。

 

 そこに、女の切迫した声が響く。

 

「泣かれませい! 泣かれませい!」

 

 先程までかすかに聞こえていたうめき声とは違う。何か、異変が起きたであろうことは察せられた。

 

「……如何致します?」

 

 通村が呼吸を合わせるように一度目を伏せ、上目に直して短く問う。

 信定も一つ溜息をつき、腰を上げる。

 

「そうさな。何事か出来(しゅったい)したのであれば、顔くらい出してやらねばあとがうるさいかも知れぬ。それに、屋敷中がひそひそと静かなようでやかましい。どの道、今日は話が進まぬであろうよ」

 

「それでは、某は控えております。滅多にない機会。この仏頂面がいてはかえって不敬にございましょう」

 

 信定は「露ほども思うておらぬくせに」と苦笑しながら、下女がお産を行っていた奥の間へ向かう。

 

「何事かある? 辛いようであれば、背でもさすってやろうか?」

 

「殿様!? いえ、その、お子が……。それに穢れも」

 

 なるほど、先程の大声は部屋を隔てていたためにはっきりとは聞こえなかったのだが、「子」と言いながら産声が聞こえてきてはいない。死産か。残念には思うが、これも天命と思いその場で手を合わせ、冥福を祈った。

 出産した当事者である下女には憐れなことである。産婆の声しか聞こえないあたり、茫然自失としているのであろう。であれば、何か気の利いた言でもかけてやらねば。

 

「武家が血を恐れてなんとする。入るぞ。

 ……腹を痛めた子だ。受け入れ難いやも知れぬが、これも神仏の思し召し。ここは天王社にも近い。きっと津島様の下へ導かれたのであろう。あまり悲しむでは」

 

 言いかけて、止まる。生死をかけた戦場を知る男だからこそ、偶然にも違和感を覚えた。何かおかしい。何か。

 そう言えば、自分は障子を引く前から死産と思っていたために、産婆の抱く、まだ血のついた赤子をまじまじとは見ていなかった。死んでいるのであれば、ことさら注視したいものでもない。実子とはいえ庶子。それに死産も珍しくない話である。人の生き死に自体に慣れていることもあり、そのあたりの割り切りも早い。

 ただ、何故かこのまま流してはいけない気がした。

 

 ふと、思った。

 

「その赤子。まことに死んでおるのか?」

 

 言って、何を馬鹿なことをと不覚に感じる。しかしどういうわけか、確かめずにはいられなかった。

 問われた産婆も、自らの血を引く赤子の死を簡単には受け入れられないのであろうと思い、「恐れながら」とこたえるしかない。

 なにせ、産声を上げていないのだから。

 頭を下げながら、抱いた赤子を抱く腕にも、少しばかり力が入った。お産に立ち会っていればままあることではあるが、それでも新たな命の誕生を祝うつもりでいたのに、これでは。

 産婆には、眼前の男も哀れに思えた。いっそ、少しだけでも抱かせてやったほうがいいのだろうか?

 そう思い、赤子を見やる。

 

「息を、して、おりまする?」

 

 産婆の言に、その場の全員がぴたりと動きを止める。視線は赤子から動かせない。

 異様な空気だ。腰から背中へぞわぞわと落ち着かないが、まだ決定的ではない。まだ。いやしかし、間違いであろう?

 

「ん。……ん」

 

 赤子が、わずかに呻いて、身をよじった。

 

 脳天まで悪寒が突き抜ける。お産を手伝った若い下女の金切り声が上がる。

 

「泣かずに、生きておるのか?」

 

「そんな! いえ、わかりませぬ! 申し訳ありませぬ! わかりませぬ!」

 

 産婆も混乱している。

 

 信定は「寄越せ」というと乱暴に赤子をひったくった。自分の目で見定めなければ信じられない。

 温かくはある。当然だ。先程まで母親の腹の中にいたのだから。

 やわらかい。当たり前だ。産まれたてである。

 ひどく小さく、軽くて、赤い。だから赤子と言う。

 已の腕の中で、僅かな動きを感じる。抱いたまま、抱き寄せ潰すでもなく、放り投げてしまうでもなく、ただその姿勢を保つだけのために尋常ならざる力が全身に入る。

 体が自らのものではなくなったかのようだった。呼吸だけが荒くなる。

 しかし怯れた己を一括し、事実を受け入れる。

 

「化生の類か?」

 

「申し訳ありませぬ。真にわからぬのです。こんなことは初めてで……」

 

 それはそうであろう。信定とて泣かないまま息を始める赤子もいるのだ、とは聞いたことがない。

 ただ、逃げられない事実として、それが腕の中にいる。

 

「殿、如何いたしました?」

 

 障子の陰から通安の声がする。先程の金切り声を聞いて来たのだろう。

 

「佐渡。先程の叫び、他に聞いた者は?」

 

 問われた通村は珍しいことだと感じる。自分の主は聡明と言われる類の人間であるはず。

 

「屋敷中に響き申した。おそらくは、ほぼ全員かと」

 

「ええい、しもうたわ! 城であればまだ隠し通せたやもしれぬと言うのに」

 

 所詮は商家の屋敷である。それも別に、そこまで大店というわけでもない。お産で異常が起きたこと。それが、死んだはずの赤子が生きているという話であること。すぐに知れ渡るだろう。それは屋敷の内のみに留まらず、外にも。

 

 そう言えば、と信定は考える。自分はいくつであったか? ……二十五。厄年である。たしか、母親である下女も十九かそこらではなかったか?

 普段その手の話を気にしないせいで頓着しなかったが、それが何故か事が起きてしまってから思い起こされる。

 

 言わずもがな、武家はことさら縁起を気にする。信定自身がそうではなくとも信定以外の人間が皆そうした価値観を有しているのであれば、同じことである。

 先代当主の喪中に産まれた赤子。二親が共に厄年であった赤子。死んだはずなのに生きている赤子。

 忌み児。鬼子。化生が生まれた家、弾正忠家。知られれば、これでもか、というほど面倒なことになる。

 

 ……縊り殺すか?

 最初から、ただの死産であったことにする。叫んだ下女は若い。産婆に比べればお産に立ち会った経験も少ないだろう。それ故、心痛を受けて絶えきれなかった。

 そういうことにして、赤子は天王社か馴染みの寺にでも供養させる。

 それでいこう。それならば問題は起きないはず。思いつきが確信へと変わり、信定が首へ手をかけようとした、その(きわ)。まだ一言も話していなかった人間が口を開いた。

 

「旦那様。ややこは、どこにおりますか? 声が、聞こえぬのです」

 

 母親である下女にそのつもりは無かったのであろうが、咎められた気がした。そして少々呆けた様子の問い。赤子が泣かぬせいで、別室にでも移したのかと思ったのだろう。

 しかしその視線が、目的のものを捉えた。かんばせが喜色に染まる。

 

「ああ。いとおしい。あいらしい。こんなにも愛い。私のややこ」

 

 母が我が子の誕生を喜んだ。たったそれだけの当たり前のことが、信定にとっては熱した針を飲まされたほどに堪えた。

 だが情をかけた男として、父親として言わなければならない。

 

「諦めよ。この子は津島様の下へ導かれた。そう思え」

 

「なに、を?」

 

「これも武家の倣いよ」

 

「旦那様?」

 

「恨みたくば恨め。責めはせぬ」

 

 これ以上話していても、良いことは何もないだろう。せめて自分の手で始末をつける。家中のことは通安に任せればよいだろう。人目につかないうちに、早く……。

 

 背を向け立ち上がったところで、「ああぁああ!!!」という絶叫と共に、前へつんのめるほどの衝撃。

 下女が狂したのかと思うほどの力で信定へすがりつく。産褥(さんじょく)とはとても思えないほどの力だった。

 

「なにゆえにございますか! 何卒お慈悲を! 何卒、何卒!」

 

 あまりの異常事態だったとはいえ、已が遅きに失したと(ほぞ)を噛む。腹を痛めた母親が、何も感じないはずはないであろうに。

 

「ならぬと言った」

 

 努めて冷たい声色を作る。断固とした態度を見せなければ。

 

「何卒! 子の命ばかりは何卒! 母子として生きられずとも構いませぬ! どんな形でも構いませぬ!」

 

 だから、これは御家のためであって、きっぱりと。

 ……どんな形でもと言うたか? 母親本人の口から。であれば、納得させてしまえばこれ以上は騒がれず、煩わされることもないか? 寧ろ断じて殺してしまって下女が真に狂してしまうほうが、余程体面が悪いのではないか?

 

 母親の必死の思いに絆されたのか、信定自身にも仏心が芽生えたのか、それともこのおかしすぎる赤子を手にかけることに、怯れを抱いたのか。

 

「拾い児にするのでも構わぬか? その場合、そなたが再び子の顔を見ることは許さぬ。誰なりと伝手を見つけて預けるとする。儂はこの間から出たその時から、一切このことに関知せぬ。

 それでも良いか?」

 

「ああ、旦那様。有難く、有難く」

 

 下女はそのまま咽び泣いてしまい、会話ができる状態ではない。しかし迅速に動かなければならない。

 

「佐渡。途中からとはいえ、聞いていたとおりよ。故あって、この赤子は儂の子とは認めぬ。諸々手配せよ」

 

「直ちに」

 

 仔細は落ち着いてから主から聞けばいい。そう通安は考えて、すぐさま、そして静かに、この件を内々に処理するため動いた。赤子は一時的に産婆へ預けた。

 

 お産は死産に終わった。役目を終えた産婆は銭を受け取り、片付けをして帰る。その際、手荷物に何かが忍ばせられていても、それは弾正忠家の知るところではない。拾い親は、産婆と産みの親である下女の縁者から適当な者を探させ、関与はそこまでとした。「知らない」ことが一番の守りになることもある。

 信定の腹心はそう判断した。

 

 拾い児の風習も、これまで弾正忠家では無かったとはいえ聞かない話でもない。事情を知る者も、それで穢れは払われたと納得するだろう。

 赤子はその日の夕暮れ時に、橋の下に捨てられた。いっとき置いて人気が無くなってから、拾い親が新しい命を授かり、家の子として育てる。それで全て上首尾に収まる。

 

 皆がそう思っていた。そうなるはずだった。

 

 橋の下。川のほとりで。黄昏時に。常世と幽世。此岸と彼岸。その境目。開かないはずの瞼を開き、夕闇に爛々と光る目を向けるその子、以外は。




※拾い児
厄年に生まれた子や、体に障害を持って生まれた子などに穢れがあるとし、それを払うために一度「死んだこと」にするという風習。生死の境とされる川などに一度捨て、決められた者が拾い育てることで、穢れや厄は払われたとする。
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