コンコン。
ドアを叩いて一拍。
いつもならすぐに返事があるはずなのに、今日に限ってはなんの反応もない。
「……?」
もう一度ノックしてみるがやはり反応は無かった。
普通なら不在だと思う所だが、訪ねる前に部屋にいることをメイドさん達に確認してから来たのでそれは無い。
「ブラッド?入るわよ?」
ノブを回して中に入ってみるが、部屋の中央にある執務机に目当ての影を見いだすことは出来なかった。
「ブラッド?いないの?」
中に入り改めて部屋を見渡すと、奥のベッドに足が見えた。
(珍しい……寝てるの?)
部屋主が就寝中なら、恒例となったこの部屋での読書は諦めた方がいいだろうか。
かといって、勝手に本を持ち出すのも気が引ける。
(私としては、借りていって部屋でゆっくり読みたいところだけど……)
何しろここで読んでいれば、気まぐれに赤いソファに寝転ぶ事になるのだ。
それでも、部屋で読むから貸してくれと言えないのは何故なのか。
(……言っても許可してくれそうにないしね……)
さてしかし、どうするべきか。
ちょうど仕事も一段落して、とりあえず自由の身だ。
寝ようにも今は昼の時間帯でそんな気になれないし第一眠くない。
逆に昼が嫌いだと言っているブラッドにはちょうどいい就寝時間帯だったのかもしれない。
いつも訪ねてくる時には怠そうにしていても必ず起きていたので、この状態は正直予想外だった。
「…………」
どうするべきかを考えていたその耳に、微かに何かが聞こえた。
「ん……?」
耳を澄ますと、どうも奥……ブラッドの方から聞こえてきた様だった。
そっと近づいていくと、広いベッドの上に上着を脱いだだけの状態でブラッドが横になっていた。
何か嫌な夢でも見ているのか、眉間には微かにしわが寄っている。
(具合が悪いとか?熱でもあるとか……)
そう思い、そっと額に手を当ててみるが熱はないようだった。
ほっとした瞬間、かなりの力で腕を捕まれる。
「ッ……痛っ……」
「……アリス?」
「そうよっ。痛い!放して!!」
「ああ……悪かった」
放された手を引き寄せれば、微かに赤くなっている。
「これだけ力が出せれば大丈夫そうね。うなされていたようだったから心配したけど」
手をさすりつつ、ぷいっと横を向く。
「……ほう?」
そこに返るのはとても楽しそうなブラッドの声。
(……あ)
「そんなに心配してくれたのか。それはそれは、嬉しいよアリス」
手を伸ばしてきて髪を一房すくい上げると、そこに口づけられる。
「……ッ!」
失敗したという気持ちと、その仕草への恥ずかしさにとっさに声が出ない。
「それで?一体何の用かなお嬢さん。本を読みたいなら好きに読んでいいと前にも言ったろう」
「ええそうね、そうだったわね。それでも一応断ろうと思った私が馬鹿だったわ。次からは勝手に読ませていただく事にする」
「ああ、そうしてくれ」
身を起こし、トレードマークともなっている帽子とステッキを手にするブラッドを眺めながら、先ほどうなされていた事が気にかかる。
この『自分のやりたい事をやりたい様にする』と言い放ち尚かつ実践しているブラッドがうなされることなんてあるのかと。
「……一体、どんな夢を見ていたの」
「ん?」
微かな驚きと、まだその話題を続けるのかとでも言いたげな空気が口を重くするが、構わず続ける。
「うなされていたじゃない。あなたでも良心の呵責に悩む事があるの」
「……他でもない君にそう過大評価して貰うのは悪い気分ではないが、残念なことに私はそんな『良い人』じゃあない。むしろ悪い人間だと十分に知っていると思うがね、お嬢さん?」
過去に犯した事に関して悔いることなどありはしないと言外に言い切られる。
「じゃあなんで……ッ」
「そんなに心配か?私の事が。心配せずとも私は元気だとも」
「……ええ、そうみたいね。…………放してちょうだい」
ぐいと引き寄せられ、気が付いた時にはそのままベッドに押さえ込まれる形になっている。
まったくもって、心配したのが馬鹿みたいだ。
「いらぬ心配をしなくてもいいように、元気だと証明してあげよう」
「必要ないっ!」
好奇心は身を滅ぼすというが、なんで心配しただけでこんな事態になっているのか。
ブラッドに対しては心配すら身を滅ぼす元なのだろうか。
(そうかもしれない。誰の前でも平然とした顔を崩したくない人だから)
そうと分かっていてうっかり心配などした自分が悪い。
理不尽だがそう納得するしか無いのだろう。
これからもこの人の傍にあり続けるなら。
(いつかは帰らなくちゃいけないのに……)
それでも、降ってくる口づけを拒む事が出来ない。
最初こそ初恋の男性の影がちらついて違和感と嫌悪感ばかりを感じていたはずの顔も、今ではブラッドの顔として認識され揺らぐ事もなくなってしまった。
段々とこの世界に慣れてきて……いつかは『帰らなくてはならない』というこの気持ちすら変わってしまうのだろうか。
与えられる熱に浮かされながら、心のどこかでそれでもいいと思う自分は本当に恩知らずだ。
ブラッドに対して感じなくなった嫌悪感は、同じだけ自分に対して感じるようになった。
それでもいい、ここに居たいと感じているくせに、きっといざその時が目の前に来れば、迷って後悔を覚えながらも帰る自分がいる事も自覚している。
面倒な事は嫌いだと言っているブラッドの事だから、きっと引き留めたりはしないだろう。
(それでも、もし……ねえ)
もしあなたが引き留めてくれるのなら、私は揺れるかもしれない。
そんな時まで他人任せの自分に嫌気が差す。けれど。
もしあなたが来てくれたなら、その時は、もしかして……?
*おわり*