幸いなるアッカーマンよ、汝は自由である   作:ヤン・デ・レェ

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意訳:泉から生まれし英雄


Heros Aquavir

ユミルは完璧な母親ではなかったかもしれない。だが、彼女以外の母親はあり得なかった。

 

周囲に頼れる人はおらず、口を利くこともできなかった。

 

だが、少なくとも彼女は我が子から目を離すことは片時と言えどなく、また我が子を飢えさせることも一度としてなかった。

 

あらゆる外敵から我が子の身を守り、その成長を余すところなく見守った。

 

一つ、彼女が幸運であったことを挙げるとするならば、それは彼女の愛息には類稀なる頑強さが、生まれながらにして備わっていたことであろう。

 

一歳に成る前のある時、彼は素手で毒蛇を捩じ切った。

 

またある時には、蝶を追いかけて迷子になった彼が、蝶を追ってそのまま崖から落ちた時もあった。だが、この時も当然のごとく無傷であった。

 

この小さな赤子には、途轍もない力が宿っていることは誰の目から見ても明らかなことであり、それはユミルの目から見ても自明のことであった。

 

とはいえ、どんなに頑丈な肉体をしていても、子は子である。そして、親は親だった。

 

ユミルはこの小さな勇者に過保護に接することをやめなかったし、むしろ以前にもまして世話を焼くようになった。

 

それは、ある種の共感を抱いたからだったのかもしれない。

 

ユミルは、その身に巨人の力を宿し、赤子を連れ帰った日からも変わらずにエルディア人の集落で暮らしていた。

 

だが、あの日からすべてが変わった。ユミルも変わり、ユミルを見るエルディア人と奴隷たちの目も変わった。

 

強大な力を宿しながらも、ユミルは率先して現状を変えようとはしなかった。代わりに、彼女は悠々と、自由に振舞うようになった。

 

彼女の中の優先順位は息子が第一に固定され、それ以外はすべてが些事になった。とはいえ、自身を畏れ、忌避するような周囲の視線や態度に無感動でいたわけではなかった。

 

暮しの端々に滲むぎこちなさが、緩やかに彼女の精神を病んでいたことは確かだ。超越的な個人として、そうなるべくしてなったとは、ユミル自身が考えてはいなかった。

 

彼女は次第に孤独感を募らせたが、間もなくそれは解消された。

 

彼女の息子が、巨人にもなれないこの小さな赤子が、ユミルにさえできないことをやってのけたからだ。

 

人間の姿では、ユミルは等身大の非力さしか発揮できない。だが、彼女の愛息は人間の姿のままで、剰え赤子の小さな掌の中で、戯れるような気軽さで、彼の命を狙って忍び寄ってきた凶暴な毒蛇の命を潰してしまったのである。

 

自分に勝るとも劣らない超人がここにもいる。同類を発見した喜びは、そのままユミルの母性に転換されたかに見えた。

 

ユミルは赤子の正体を見極めたその日から、今度こそ彼のことだけを考えて暮しを組み立てるように変わった。

 

 

 

 

 

 

あれから幾許の年月が流れて、赤子はすくすくと成長した。

 

赤子はすぐに幼児になり、幼児はすぐに子供になった。

 

子供は少年になり、少年はあっという間に青年になった。

 

実に十八年の月日が経っていた。

 

この間に、ユミルと青年の世界は緩やかに、だが確実に変化を遂げていた。

 

ユミルと彼が暮らしていた集落は、彼の成長に合わせて急激な拡大を遂げていた。

 

それは一つの集落と呼ぶにはあまりにも大きく、複数の集落、部族が寄り集まった大きな共同体へと成長していた。

 

そこに暮らす人々は、自分をエルディア人だと呼ぶものもいれば、その奴隷だった部族の者たちも多くおり、それ以外の中小の部族が挙って庇護を求めて集ってきた結果だった。

 

紀元以前の古代において、情報伝達手段は非常に限られていた。にもかかわらず、この十八年間でユミルと、彼女の最愛の息子が築いてきた伝説的な実績は、千里を超えて同じ天空を戴くところに遍く知れ渡っていたのである。

 

最初の伝説はやはりユミルだった。彼女が成すことは偏に、全てが息子の為であった。だが、逆を言えば息子の分さえ確保できれば、余った分は誰がどのように扱おうとも気にしなかった。

 

決して豊かでも、安定的でもなかった古代において、ユミルの巨人の力がもたらす豊かさは圧倒的であった。

 

ユミルは息子の栄養状態をより良いものにするべく大地を耕した。見渡す限りの大地を耕したのだ。当然、得られた作物は大量に余った。ユミルは自分と愛息の分だけを確保すると、残りを「どうぞご勝手に」とでも言うように放出した。いや、彼女には「放出した」だとか「譲渡した」とかいう感覚すらなかったに違いない。文字通り、それは必要な分以外は誰の所有物でもなかったのだ。ユミルと、彼女に育てられた彼が生きる世界には、平等も不平等もありはしなかったのである。

 

また、ユミルは息子の為によりよい環境を整えるべく、大規模な治水を行った。巨人の大きな手が川底の砂の厚みを調整し、水深と流速に加え、水質まで最良の状態を確保したのだ。

 

彼女にそのような意図はなかったものの、この莫大な、人工的に築かれ、整えられた雄大な河川が、爾後の千年以上に亘って彼女の暮らした近辺の集落に絶大な豊穣を齎したことは紛れもない事実だった。

 

彼女にとっては、息子の水遊びの為の場所を整えたまでであり、生活用水の確保を簡易にする為の些細な処置でしかなかった。

 

他にも、彼女は息子の食生活をより豊かなものとするべく、野生の動物を囲い込んで家畜化し、古代世界においては空前絶後の規模の巨大な牧場まで設営した。

 

またまた、彼女は息子が長じるに伴い必要になる衣服などの服飾品を手に入れるために、またそのほかの生活必需品を購入するために、人々が物々交換の際に未熟な通貨代わりとして使用していた貴金属に目を付けた。

 

そして、彼女はあろうことか見渡す限りの山脈を掘り進め、また川と言う川の底を浚い、総量すら定かではない自然の金銀銅鉄や貴石の類を持ち帰ったのである。

 

彼女の伝説的な行跡はまだまだ多いが、中でも極めつけは自分以外の巨人を、総じて八つも生み出したことである。

 

それらの巨人は、恰も子煩悩な親が子を喜ばせるために用意した、色とりどりの装飾や玩具にも似て、一つとして同じものがない八つの特別な巨人だった。

 

それらはユミルが、力が強すぎる息子の遊び相手にするためにと、手間をかけて拵えたものだった。

 

こうして着々と、後の、巨人の力による時代に通じる、支配の為の神話の原型が形作られていったのである。ユミルと彼の意図しない道を辿って。

 

 

 

 

 

ユミルが齎した膨大な量の余剰生産物の悉くは、彼女と息子が暮らしている集落に還元された。

 

ユミルも彼も、自分たちが必要な分を確保すると、残りの物産には未練を見せず、半ば公然と放棄したのである。依然、所有権というものが、超越者たる二人には希薄なものだった。

 

二人は傍若無人ではなかった。しかし、如何なる保護にも与らない代わりに、如何なる搾取に対しても自由だった。二人は真に自由な世界に生きていたのである。

 

そんな二人は、エルディア人の首長フリッツ何某を殺しはしたが、その妻も子供も他の親族にも、はたまたユミルの故郷を焼いたエルディア人にさえ危害を加えなかった。

 

巨人の力を手に入れたユミルは、息子以外のすべてに対して無関心であった。復讐の必要はなかった。彼女にその気はなかったし、彼女の勘気を被ることを恐れたエルディア人たちの手によって、ユミルの故郷を焼いたエルディア人たちは次の日には無惨な仕打ちを受けてから、苦しみ抜いて死んだからだ。

 

だが、ユミルは差し出された首に一瞥もくれてやらなかった。家族を悉く殺された後の彼女にとって、「彼」を除けば、世界は蓋し平坦であったのだ。エルディア人も含めて、命あるものには格差などというものを最早認識していなかった。彼女は初めから奴隷ではなかった。今では一人の母親であり、一人の女であった。

 

エルディア人は当然ながらユミルを畏れていたが、ユミルが彼らの脅威にはならなかった。だが、彼らの思い通りにもならなかった。ユミルの存在は気まぐれで強大な、いっそ自然の秩序そのものの如くであった。

 

故に、自然な帰結として、エルディア人たちは彼女を崇め奉り始めた。祈りの対象として、畏れ、敬うことで難を逃れようと考えたのである。

 

エルディア人たちにとって、ユミルは正しく神に違いなかった。そのような認識は、ユミルの奇跡的な実績によって裏付けされ確信へと進化していき、それに伴いエルディア人たちのユミルとその息子に対する信仰は深化していった。

 

ユミルを畏れたのはエルディア人たちだけではなかった。エルディア人たちによって、ユミルと同様に奴隷にされていた他民族の人々もまた、ユミルのことを畏れ敬った。

 

エルディア人たちとの違いは、彼らには少なくともユミルに対して恩義を感じていたことであろう。

 

エルディア人たちはユミルの勘気に被りかねない同族を惨殺することに加えて、ユミルと同じように奴隷化していた人々の解放を自ら行っていた。

 

彼らの故郷は焼き尽くされており既になく、元奴隷たちは成り行きでエルディア人たちの集落で暮らすことになった為、両者の共生がユミルと言う不確定な抑止の下で既成事実化したのである。

 

元奴隷たちはエルディア人たちから財産の半分を譲られた。彼らは故郷にいたころよりも快適で豊かな暮らしを手に入れたが、エルディア人たちとの溝は残ったままだった。

 

元奴隷たちの中には、ユミルがエルディア人たちを懲罰することを期待する者も少なくない数がいたが、それをあからさまに表に出すことはなかった。対してエルディア人たちも、自分たちがそうしてきたように、元奴隷たちがユミルを味方につけて自分たちを奴隷化して酷使するのではないかと恐れ戦いて居た。

 

両者の距離感は中々縮まらなかったが、それでも十年以上の時間が経つうちに、両者は否応なく和解を迫られることになった。

 

彼らの和解の背景には、時間の経過に加えて、ユミルが結果的に中立を保ったこと、そして彼女が齎した富により周辺の勢力図が大きく塗り替えられた、という事情があった。

 

桁違いに裕福になった集落には、その噂を聞きつけて訪問者や流民が絶えなかった。移住を希望する者の中には、部族丸ごとユミルの庇護下において欲しいと懇願する所もあったのだ。

 

新参の来訪者にとって、エルディア人も元奴隷も、等しく『ユミルの民』に違いなかった。彼らには、両者の辿ってきた背景など関係なかった。彼らはユミルの庇護下で豊穣を享受できる、楽園の住人として羨望と敬服の対象として見られていたのである。

 

部外者という単一の、また潜在の脅威は、ここにきてユミルと言う絶対的な力を前にして、大半は屈服を選んだのだ。

 

何も、何の労力を払うまでもなく、集落は『クニ』と呼べるまでに肥大化した。エルディア人と元奴隷は、互いに先住者として、特権階級としての立場に収まったのだ。両者の利害は一致しており、互いを出し抜いて奴隷化するまでもなく、ユミルの庇護を受けるためなら労をいとわない新鮮な労働力が大量に流入したのである。彼らは先住者の特権として、指示を与える側になり、従順な外様の新参者を支配することに満足を見出したのだ。

 

ユミルと息子は、このような環境の変化に対しても不干渉を貫いた。それは努めて、というよりも、単に面倒を嫌ってのことであった。

 

二人はただ暮らしていた。狩り、育て、集め、紡ぎ、奏で、暮らしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の暮らしが変化を迫られたのは、息子が青年として立派になるにつれて、その言行の凄まじさがいよいよ、周囲の大勢力によって危険視されるに至ってからであった。

 

長じた彼は、完璧に均整の取れた肉体を持ち、穢れのない神懸かりした美貌を備えていた。彼は生まれ持っての怪力に加えて、どんなに危険な物事でも脅威足り得ない頑強さを誇った。

 

彼はただ暮らしの中でのみ、必要な分だけ自分の力を振るったが、それが却って人々に危機感を募らせたのである。

 

道を塞いでいた巨大な岩を持ち上げたり、邪魔になったそれを砕いて見せたり、素手で精錬された灼熱に燃える鉄を炉から取り出して見せたり、これを片手間に見事な細工に整形して見せたり、とにかく彼の振る舞いは常識の範疇の遥か外にあったのだ。

 

彼はまた、最大の娯楽として母親の巨人も誘っての九つの巨人との『戦いごっこ』を好んだ。それは彼らにとって狩猟と採集に次ぐ、最上級の『遊び』だった。

 

東の果てから西の果てまで、北の果てから南の果てまで。日がな一日を使って、彼らは体全体を使って、世界の隅々までを使って、大いに遊び、燥ぎ、歌い、楽しんだ。

 

異形の巨人が九体、大柄な、しかし確かに人間大のヒトと戯れる光景は、同時代人たちにとって正しく神話の現出に違いなかった。そして、それは間違いなく畏怖の対象となっていたのだ。

 

無論、ユミルと彼には周囲の諸部族を糾合して大帝国を形成する気など毛頭なかった。そもそも二人は国家以前の、最も小さな家族的な共同体にすら所属していなかったのである。

 

二人きりの暮らしに不便などなかったのだ。ユミルが用意してくれる遊び相手の巨人だけで、彼は十分に満足していたのだ。

 

だが、周囲はそうではなかった。そのようには見えなかったのである。また、二人の姿を周囲に対する牽制であり、示威行為だと都合よく解釈したい人々もまた存在したのである。

 

様々な要因が組み合わさり、捻じれ縒り集まった結果、ユミルと彼の暮らす集落に向けて、周辺諸部族による大連合軍が侵攻を開始したのである。

 

ここに、ユミルと彼の素朴で自由な暮らしは一度中断されることになる。次に、この二人の平穏が再開されるのは、この古代の動乱が収拾されてからのことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

言うまでもなく、勝敗は明らかであった。

 

だが、一つだけ後世の歴史との決定的な相違点が、現実の顛末には存在した。

 

それは、この戦争においてユミルは巨人の力を一切行使していない、という点である。ユミルは開戦から終戦までの期間に、一度として巨人の力を軍事的に利用したことは一度としてなかったのである。

 

この動乱をほぼ一月で、瞬く間に収拾したのはユミルの息子、その人である。

 

彼はその剛腕と不死身っぷりを遺憾なく発揮して、見事に戦争を終わらせて見せたのである。

 

彼が成し遂げたことは単純明快であった。彼は敵対部族が谷底を通る時を見越して、この谷の両端を見上げるような大岩で塞ぎ、観念するまで軍勢を閉じ込めたのである。

 

結果、人死には一人としてないままに、周辺部族の先鋒軍は降伏した。

 

続いて、彼は敵の本軍に一人で対峙すると、一線を大地に刻んだ。そして、この先に一歩でも踏み込めば命はないと叫んだのだ。

 

だが、どうみても彼だけを見れば、それは只の人にしか見えなかった。当然、敵の本軍は威を高らかにしながら前進し、盾を構えて槍衾を作りながら、彼の刻んだ一線を越えた。

 

平然と一線を越えた瞬間、彼は槍衾に自分から突進し、これに躊躇なく飛び込んだのである。

 

呆気なく、この怪力男が死んだかと思った矢先のことである。

 

彼は体を前進させる勢いを殺されることなく、まるで麦穂の海をかき分けて進むがごとく、重厚な隊列をめちゃくちゃに引き裂きながら敵の指揮官のところまで突き進み、遂にはこれに辿り着いてしまった。

 

彼は目の前にいる指揮官を一思いに抱えると、何の衒いもなく、ただ投げた。

 

彼に投げられた敵の指揮官は、声を上げる間もなく、高く、遠く、速く、飛びに飛んで、遂には地平線の彼方で鎧兜がきらりと星のように小さく光ったきり、跡形もなく消えてしまった。

 

指揮官が消えてしまったので戦士たちは呆然として、彼が二投目に選んだ副官を担いだ頃になり、ようやく降参したのだった。

 

結局、この戦争で死んだのは敵の指揮官一人だけだった。

 

敵対していた部族連合は丸ごと集落の傘下に入ることを選び、この動乱は終わった。

 

この時の功績に因んで、ユミルの息子は人々から英雄…Heros…と呼ばれるようになり、以降、ユミルの息子と英雄は同義の言葉として使用されるようになっていくのである。

 

戦争が終わると、ユミルとヘーロスは元通りの生活を再開した。狩り、育て、集め、紡ぎ、奏で、暮らした。

 

だが、集落の暮らしも元通りにとはいかなかった。戦勝に依り急激に版図が拡大し、人口が爆増したことに加えて、ユミルもヘーロスも戦後処理には無関心であったがために敵対部族の首長は処断されずに残ったままであり、ここに旧来のエルディア人と元奴隷による既得権益層と、これに先んじて服従した中間層、そして敗北した結果集落の一員となった新参の有力者という構造が、複雑な利害関係と対立を孕みながら成立したのである。

 

そこには最早、牧歌的で原始的な集落である「ムラ」の姿はなく、かと言って単純な自然信仰や多少の余剰生産物を抱えた小さな「クニ」でもない、より複雑で強大な、経済的アドバンテージが先行した巨大な共同体が突如として勃興したのである。この共同体には未だ名前すらなかった。しかし、人口と富は過剰であり、内側には明確に対立の火種を抱え込んでいた。

 

かといって、彼らは破滅を望んではいなかった。間もなく、彼らの利害はある意味で一致を得た。

 

それは、この誰のものでもない巨大な利益を抱えた共同体を礎にして、各自のより小さな利益集団、より親密で狭い共同体の繁栄を図る、ということであった。

 

彼らはユミルとヘーロスが齎した無主の富を、自分たちが属する共同体の繁栄のために利用し尽くすという選択を、より大きな共同体の破滅を回避するという大義名分の名のもとに、議論の余地もなく共通的に採択したのである。

 

エルディア人も、元奴隷も、新参者も、全員が過剰なエネルギーの遣り場を欲していた。そして、その力の向かう先として、彼らは内側ではなく外側にもとめたのである。

 

ここから、名前を獲得して国家が、次いで帝国が成立するまでの期間は、正しく怒涛の勢いを以て紡がれたのであるが、それは疑いなく人の、人による、人の為の営みであったと言えよう。

 

 

 

 

 

 

彼がヘーロスという名を得て以降、ユミルとヘーロスが対外的に何らかの活躍を残した、という記録は遺されていない。

 

伝説は多いものの、その大半は内治の功であり、軍事的業績に至っては眉唾の伝説としてすら一切記録されていない。

 

果たして、ユミルとヘーロスはただ生きた。自由に生き、自由に暮らした。

 

ヘーロスは二十を迎えた頃にユミルと契りを結び、翌年には女児が生まれている。この子はマリアと名付けられた。

 

翌年以降も女児が二人生まれており、それぞれローゼ、シーナと名付けられたようである。

 

へーロスとユミルの間に生まれた子供はこの三人のみであった。

 

そして、マリアが生まれてから更に十数年余りの時が流れて後、今度はマリアがへーロスの子供を産んだようである。

 

数年後、マリアに続いてローゼが彼の子を同様に産み、更に数年後にはシーナも産んだ。

 

ユミルとへーロスとの間には三人娘が、三人娘との間にはそれぞれ三人から五人ずつ生まれたようである。

 

合計で十三人ほどが、へーロスの直系として遺されたことになり、この十三人の子供たちが、後には歴史的に重要な役割を担うことになった。

 

 

 

 

 

 

 

マリアがへーロスと三人娘との間に儲けられた最後の子供ヴィルヘルムを出産してから更に二十年余りが経ったある日のこと、ユミルが俄かにこの世を去った。

 

それは唐突なことであったようで、まともな記録さえ残されていない。そもそも同時代にはまだ正確な歴史著述が遺されておらず、最古の文献でさえ三世紀以上の時間が経過している点を考慮すれば、ユミルが突然、忽然と消えたという点以外はすべてが不確かなことである。

 

そして、ユミルの死と同日に、へーロスもまた亡くなったとされる。

 

亡くなったされる、という歯切れの悪い表現について補足すると、厳密にいえば彼は死んだのではなく、然るべきときに備えて永い眠りに就いたのだとされる。

 

二人の遺体は同じ部屋、同じ祭壇に並んで安置されていたが、その結末は対照的なものとなった。

 

結論から言えば、ユミルの遺体は骨すら遺らなかったのに対して、ヘーロスの遺体は傷一つ負わず、腐らることもなく、生前と寸分違わぬ美しさを留めたままだったのである。

 

ユミルの遺体が完全に損じた理由を端的に言えば、それは二つの点が挙げられる。一つは必要なことであったということ、もう一つは可能であったということだ。

 

生前、ユミルとヘーロスは最後まで自由に生きたが、彼らの子孫には二人と同じ生き方をするのはいささか困難であった。

 

二人は幼少期から片時も離れず共に生きて死んだ。二人は社会の中に生きていたのではなく、彼らの生活空間の周りに社会が間借りして存在していた。彼らは社会に影響を及ぼすこともあったが、社会が彼らに影響を与えることは不可能であった。

 

二人は完全であり、社会に補ってもらう必要は何一つなかったのである。保護も搾取も、義務も権利も、二人には関係がなかったのだ。

 

対して、二人の子供たちが生まれたころには、既に社会がある程度は成熟しており、また子供たち自身には一部を除いてユミルやヘーロスのような特殊な力を生まれ持ってはいなかったのである。

 

それを誰よりも象徴していたのがユミルが産んだ三姉妹だった。彼女たちは女神と大英雄の直系の子孫であり、既存の、成立していた社会において並ぶ者のいない絶対的な貴種として生まれたのである。

 

彼女たち自身は平凡であり、母の生き方に憧れ、尊敬しつつも、自分が同じようには生きていけないことを理解してもいたようである。

 

結果、彼女たちは社会の中で、様々な関係性の中で生きていくことを選んだ。それは何も悪いことではなく、既に当時においてすら彼女たちの両親が異常なのである。

 

だが、社会の中で自分の立ち位置を確認しながら生きるうちに、彼女たちには一種の責任が求められるようになっていったのである。

 

それは神の子としての崇敬と特権を一身に集めることと引き換えの、当然の義務として彼女たちに要求されたのである。

 

ユミルが富をもたらしたように、ヘーロスが栄光をもたらしたように、彼女たちにも然るべき権威の裏付けとなる実績が要求されたのだ。

 

ユミルとへーロスが存命である内は、何の問題もなかった。二人に物申すことができる者はおらず、三姉妹にとっては最も幸せな時代に違いなかった。

 

将来的な苦労を遺したまま卒したことに対して、三姉妹が両親への憤懣をため込んでいたかと言うと、それは考えにくい。少なくとも、誰に唆されるまでもなく、三姉妹は伴侶としてへーロスを選んでおり、それはへーロスの死後も寡婦のまま生き、死んだことからも明らかである。

 

はてさて、平凡に生まれ、蝶よ花よと育てられた三姉妹は父と番い、子を産んだわけだが、生まれた13人の子供の内の四名については、明らかな違いが生まれていた。この四名が、先述した一部の子供たちである。

 

理由は判然としないが、この四名に限っては、後述する巨人の力を受け継ぐ能力を持たなかった代わりに、父親譲りの、巨人顔負けの怪力と頑丈な肉体を生まれながらに持っていた。彼らは九つの巨人の力と引き換えにへーロスの英雄の力を受け継いだことで、後代に成立する帝国内においても特異な役割を担うことになるのだ。

 

 

 

 

 

 

そろそろ、ユミルの肉体が完全に損じてしまった理由を語ろう。

 

端的に言えば、食われた、のである。

 

ここで、長きに亘る、巨人の力の継承方法に関する致命的な誤解が生まれた。

 

というのも、同時代の、未だ素朴な自然信仰などが生き残っていた紀元前の世界観の中では、偉大な力というものは故人の肉体に依然として息づいているものとして理解されていたのである。

 

さて、ここで食べるという行為が登場する。

 

肉を食べて筋肉をつけるように、強大な力を宿した生き物を捕食することは呪術的に、他の生物の強さを吸収する、といった精神的な意味合いも存在したのである。

 

ここで、ユミルとへーロスの肉体について考えれば、答えは容易に導き出される。

 

二人は共に桁違いの存在であり、当然ながらその力は何らかの手段によって生者の中に取り込まれ、後世に受け継がれるべきだと考えられただろう。

 

言い換えるならば、これは食事ではなく、骨食みと同質の宗教的なカニバリズムだったと解釈するべきだろう。

 

何らの裏付けも、文化的な下地もなく、純粋な思い付きによってのみに依り、唐突に遺体を食べるという行為が、力を継承する為の手段として成立していったとは、到底考えにくいのである。

 

ともかくも、こうしてユミルの肉体は聖なる物として、その力を継承する場合に最も正当性のある人から順に、つまりは最初に三人の娘が、次にへーロスと三人の娘の子供たちが、その次に時の有力者の順で、少しずつ少しずつ、切り分けられ、口を介して取り込まれていったのである。

 

ユミルの肉体は巨人にならない限りは人間の、か弱い女のものでしかなかった。ユミルはほとんど老いないままに、若々しい姿で死んだ。肌には潤いがあり、柔らかかった。それは真実、現に鉄の刃を通すほどのものであり、容易く血は流れた。

 

結局、血の一滴に至るまで、ユミルは食らいつくされた。それは神聖な行為であった。一人でも多くのユミルの民の中でその偉大な力が息づくことを企図して、老いも若きも、押しかけた人々は挙ってユミルの血肉を求めたのである。

 

対して、ヘーロスの肉体は完璧な状態で遺された。腐らず、傷つかず、穢れず。それはユミルの力が、謂わば変幻自在の変化を司るものであったのに対して、彼の権能こそは頑強で堅固で恒常的な、絶対的な不変性を司るものであることを象徴するような有様だった。

 

彼の肉体もまた、供されるべくして祭壇の上に寝かされていた。だが、いざ切り分けるべく刃を彼の肌に当てても、その肌が切り裂かれることはなかったのである。血は流されず、刃を押し当てた痕さえも残らなかったのだ。

 

人々は絶句し、ただただ跪き、へーロスを賞賛する祈りを唱えるしか術を持たなかった。

 

果たして、ユミルの肉体は完全に失われ、へーロスの肉体は完全なままで遺されたのである。

 

葬送の儀式が終わると、人々は二つの石棺を用意した。黒金の素晴らしく重厚なこの棺は、二つ並べて、一つの陵墓に封じられた。

 

一つの石棺は空の石棺と呼ばれ、一つの石棺は英雄の石棺と呼ばれるものである。

 

 

 

 

 

 

儀式の後、ユミルの力を受け継いだのは三人の娘と、彼女たちの子供たちの内の九人だけだった。

 

いずれの時においても、巨人の力を発現しないままに、人の身分でありながら巨人にも勝る大きな力を発揮することができたのは三人娘とへーロスの間に生まれた13人の子供たち内の四人だけだった。

 

ユミルが死に、へーロスが死に、マリアが死に、ローゼが死に、シーナが死んだ後、ユミルとへーロスの血族は三人娘の13人の子供たちにより受け継がれて行き、帝国として成立した数百年後に、それぞれ異なる役割を持つ二つの家に分かれた。

 

一つは巨人の力を受け継ぎ、ユミルの民の神、帝国の君主たる皇帝を世襲で輩出する皇室。

 

一つは英雄の力を受け継ぎ、ユミルとへーロスが眠る始祖の陵墓及びその神聖なる血統を守護する宗室。

 

両室は始祖を同じくし、その血の尊さは同等である。

 

しかし、前者は皇帝を輩出することが役目であり、社会秩序の維持と帝国の発展が第一とされる世俗的な最高権力者の家柄である。

 

対して、後者は血統を守護し、始祖の遺詔を遵守する為に、実力によって独立自存の自由を維持することを第一とする神聖なる最高権威者の家柄である。

 

紀元前700年代に編纂された最初期の帝国法典において、上記のような定義付けが初めて明文化された。

 

明文化される以前の数百年間において既成事実化したことを改めて文章化し、法的に組み込んだのである。

 

この定義により公的に宣言されたことを読み解けば、ユミルの民が築いた古代帝国においては、法典が編纂された時点で既に約三百余年間に亘り始祖の遺詔とその血統を守護してきた一族が居り、この一族を皇室に並ぶ最も尊い血族であるとしながら、その権威を皇室に対して優越するものとして定めることを明記していた、ということが判明されるのである。

 

果たして、この一族の名は始祖ヘーロスの神話に因んだ別名『水の男(Aqua Vir)』から当初は『アクアヴィル家』と呼ばれたが、時代を経るごとに言語の音韻と意味の変化に晒され『アカヴィリ家』、続いて『アーカーフィル家』となり、遂には公文書に用いられる言語自体が、今や本国よりも広範な領域を占める属州で使用される土着語へと切り替えられたことによって最終的な決着を見た。

 

記録によればこの時に、男を意味する『Vir』は『Man』に代わられ、最終的に『アッカーマン家』という呼び名で落ち着いたとされているようである。

 

アッカーマン家がアッカーマン家として成立したのは、実に誕生から約600年後、帝国成立からは200年後のことであった。

 

 

 

 

 

 

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