ユミルとヘーロスの没後、古代帝国が成立するまでの約三百年間を前帝国時代、ないしは古王国時代と呼ぶ。
この時期の共同体は合議制により運営されており、構成する人々のアイデンティティは様々であった。
人口の割合で最大多数を占めたのがエルディア人だったこともあり、周囲からはエルディア国などと呼ばれていたようだが、同時代人の、かつ同国人の認識としては多民族からなるユミルの民の国という認識がより強かったようである。
彼らは共同体内部ではエルディア人や、元奴隷からなるリベラト人などの自称を用いて名乗ったが、対外的にはユミルの民の自称を一貫して、また共通して用いたようである。
古王国時代の最初期において、ユミルとヘーロスの直系子孫が担った役割は、純粋な神官と戦士だった。
始祖の巨人の力を宿した神子を大神官に位置づけ、他の八つの巨人の力を宿す神子らを大神官の補佐を担う神官に配し崇め奉ったのである。
一方、英雄の力を受け継いだ神子は特権的な戦士として位置づけられ、共同体内部で戦う者の役割を担った青年集団を統率していた。
この時代は長くは続かなかったようで、結果的に後に皇室と宗室に別れた二つの血族が、共同で墳墓と血統の守護に加えて、共同体の維持と発展のために、聖俗の両面において共同した最初で最後の時代になった。
原始的な祈る者と戦う者の次に現れたのが王であった。
ただし、最初の王はやはり、未だに純粋なプリーストキングの側面を受け継いでおり、神官と戦士の役割も存続した。
最初に王として奉戴されたのは、二人の始祖の最も著名な子供であるところの、マリア、ローゼ、シーナの三人娘だった。
三人は王以前の段階では最も権威のある大神官として崇められていたが、じきに神官王として推戴された。
役割が変化した背景にあったのは時の大国マーレとの外交が必要になったことであった。
当時、最も強壮な大国だったマーレからの接触に対応する上で、首長の不在は不都合であり、未だ不確定だった共同体の代表者の選出が迫られたためである。
結果、さほどの議論の余地もなく、いずれの共同体にも属さずに公平な差配が可能だと見做されたユミルの血族が最初の王として選ばれた。
ただ、初代の王に関しては特殊な体制がとられたようで、この一代に限り、三人娘による共同統治体制がとられたようである。
三人の娘はそれぞれが女王に即位し、以後は三人の協議に基づいて決断を下したとされる。
さて、母親が女王になったことで、三人娘の子供たちはそれぞれが後継者候補となるわけだが、ここで後に皇室と宗室に枝分かれする上で直接的な原因となる事案が発生した。
『始祖の遺詔』問題である。
これは殊に、巨人の能力を受け継がず、英雄の力を継承した四人の子供たちにのみ、へーロスから口頭で遺詔が託されていたのだが、その内容を遵守するために四人が揃って王位継承権を放棄した、という問題である。
ユミルは口がきけなかったので、ヘーロスは彼女の代弁者としても振舞っており、ユミルもヘーロスの言葉を一度として否定しなかったことから、名実ともにヘーロスの言葉が始祖二人の総意として受け止められた。
へーロスにはユミルの言いたいことが手に取るように理解できた、と伝承されていることは定かだが、それを立証することは犯していない罪について、自身の無罪を立証することに等しく困難だ。
ともかく、へーロスが言ったことはユミルの意志でもあり、絶対的な効力を発揮したのである。
このような背景から、四人の子供たちは、始祖の遺詔に基づいて、世俗君主としてではなく、宗教的な権威者として、また血統と墳墓の守護者としての道を歩むことを選択したのである。
だが、ここで一つの疑問が生まれる。
ここで言う『始祖の遺詔』とは、いったいどのような内容であったか、という疑問である。
意外に思われるかもしれないが、この問いには既に答えが出ている。
というのも、彼らが皇室から離脱し、正式にアクアヴィル氏族として名乗りを上げた際に、氏族全体が遵守すべき遺詔の内容が公示されているのである。
それ以前の時代では口頭伝承のみだった遺詔の内容が明文化され、剰え開示されたことは当時の段階でアクアヴィル氏族全体の総数が増加傾向にあり、本家のみならず分家の分家のそのまた分家にまで構成員の範疇が拡大された、という事情も深く関係していたことは想像に難くない。
さて、肝心の遺詔の中身だが、これは五つの項目からなり、家訓と共に発布された。
曰く、一つは一族内で争わないこと、一つは青い血の同胞を増やすこと、一つは石棺と血統を守護すること、一つは実力で自由を守ること、一つは政治に関わらないこと、の五つである。
これに併記される形で示された二通りの家訓は、一つが『紅き血と青き血より生まれし、汝は自由なり』、一つが『幸いなるアクアヴィルよ、
この具象と抽象が入り混じった遺詔および家訓に対して、ヘーロスの英雄の力を受け継いだ四人の子供たちは、アクアヴィル氏族…のちにアッカーマンと呼ばれる一族…を創始することで応えた。
彼らは崇拝する父親の遺詔を遵守する為に王位継承権を放棄するに際して些かの躊躇いすら見せなかったのである。
三人の王による時代は、後に三王時代という何の衒いもない名称を与えられた。
この時代における王は原始の名残を色濃く残した、統治というよりは協議の際に全体の調和を司る議長職とも呼ぶべきものだった。
君主としての王が誕生したのは、さらに時代が下ってからのことだった。
アクアヴィル氏族はヘーロスを宗室の初代当主に位置づけ、氏族の惣領として系図に書き込んだ。のち、彼の力を受け継ぎ、内外にアクアヴィル氏族の成立を宣言した四人の子供たち…ジークムント、ルートヴィヒ、ユリア、ヴィルヘルム…は、末の弟のヴィルヘルムを除き、それぞれマリア=アクアヴィル家、ローゼ=アクアヴィル家、シーナ=アクアヴィル家を興し、それぞれの家祖となった。
血統的にマリア=アクアヴィル家に属した末弟ヴィルヘルムは、何れの家祖にも数えられない代わりに宗室の二代目当主となり、以降は三つの家から歴代当主が交代制で輩出された。
末弟ヴィルヘルムの一族はマリア=アクアヴィル本家の中でも、特にマリア=ヴィルヘルム=アクアヴィル家を名乗り、この家は後代、巨人大戦終結後に主要三大本家がパラディ島に移住する際に、唯一大陸側に残留したことで知られている。
パラディ島に移住したマリア=アクアヴィル家との区別の為に、巨人大戦以後の記録において、当家は本籍地名を家族名と氏族名の間に挟む形で、一貫してヴィルヘルム=レベリオ=アッカーマン家を名乗ることとなる。
さて、このようにして誕生したアクアヴィル氏族は、国内外の政治一切に対して徹底的な不干渉を貫くこと千七百余年、実に帝国誕生以前から帝国滅亡までの全期間を通して、始祖の遺詔を頑なに遵守し続けた。これは政治に関係するな、という一項目のみに言えることではなく、他項目に関しても同様であった。
アクアヴィル氏族は時代の変遷に伴い名を変え、帝国初期にはアカヴィリ、中期にはアーカーフィール、後期以降はアッカーマンとして公称されたが、在り方だけは片時として変節しなかった。
一族は歴代当主のみならず、全ての一員が衝動とも熱狂とも言うべき、恐るべき執念と信仰心とによって団結し、一つの堅強な軍隊的な、また群体的な意識を持ちながら、国家によるありとあらゆる保護や権益、義務と拘束とを拒み、政治不干渉の姿勢を保ちながらも、独立自存の実力を涵養するべく尽力したのである。
彼らは『始祖の遺詔』を第一原理に戴き奉り、全てに優先して宗家の純血の血統を近親婚により守りつつも、盛んに他氏族、他民族との婚姻を執り行った。また、この婚姻政策を通じて、様々な分野への浸透を図り、穏当に勢力の拡大を成功させていったのである。
アクアヴィル氏族に連なる人々の母数が増えるに従い、血の尊さや一族の富強に託けて政治的な野心を抱く者が現れなかったわけではない。しかし、こういった邪心を見せた不届き者は、驚嘆すべきことに、親兄弟や、時には実の子供の手に掛かって、淡々と粛清されていったのである。
一族の繁栄と個人の幸福の両立のために、国家との距離感を見誤らない、という哲学が一族全体で徹頭徹尾順守された背景には、ヘーロスという絶対的な神への深い信仰が、その身に宿された強大無比の力の源に血を介して直接的に接続されているという、神話と地続きの現実を生きていることへの確固たる自負があったことは議論の余地がないだろう。
また、彼らは強大な力を持つがゆえに、様々なしがらみに執われることなく、例え障害があろうともこれを打ち破る力を与えられていたことで、氏族以外の共同体からの保護もないが拘束もない状態に、始祖以来の自由な生き方、という規範を見出しており、この生き方に則った倫理道徳や秩序を熱心に家庭教育していた。
反国家ではなく、脱国家状態で実力に依って生計を立てることが当然の如く定着したことで、アクアヴィル氏族は独自の治外法権勢力を形成するに至ったのである。
時代は更に下り、時に紀元前八百年代、帝国が成立するおよそ百年程前に、一つの大きな転換点が現れた。
それは、マーレ国による冊封を受け入れたことにより、事実上の共和政が導入されたことである。
マーレ国との関係は時に小競り合いを繰り返し、時には贈り物を送りあうような、付かず離れずのものだった。
険悪ではないが、良好とも呼べない関係性に変革をもたらしたのは、時の王がマーレから正室を迎えたことであった。
以前から幾度となくマーレとの婚姻は打診されていたものの、実に百年に渡ってこれを拒み続けてきた、という背景事情があった。
マーレとの戦争は一大事だったが、ユミルの民には巨人の力と英雄の力があり、その存在はマーレも身をもってよく知るところであった。
だが、マーレにとって最大の障壁は巨人ではなく、英雄の力を行使するアクアヴィル氏族の存在だった。
というのも、巨人の力は内治において行使されるのみで、あくまでも豊穣と牧畜を司るものとして崇拝され、ある種の妖精のような扱いで内外に認識されていたのに対して、実際に差し向けられたマーレの軍隊を悉く返り討ちにしてきたのは、何を隠そうアクアヴィル氏族の戦士たちだったからである。
アクアヴィル氏族は三大本家(之にヴィルヘルムの血統を加えて四大宗家とも)が成立して五十年と経たないうちに、聖墳墓騎士団とも訳される信仰と血によって結ばれた武装組織を結成しており、外敵による侵略に限って、彼らは率先して之に対処したのである。
騎士団は正式名称を『幸いなるアクアヴィル氏族による、神聖なる血統および陵墓の防衛の為の同胞団』と言い、『アカヴィリ騎士団』とか『聖墳墓守護同盟団』だとか呼ばれて、後世まで連綿と続いていくことになる。
さて、このようなアクアヴィル氏族に対して、マーレは無論懐柔策を打ち出したが、幾度婚姻を重ねても、他家との婚姻に独立して近親婚が行われており、一族の当主はこの純血者のみが継承するものだった為、主導権の奪取はおろか、血縁関係を通じて時の王室に干渉することも、そもそも氏族内部に影響を及ぼすことすら許されなかったのである。
結果として、この懐柔策がもたらしたものは、マーレ国内にアクアヴィル氏族という治外法権勢力の為の橋頭保を築くことに貢献した、のみであった。
このような失敗から、マーレは潔く方針を改めて、王室に対して直接婚姻を持ちかける方向に方針を転換したのである。
しかし、以前と同じような内容では婚姻が成立するはずもなく、マーレ側は大きな譲歩を迫られた。
こうして、マーレは王国内でユミルの民の信仰を一身に集める、旧来の王室の存続を認めた上で、共和政を導入し、あくまでも対等な同盟者としてマーレの勢力圏の一部に組み込まれることで、婚姻の合意を取り付けたのである。
この一件はマーレの完全な敗北であり、ユミルの民の王国の完全な勝利であった。この遺恨は、後に大きな火種となり歴史に絶大な影響を与えることになるのだが、それはまた後で語るとする。
果たして、ここに共和政の王国が誕生したわけだが、依然として国号にはエルディアの名も、リベラトの名も、マーレの名も、はたまたアクアヴィルの名も刻まれていなかった。
依然として、この国は王のものでも、一民族のものでもなく、ユミルの民のものだったのである。
マーレとの同盟からさらに百年が経過した。
この間に、アクアヴィル氏族はユミルの民の国とマーレ国内において、並ぶ者のいない富強な勢力として盤石な地位を築いていた。
医療、科学、軍事、文化、司法、銀行などなど…あらゆる分野に対して、その治外法権っぷりを遺憾なく発揮したのである。
アクアヴィル氏族は、ユミルの民の国やマーレで生きる一般市民には生まれながらに認められていた最低限度の権利すら、受け取ることを拒んでいた。
これには医療を受ける権利も、食べ物を支給される権利も、法律による保護を受ける権利も含まれていた為、自然な必要性に応じて、ありとあらゆる産業を自力で創出し、管理運営し、一族全体に行き渡らせることが行われたのである。
また、アクアヴィル一族には税金も課せられず、法的な拘束も受けなかったことと引き換えに、裁判を受ける権利はおろか、その生存権を侵害されたとしても何らの保護も受けることができなかったため、生命と財産と尊厳の一切を実力に依って防衛することが常に求められたのである。
だが、この権利と義務に帰属しない生き方は、ヘーロスの血が齎す英雄の力があればこそ可能なことであり、この血が許す限りにおいては、このような方法で生を営むことには、何らの障害もなきに等しいものであった、のである。
生まれた瞬間から、ヘーロスの血筋は文字通り隔絶した威力を伴い、その身体は頑強健全であり、生涯に疾病を患うことすら稀であった。戦いの中ですら傷を負うことは稀であり、常人なら死は免れないような負荷にも平然と耐えることができた。
それがアクアヴィル氏族に生まれた者の誇りであり、始祖の青き血の働きを実感することこそが、ヘーロスに対する信仰心に直結し、その生き方に独特の倫理観と秩序規範を育み、敬虔な生き方を強烈に肯定する強固な同族意識に依拠した自己認識が完成されたのである。
アクアヴィル氏族の拡大は顕著なものであったが、彼らは政治的なイデオロギーとは無縁であり、大衆にとっては困ったことがあれば、請願すれば対価を求めず迅速な問題解決に動いてくれる有難い存在でもあった。
氏族の倫理観は原初の自由に立脚しており、その倫理に基づいて過度な蓄財を嫌い、活発な消費活動を行った。
必要十分を満たした後で、彼らは惜しげもなく貯蔵庫を放出し、頼まれるまでもなく薬を与え、頼まれれば無利子で金を貸し、人種にも地位にも頓着せず自分たちが交流したい人々と交流したのである。
無論、アクアヴィル氏族は全ての権利と保護の外で生きていたから、彼らを害しても、彼らから奪っても、何一つ裁かれることはなく、そのことに目を付けた悪人は後を絶たなかったのも事実である。
しかし、当然ながら権利がないのと同様に、彼らには国法を遵守する義務を負わず、法に背いて裁かれる謂れもまた同様になかったので、言うまでもないことだが、降りかかる全ての悪意に対して、彼らは実力を用いて厳正に対処したのである。
ただし、ここで注釈を加えるとするならば、この氏族は野蛮なことを嫌悪するだけの倫理観を持ち、その倫理観を裏切るような残虐な振る舞いは誓って行わなかったということである。
彼らが選ぶ最も強硬な手段は、言うまでもなく命を奪うことだったが、特別に苦しめて殺すような残虐な嗜好は持たなかった。
とはいえ、至極冷淡に、弁明の機会を与えた後で木に吊るすか、水に沈めるか、或いは撲殺する程度に留められはしたものの、その淡泊で過不足のない遣り口が畏怖の対象になったことは確かで、ここにアクアヴィル氏族の寛容で気前がいい評判も合わさって、『盗みに入るよりも、借りた方が賢明』であると人々は口々に言ったという。
また、アクアヴィル氏族は純血を維持しつつも、活発に他家との婚姻外交を結んだため、一族の連枝は限りなく広がっていき、それに伴って自分がアクアヴィルの血を引いていなくとも、親戚の誰かしらにアクアヴィルの血が繋がっているような状態になり、このような環境の変化も功を奏して、アクアヴィル一族に積極的に悪意を振りまくような輩は減少の一途をたどったのである。
かくして、アクアヴィル氏族はマーレ内部にも深い根を張り巡らせていた。ユミルの民の本国でも状況は変わらず、確実に氏族全体の実力を高めつつも、依然、政治に対しては一切の干渉を拒んだのだった。
マーレとの関係性は可もなく不可もなくのままだったが、国内でのマーレに対する認識は次第に悪化していった。
この評価の悪化の背景には、奇しくも、そのマーレが導入を条件にした共和政の影響が大きかった。
共和政が導入されると、王は変わらず権威を持ち、議会の主催者として君臨したが、議員として民意を反映する立場に選出されたのは、それぞれの民族集団の利益を代弁する者たちだった。
彼らはユミルの民であるという自負と同じかそれ以上に、対内的には、自身がユミルを
エルディア人たちの指導者は代々フリッツ家が務めていたが、フリッツ家はユミルの第一の僕を自称しており、この事実を巡ってリベラト人と激しく対立していた。
エルディア人をユミルから最初に恩恵を賜った第一利得者である、とする言説に対して、解放奴隷を祖とするリベラト人は殊更に強く反発し、我こそがユミルの手により、選ばれて
ユミルの民の国での人口割合は、最大派閥がエルディア人であり、これに次いでリベラト人が大きな割合を占めていた。この二大民族集団の対立が発端となり、ユミルの民の王国は、帝国化の憂き目を見るのである。
二つの民族は互いを罵ることに余念がなかったが、それでも始祖に対する信仰の点においては共通しており、この血統を貴ぶことにおいても共通理解を得ていた。
つまり、二大民族集団が互いの存在を嫌いつつも、互いの破滅を望まない以上は、単一の、別の敵が必要だったのである。
この敵に選ばれたのが、ちょうど王家との婚姻を通じた混血を成功させてしまったマーレだった。
マーレの有力者の血が混じった王家に対し、共和制のある時点において、時のフリッツ家当主がこのように発言した。
『マーレの血を取り込んだように、他の民族の血も取り込むべきではないか?』と。
このことに対して、時の王家は回答しなかったが、予想外の場所から援護が行われた。
そう、リベラト人である。
リベラト人は特定の首長を持たず、選出された議員の全会一致での提案を行った。
彼らの提案は『本来ならば、先にユミルの民となった我々にこそ、王家と契る権利があるのではないか?』というものであった。
何らかの事前協約があったかは定かではないが、この提案に他の民族集団から輩出された議員たちも挙って賛成票を投じた為、圧倒的多数の支持により、王家に国内諸族の血を混ぜることが承認されたのである。
王家としては百年前のマーレとの婚姻は一度きりのことであり、あれ以後は一度の例外もなく近親婚により生まれた純血の者のみが即位していたのであるから、このような決定は青天の霹靂以外の何物でもなかった。
しかし、現実的な問題として、アクアヴィル氏族での近親婚に倣って行われてきた王家での純血保護の為の近親婚政策の結果は芳しからざるものであり、奇形児や未熟児、障害を抱えて生まれてきた者も多く、例外はアクアヴィル氏族との婚姻により生まれた子供のみであった。
しかし、王家とアクアヴィル氏族との婚姻に際しては、ヘーロスの力を携えて生まれてきた子供は親が王族であっても、親権はアクアヴィル氏族の元に帰属することが条件だったため、王家の内部に種馬として機能する男児も、母体として機能する女児も育つことはなかったのである。
この時点で分かる通り、なぜか、アクアヴィル血統での近親婚には現時点までの数百年間において、ごく稀に一般的な虚弱児や未熟児が生まれる以外には目立った瑕疵が生じていなかった。逆を言えば、致命的な問題を孕んで生まれるような子供は成長の過程で、身体能力における明らかな差が見られ、このような子供はアクアヴィルの血統から弾かれ、一般的な市民としての生を享受することになった。
王家の血統が盤石ではない、という点に関して、アクアヴィル氏族はしばしば、他家との婚姻を勧めたようである。
この発言は『血統の保護』という遺詔に基づいた行動であったが、王家は純血を重視した為、近親婚を継続したようである。
アクアヴィル氏族は王家には巨人の力が宿されているが、肉体は一般の人間のものと大きな違いがなく、これは始祖の巨人の能力をもってしても根本的な変更が加えられないものだと認識していたらしく、変化の能力を象徴したユミルの血脈が変化を拒む現状に対して忸怩たる思いを抱えていたようである。
一方、この時点でフリッツ家を始めとした諸部族の野心や欲望といったものに対しても、敏感に察知しており、しかして、混血が必要なことであり、また避けられないことも同様に理解していたようである。
間もなく婚儀が執り行われ、次の代の王を輩出することが決まったのは、最初に混血を提議したフリッツ家に決定した。
この際、アクアヴィル氏族は依然、不干渉を保つ一方で、遺詔の解釈を敷衍することを決断し、『血統の保護』の中に王家の血統を加えた。
フリッツ家と王家との間に生まれた子供は何の障害もなく成長し、無事に新王として即位した。
この王は即位するや否や、フリッツ家を筆頭に、エルディア人を優遇する政策を次々に打ち出し始めた。
当然ながら、議会は反発するが、これに対して王とその取り巻きのエルディア人は巨人の力を貸与する政策を打ち出した。
巨人の力を継承した者は王家の人間、中でも直系の貴族家によって世襲されていたが、これを細分化し、一代限りだが貸与することを提議したのだ。
これにより議会は真っ二つに割れた。
保守派を名乗る派閥は巨人の力を行使できるのは王家のみの特権だと主張し、これを曲げるべきではないとした。
対して、進歩派を名乗る派閥は巨人の力はユミルがその民に向けて惜しみなく富を分配したように、等しく分け与えられるべきだとしつつ、始祖の巨人は王家だけのものだとした。
議論は平行線のまま長らく続いたが、王はこの議論にマーレを招き入れたのである。
マーレからの特使が登場するや否や、議場は徐々に進歩派の優勢へと傾いていった。
マーレの有力者が巨人の力欲しさに特使を通じて、莫大な金銭を賄賂として振舞ったことが原因だった。
王はこのことを許容し、莫大な金銭の大部分を国庫に流入させた。
そして、議会は過半数の賛成により進歩派の議案が可決され、巨人の分配が定められた。
最初に巨人の分配に与ったのは、やはりというか、現王の親族であるエルディア人の一派だった。
彼らの次には、同じく進歩派の支持層として大きな影響力を誇るリベラト人、続いてマーレの有力者だった。
当時、巨人の力は古来の方法に則って継承されていたが、13年という期限は設けられておらず、保持者が死ぬまでは巨人の力の移動はできなかった。
そのため、巨人の力を貸与されたとは言っても、それは先物取引と同じで、現在の継承者が死ぬのを待つほかなかった。
ゆえに、その時点でのマーレは巨人の力を貸与される権利を買っただけで、空手形に金を払っただけの状態であり、それは契約の確実性を何ら担保し得ないということだったが、百余年も続いた平和状態がマーレから緊張感を奪っていたのである。
巨人の力が貸与されるにあたり、王は契約を履行した。
マーレの有力者の影響下にあり、マーレ国籍のユミルの民に前任者の遺体を捕食させ、これをマーレに送り返したのである。
同様に、王はリベラト族をはじめとする諸部族を招き、これらに同様のことを施した。
それから数日が経ち、完全に弛緩した隙を見計らい、王は始祖の巨人の力を発動させて、貸与先で巨人を思うがままに暴れさせたのである。
完全な虚を衝かれたマーレや、リベラト族他の諸部族は、完全な恐慌状態に陥った。
不幸にも、王は大盤振る舞いだとばかりに、マーレに向かわせる者たちも含めて、実に多数の臣民に前任者たちの遺体を食わせていた。
遺体を食わせる方法も実に巧妙で、遺体を食わないはずの者にまで、宴席の料理に仕込んだものを、それと気づかぬうちに食らわせたのである。
果たして、各所で阿鼻叫喚の惨事が広がった。
この事態が酸鼻を極めた要因は他にもあり、王にも想定外だったことに、知性を持った巨人、ではない、知性を持たない巨人が数多く生まれてしまったのである。
それまでの巨人の利用というものは、内治の為に終始しており、またその範囲も非常に限られていた。
加之、巨人とは、まさにこの時まで九つの巨人のことのみを指し、それ以外に巨人が生まれることなどは、計画した王にすら知り得ないことだった。
しかし、この不測の事象が、王にとっては従順な奴隷の獲得方法に見えたようで、無垢の巨人と称されるこれらの知性をなくした巨人の利用が、後には刑罰に組み込まれるまでになっていくのである。