桃色の軌跡   作:逆襲

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忘却のメタナイト

雨の音が、遠くでざあざあと鳴っている。

その音に混じりながら、朦朧とした意識は、ぼんやりと濁った記憶の海を漂っていた。

 

「…ないと!こっちこっち!」

「はやく来いよ!」

「…ナイト様!」

 

差し伸べられる手。

そのまぶしい光に手を伸ばそうとした――その時。

 

 

 

誰かの声が、闇の奥から自分を引き戻した。

 

 

 

「あっ……良かった。目を覚ましたのですね」

 

はっきりしてきた視界に映ったのは、安堵の色を浮かべた一人の女性。

続いて視界に映ったのは包帯でぐるぐる巻きにされた自分の体。

 

 

まずは起き上がろうと足を動かしかけたところで、

 

「あっ、まだ安静にしていてください」

 

優しい声が制止する。

 

「……すまない。ここは……どこだ?」

 

自分の声が思ったより掠れていて、それに自分自身がわずかに驚いた。

 

女性は落ち着いた口調で答える。

 

「ここはトリニティ総合学園の保健室です。

あなたは――裂け目のようなものから落ちてきたのですが……覚えていますか?」

 

「裂け目……? ぐっ……!」

 

その言葉に触れた瞬間、

鋭い痛みが頭の奥を貫いた。

 

「大丈夫ですか!? まだ頭が痛んだり――」

 

「……問題ない」

 

そう言いながらも、痛みはまだ微かに残っていた。

 

 

「……自己紹介が遅れてすまない。私は……」

 

そこで、言葉が喉に詰まった。

 

名前。

名乗るべきはずの、自分の名。

 

――それが出てこない。

 

「わ、私は………?」

 

自分で自分がわからないという恐怖が、

ふっと胸の奥を冷たく締めつけた。

 

 

 

ナギサはすぐにミネを呼び、彼の症状を簡潔に説明した。

 

「……記憶喪失、ですか」

 

ナギサの眉が僅かに寄る。

 

「はい。恐らくその類かと。ナギサ様の証言通りなら、落下時の衝撃が相当だったはずですので……それが原因かもしれません」

 

「はぁ……」

 

記憶喪失など、小説の中でしか見たことが無い話。

だが、そもそも目の前のこの存在自体が“空想上の生物”のようにしか見えない。

ナギサは軽くため息を漏らした。

 

ミネは彼のベッドに歩み寄り、柔らかい声で問いかける。

 

「混乱しているところ申し訳ありません。何か思い出せることはありませんか? どんな些細なことでも構いません」

 

「……思い出せること、か」

 

ゆっくりと視線を巡らせた彼の目が、

ベッドの横に置かれた棒のついた袋に止まった。

 

「これは……肌身離さず持っていた気がする……」

 

ナギサとミネもそのケースに視線を向ける。

 

彼は静かに手を伸ばし、袋から棒を引き抜いた。

 

 

次の瞬間、

棒の先に、眩い金色の刃が形を成した。

 

保健室の白い壁が、黄金色に照り返す。

 

「これは...」

 

「剣でしょうか...」

 

ミネが息を飲むように呟く。

 

「恐らく私の物だろうが……すまないこれ以上は思い出せない」

 

彼はゆっくりとその剣を袋へ戻した。

金色の刃が消え、保健室は再び落ち着いた白色に戻る。

 

「あと……仲間がいた気がする。三……いや、四人か……。……景色を見た所、私は別の星から来た気がする…その星は緑が豊かで……だめだ、それしか思い出せない…」

 

 

自嘲気味に漏らされた声に、ミネは首を振った。

 

「いえ、これだけ分かっただけでも大きな進歩です。教えてくださってありがとうございます」

 

静かな励ましの声が、彼の不安をわずかに和らげる。

 

 

しばらくして、ナギサがふと思い出したように口を開く。

 

「そういえば……あなたのことは何とお呼びしたら良いのでしょうか?」

 

問いかけに、ミネも頷く。

 

「そうですね……装飾に“M”と刻まれた模様がありましたから、

何かしらの手がかりになる気もしますが……」

 

「う~ん……」

 

二人して考え込む。

 

そんな二人に、彼は小さく呟いた。

 

「……自分の名前か。

先ほど見ていた薄れた記憶の中……誰かが“ないと”と呼んでいた……」

 

「ないと?」

 

ナギサが首を傾げる。

 

「というと……騎士(Knight)の“ナイト”でしょうか?色合い的には夜の“ナイト(Night)”も合いそうですが……名前はMとナイトを合わせたものでしょうか……」

 

 

 

 

「……とりあえず、記憶が戻るまでは“ナイトさん”とお呼びすることにしましょう。

……あ、そういえば私たちの自己紹介がまだでしたね」

 

思い出したようにナギサは姿勢を正し、彼の方へ向き直る。

 

「私は桐藤ナギサと申します。ティーパーティーに所属していて……ええと、簡単に言うとこの学園の生徒会長です。お気軽にナギサと呼んでください。」

 

穏やかで礼儀正しい声が、彼に安心を与える。

続いてミネが柔らかく微笑み、口を開く。

 

「私は救護騎士団団長の蒼森ミネと申します。

どうかミネとお呼びください。今後の治療も私が担当しますので、よろしくお願いしますね。」

 

二人の自己紹介を受け、彼は一度深く息をつき――

礼儀正しく頭(?)を下げた。

 

「……ナギサ殿、ミネ殿。迷惑をかけることになると思うが……どうか、よろしく頼む」

 

その声には、不安と決意が入り混じっていた。

 

 

 

 

 

「そういえば……先程ここはトリニティ総合学園と言っていたな…。今日は学園は休日なのか? やけに静かだが……」

 

ナイトが周囲を見回しながら尋ねる。

 

「いえ、現在トリニティ総合学園は“ある理由”で休校中です」

 

ナギサはそう言いながら窓際へ歩き、

そっとカーテンを開いた。

 

そこに広がっていたのは――

黒く渦を巻いた雨雲、

そして容赦なく窓を叩きつける豪雨だった。

 

「現在トリニティでは今までのものとは考えられないほどの雷雨が続いています。生徒への落雷被害も多発していて……やむを得ず、休校になったのです」

 

説明を聞きながら、ナイトは窓の外へ目を向ける。

その瞬間だった。

 

雨雲の奥で、

何かが “じっ” と自分を見つめている感覚を覚えた。

 

気のせいかと思ってもう一度見つめ直したが――

 

雲の隙間に、ギョロリとした“目玉”のようなものが浮いていた。

その目はすぐに雲の中に消えてしまい、見えなくなってしまった。

 

「……目?」

 

 

唐突に漏れた言葉と同時に、再び頭の奥を鋭い痛みが貫く。

 

「ぐっ……!」

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「ナイトさん、気をしっかり持ってください!あの雨雲……なにか思い出せそうですか!?」

 

ナギサとミネの声が重なる。

 

ナイトは濁った記憶の中から“目”と“雲”の断片を探る。

 

(……私は、あれを知っている…?)

 

「……少し、ペンと紙を貸してくれるか」

 

「はい。こちらに」

 

ミネがすぐメモ用紙とペンを差し出す。

 

ナイトは震える手で何かを描き始めた。

思い出した形を、そのまま紙の上へと落としていく。

 

やがて、ペン先が止まる。

 

そこに描かれていたのは――

 

大きな“目玉”のついた雲。

雲の間からとげのようなものが数本出ていた。

 

「こ、こちらは……一体……?」

 

思わず息を呑むナギサ。

 

「深くは思い出せなかった……。だが……先ほど、あの空にこの“目”が浮かんでいるのを見た気がしたのだ」

 

ナイトは眉を寄せながら絞り出すように言う。

 

 

ミネはふと、被害にあったある生徒の言葉を思い返した。

 

(――“どっかから視線を感じたと思ったら急に雷が落ちてきたんだよねぇ。”)

 

「ナイトさん……あなたは“別の星から来たかもしれない”とおっしゃいましたね?」

 

「ああ。あくまで推測だが……」

 

「もし、この“雨雲のような生物”も……あなたと同じように裂け目を通ってこの世界へ来ているとしたら――」

 

ミネの声に、ナギサは慌てて口を挟む。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいミネさん。雨雲が……生物? そんなこと、あり得るのでしょうか……?」

 

「私も信じられません。ですが、ナイトさんが裂け目を通って来てこの星に来たという事、更にナイトさんはこの“雨雲のような生物”を知っているかもしれない、となると………。」

 

ミネは紙に書かれた“目玉”を見つめながら、静かに言う。

 

ナイトが無意識に拳を握りしめたその瞬間、また一つ雷鳴が轟き、校舎の灯りが一瞬だけ揺らめいた。

 

薄暗い保健室に、嫌な予感だけが静かに満ちていく。

嵐の中心にいる“何か”が、確実に動き出していた。

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