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「あ、ミネさん。もう終わったのですか――」
言いかけたナギサの声が、途中で止まった。
ミネの腕の中には、力なくぐったりとしたナイトの姿があったからだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
心配が一気にあふれ、声が自然と大きくなる。
ミネは小さく息をつき、慎重に説明した。
「はい……剣を振るたびに記憶を取り戻しているようなのですが、その反動で身体に大きな負荷がかかってしまっていて……。」
「かたじけない……」
ナイトは弱々しく呟くように答えた。
その声には、申し訳なさと、自分でも制御できない不安が滲んでいた。
ナイトは弱々しく答えた。息は浅く、手足から力が抜け落ちているのが分かる。
「無理はしないでください。記憶が戻るまでゆっくりと繰り返していけば大丈夫です。」
ナギサが優しく微笑みながらナイトの瞳を見る。
その瞬間――
ナイトの視界に“黒い霧”の塊が映り込んだ。
どこかで見たことがある。
先ほど記憶の断片の中で――確かに、この黒いものを見た。
しかし、それ以上を思い出す前に、胸の奥で直感だけが叫んだ。
(これは……危険だ。)
次の瞬間、ナイトはミネの腕から一瞬で抜け出し、
ナギサの横を疾風のように掠めて飛び出した。
「「ナイトさん!?」」
ミネとナギサが声を揃えて叫ぶ。
金属が空気を裂く鋭い音。
ナイトの剣先には、大きな目が付いた黒い塊が突き刺さっていた。
≪……グ、ガァァ……ッ≫
くぐもった呻き声のようなものが響き、
黒い霧はまるで燃え尽きるように音を立てて縮み――
一瞬後には、空気中へと煙のように消え去った。
ナイトは静かに剣を下ろし、荒い息を吐いた。
金色の残光がまだ刀身にかすかに揺れている。
「そ、それは一体……?」
ナギサが声を震わせ、黒い霧が消えた空間を見つめる。
「わからぬ……。だが、先ほどの記憶の断片の中に……確かにこいつがいた。」
ナイトはゆっくりと立ち上がり、二人の方を向いた。
その表情には確信めいたものが宿っている。
「これだけは言える。――あれは“敵”だ。」
「て、敵……!?」
ナギサが小さく後ずさる。
いつもの冷静さが揺らいだのが見て取れた。
ミネも真剣な顔で付け加える。
「少しだけ姿は見えましたが……あのような生物は見たことがありません。ナイトさんのように、他の星から来た可能性も考えられますね。」
3人が情報を整理していると――
体育館の方から足音が近づいてきた。
制服姿に着替えたハスミだった。
「あら? お二人に、ナギサ様まで……何かあったのですか?」
きょとんと近づいてくるハスミに、ミネはすぐ報告する。
「ハスミさん。先ほどこちらに“敵”が出現しました。」
その言葉に、ハスミの瞳が一瞬で鋭くなる。
「……敵、ですか。」
「はい。すぐに正義実現委員会のメンバーへ連絡をお願いします。」
「了解しました。」
ハスミはスマホを取り出し、モモトークを開こうと画面をタップする。
しかし――ロードの輪がいつまでも回り続けるだけだった。
「繋がらない……?」
眉をひそめるハスミの様子に、ミネも違和感を察する。
「電波の問題ですか?」
「はい……圏外ではありませんが、完全に電波が死んでいます。」
ナギサは小さく息を呑み、周囲へ視線を巡らせた。
廊下の静けさが、逆に不気味さを増している。
「……計画的な犯行の可能性が出てきましたね…」
倒れていたナイトに気が付いたミネはナイトに駆け寄る。
「ナイトさん!?体調は大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。問題はない。」
そう答えたが足はふらふらだった。
「無理をしないでください。……ナギサ様、ナイトさんをお願いします。」
「は、はい。」
三人は周囲を警戒しながら保健室へと戻った。
保健室の中は先ほどまでとはあまり変わっていないものの、空気が少しだけ重く感じられた。
ナギサはそっとナイトをベッドに横たえる。
気がつけばナイトは意識を失っており、
仮面の奥で揺れていた光も、完全に消えていた。
「……ダメです。」
ミネが固定電話の受話器を置く。
どれだけ試しても、外部へ繋がる気配はない。
「これから……どうしましょうか……」
ハスミは窓際へ近づき、外へ視線を向けた。
先ほどより雨脚は激しさを増し、
雷鳴が間近に落ちたのか、ガラスがかすかに震えた。
「この雨では……外に出るのは危険ですね。傘ではとても……。」
「敵の目的も見えていません。むやみに動くのは、さすがにリスクが高すぎます。」
「寮にいる方々に救援を頼むのはいかがでしょうか?正義実現委員会のメンバーが数名いるはずです。」
「では、寮の通路を通って外に出ましょう。」
ミネの声が二人に届く、その瞬間――
ドアを叩く音が部屋の中に響き渡った。
三人の視線が一斉に扉へ向く。
雨音さえかき消すほどの、異様な圧がそこにあった。
「ハスミさん。今、校舎内に残っている生徒は他に?」
「私が把握している限りでは……図書館にいるウイさんだけです。」
ハスミは即答したが、その叩きつけるような音は、どう考えてもウイのものではない。
「……ナギサ様。ナイトさんを抱えて、退避の準備をお願いします。」
「は、はい……!」
ミネは深呼吸し、銃と盾を構える。
ハスミも素早く銃を引き抜き、二人が扉の前へ歩み出た。
「行きます。」
ミネが短く告げると、
次の瞬間――
ミネの盾が扉に体当たりし、ドアは悲鳴のように軋むと同時に廊下へ吹き飛んだ。
そこにいたのは先ほどナイトが斬り伏せた黒い霧の残滓と同じ、“それ”。
「やはり……先ほどの……!」
盾の下敷きになった黒い霧は、歪んだ声を漏らしながら空中へ霧散していく。
すぐにハスミが廊下へ踏み出し、周囲を確認した。
「ミネ団長! あちらにまだ!」
廊下の奥――
闇を引きずるように、無数の黒い塊が蠢き、こちらへ向かってくる。
「下がってください、迎撃します!」
ハスミがすぐさま引き金を引いた。
研ぎ澄まされた銃声が廊下に木霊し、黒い影がひとつ、またひとつと霧散していく。
だが――
「くっ……多すぎる……!」
リロードの遅いライフルでは追いつかない。
無数の黒い塊は撃ち落としてもすぐに湧き出し、こちらへ迫ってくる。
ミネが振り返る。
「ナギサ様! 今のうちに離れましょう!」
「は、はいっ!」
ナギサは気を失ったナイトを抱きかかえ、
ミネとハスミに背を守られながら廊下の反対方向へと走り出した。
黒い霧の群れは――
まるで何かを求めるように、蠢きながら彼女らを追い始めていた。
保健室から寮へ向かう通路は少し距離がある。
三人は黒い塊の追撃を受け続けながら、必死にそのルートを駆け抜けようとしていた。
「ナギサ様! そのまま寮の方へ走ってくださいッ!!」
ミネが振り返りざま叫ぶ。
同時に、迫り来る黒い塊をショットガンで叩き落とす。しかし――
「ぐっ……!?」
一体、二体と潰しても、
霧はそのたびに次々と形を取り戻し、押し寄せてくる。
圧倒的な数でミネを後ろへ押し返し始めた。
「ミネさんっ!!」
「振り返らないでください!! ナギサ様は走って!!」
怒鳴り声に近いハスミの叫び。
ミネがいる奥で、黒い霧が生き物のように蠢く音が響いていた。
ナギサは喉が締め付けられるような恐怖を覚えながらも、腕の中のナイトを抱き直す。
「……っ、はい!!」
ナギサは胸の中で二人の無事を祈りながら、寮へ続く出口へ向かって駆け出した。
背後ではミネが黒い霧の群れを食い止め続け、ハスミの銃声が絶え間なく鳴り響く。
寮へ向かうには、一度外の通路を通らなければならない。
雨脚はさらに激しくなり、雷鳴は校舎全体を震わせていた。
だが――そんなことを気にしていられる状況ではなかった。
(ミカさん……ツルギ委員長……誰でもいい……!誰か、助けが必要です……!)
胸を締めつけるような不安を抱えながら、
ナギサは外への扉にたどり着く。
震える手でドアノブを掴み、勢いよく扉を開けた。
横殴りの雨が顔に叩きつけられる。
それでもナギサはナイトを抱えたまま、迷わず外へ駆け出した。
靴が水たまりを蹴り上げ、冷たい水が足元を跳ねる。
あと少し――
ほんの数メートル、寮の入り口が目の前に見えてきた。
その瞬間。
「きゃあっ!!」
轟音とともに、ナギサの目の前へ雷が落ちた。
直撃は免れたものの、落雷の衝撃に押し飛ばされ、ナギサは尻もちをつく形で地面へ倒れ込む。
咄嗟に腕の中のナイトを強く抱きしめながら顔を上げると――
視界いっぱいに、黒い塊が無数に浮かんでいた。
雨粒に濁った影が、ぞわりと蠢きながらこちらを囲むように漂っている。
「くっ……!」
慌てて本校舎の方を振り向けば、
開け放たれたドアの奥からも、
同じ黒い群れが押し寄せてきていた。
前からも、後ろからも塞がれている。
逃げ場は、どこにもない。
ナギサは震える手でホルスターを掴み、
ハンドガンを素早く引き抜き、すぐさま引き金を引く。
銃声が雨音を切り裂く。
だが黒い塊たちは――
弾丸が触れる直前にするりと避けて近づいてくる。
「そ、そんな…!」
≪コイツ……確かリストにあった女だ≫
≪コイツを乗っ取れればあの方も喜ばれるはず……!≫
ぞわり、と背筋を撫でる声。
空気を震わせているわけでもないのに、耳の奥に直接響いてくる。
(せめて……せめてナイトさんだけでも!)
ナギサは必死にナイトを抱きしめ、
その小さな身体を庇うように丸くなる。
だが――
腕に感じていた重みが、ふっと消えた。
「えっ……?」
慌てて胸元に視線を落とす。
そこにあったはずのナイトの姿は――どこにもなかった。