校舎へ続く通路は、すでに黒い靄でじわりと満たされ始めていた。
壁の照明が霧に滲み、視界は不気味な薄闇に包まれる。
正義実現委員会のメンバーたちが配置につくのとほぼ同時に――
床の隙間、天井の影、通路の奥から、黒い塊が湧き水のように立ち上がった。
「……前方、敵多数! 構え!」
イチカの鋭い号令が通路に響く。
委員たちは一斉に銃口を上げ、横一列に陣形を整えた。
ダークマターがうねるように迫り――
「撃て!!」
火花と銃声が一気に通路を埋めた。
弾丸がダークマターの身体を裂くたび、黒い霧となって弾け飛ぶ。
だが、その霧は煙のようにふわりと漂い、床へ落ちた瞬間に再び形を取り戻しそうになる。
「まだ……! 押し切るっす!!」
イチカが叫ぶ。
委員たちは射撃を続行し、完全に霧が消散するまで撃ち続けた。
ようやく黒い靄が晴れ、通路には雨音だけが戻る。
「よし……! 皆! 校舎に突入するっす!!」
イチカの掛け声と共に、正義実現委員会の隊員たちが一斉に駆け出す。
その後ろからサクラコ率いるシスターフッドが続き、
救護と支援の隊列もすぐに続いた。
校舎の中は、外の雷雨が嘘のように異様な静けさで満ちていた。
だが灯りは不自然に揺らぎ、湿った空気には黒い靄がまとわりついている。
まるで建物そのものが、ダークマターに侵食されつつあるかのようだった。
そして前方や後方など関係なく――
天井。
壁。
床の隙間からすら、黒い影がぬるりと湧き上がる。
「前方は私たちが! 後方のカバー、シスターフッドに任せるっす!」
「了解しました! 後衛、構えて!」
サクラコの号令と同時に、シスターフッドのメンバーが後列をぐっと固める。
前列の正義実現委員の射線と重ならないように、正確に位置取りをする動きは、訓練の成果そのものだった。
一糸乱れぬ連携によって、迫るダークマターは黒い霧となって次々と消えていく。
射撃と前衛、後衛の切り替えも滑らかで、まるで訓練された機械のような動きだった。
しかし――
どれほど丈夫な糸でも、過負荷が続けば必ずどこかでほつれる。
「イチカ先輩! この子、身体から黒いのが……!」
「っ!?」
呼ばれた方へ視線を向けたイチカは、息を呑んだ。
正義実現委員会の隊員のひとりが、肩から黒い煙を立ち上らせ、苦しげに震えている。
その瞳には、もう仲間を認識していない色が浮かんでいた。
「大丈夫っすか!? 私の声、聞こえるっすか!」
「……ぁ……う、あ……」
倒れ込むかと思ったその瞬間。
委員は不自然な動きで立ち上がると、目の前の仲間へ銃口をゆっくりと向けた。
「まずいっ!」
その時、弾丸が飛ぶより速く、重い影が後ろから迫った。
「戦場に! 救護の手を!!」
次の瞬間、隊員は大きな衝撃とともに再び地面へ倒れ込んだ。
廊下に響く声。
大盾を床へ叩きつけるように着地したのは、ミネだった。
「この黒い塊は、憑りついた者を洗脳します!意識を奪わない限り、正気には戻りません!気絶させた者はすぐに救護騎士団へ引き渡してください!」
その言葉に、部隊全体が一気に緊迫した空気へと切り替わる。
少し前、寮の方では――。
「怪我人はこちらへ! 慌てず、順番に運んでください!」
「この方は105号室へお願いします!」
救護騎士団の面々は、次々と運び込まれてくる負傷者の対応に追われていた。
廊下には血の匂いと薬品の匂いが混じり、あちこちから苦しげな声が上がる。
「まずいですセリナ先輩! 包帯の在庫がほとんど残っていません!」
「……困りましたね。他の医療用具も、この寮に置いてある分だけでは限界が近いです」
額に汗をにじませながらも、セリナやミネは手を止めない。
しかし状況は明らかに逼迫していた。
「仕方がありません…!私が保健室に追加の分を取ってきます! セリナさん、ハナエさん、少しの間任せます!」
ミネは言い終えるより早く駆け出した。
寮の外に稲光が走り、世界が一瞬白く染まる。
続く轟音とともに冷たい雨が叩きつけ、空気が震えた。
その雨の中――
まるでミネが離れた瞬間を狙っていたかのように、雷が落ちた地点から黒い影が濁流のように滲み上がる。
だが、それも読んでいたように寮の裏から影が現れる。
「前方に多数確認! 閃光弾、投擲します!」
雨に濡れながらもスズミが素早くピンを抜き、影の群れへ投擲する。
雨粒を跳ね返すほどの強烈な白光が一帯を照らし、
黒い塊たちが怯むように身をねじらせる。
≪グアァ……!?≫
行動が一瞬鈍ったのを見逃さず――
「みなさん、今です!!」
「お任せを!!」
レイサたち自警団メンバーが一斉に銃を構え、引き金を引いた。
雨音の中に銃声が混じり響く。
≪ギャッ!?≫
≪ガアアッ!?≫
黒い塊は次々と霧散し、雨の闇へ吸い込まれるように消えていく。
しかし――
再び雷光が落ち、雨の地面が跳ねる。
その水飛沫の中から、またしても黒い靄が湧き出してくる。
「次は向こうです!」
スズミが濡れた前髪を払いつつ指示を飛ばす。
自警団の隊員たちはすぐさま陣形を組み替え、
叩きつける雨の中、絶え間なく湧き続ける黒の波へと向き直った。
(……なんだか外が騒がしいですね)
ここは静寂を好む者たちの楽園――図書室。
その暗い部屋の一角で、ウイはいつものように古書の修復作業に没頭していた。
だが今日は、いつもとは違う音が混じっていた。
地面を叩きつける激しい雨。
空を裂く雷鳴。
そして……銃声に、走り回る足音。
「久しぶりに一人の時間が取れたというのに……」
ウイはうんざりしたように肩を落とし、重い溜息をひとつ吐いた。
その時――
図書室の静けさを破壊する勢いで、扉がドンドンと激しく叩かれる。
鍵をかけているため、外からは開かないようになっている。
(……こんな時に、誰が。というか、どうして図書室に……?)
面倒くさそうに眉をひそめつつも、ウイは作業台から目を離さない。
だが、何回も繰り返されるノックに苛立ちを覚え、遂に立ち上がり扉の方へと歩く。
「はいはい、今行きますから。扉を叩くのをやめ――」
言い終えるより早く、扉が凄まじい力で押し開けられた。
鍵を回した直後だったこともあり、ウイはその勢いに弾かれるように後ろへよろめき、尻もちをつく。
「いたた……もう、なんなんですか――」
不満の声を上げながら顔を上げたウイの視界に飛び込んできたのは──
黒い霧をまとった、不気味な影。
まるで自分を獲物とでも思っているかのように、それらはふわりと浮かびながら図書室へ侵入してくる。
「えっ……? あ、あ……?」
目の前の事態が飲み込めず、声にならない声が漏れる。
(な、なんですかこれは!?まさか敵襲……!? それで外があんなに騒がしかったんですか!?)
ウイは思わず後ずさった。
だが黒い影たちはゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。
銃は作業台の上。
自分は床に倒れたまま、無防備そのもの。
急いで立ち上がろうとするが――
先ほど吹き飛ばされた際にひねった足が痛み、身体が思うように動かない。
(……っ、まずい……!)
影たちが腕の届くほどに迫ったその瞬間。
入り口に、別の影が飛び込んでくる。
だがそれは黒い霧よりはるかに大きく、強い意志を持った影。
「ウイさん!!」
怒号と共に、次々と弾丸の光が走る。
ウイへと手を伸ばしかけていた黒い影が撃ち払われ、霧散した。
「大丈夫ですか!?」
次の瞬間、ヒナタがウイの目の前に駆け寄っていた。
雨で濡れたシスター服、息の上がり方、そして切迫した表情。
彼女がどれほど急いで来たのかが分かる。
「あ、はい……大丈夫です。助かりました……いたた…」
「足を怪我されていますね。こちらに!」
ヒナタはためらいもなくウイを背負い上げる。
その瞬間――
ウイの視線が、机の上へと向いた。
次の刹那。
「へあっ……!?」
修復中だった古書が、無残に破れていた。
ヒナタが放った弾丸を受け、ページは裂け、表紙は吹き飛び、紙片が散乱している。
その光景に、ウイの胸がずきりと痛む。
黒い影に襲われたことより足を怪我したことよりも。
――今ウイの心を最も抉ったのは、破れた古書の姿だった。
「――では、私たちも動くとしよう。」
寮の屋上の扉を押し開け、三人は雨風の吹きつける外へ出る。
頭上には、雷鳴を孕んだ厚い雲。その中心に、得体の知れない気配が渦巻いている。
ツルギ、ミカ、そしてメタナイト。
三人は自然と同じ方向――空へと視線を向ける。
メタナイトが一歩前に出て、剣を軽く構えた。
「まずは私が上空へ向かい、奴の攻撃の軌道から目の位置を割り出す。位置を特定したら、雲を切り裂き本体を引きずり出す。二人はその隙に、追撃を頼む。」
雷鳴が空を裂き、白い閃光が三人の顔を照らした。
ツルギはショットガンを肩に担ぎながら短く答える。
「……了解。」
ミカは両手を握って跳ねるように気勢を上げる。
「オッケー!」
三者三様の返事だが、向いている先は同じ。
雨が強く降りしきる中、三人は揃って天を睨みつけた。