「うう……寒い寒い……」
毛布にくるまり、焚き火に手をかざしながらチェリノが震える。
「チェリノ会長、目が覚めてよかった……けど、いつから起きてたの?」
シグレが声をかける。
「お前達が、そのよく分からん生き物の名前を聞いてた辺りからだ」
「起きてたなら声くらいかけなさいよ!」
「お前達が気づいてなかっただけだろ!」
「まぁまぁ二人とも、落ち着いてよ。それとも……また“あのドリンク”飲みたい?」
その一言で、二人はぴたりと固まった。
「あ、あれだけは勘弁して……」
「ごめんねシグレちゃん……」
その光景をバンダナワドルディは何が何やらという状態で見ていた。
「……で?」
シグレが焚き火の向こうから、少しだけ真面目な声になる。
「とりあえず聞こうか。なんで会長がここにいるの?護衛も連れずにさ」
その問いに、チェリノの表情が一変する。
さっきまでの強がりが嘘みたいに、瞳に涙が滲んだ。
「実はな…いつも通りオイラが小腹が空いたからプリンを食べようとしたら…」
「……」
ノドカの拳が、静かにぐっと握られる。
「私達が必死に生きるために努力してるっていうのに、このチビは……!!」
「はいはいノドカ、そういうのは後でね。今は話を進めよう」
「ごほん、プリンを食べようとしたらな、急に扉が開けられたんだ。そしたらトモエが走ってきて……」
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「なんだトモエ! オイラのおやつタイムを邪魔するなんて……うわっ!?」
「申し訳ございません書記長!緊急事態です!」
抗議の声も虚しく、チェリノは椅子から無理やり引き剥がされ、そのまま部屋の外へ連れ出される。
「な、なんだなんだ!?」
廊下に出た瞬間、視界に入ったのは――
マリナに率いられた保安委員達だった。
それらが自分の姿を確認すると、構えた銃から弾丸が放たれる。
どこを狙っているのかもわからない銃弾は壁や天井に当たり、照明が割れて地面に散らばった。
(またマリナがクーデターを企てたのか……?)
だが、それにしては様子がおかしい。
マリナが白目を剥くのは、もはや日常茶飯事で違和感は無い。
だが、マリナ以外の保安委員たちも同じ有様だった。
誰一人として焦点の合わない視線。
感情が抜け落ちたような、空虚な表情。
それがあまりにも異様で、ひどく不気味に感じられた。
「書記長!しっかり捕まっていてください!」
「ちょ、ちょっとトモエ!うわあっ!?」
そのままの勢いで、トモエは自分を抱えたまま校舎を飛び出す。
雪を踏みしめ、山奥へと続く道へ――
だが、どれだけ逃げても、保安委員たちは追ってくる。
銃声が、吹雪と森の中に何度も響いた。
「はぁっ……はぁっ……」
自分を抱えているトモエの呼吸が、次第に荒くなる。
「ト、トモエ! 大丈夫か!?」
「……だ、大丈夫です……書記長だけは……必ず……!」
そう言い切ろうとするが、足取りは明らかに不安定だった。
雪に足を取られ、何度もよろめく。
次の瞬間――
乾いた銃声。
トモエの足元が、弾ける。
「っ……!」
バランスを崩し、ついにトモエが転倒してしまった。
「うわぁっ!?」
その衝撃で、身体が宙に投げ出される。
視界が反転し、背中が木に強く打ちつけられた。
直後――
木の枝に積もっていた雪が一気に崩れ落ちる。
相当積もっていたようで、雪が自分の体をすっぽりと覆ってしまった。
視界が、白に塗り潰される。
(……い、いたた……)
雪の中。
身体を強く打った箇所が、じんじんと痛む。
早く、ここから抜け出さなければ――
そう思い、身動きしようとした、その時。
≪……いたぞ……≫
雪の外で低い声がした。
(……?)
知らない声だ。
過去に227号特別クラスへ送った生徒たちのことは、正直すべて覚えているわけではない。ゲヘナのパンデモ…なんたらや連邦生徒会のメンバーも正直あやふやだ。
だが――
この声は、間違いなく聞いたことがないものだった。
≪……あのガキが見当たりませんが……≫
≪……周囲に潜んでいる可能性がある。捜索しろ≫
複数の声が、雪山に溶けるように響く。
人の声に似ているのに、どこか歪んでいて、冷たい。
気配を悟られないよう、息を殺す。
指先が痺れ、感覚がなくなっていくのが分かる。
あのガキというのは自分の事だろう。
ガキと呼ばれたことに苛立ちは覚えたがそれ以上に今は恐怖が勝っていた。
幸い、今のところ自分の位置は気づかれていないようだった。
だが、動けば終わりだ。
ただ、じっと――身を縮めるしかなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
吹雪の音だけが、やけに大きく感じられる。
心臓の鼓動が、耳の奥でうるさく響いている。
その時――
再び、声が聞こえてきた。
≪……見つからんな……≫
≪……ん……あれは……≫
声が、近い。
さっきよりも、はっきりと。
足音はしないものの、不気味な声が、すぐそこまで迫っている。
(ヤ……ヤバい……!!)
≪……不自然な積もり方だが……≫
≪枝から雪が落ちただけか……?≫
声の主が、すぐ目の前まで来た。
雪越しに、気配だけが重くのしかかる。
――見つかる。
そう思った、その瞬間。
≪報告。あちらの崖で何者かが落ちた跡が。付近には子供と思われる足跡を発見しました≫
≪逃走中に転落したか≫
≪……まぁ、あのガキがいなくとも作戦に支障は無い≫
一拍。
≪撤退するぞ。吹雪も強くなってきた……数時間もすれば凍死するだろう……≫
短く、冷たい命令。
その直後――
不気味な声と複数の足音が、雪を踏みしめながら遠ざかっていく。
銃声も、声も、やがて吹雪に飲み込まれた。
……数分後。
いや、もっと経っていたかもしれない。
チェリノは、震える手で雪をかき分け、ゆっくりと顔を出した。
「……あ……あれは……一体……」
視界に入ったのは、荒らされた雪面だけ。
そこに――
トモエの姿は、なかった。
代わりに、空気の中に薄く残る、
黒く、冷たい霧のようなもの。
「……トモエ……」
今自分は一人だという事を理解した途端、心細くなる。
脳裏に先生の顔が浮かんだ。
「……と、とりあえずカムラッドに連絡を……!!」
その時。
背後で、草むらをかき分けるす音がした。
(……ト、トモエか……?)
かすかな希望にすがるように、ゆっくりと振り向く。
――だが。
目に入ったのは、
黒みがかった茶色の毛並み。
自分よりも遥かに高い位置にある胴体。
雪を掴み潰す、太く鋭い爪。
レッドウィンターの校章にも描かれている――
熊だった。
両者の視線が合う。
「――うわああああああああああ!!!」
悲鳴を上げると同時に、チェリノは雪の山から転がるように飛び出した。
振り返る余裕などない。
ただ、がむしゃらに。
山の中へと、走り出した。
熊の爪がかすめても、雪に足を取られて何度も転んでも、滑って泥と水を跳ね散らかしても――
それでも走った。
息は切れ、喉は焼け、視界が揺れても、とにかく前へ。
最後はほとんど転がり込むようにして、ボロボロの姿のまま227号特別クラスへと辿り着いたのだった。
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「……というわけなんだ」
焚き火の前。
毛布を肩まで引き上げたチェリノが、ぽつりと語り終える。
「熊から逃げるときに……スマホも落としたようだな……」
声は震え、語り終えたその顔は、今にも泣き出しそうだった。
「なるほどね……」
シグレが顎に手を当てる。
「これは、確かにいつものクーデターって感じじゃないね」
「でもさぁ……」
ノドカが疑わしそうにチェリノを見る。
「また変なところで、恨みでも買ったとかそういうのじゃないの?」
「違う!」
即座に、チェリノが声を荒げた。
「最近は本当に何もやっていないのだ!」
「やってない"つもり"なだけじゃないんですかぁ?実際私たちの事も忘れたわけですし。」
「この……!!」
毛布を握りしめ、チェリノが歯噛みする。
「何を言うかこのエロガキ!」「うるさいですこのチビ!」
――そしてもはや日常のように、いつもの言い争いが始まる。
「はぁ……」
シグレが軽くため息をつく。
(この二人、こんな時でも喧嘩を止めないんだから……)
そう言って視線をずらすと、焚き火の向こうで、バンダナワドルディが黙り込んでいた。
眉を寄せ、どこか遠くを見るような表情。
「……バンダナ君、どうしたの?」
シグレが声をかける。
「うーん……」
バンダナワドルディは、少しだけ考えてから話し始めた。
「さっきのお話に出てきた……黒い霧」
焚き火の炎が、ぱちりと音を立てる。
「それに、様子のおかしかった人たち……」
短い手を胸元に添え、何かを思い出すように目を伏せる。
「……ひょっとしたら……」
その様子に、ノドカとチェリノも自然と口を閉じた。
「……ねぇ、チェリノ会長」
シグレは、真っ直ぐに問いかける。
「その黒い霧とか、動きのおかしかった人たち……他にも、なにか変わった特徴ってなかった?」
「ううむ……」
チェリノは毛布を握りしめたまま、天井を見上げる。
冗談めいた態度は影を潜め、記憶を辿るように眉を寄せた。
「おかしいと言えば、全部おかしかったのだが……強いて言うなら……」
一拍、間を置いてから、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「トモエに抱えられている時だ。なぜか……ずっと、見られているような感覚があった」
「見られてる……?」
ノドカが小さく反復する。
「ああ。保安委員の視線じゃない。……胸の奥を、じっと覗かれているような……」
チェリノは無意識にこめかみに指を当てた。
「それと、あの……聞き覚えのない声を聞いた時、耳で聞いたというより……直接、心に流れ込んできた感じだったな」
その瞬間。
バンダナワドルディの体が、ぴくりと強張った。
焚き火の光を受けた瞳が、はっきりと揺れる。
かつて、自分の仲間たちがとある侵略者に侵された時のことを。
笑顔のまま、操られ、内側から塗り替えられていった光景を。
皆が、目を覚ました後に同じ言葉を口にしていた。
――「心の奥に、すっと入り込んでくる感じだった」と。
(……間違いない)
疑念は、既に確信へと変わり揺らがなかった。
バンダナワドルディは、ぎゅっと拳を握りしめ、顔を上げる。
全員の視線が、彼に集まる。
「……前に同じ奴らがボク達が住んでいる国を侵略しに来たことがあるんだ……」
一拍、静寂。
「心を侵して、その者を操る存在……ダークマターだ」
焚き火が、大きく揺れた。
その言葉の重さだけが、教室に残った。