暗闇の中で、意識が浮かび上がる。
ここは……どこだろう。
確か、さっきまでシャーレに――
≪ほう……意識が戻ったか……≫
背中に氷を滑り込まされたような感覚だった。
ぼんやりしていた思考が、一気に覚醒する。
反射的に、その声の方を振り向く。
闇の中。
振り返ったそこだけが、異様なほど白い。
「……っ!」
声を出そうとしても、喉が動かない。
息だけが、かすかに漏れる。
≪確か……先生、と呼ばれていたか≫
巨大な一つ目が、こちらを見下ろしていた。
逃げ場のない視線が、身体の奥まで覗き込んでくる。
≪我らの瘴気を受けても、なお立っていられるとは……そのシッテムの箱とやらのお陰か…あの者の言っていた通りだ≫
私やシッテムの箱の事を知っている?
いや、最近になって知った、そんな口ぶり。
あの者…というのが妙に引っかかる。
≪その力を、我らも扱うことができれば…如何なる世界であろうと、等しく闇に沈められるのだがな……≫
≪だが聞くところによると…それは、お主にしか扱えぬ代物らしい≫
白い存在は、考え込むように視線を上へと向けた。
……恐らく。
私がこうして立っていられるのは、アロナとプラナのおかげだ。
だがこの瘴気は、あまりにも強い。
あの二人であっても、長時間耐えるのは厳しいだろう。
周囲を素早く見渡す。
だが、広がるのは闇、闇、闇。
出口という概念すら、拒絶されている空間。
このままでは、生徒たちが危ない。
一刻も早く、脱出口を探さなければならない。
≪だが……一つ、単純な仮説がある≫
その声色が、わずかに弾む。
≪我がお主に“直接干渉”した場合…この適応は、どこまで持続するのか≫
≪お主の肉体か?お主の精神か?あるいは――シッテムの箱そのものが判断するのか≫
嫌な予感が、確信へと変わる。
≪どうだ?極めて価値のある実験だとは思わんかね≫
次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
------------------------------------------------------
「……」
自動ドアが、感情のない機械音を立てて開く。
その音に背中を押されるように、シロコは建物の外へと足を踏み出した。
一晩明けた空気は冷たく、普段は生徒や住人でにぎわうこの周辺も、人はおろか自動車までもが全く通っていなかった。
「……」
視線を上げる。
側道に一台の車が止まっていた。
こちらをじっと見ている少女の姿。
「……乗るといい」
短く、だが迷いのない声。
「……ん」
それだけ答え、シロコは無言で動く。
後部座席に自転車を積み込み、ドアを閉める。
助手席に腰を下ろすと、シートの下から、ピンク色の丸い影がひょこりと顔を出した。
「ぽよ」
「出発するよ」
セイアはそう告げ、ハンドルを握る。
アクセルが踏み込まれ、車は静かに走り出した。
先ほどまで自分がいた建物は、バックミラーの中で次第に小さくなっていく。
シャーレの建物が破壊された翌日。
世間は騒然としていた。
先生の行方不明。
シャーレにいた生徒たちの消息不明。
断片的な情報だけが拡散され、憶測が憶測を呼んでいる。
シロコはその中心にいた。
ヴァルキューレによる事情聴取。
監視カメラの映像。
近隣住民の証言。
通りすがりのドライバーの目撃談。
それらを積み重ねた結果、彼女の潔白は証明された。
「……間違いなく、シャーレに先生はいた」
ぽつりと、シロコが呟く。
「私も、そう信じている」
セイアは前を見たまま、静かに応じた。
「だが……先にシャーレに向かった友人たちの痕跡すら、何一つ残っていなかった……」
その声には、抑えきれない苛立ちと、それ以上に深い喪失が滲んでいた。
セイアはちらりと視線を落とし、シロコの腕の中に抱えられた存在を見る。
「……そのカービィとやらのお仲間も、だ」
「ぽよ?」
名前を呼ばれた気がして、カービィが顔を上げる。
「……これから、君は――いや、君たちはどうするつもりだい?」
視線を前に戻したまま、セイアが問う。
「……ん」
一拍置いて、シロコは答えた。
迷いはなかった。
「先生を、探しに行く」
セイアは小さく息を吐く。
「私も、そのつもりだ。先生だけじゃない……私の友人もさ。」
その言葉には、怒りよりも深い決意があった。
「……ところで、あなたは?」
シロコがようやく、セイアの事を見る。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね」
少しだけ間を置いて、セイアは名乗った。
「百合園セイア。トリニティ総合学園の生徒だ」
「ん。私はアビドス高校の砂狼シロコ。」
(アビドス高校…確かナギサが言っていた…ヒフミを助けた高校だったか)
シロコは続けて、腕の中の存在を持ち上げる。
「それで……これがカービィ」
「ぽよ!」
元気な声が、車内に響いた。
「質問ばかりでごめん。今は……どこへ向かってるの?」
「ああ」
セイアは、前方に見えてきた巨大なビル群へと顎を向ける。
「私の――頼れる友人のところさ」
「……くっそ……」
吐き捨てるような声が、部室に落ちる。
ここはミレニアムサイエンススクール。
その巨大な校舎のビルの一角にある、C&Cの部室だった。
普段なら、アスナの笑い声やネルの怒号が飛び交っているはずの空間。
だが今は、メイド服に身を包んだ生徒たちがそれぞれ黙り込んでいた。
空気は重く、息苦しいほどに沈んでいる。
セミナーから下された命令は、ただ一言。
――「待機」。
先生や各校のトップ、更にはゲーム開発部まで姿を眩ました昨日の事件。
現状、何が起こっているのかすら分からない。
そんな中で、ミレニアム随一の戦力であるC&Cを軽々しく切るわけにはいかない。
理屈としては理解できる。
だが――
「……ふざけんなっての」
ネルは机に肘をつき、乱暴に息を吐いた。
先生がいない。
それだけで、部室の空気はここまで変わってしまう。
いつもなら、誰よりも騒がしく、誰よりも明るかったアスナも、今日はソファに座ったまま、視線を落としている。
無理に笑おうともしない。
新人にいたっては、今日は顔すら見せていない。
――まあ、あいつなら、命令が出ていようがいまいが、もう動いている可能性もある。
「……んあ?」
静寂を破るように、電子音が鳴る。
机に突っ伏していたネルは、ゆっくりと顔を上げ、
スマホを掴んで画面を点けた。
(……?)
表示された名前を見て、眉がわずかに動く。
そして送られてきたメッセージを見て、思わず鼻で小さく息を鳴らした。
次の瞬間。
ネルは何の前触れもなく、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「部長?どうなされたのですか?」
不意の動きに、アカネが顔を上げる。
「……散歩に行ってくる」
「散歩?」
「いってらっしゃーい……?」
カリン、アスナはそれぞれ返答をした。
ネルはそれに答えず、いつものように、ずかずかとした足取りで部室を出ていった。
その背中は、ただの散歩に行く人間のものではなかった。
「……ここは?」
「ミレニアム自治区さ」
シロコの頭にあったミレニアムのイメージは、巨大なビルが立ち並び、機械音と光に満ちた無機質な都市――そんなものだった。
だが、外に広がるのは、人通りの少ない道と、静まり返った建物ばかり。
どこか色を失ったような景色が続いている。
数十分ほど前まではそういった風景だったが、今はその影も見られない。
「……想像してたのと、結構違う」
「ここはあまり人が来ない場所だからね。仕方がないさ」
セイアは前を見たまま、淡々と続ける。
「本来なら、部外者が立ち入る場所じゃない……だが今は緊急事態だ。細かいことを気にしている場合でもない」
そう言って、セイアはハンドルを切り、車を路肩に寄せて停めた。
「ここからは歩くよ」
ドアを開け、セイアが先に外へ出る。
続いてカービィを抱えてシロコも降りる。
「こっちだ」
セイアは二人を促すように歩き出す。
大通りから外れ、細い路地へ。
建物と建物の隙間を縫うように、くねくねと進んでいく。
足音だけが、やけに大きく響いている。
十分ほど歩いただろうか。
やがて、ひっそりと佇む小さな建物の前で、セイアは足を止めた。
「……ここだ」
外観は目立たない。
倉庫のようにも見えるし、廃ビルの一角にも見える。
セイアはスマホを取り出し、何かを入力した。
次の瞬間、短い電子音とともにロックが解除され、鈍い音を立てて扉が開いていく。
おんぼろなドアの見た目からは想像できないほど、ドアは堅牢な造りだった。
壁には補強材が走り、天井には無骨な照明。
外の静けさとは裏腹に、ここだけが切り離されたような空間だった。
「さ、入ると良い」
そう言って、セイアは迷いなく中へ足を踏み入れた。
「……お、来たか」
部屋の奥から低い声が飛んでくる。
視線を向けると、そこにはメイド服を身にまとった背の小さい少女と、黒い装いに身を包んだ少女が立っていた。
「待っていたわ」