寮への道をひた走る。
いつも歩き慣れた廊下なのに、今日はやけに長く感じた。
連絡口のドアを蹴破るように開け放つ。
そのまま寮の扉を押し開けた。
ドアを開けた瞬間、消毒液の匂いが鼻を突く。
「負傷者です! 手当をお願いします!」
いつもの語尾をつけるのも忘れるほど焦りながら叫ぶ。
その声を聞きつけ、救護騎士団のメンバーが次々と駆け寄ってきた。
「はい、こちらに!」
抱えていた負傷者たちを、救護騎士団へと引き渡していく。
「よし……これで全員……」
安堵しかけたその時、イチカの脳裏にハスミの姿がよぎる。
「早くハスミ先輩の所に戻らなきゃ……」
だが、自分たちが戻ったところでミカを止められるのだろうか――
そんな考えが頭をよぎる。
ツルギなら互角に戦えるだろう。
だが、ツルギの相手をしているダークマターの群れはどうする?負傷しているであろうハスミと自分たちで、実力の分からないメタナイトと戦えるのか?
思わず足が止まってしまう。
「イ、イチカ先輩……?」
心配そうに、後輩たちがイチカの顔を覗き込む。
「だ、大丈夫っす…」
口ではそう言うが先が見えない。
こうして立ち止まっている場合ではない。
それでも、足が動かなかった。
その時だった。
「イチカさん!?大丈夫でしょうか?どこか怪我を!?」
イチカの視界に、ある一人の姿が飛び込んできた。
「ぐっ……!?」
容赦のない右ストレートが、頬をかすめる。
直撃こそ免れたものの、その一撃が生んだ衝撃だけで、背後の校舎の壁にひびが走った。
反射的に後方へ飛び退き、距離を取る。
――だが、その隙を逃す相手ではない。
上空から、黒い影が一直線に降下してくる。
振り下ろされる剣閃。
まともに受ければ、銃ごと断ち切られる。
ハスミは即座に銃を構え、柄の部分を剣の側面へと振り払った。
金属同士がぶつかる鈍い音が響き、斬撃はわずかに軌道を変えた。
そのまま身を捻り、刃の軌道から外れる。
剣が降られた風圧だけでも肌を切り裂くような鋭さがあった。
着地と同時に、再び距離を取る。
呼吸が浅い。
腕に、じわじわと重さがのしかかってくる。
まだ致命傷は負っていない。
それでも確実に、疲労は積み重なっていた。
(イチカに増援を頼みましたが……)
わずかに視線を巡らせる。
(それまで、持ちこたえられるでしょうか……)
その思考に入りかけた刹那――
空気が揺れた。
考える時間など与えない、と言わんばかりに、
ミカが地を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。
「ぐっ……!」
ミカの拳が、休む間もなく振るわれる。
右、左、さらに踏み込んでの連打。
空気を裂く音が連続し、衝撃だけで周囲のガラスが次々と砕け散った。
ハスミは歯を食いしばりながら、そのすべてを紙一重でかわしていく。
一歩引く。
床を蹴る。
身体を捻る。
拳が頬をかすめるたびに、空気が爆ぜ、衝撃だけで背後にある壁が抉れる。
柱が砕け、玄関の装飾が崩れ落ちた。
「……っ!」
距離を取ろうと後方へ跳ぶが、すぐに間合いを詰められる。
ミカの動きは速い。
ただ速いだけではない。迷いがなく、躊躇もない。
まるで自分を“壊すこと”だけに特化したような動きだった。
銃を構える余裕すら与えられない。
反撃の隙を探そうにも、その隙をメタナイトが許さない。
再び拳と剣が振り抜かれる。
ハスミは咄嗟に身を沈め、すれ違うように回避。
そのまま横へ滑り込むが――
直後、背後で爆音が響く。
振り返るまでもなく、先ほどまで自分がいた場所が破壊された粉塵で見えなくなっていた。
「このままでは……ジリ貧ですね……」
呼吸がわずかに乱れる。
だが、足を止めるわけにはいかない。
舞い上がる煙の中から、ミカがこちらに飛び掛ってくる。
だが――
そこにメタナイトの姿は無かった。
その代わりに、その粉塵の向こうで、異様な気配が生まれていた。
ハスミの視線が、わずかに逸れる。
粉塵が晴れると、先ほどまで連携して攻めてきていたはずの彼が、不意に動きを止めていた。
剣を構えたまま、まるで時が止まったかのように微動だにしない。
(……何を……?)
違和感。
その直後――
メタナイトの周囲から、じわりと黒いもやが溢れ出した。
煙のようでいて、煙ではない。
液体のようでいて、形を持たない。
それは地面へと広がり、瓦礫へと触れていく。
「――っ、まさか!」
ハスミが気づいた時には、すでに遅かった。
転がっていたコンクリート片が、わずかに震える。
ひび割れた壁の破片が、ゆっくりと浮き上がる。
周囲にある瓦礫が、まるで見えない手に掴まれたかのように、次々と宙へと持ち上がっていく。
ミカの攻撃で破壊された残骸――
それらすべてが、黒いもやに絡め取られていた。
ハスミは咄嗟に距離を取る。
だが気づけば、四方すべてを瓦礫に塞がれていた。
「……最初から、この場所に誘い込まれていた、というわけですか……」
メタナイトの剣が、わずかに動く。
それを合図に――
瓦礫の嵐が、一斉にハスミへと襲いかかった。
迫る瓦礫。
もう逃げ場などない。
防御の姿勢を取ろうとしたその時。
すべてが――
ぴたりと、空中で静止した。
「――戦場に!救護の手を!!!」
凛とした声が、戦場に響き渡る。
次の瞬間。
宙に浮かぶメタナイトへと、一つの影が一直線に飛び込んだ。
重厚な盾が振りかぶられ――そのまま盾が叩きつけられた。
鈍い衝撃音が辺りに響く。
メタナイトの身体が大きく弾き飛ばされた。
その一方で。
ミカの視線が、突如現れたその影へと向けられる。
そして影の方向に迷いなく、地面を蹴った。
一直線に標的へと突進する。
だが。
「キ”エ”エ”エ”ェ”エ”エ”!!!!!」
狂気に満ちた声が、空気を引き裂いた。
ひび割れていた校舎の壁が、内側から粉砕される。
瓦礫を撒き散らしながら、もう一つの影が飛び出した。
その勢いのままにミカへと激突し、ミカの身体がぐらりと大きくのけぞった。
宙に浮かんでいた瓦礫が崩れ落ち、視界が一気に開ける。
舞い上がる粉塵の向こうに、二つの影がはっきりと浮かび上がった。
(ツルギ……! ミネ団長……!)
胸の奥に張りついていた緊張が、わずかにほどける。
それでもハスミは気を緩めることなく、震えかけていた足にぐっと力を込め、二人の方へと向かう。
「ツルギ、イチカは?」
短く問いかける。
「……自警団の数人と一緒に私が相手していたダークマターの処理に回っている。あの程度の雑兵なら問題ない」
淡々とした返答。
「そうですか……」
小さく息を吐き、制服に付いた砂埃を手で払う。
指先にわずかな震えが残っているのを、意識して押さえ込んだ。
その様子を見て、ミネが一歩近づく。
「見たところ、大きな怪我はなさそうですが……ハスミさん、動けますか?」
「ええ、問題ありません。それより――」
言葉を切り、視線を前方へ向ける。
体勢を立て直したミカとメタナイト。
二人とも、すでに次の攻撃へ移る気配を見せていた。
ハスミは迷いなく口を開く。
「ツルギ。ミカ様の相手は任せます」
わずかな間。
「……了解した」
低く、短い返答。
次の瞬間、ツルギの姿が掻き消えるように前へ出た。
「ミネ団長」
「はい」
それ以上言葉は無かった。
ハスミとミネは静かに銃を構えた。
直後――
ツルギとミカが激突し、轟音と共に煙が巻き上がる。
その衝撃が周囲の空気を震わせたかのように、メタナイトの周囲で黒いもやがゆらりとうねった。
ハスミとミネは、ほぼ同時に地を蹴る。
視線はぶれることなく、ただ一点――目の前の敵へ。
対するメタナイトもまた、静かに剣を構えた。
次の刹那、その姿が掻き消える。
風を裂く鋭い音と共に放たれた一撃を、ミネは一歩も退かずに受け止めた。
鈍い衝突音が響き、火花が弾ける。
盾と剣が噛み合い、力と力がぶつかり合う。
「……っ!」
押し寄せる圧力は凄まじい。
ただ受け止めているだけで腕が軋み、骨にまで振動が伝わる。
それでもミネは踏みとどまる。
足を深く踏み込み、盾越しに力を押し返した。
対するメタナイトは、微動だにしない。
黒く染まった瞳には一切の感情がなく、ただ機械のように力を加え続けている。
拮抗するその均衡を、鋭い銃声が断ち切った。
ハスミの放った弾丸が、わずかに開いた側面――死角へと正確に突き進む。
だが。
メタナイトの翼が、ほんのわずかに動いた。
振るうというより、払うに近い最小限の動作。
それだけで弾丸は軌道を逸らされ、硬質な音を立てて弾き飛ばされる。
甲高い反響音が残り、弾丸は壁へと突き刺さった。
(……やはり、簡単にはいきませんか)
ハスミは低く呟き、間を置かずに次弾の装填へ移る。
その瞳は冷静に、次の機を測り続けていた。
その直後――ミネとメタナイトの間に築かれていた拮抗が崩れる。
メタナイトの足がわずかに動いたとミネが認識した時には、鋭い蹴りが、盾の中心を正確に打ち抜いていた。
「――っ!」
重い衝撃がミネの腕を貫き、その体が後方へと押し返される。
踏みしめていた足が床を削り、無理やり数歩分の距離を後退させられた。
その隙を、見逃す相手ではない。
メタナイトは即座に間合いを離し、剣を構え直す。
刀身に黒い瘴気が絡みつき、空気そのものが張り詰めた。
(来る…!)
メタナイトの剣が振るわれる。
目で追うことすら困難な速度で連続して振るわれる斬撃。
その軌跡が光の線となって空間に刻まれ、次の瞬間には“飛ぶ刃”へと変わる。
無数の斬撃が、扇状に広がりながら二人へと襲いかかる。
空気が裂ける音が幾重にも重なり、地面も壁も、まだ触れてすらいないのに切り刻まれていく。
「ハスミさん! 私の後ろに!」
ミネは迷いなく前へ出る。
ハスミも即座に身を低く滑り込ませ、その背後へと回り込んだ。
崩された体勢を無理やり立て直し、ミネは盾を構える。
正面から、この嵐を受け止めるために。
斬撃が盾へと叩きつけられるたび、激しい火花が散る。
一撃ごとに衝撃が腕へと積み重なり、振動が骨の奥まで響いた。
それでも――ミネは退かない。
「ハスミさん……!」
盾を構えたまま、背後へ声を飛ばす。
「気がつきましたか……? メタナイトさんの剣に……!」
「剣……?」
ハスミは一瞬だけ視線を前へと向ける。
迫り来る斬撃の隙間から、わずかに覗く刀身へと意識を集中させた。
「はい……! あの時、ハスミさんもメタナイトさんの剣を見たでしょう……!」
「あの時……?」
脳裏に、あの光景が蘇る。
かつて見た、周囲を照らすほどの強い輝き。
あの剣が放っていた、鋭く澄んだ光。
――だが今は違う。
刀身はまるで煤に覆われたかのように鈍く、光を失っている。
「剣が…光っていない…?」
「はい…!メタナイトさんは……あの剣を振るうことで、記憶の欠片を取り戻していたように……私には見えました……!」
その言葉に、ハスミの瞳がわずかに見開かれる。
直後――
斬撃の一撃が、さらに重さを増した。
「ぐうっ……!」
ミネの足元が沈み込み、床に亀裂が走る。
盾越しに伝わる衝撃は、先ほどまでとは比べものにならない。
「ですので……っ! もし、あの剣を元の状態に戻せれば……!」
「メタナイトさんが……元に戻る可能性がある、ということですね」
ハスミは静かに言葉を引き継ぐ。
(どのみち……あの反応速度を相手に、気絶させるのは現実的ではありませんね……)
わずかに目を細める。
(ならば――狙うべきは、あの剣……!)
「……やるしかありませんね」
その声には、迷いのない決意が込められていた。