場所は変わってトリニティの寮。
その一室から言い争いをしているかのような声が聞こえてきていた。
「ちょっとミカ様! 一旦落ち着いてくださいっす!」
焦りを滲ませた声で、イチカが両手を伸ばしてミカを押し留める。
だがその力は、ほとんど意味を成していなかった。
「邪魔しないでイチカちゃん!こんなの落ち着いてられないよ!」
ベッドから身を起こし、そのまま立ち上がろうとするミカ。
その勢いは止まらない。
奇跡的に(セイア曰く当然の結果)ミカに目立った外傷はなかった。
それでも念のためと、寮の一室で休ませていたのだが――
スマートフォンに映し出されたニュースがその均衡を崩した。
それを見た瞬間から、ミカは完全に落ち着きを失っていた。
「だからって今動いたら――!」
イチカが必死に踏ん張る。
床に靴が擦れる音が鳴り、じりじりと押し込まれていく。
(相変わらず……力強すぎるっすよ……!!)
ぐぐぐ、と体ごと押し返される感覚。
押さえているはずなのに、逆にこちらが後退していく。
それでもイチカは、歯を食いしばって離さない。
このまま外に出せば、何をするか分からない――そんな予感があった。
部屋の空気が張り詰める。
暴走しかける衝動と、それを止める意志が、真正面からぶつかり合っていた。
その時――コンコン、と静かなノックの音が部屋に響いた。
張り詰めていた空気が、その小さな音を境にふっと緩む。
ミカとイチカは同時に動きを止め、互いに押し合っていた力をわずかに抜いた。
「ど、どーぞ……」
ミカが息を整えながら声をかけると、ドアがゆっくりと開いていく。
軋むような小さな音とともに現れたのは――
「失礼するぞ」
静かに佇む、メタナイトの姿だった。
仮面はかつて深く割れた跡をなぞるように、修復された痕跡が痛々しく刻まれていた。
だが、その立ち姿は揺るぎなく、むしろ以前よりも静かな圧を纏っているようにも見える。
「ミカ殿。怪我の具合はどうだろうか」
低く落ち着いた声。
様子を確かめるように、まっすぐ視線を向けてくる。
「うん、全然大丈夫だよ」
ミカはあっけらかんと答え、軽く腕を回して見せる。
先ほどまで暴れようとしていたとは思えないほどの軽さだった。
「そうか。それは良かった」
短く頷くメタナイト。
その一言には、無駄のない安堵が込められている。
そして、ゆっくりと二人の方へ向き直る。
「私はこれより、ここを発つ」
その言葉に、部屋の空気がわずかに引き締まる。
「ティーパーティーの方へ、最後に挨拶を――と思ったのだが……どうやら、今はミカ殿しかいないようでな」
「えっ? ナギちゃんは?」
ミカが首を傾げる。
その横で、イチカは一瞬だけ面倒そうな表情を浮かべた。
(そーいや説明してなかったすね……うーん…)
だが、すぐに小さく息を吐き、気持ちを切り替える。
観念したようにミカの方へ向き直った。
「あー……えっとっすね……実は……」
言葉を選びながら、イチカは昨日起きた出来事をかいつまんで話していく。
ダークマターの襲撃、各地での戦闘、そしてナギサの不在――
話が進むにつれて、ミカの表情がわずかに曇る。
「そっか…ナギちゃんまで……」
ぽつりと漏れたその声には、ほんの少しだけ不安が滲んでいた。
「はい。そうなんすよ……」
イチカは肩をすくめる。
「セイア様は今ゲヘナにいますし、トリニティに今いるティーパーティーは……実質ミカ様だけっす」
「へぇ……」
短く返すミカ。
だが、その声は先ほどよりもずっと静かだった。
一瞬の沈黙。
その空気を切り替えるように、メタナイトが口を開く。
「それで、私もゲヘナとやらに向かおうと思ってな」
迷いのない声音。
すでに決意は固まっているのが分かる。
「お怪我は大丈夫なんすか?」
イチカが念を押すように問いかける。
「ああ、問題ない」
即答だった。
「それに――仲間が戦っているというのに、私だけが伏せているというのは……どうにも納得がいかん」
静かだが、芯の通った言葉。
そこには騎士としての矜持がはっきりと表れていた。
「はぁ……」
イチカは半ば呆れたように、半ば納得したように息をつく。
(この人もこの人で止まらないタイプっすね……)
そう思いながらも、それ以上引き止める言葉は、イチカの喉の奥で止まったままだった。
わずかな沈黙のあと、メタナイトが静かに口を開く。
「……だが、肝心のゲヘナ学園の場所が分からないのだ」
視線をわずかに伏せる。
「方角は教えてもらったのだが……この地理にはまだ不慣れでな」
その一言が落ちた瞬間だった。
ぱっと――ミカの目が輝く。
「じゃあさじゃあさ!私が案内するよ!」
勢いよく身を乗り出し、そのまま言葉を重ねる。
「私も一緒に行く!」
「えっ!?」
あまりの唐突さに、イチカは反応が一拍遅れ、そのまま体勢を崩しかける。
「だ、駄目っすよ! ミカ様は安静にしてないと!」
慌てて腕を伸ばし、再びミカを押しとどめようとする。
だが――
「だって、怪我も何もしてないのに、ここで指くわえて待ってるなんて、絶対イヤ! 私だって先生を助けたいの!」
その声には、先ほどまでとは比べ物にならないほどの熱がこもっていた。
理屈ではなく、感情がまっすぐにぶつかってくる。
「だからって無茶したら意味ないっすよ!」
イチカも引かない。
再び押し返すように力を込める。
狭い室内で、二人の力が真正面からぶつかり合う。
さっきまで収まっていたはずの攻防が、再び始まろうとしていた――その時。
「……イチカ殿。その位にしてもらえないだろうか」
低く、しかしよく通る声。
その一言だけで、空気が変わった。
「えっ……」
思わずイチカの力が緩む。
ミカもまた、ぴたりと動きを止めた。
メタナイトは二人を見据えたまま、静かに続ける。
「……手の届く場所にいた“大切な者”を、救えなかった時の無念――」
静かに紡がれた言葉は、重く、深く、空気の中に沈んでいくように響いた。
その場の誰もが、思わず言葉を失う。
「……私の知る者もまた、それを経験している」
淡々とした口調だった。
だが、その奥には、決して他人事ではない確かな実感が滲んでいる。
「すぐ傍にいたはずなのに――届かなかった」
「気付いた時には、もう遅く……ただ、失った現実だけが残る」
ほんの一瞬だけ、メタナイトの視線がわずかに揺れる。
まるで、記憶の欠片をなぞるかのように。
「……残るのは"後悔"…それとやり場の無くなった感情だけだ」
低く落とされたその言葉は、静かでありながら、胸の奥に突き刺さる重みを持っていた。
やがて、ゆっくりと視線を戻す。
「だからこそ――手が届く今、動こうとする者を止める理由にはならないと、私は思う」
その一言は、決して強い調子ではなかった。
確かな意思がそこにはあった。
イチカは何も言えなかった。
反論しようとしても、言葉が出てこない。
「本当に怪我がないことを確認し、問題がないのであれば」
メタナイトはわずかに間を置き、結論を示す。
「ミカ殿の同行を、認めてもよいのではないだろうか」
その提案はあくまで穏やかに、しかし揺るがぬ重みを伴って場に落ちた。
イチカは小さく息を呑み、わずかに視線を伏せる。
それから、ゆっくりとミカの方へ顔を向けた。
そこにあったのは――迷いのない瞳だった。
無鉄砲さではなく、ただ一つの想いに突き動かされた、まっすぐな決意。
その強さを前にして、イチカの中で何かがほどける。
「……分かったっすよ」
ぽつりと零れた言葉は、観念にも似ていたが――同時に、どこか吹っ切れたような響きを帯びていた。
「もう、上から何言われようと知らないっす。救護騎士団に掛け合ってみるっす!」
半ば投げやりに肩をすくめながらも、その声には確かな覚悟が宿っている。
「ありがとう、イチカちゃん!」
次の瞬間、ミカがぱっと表情を輝かせ、そのまま勢いよく抱きついた。
「ちょ、ちょっとミカ様!?」
慌てるイチカの声とは裏腹に、ミカはまったく気にした様子もなく、ぐいぐいと腕に力を込める。
そのやり取りを横目に見ながら――
(……仲が良いのだな)
メタナイトは、ほんのわずかに目を細めた。
やがて視線を外し、静かに窓の外へと向ける。
そこには、穏やかな空が広がっている。
だがその先に待つのは、決して穏やかではない戦い。
それでも――
先ほどまで胸の奥にあった重さは、わずかに和らいでいるように感じられた。
「……来たか」
メタナイトが静かに呟き、振り返る。
玄関の奥から、二つの影が現れる。
足音を響かせながら、まっすぐこちらへ向かってくるその姿は、迷いのない意志をそのまま形にしたかのようだった。
「お待たせしたっす」
少し息を整えながら言うイチカに、メタナイトは短く頷く。
「いや、問題ない」
メタナイトは一歩前へ出ると、マントを大きく翻す。
次の瞬間、その布は形を変え――しなやかな翼へと変貌した。
メタナイトの体がふわり、と床を離れる。
そのまま、ミカが掴まりやすい高さへと自然に浮かび上がった。
「体に異常は無かったっすが……本当に気を付けてくださいっすよ?」
イチカの声には、抑えきれない不安が滲む。
「うん!」
それに対して、ミカは振り返り、いつも通りの笑顔を向けた。
そして迷いなく、差し出されたメタナイトの手を取る。
「緊急事態故、速度を出す。しっかりと捕まってくれ」
「わかった!」
短いやり取り。
だが、その中には確かな信頼があった。
「――では、行くぞ!」
その一言と同時に。
静止していたはずの身体が、次の瞬間には、視界から消えるほどの速度で前方へ射出された。
空気が遅れて引き裂かれ、遅延した風圧だけがその場に叩きつけられた。
「うわっ……!」
思わず腕で顔を庇うイチカ。
周囲に散らばっていた小さな瓦礫や草が一瞬で吹き飛ばされる。
風が収まったときには、もう二人の姿は遥か彼方――
空の一点へと溶け込むように、小さくなっていた。
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暗い闇の中。
光源すら存在しないはずの空間で、ぼんやりとした光を帯びた無数の球体が、せわしなく行き交っていた。
その動きは秩序立っているようでいて、どこか不気味に不規則だった。
まるで意思を持つかのように、互いに交差し、離れ、また集まる。
その中心――
他よりも一際大きく、濃く淀んだ“煙”が、ゆっくりと浮かんでいた。
それはまるで、この場を統べる存在であるかのように、目の前にある“それ”を見上げている。
視線の先にあるのは、小さい身体。
宙に浮かぶそれは、静かにそこに在りながら、どこか神秘的な気配を放っていた。
≪……どうだ≫
低く響く声。
空間そのものが震えるような、重い圧を伴っている。
≪解析率85%……廃墟区で発見した残骸から取得できた情報と一致しています≫
応じたのは、やや小ぶりなダークマター。
その前方には、光を投影するモニターのようなものが浮かび、幾何学的な情報が絶えず流れている。
影はそれを操作しながら、淡々と報告を続けた。
≪ですが…この器を完全に機能させるための“鍵”に該当する情報が欠落しています≫
≪鍵…だと?≫
わずかに間を置き、視線が器からモニターへと移る。
その一言には、僅かながらも不快の色が混じっていた。
≪はい。この器は単体では不完全な状態にあり、鍵と結合することで初めて、本来の出力――すなわち力の100%を引き出せる構造となっているようです≫
静かに、だが確信をもって告げられる分析結果。
≪……フン≫
低く、押し殺したような嘲笑が漏れる。
闇の中で、その声だけがじわりと広がった。
(……黒服の男からの情報には無かった……奴の知識にも無い代物、ということか…)
わずかな沈黙。
ゆらり、と巨大な煙が揺らぐ。
その視線が、静かに小さな身体へと落ちる。
≪……適合率の方はどうだ≫
≪現時点での同調率は高水準を維持しています。構造的にも、極めて素体としての適性が高いです。鍵が無くとも、段階的な上書きと侵食で出力は引き上げ可能かと≫
モニター上の数値が変動する。
それはまるで、何かが塗り替えられていく過程を示しているかのようだった。
――その瞬間。
ほんのわずかに、器の表面が揺らいだ。
微細なノイズのような反応。
誰も気づかないほど、小さな拒絶。
≪不完全であろうと構わぬ。時間が無い、ゼロ様の力に耐えうる器へと仕立て上げろ≫
その言葉と同時に、空間の圧が一段と増す。
≪はっ……!≫
その返答と共に、器はゆっくりと脈動を始めた。
外側から侵食されるように、静かに、確実に――
だがその奥底で、消えかけた“何か”が、
かすかに、ほんのわずかに――抗うように瞬いていた。