くぐもった声が聞こえる。
誰かが、自分の名前を必死に呼んでいるような気がした。
「……ギ……! ナ……サ!」
「んん……」
霞がかっていた意識が、ゆっくりと浮上していく。
重たいまぶたを開けると、ぼやけた視界の向こうに誰かの顔が見えた。
何度か瞬きを繰り返す。
そして、その人物を認識した瞬間――
「……ひゃっ!?」
思わず変な声が漏れた。
「ナギサ!良かった……」
目の前にいたのは先生だった。
心底安心したように息を吐く先生。
だが、目を覚ましたばかりのナギサには状況がまったく理解できない。
「せ、先生!?」
視界いっぱいに映る先生の顔。
頬に触れる温かな手。
そして後頭部から伝わる、柔らかな感触。
数秒遅れて、自分が先生の膝の上に頭を乗せていることに気付いた。
「――っ!?」
顔が一気に熱くなる。
反射的に身体を起こし、そのまま飛び退くように距離を取った。
「あっ、ナギサ、そんな急に動いたら――」
先生が慌てて手を伸ばす。
だがナギサはそれどころではなかった。
胸がうるさいほど高鳴っている。
しかし、その動揺は別の思考によってすぐに押し流された。
ここはどこなのか。
なぜ先生がここにいるのか。
その瞬間、ナギサの背筋に冷たいものが走った。
頬が熱を失う。
(ま、まさか……!)
もし先生がダークマターに操られているのだとしたら。
目の前にいる人物が、本当に先生だと断言できるのだろうか。
奴らは人を洗脳し、それを利用して戦う存在だと、メタナイトから聞いた。
思わず周囲へ視線を巡らせる。
見覚えのない研究室。
牢屋のような場所でダークマターに拘束されたはずの自分。
そして、つい先ほどまで気を失っていたはずなのに、目の前には何事もなかったかのように先生がいる。
状況そのものがあまりにも異常だった。
普段であれば疑う余地などない。
先生は先生だ。
その笑顔も、声も、他人が真似できるようなものではない。
だが今は違う。
何が起きているのか分からない場所で、何が本当なのかも分からない。
だからこそ、いつも通りの先生の姿が、逆に現実味を失わせていた。
胸の奥を冷たい不安がよぎる。
ナギサは緊張した面持ちで息を整えると、ゆっくりと口を開いた。
「先生。一つ、お尋ねしたいことがあります」
「えっ?」
「しっかり答えてください」
「うっ…うん…」
真剣な表情に押され、先生も首を傾げながら頷く。
ナギサはごくりと唾を飲み込み、できれば思い出したくもない記憶を掘り起こした。
「わ……私が以前、勘違いして先生にお出ししたものは……覚えていますか?」
「……え、それって今必要?」
「良いから答えてください!」
困惑しつつも、少し考えてから先生は答えた。
「えっと……昆布の出汁、だよね」
「くっ……!」
その言葉を聞いた瞬間、ナギサは思わず小さくのけぞった。
羞恥で顔が熱くなる一方で、胸の奥には確かな安堵が広がる。
あの出来事を知っているのなら、少なくとも目の前の人物は本物の先生だ。
「ナギサ?本当に大丈夫?」
心配そうに覗き込む先生へ向かって、ナギサは深々と頭を下げた。
「……変なことを聞いてしまい、申し訳ございません」
「いや、別にいいんだけど……ちなみに、どうして急に?」
「はい…先生はダークマターについてご存じでしょうか?」
「うん。詳しい話はデデデ大王さんから聞いたよ」
その返答を聞いて、ナギサは静かに事情を打ち明ける。
「実は……先生がダークマターに操られている可能性を疑ってしまったのです。確認のためとはいえ、大変失礼なことをしてしまいました。本当に申し訳ございません……」
再び頭を下げるナギサ。
先生は慌てて両手を振った。
「いやいや!頭を上げて、ナギサ!」
苦笑しながら、そのまま続ける。
「それにしても、目を覚ましたばかりなのに、そこまで頭が回るなんてすごいね……」
「い、いえ……」
ナギサは顔を小さく首を振る。
「それよりも、この場所は一体……?」
改めて周囲へ視線を巡らせる。
自分が閉じ込められていた薄暗い牢獄のような場所とは違う。
不気味なほど明るい研究室だった。
棚には大小様々な瓶が並び、机の上には書類や薬品が雑然と積み上げられている。
見たこともない機械や装置も至る所に設置されており、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。
先生は立ち上がりながら説明する。
「簡単に言うと……ここはダークマターたちの本拠地なんだ」
「本拠地……」
ナギサの表情が引き締まる。
「私たちは何かの力でここへ連れてこられたみたいなんだけど、救助に来てくれた人達がいるみたい。まずはその人たちと合流しよう」
「は、はい!」
ナギサも立ち上がり、乱れた制服の裾を整える。
しかし、その表情にはわずかな不安が残っていた。
「あっ……先生…正直に申し上げますと、私ではダークマターを足止めする程度が精一杯で…本当に大丈夫なのでしょうか……」
「大丈夫」
先生は迷いなく答える。
そして近くに置かれていたタブレットを手に取った。
「それは……」
いつも先生が戦術指揮に使っているタブレット。
ナギサも存在は知っていたが、こうして間近で見る機会はあまりなかった。
先生が電源を入れると、画面が淡く光を放つ。
ナギサには何が表示されているのかよく見えない。
ただ、先生は誰かと会話するように視線を向けていた。
タブレットの中にいる二人へと視線を向ける。
「アロナ、プラナ。さっき受け取った情報の解析は終わった?」
『はい!既に完了しています!』
アロナが元気よく答える。
その横でプラナも補足する。
『現在、ほとんどのダークマターは侵入者への対応に向かっています。そのため、この研究区画周辺の警備は極めて手薄な状態です』
画面上に施設の見取り図が表示される。
『先生から見て、右側の扉から出てください!そのまま道なりに通路を進めば、皆さんと合流できる可能性が最も高いです!』
「なるほど……」
だが、プラナは続けて警告した。
『ただし、合流地点周辺には多数の反応を確認しています。合流するためには、その集団をどうにか回避する必要があるかと』
先生は静かに頷いた。
「分かった。それで、通信の方はどう?」
『それが……』
アロナは少し申し訳なさそうに視線を逸らした。
『先程から何度も試しているのですが、モモトークも電話も繋がりません……』
『この施設そのものが原因かもしれません。引き続き接続を試みますので、何か進展があればこちらから通知します』
「うん。頼んだよ、二人とも」
先生がそう言うと、アロナはぱっと表情を明るくした。
『はい!先生もお気を付けて』
『ご武運を』
二人の姿が薄れていき、シッテムの箱の画面が静かに消える。
研究室に再び静寂が戻った。
「よし……」
先生が小さく息を吐いた、その時だった。
「先生……その、どなたとお話を……?」
恐る恐る、といった様子でナギサが尋ねる。
ナギサからしたら、先生が突然タブレットへ話しかけ、一人で会話をしていたようにしか見えなかった。
「ん? あー……」
先生はそこでようやく気付いたように目を瞬かせる。
説明しようにも上手く言葉がまとまらない。
少しだけ考え込んだ後、先生は苦笑した。
「えっと……頼りになる仲間、かな」
「仲間……ですか?」
「うん。今はそれだけ覚えておいてくれれば大丈夫」
ナギサは釈然としない表情を浮かべたものの、それ以上追及することはしなかった。
「わ…分かりました」
先生はシッテムの箱を抱え直すと、隣に立つナギサへ視線を向ける。
「とりあえず、あの扉から出れば皆と合流できるみたい」
そして静かに扉の方を見る。
「行こうか」
「はい」
ナギサも小さく頷く。
二人は警戒を強めながら、アロナたちが示した出口へ向かって歩き出した。
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「……ここか」
通路を駆け抜けた一行は、やがて開けた空間へと足を踏み入れた。
そこはシグレたちが先ほど訪れた研究施設だった。
薄暗い室内には、いくつもの培養ポッドが整然と並んでいる。その多くはガラスが割れ、中身は空になっていた。床には砕けた破片が散乱し、無数の配管やケーブルが天井や壁を這うように伸びている。
先ほどは逃げることに必死で周囲を見る余裕もなかったが、部屋の隅々には書類や薬品、見慣れない実験器具が所狭しと並べられており、まさしく研究所と呼ぶに相応しい光景だった。
「なんか……薄気味悪いところだね……」
モモイが小さく肩をすくめる。
「悪の研究所って感じがする……」
ミドリも周囲を見回しながら呟く。
「……急に何か出てきたりは、しないよね……?」
ユズは警戒するように物陰へ視線を向け、ゲーム開発部の面々は自然と固まって歩いた。
そんな中、シグレが部屋の奥にある培養ポッドを指差す。
「あれに、ノドカが入ってたんだ」
皆の視線が一斉にそこへ集まった。
「なるほどな……」
デデデ大王は近くの空になった培養ポッドへ歩み寄ると、拳で軽くコンコンと叩いた。
「ということは、俺様たちもこんな中に閉じ込められてたってわけか」
「え……?」
シグレが驚いたように振り返る。
「あぁ、まだ話してなかったな」
デデデ大王は苦笑交じりに肩をすくめた。
「俺様たちも奴らに洗脳されてたんだ。まぁ、カービィたちのおかげで元に戻れたがな」
「ぽよ!」
カービィが元気よく頷く。
「それで嬢ちゃん、さっき言ってた――」
言いかけてデデデ大王が振り向いた、その時だった。
机の上に無造作に積み重ねられた資料が、ふと目に留まる。
「……ん?」
何か引っ掛かるものを感じ、無言のまま一枚を手に取った。
紙いっぱいに並んでいるのは、自分たちの知るどの文字とも異なる、不思議な記号のような文字列。
じっと見つめたまま数秒考え込むと、デデデ大王は低い声で呼びかけた。
「……おい、バンダナ。ちょっとこっちへ来い」
「何ですか?」
バンダナワドルディはぴょんと跳び上がり、デデデ大王の肩へ乗る。
「この文字……どこかで見覚えはねぇか?」
「文字…ですか?」
そのやり取りに気付いた面々も次々と集まってくる。
資料を覗き込んだモモイが首を傾げた。
「何これ? なんて読むの?」
「英語……でもないわね」
ヒナも眉をひそめる。
「サクラコちゃんとかハナコちゃんなら分かるかな……」
ミカも困ったように呟いた。
皆が「うーん」と唸る中、バンダナワドルディも腕を組んで考え込む。
「ぼくも分かりませんが……どこかで見たような気がします」
そしてバンダナワドルディは、不安そうな表情でデデデ大王を見上げた。
「大王様は何か分かるんですか?」
「俺様も確信があるわけじゃねぇが……」
デデデ大王は資料を指先で軽く叩きながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「この文字、マホロア……いや、ローアの船内で見てないか?」
その一言に、バンダナワドルディははっと息を呑んだ。
「た、確かに! ローアのあちこちに、こんな文字が書いてあった気がします!」
記憶を辿るように額へ手を当て、さらに思い出したように付け加える。
「そういえば、マホロアに連れられて行ったハルカンドラにも似たような文字があったような……」
その言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
デデデ大王は周囲を見渡し、培養ポッドや機械設備へ視線を巡らせる。
「これはあくまで俺様の憶測だが……」
低く呟き、静かに続けた。
「あいつらはハルカンドラの技術を手に入れているかもしれねぇ。現に、この工場の造りはエッガーエンジンズで見た設備とよく似てやがる」
「じゃ、じゃあ……」
バンダナワドルディの声が震える。
「マホロアがいないのも、大王様たちみたいに操られてるんじゃなくて……今もここで何かされてる可能性が……?」
「嘘か本当か分からんが、あいつはローアの出自がハルカンドラだと言っていた。あの科学力があるなら、復活できてもおかしくはない…」
デデデ大王は苦々しく歯を食いしばった。
しばし沈黙が流れる。
だが、手に持っていた紙を乱雑に投げた。
「こんなところで考え込んでる暇はねぇ!」
勢いよく顔を上げると、シグレへ視線を向けた。
「嬢ちゃん!さっき言ってた場所は、この先で間違いねぇんだな!?」
デデデ大王が通路の先を指差す。
「う、うん!」
シグレはその気迫に少し驚きながらも、迷いなく頷いた。
その横では、カービィも同じ方向をじっと見つめている。
「ぽよ!」
その返事を聞くなり、デデデ大王はハンマーを担ぎ直し、力強く叫んだ。
「よし!さっさとあのヤローをぶっ飛ばしに行くぞ!」
その先に待つのが希望か、それともさらなる絶望かは分からない。
だが、立ち止まっている暇などなかった。
ミカ(今…なーんかナギちゃんが羨ましい事されてる気がする……)