「ふぁああ……」
大きなあくびが漏れる。
先日の神木祭で起きた騒動以来、
問題を起こそうとする生徒の姿も、今ではほとんど見られない。
とはいえ、花鳥風月部がいつ再び攻めてくるか分からない。
そんな状況だからこそ、今日もこうして見回りを続けているのだった。
「おう嬢ちゃん!いつも見回りありがとな!良かったら一本もらってくれ!」
出店の準備をしていた店主が、声をかけてきた。
「お、いーの?ありがと!」
差し出された焼き鳥を受け取ると、さっそく一口かじった。
「美味っ!」
「そうだろ!今日から出す新作なんだ!ナグサちゃんにも伝えてくれや!」
「あぁ、言っとくよ!」
元気よく返事をすると、その場を後にした。
(そうだ…次は師匠と一緒に食べ歩きなんて青春っぽくていいかも……)
無意識に尻尾が左右に揺れた。
「んむ……まぁ、問題なさそうかな」
焼き鳥を頬張りながら、歩いてきた道を振り返る。
観光客で賑わう店もあれば、これから出店の準備を始める店もある。
あちこちから人々の話し声が聞こえ、通りには活気が満ちていた。
いつも通りの百鬼夜行。
少なくとも、今のところは何事も起きていない。
(よし、あとはこの先だけだ)
次に向かうのは、通りの一番奥にある公園だった。
普段はあまり人が集まらない場所だが、祭りの際には子供たちで賑わうこともある。
その公園へ向かって歩いていた、その時だった。
軽い地響きのような振動が、周囲に響き渡った。
「きゃっ!?」
「な、なんだ!?」
突然の音に、周囲の人々が一斉に反応する。
「あ、あれを見ろ!公園の方からじゃないか!?」
一人の住人が、通りの奥を指さした。
その方向へと視線を向けると、公園の辺りからもうもうと土煙が立ち上っていた。
「皆!公園に近づくなよ!」
そう言い放つと手にしていた焼き鳥の串を近くのゴミ箱へ素早く捨て、土煙の立つ公園へ向かって駆け出した。
「おい、そこのお前! 今すぐ三人から離れな!」
「……えっ?」
「レンゲ殿?」
「な、なになにぃ?」
突然のことに、忍術研究部の三人は戸惑いの声を上げる。
しかし、少女は彼女たちの反応を気に留める様子もなかった。
地面を蹴り、勢いよく跳躍する。
そして、タランザの目の前へと飛び込むように着地した。
「アンタ、何者だ?」
銃口が、まっすぐタランザへと向けられる。
だが、タランザは怯むことなく、落ち着いた様子で答えた。
「ワタシはタランザ。フロラルドから来たのね」
「フロラルド……?」
聞き覚えのない地名に、レンゲは眉をひそめた。
キヴォトスのすべての地域を把握しているわけではない。
それでも、少なくとも聞き覚えのない名前だった。
「もう一つ聞く。ここで何をしていたんだ」
「何を……というか、まだ何もしてないのね」
「……まだ?」
「そうなのね。ここに来たばかりで、今彼女たちから色々と話を聞いていたところなのね」
そう言って、タランザは忍術研究部の三人へと視線を向けた。
「レンゲ殿!タランザ殿は悪い御方では……!」
見かねたイズナが、二人の間に割って入ろうとする。
「下がってな!」
鋭い声が飛ぶ。
イズナの足がぴたりと止まった。
銃口は依然としてタランザを捉えたまま。
レンゲの視線にも、警戒の色が浮かんでいる。
一方のタランザは、何が彼女をここまで警戒させているのか分からず、困惑した表情を浮かべていた。
こうして、二人の間に張り詰めた空気が満ちていく。
「とりあえず付いて来てもらうぞ。詳しい話はそれからだ」
「それは困るのね」
タランザは首を横に振った。
「早急に調べたいことがあるのね」
タランザはふと遠くへと視線を向けた。
その先にあるのは、百鬼夜行の象徴ともいえる、巨大な桜の木だった。
「……」
タランザは、じっとその木を見つめている。
その横顔を見て、レンゲもそちらへと目を向けた。
その瞬間、レンゲの脳裏にこの前の神木祭で起きた騒動が脳裏をよぎる。
魑魅一座が祭りに乗じて騒ぎを起こしたように、この得体の知れない存在も神木に何かを仕掛けようとしているのではないか。
わざわざ身元も分からない場所から現れ、今度は神木を調べたいと言い出した。
偶然にしてはできすぎている。
「……よし」
レンゲの表情が険しくなった。
「今ここでお前を捕らえる」
「……え?」
突然の言葉に、タランザはきょとんとした。
レンゲは銃を構え直した。
「レンゲ殿!?」
「ちょ、ちょっとぉ!? 何がどうなってるの!?」
忍術研究部の三人が慌てて声を上げる。
タランザは困惑したまま、レンゲを見つめる。
「……ワ、ワタシは、ただあの木を調べたいだけなのね」
「それが駄目なんだよ!」
レンゲの銃口が、まっすぐタランザを捉える。
「お前が何者だろうと、百鬼夜行に手出しはさせない!」
レンゲが叫ぶと同時に、複数の銃声が響き渡った。
放たれた弾丸が、まっすぐタランザへと迫る。
――だが。
弾丸は彼の身体に届く寸前、まるで見えない壁に阻まれたかのように、空中でぴたりと静止した。
「手荒な真似はしたくないんだけど……はぁ、しょうがないのね」
タランザは小さくため息をついた。
空中に留まっていた弾丸が、ポトポトと音を立てて地面へ落ちていく。
「一旦落ち着いてもらうのね」
そう言って、タランザは浮遊する腕のうち二本を前へと向けた。
その手元に、淡い光を放つ魔力球が生まれる。
「……ますます事情を聴かなくちゃいけなくなったな」
レンゲは怯むことなく、再び銃を構えた。
タランザが腕を振るう。
二つの魔力球が、唸りを上げてレンゲへと飛んでいった。
「っと!」
レンゲは素早く身を翻し、飛来する魔力球を紙一重でかわす。
一発目が背後を通り過ぎ、続く二発目も彼女の身体をかすめることなく飛んでいった。
着地と同時に、レンゲは銃口をタランザへ向ける。
間髪入れず、再び銃声が鳴り響いた。
しかし、弾丸はまたしてもタランザの手前で停止する。
「……っ!」
レンゲの眉がぴくりと動いた。
すぐさま何かを振りくように腕を振るい、後方へ飛び退いた。
「……糸か」
「ご名答、よく見ているのね」
タランザは、ほんの少しだけ得意げに微笑んだ。
よく見てみると彼の周囲には、光を受けてかすかに輝く細い糸が張り巡らされている。
無為に近づけば糸に捕らえられてしまうだろう。
(やりづらいな……)
レンゲは銃を構えたまま、糸の張られた範囲を見極めようとする。
正面から撃っても弾丸は止められる。
近づけば糸に捕らえられるだろう。
(……なら!)
レンゲは一度深く身を沈め、勢いよく地面を蹴った。
砂埃が舞い上がる。
その身体は、タランザの頭上を取るように高く跳び上がった。
「上から来ても同じなのね!」
タランザはすぐさま反応し、浮遊する腕を持ち上げ周囲に張り巡らせた糸を一斉に動かした。
細い糸がうねるように集まり、レンゲの進路を塞ごうとする。
「あいにく、そんな戦い方には慣れてるんでね!!」
レンゲは怯まず叫んだ。
「百花繚乱の射撃術!舐めんじゃないよ!」
彼女が声を張り上げた瞬間、構えた銃の銃口から火の雨が放たれた。
炎をまとった弾丸が、放射状に拡散していく。
次々と撃ち出された弾丸が、タランザの周囲を覆う糸へと接近する。
着弾した炎が糸を焼き、細い光の筋が次々と途切れていく。
タランザが防御のために集めた糸も、炎の勢いを前にして次々と焼き切られてしまった。
「……っ!」
思わずタランザの表情が変わる。
(魔力を込めた糸でも、焼き切るとは……)
タランザは身をひねり、迫り来る弾丸をかわしていく。
右へ、左へ。
身体の向きを変えながら、炎をまとった弾丸の隙間を縫うように避けていく。
そのたびに弾丸が背後を通り過ぎ、地面へと突き刺さった。
着弾した場所から小さな爆発が連続して巻き起こり、周囲には砂埃が立ち込める。
そんな中、タランザは次の弾丸を避けようと、ふと左側へ視線を向ける。
だが、そこにあったものを目にした瞬間、彼の動きが変わった。
(……っ!)
次の瞬間、炎をまとった弾丸が次々とタランザの身体を捉えた。
爆発音が響き、タランザの身体が大きく吹き飛ばされる。
そのまま地面へと叩きつけられ、砂埃の中に転がった。
「いたた……」
やがて、レンゲがゆっくりと地上へ降り立つ。
彼女は銃を構えたまま、倒れたタランザを見つめていた。
(なんだ……?)
特別なことをしたわけではない。
先ほどまであれほど巧みに攻撃をかわしていた相手が、突然避けることをやめた。
むしろ、まるで自分から弾丸に当たりにいったようにさえ見えた。
「タランザ殿!」「タランザぁ!」
その様子を見ていた忍術研究部が、慌てて彼のもとへ駆け寄る。
一方、タランザはゆっくりと身体を起こしていた。
あちこち痛むのか、少し顔をしかめている。
(あぁ…思ったより傷が……これ以上は動けなさそうなのね…)
それでも――。
「くっふふ……」
なぜか、彼の口元には笑みが浮かんでいた。
負けたというのに、どこか満足そうなその表情。
レンゲはますます訳が分からなくなり、眉をひそめた。
銃を下ろし、タランザの方へと近寄る。
「なぁ、なんでアタシの攻撃を避けなかった……いや、当たりに来たんだ?」
「い、いやぁ……」
タランザはそう言うと少しバツが悪そうに、離れた場所へと視線を向けた。
「あれは……」
レンゲがその先に目を向ける。
そこには、周囲の地面が弾痕だらけになっている中、まるでその場所だけ切り取られたかのように、一輪の花が咲いていた。
周囲には焼け焦げた跡や、弾丸が穿った穴がいくつも残っている。
それなのに、その花だけは何事もなかったかのように、静かに桃色の花びらを広げていた。
「……花?」
レンゲは思わず声を漏らした。
「まさか…アタシの攻撃から花を守るために……!?」
「そう直接言われると恥ずかしいけど……そうなのね」
タランザは少し照れくさそうに笑った。
レンゲは返す言葉を見つけられず、一輪の花とタランザを交互に見つめていた。
身を挺して、何かを守る。
たとえ、そこに見返りがなかったとしても。
それが自分のやるべきことだと信じたからこそ、迷わず行動する。
目の前の不審者は、まさにそれを実行したのだ。
その姿を見ているうちに、レンゲの脳裏には、ある人物の姿が浮かんでいた。
いつだって誰かのために行動し、時には自分の身さえ顧みない。
そんな彼の姿と、今のタランザの姿が重なって見えた。
もちろん、まだ彼のことを完全に信用したわけではない。
正体も分からないし、彼が言っていた地名なんかもはっきりしていない。
それでも、もう悪事を働くような相手には思えなかった。
「……はぁ」
レンゲは大きな溜息を漏らす。
「話を聞いた後で、神木には案内するよ」
「か、感謝するのね……」
タランザはほっとしたように、表情を緩めた。
レンゲは銃を下ろすと、忍術研究部の三人へと向き直った。
「忍術研究部!」
「「「はい!」」」
突然名前を呼ばれ、三人は揃ってビクッと反応する。
「悪いけど、アタシたちと一緒に来てくれないか?一応、証人としてな」
そう言って、レンゲはタランザへと視線を戻した。
その目には先ほどまでのような敵意は、もうなかった。
ただし、まだ確認しなければならないことがあるのも確かだった。
こうして、ほんの数分前まで騒がしかった公園からは、少しずつ人影がなくなっていった。