男女比がどうとか以前に性格が悪い 作:河川敷の三人
たとえ前世の記憶が戻ろうとも俺は俺だったが、しかし価値観に若干の違いが出たのも確かである。
西暦2025年の日本。首都は東京であるのかないのか、法律で決まってないのも変わらない。しかし街を少し歩けば前と今との違いは一目瞭然だった。女性が圧倒的に多いのだ。
総人口一億五千万に対し、男性人口はなんと百三十万。大雑把に数えて1:100の男女比である。何が原因でこんな事になったのか。分かる者は居ないし調べようとする者は少なかった。何せ人類という種が成立した段階で、男女比率はおおよそこの様な数を維持してきたためである。歴史的に活躍した人物は殆どが女性であり、男性は封建的な考え方によって、家に社会に封じ込められてきた。
常識というのは恐ろしいものだった。まして、それが千年万年単位で続けられてきたものならば、今更それに異を唱える者はいない。しかし、男女比が1:1であり、そして性別に関連した奇妙な法律がない世界を知ったことで、俺の世間に対する態度は変わるようになった。それは第一に生活に現れた。寧ろ、その第一こそが最も積極的だったと言って良いだろう。
記憶が蘇って、俺は母親と二人暮らしを解消した。何故かと言えば、母親が俺に課していた生活はどう考えても虐待だったためである。
この世界において、男性とは生まれながらの勝ち組だった。多数の中における魅力的な少数。まず野垂れ死ぬことはなく、食っちゃ寝しているだけで金が入ってくる。
しかし、それに満足できないのが母親だった。彼女は──俺は母親を他人として見るようになった──世間的な栄達を目指しているようだった。彼女の血筋は元々名のある家だったようで、明治維新と大戦によって没落したものの、未だ再興を目指していたのだという。そのために高い金を払って高い精子を買い、腹を痛めて俺を産んだのだ。
自らの子宮で男子を産んだことは、彼女の人生における最大の幸運だったのかもしれないが、俺にとっては最大の不運だった。彼女は腹を痛めて俺を産んだが、俺はその痛み以上に痛め付けられて、高く売れるように育成されたのである。
ここがこの世界の面倒臭いところで、男性は、確かに生まれながらの勝ち組ではあるものの、社会全体における勝ち組となるには、男性独自の評価ポイントが必要となってくる。その評価ポイントは学力体力芸術文化気品に教養に云々と、つまりは女性が身に纏ってステイタスとなるような、時計や鞄が如き価値だった。男性は評価ポイントによって社会的地位を位置付けられ、それによって社会的地位の高い女性と関係を結ぶことを目標とする。職業選択の自由などありはしない。端的に言ってディストピアだった。
まあどちらの世界が優れているとかはどうでも良いのだが、とにかく母親は、俺の価値を高めることによって、より社会的地位の高い女性と結婚させようとしたらしい。
男子校に通わされていたのも完成を目指してとのことで、学業が完璧であることは前提とし、格闘技に柔道にピアノバイオリン日本画西洋画華道茶道その他諸々、痛め付けるようにというか物理的に痛め付けられていたのだが、彼女の言う完璧な男性を目指して、俺は育成されていた。
だが、中学三年の冬。既に受験が終わった時分の事である。何時ものように、脳天を打ち付けられてもニコニコと笑う訓練──という名の鬱憤晴らし──を受けていたところ、ふとして俺の記憶は蘇った。
果たしてそれは現実逃避による妄想かもしれないが、しかし妄想にしては、思い出すだけで涙を流すような音楽や絵画が脳裏に溢れかえったのは奇妙なことだろう。
大声を上げる母親を無視して、俺はリビングに備え付けられたグランドピアノに飛び付いた。必死になって楽曲を思い返し、断片を繋いでいった。それだけの才能が俺にはあり、それを可能にする修練を積んでいた。
虐待を通報する事に思い至ったのは、鍵盤に椅子を投げ付けられてからだった。
それまで俺は母親の意図の通り、完璧な男性として文句を言うこともなく過ごしていた。しかし、へし折れた右手の人差し指と中指に、前世も今世も関係なく殺意を抱いた。
俺は、空いた左手で喚く母親を殴り飛ばし、そのまま警察に通報した。
彼女は刑事罰を受け、懲役二十年の判決を受けた。恐るべきスピードだった。決して虐待如きとは言わないが、男性への加害に対しては、たとえ家庭内におけるものだろうとも刑事事件となり、酷く素早く重い刑が下されてしまうのも、この世界における特徴の一つである。
しかし、ここで問題が一つ生まれた。俺の処遇である。
確かに、刑事さん達の取り調べに対し、口汚く罵ったことは悪かった。前世の記憶が蘇って混乱していたこともあり、また、自分自身の行動に当惑と罪悪感を覚えていたこともあった。
もっとも、今となっては後悔していない。それでもそういった混乱が、それまで実に優秀であり、日本一の男子とも称されていた俺の価値を酷く貶めたことは事実だった。
何せ、男が女を殴ったのだ。支配されるべき男が、支配者たる女に刃向かった──。世間は家庭内虐待に対し、同情的な目を向けてくれてはいるものの、その一点に眉を顰めたことは確かである。また、どういう手を使ったのかは知らないが、保護直後の俺の言動が、週刊誌によって面白おかしく取り沙汰された事も悪かった。
『歪んだ貴公子』とは随分な言い方だが、骨折した指とのダブルミーニングと思えば、これ以上ないほどセンセーショナルな命名である。
その命名によって俺の将来は危うくなった。直近の将来である。合格した高校は国内随一と呼べる公立高校だったのだが、俺が入学することに難色を示したのだ。
その高校の名は安良滝高校といって、伝統と格式を保持し、今もなお財政界から多数の寄付金をいただいている。つまりは良家の子女で殆どを占められた気品ある場所である。そこに暴力事件を起こした俺が入学するのは、どう考えてもよろしくないだろう。
弁護士の人は断固として戦う所存だったが、俺としてはどうでも良かった。母親を恨んで、彼女が目指したルートを辿ることが癪に障ったわけではない。ただ単に、そこまで必死になる意味が見出せなかったというだけだ。将来の道も何とでもなれやと、寧ろ流浪のピアノ弾きとして世界各国を巡ることに憧れを抱いてさえいた。
それでも世間は本音よりも体面を選んだようで、弁護士さんが息巻く前に、事前の予定と変わらず俺は安良滝高校に入学した。
詰め襟の制服は、180センチの体躯より少し大きく、今となってはそれだけが母親の残したものである。
俺がやがて、西暦2025年の春、安良滝高校へ入った時、恐らく『やはり火のない所に煙は立たない』と思われた。クラスメイトの子女達は一様にしてその様な顔を浮かべていた。ハンカチで口元を押さえるほどではないが、それでも剣呑な火種を遠くから囲むように見つめていたのは確かである。
その原因は態度にあった。全治三ヶ月の診断を下された指先を、恥じるでもなく見せ付けて、悠々と校内を闊歩している。『母親を殴った』と公言して憚らぬ俺の態度を、不快に思った者は多いだろう。
何せこの世に男は少なく、それは安良滝高校でも同じである。寧ろ国内随一の高校だからこそ、選り取り見取りというわけには行かない。男子生徒は一学年で八のクラスの内、一クラスに一人ずつ、さながら景品のように置かれている。全員が難解な試験を突破し、面接を受け、家格さえも見られるという、女子生徒よりも難しい受験を経た結果としての少人数だった。
女子は当然に選別されるが、男子はより厳密に選別される。希少な価値を持っているからこその対処である。そうなれば向けられる期待は大きかった。同年代において最も素晴らしき八人だと思って良い。しかしそんな期待の八人の内、一人が早速不和を撒き散らしているものだから、クラスメイトの失望たるや、筆舌に尽くしがたいものだろう。
入学式があって、ホームルームの挨拶が過ぎ、さて俺が風評通りの男だと判明して、クラスメイト達の多くは教室の扉に目を向けている。通例ならば各クラスごとに男子と交友を深めるのだろうが、事情が事情であり、他クラスに顔を出すか迷っているようである。
しかし、当然だが話しかけてくる者もいた。真後ろの席からわざわざ立ち上がり、丁寧なお辞儀をしてから彼女は言った。
「はじめまして、蔭木昌紀様。私、錦城優香と申します。以後、お見知りおき下さい」
「それはよろしく」
「ええ、よろしくお願いします」
黒髪を胸元まで伸ばし、目は穏やかで、動作には礼節が滲んでいた。立ち振る舞いの一つ一つに生まれつきの品位と、それでも他者を受け止める柔らかさを宿している。
一見して、朗らかな少女だった。更によく見るならば、場慣れした少女だった。牽制は少なかったが、腫れ物へと真っ先に向かったその度胸。油断のない所作は、寧ろ柔らかさを宿しているからこそ、熟達したものと見える。
彼女は朗らかな印象のままに沈痛な表情を浮かべた。矛盾しているようで、そうではない。違和感を抱かせない振る舞いである。
「失礼ながら、蔭木様のご評判を耳にいたしまして……まだ、指先は治っていないのですね。あまりにも、痛々しく思ってしまいます」
「君は痛々しく思うだろうが、実際にはそれほど痛くない。ピアノが出来ないのが残念だがね」
「まあ、ピアノですか! 確かに、蔭木様のご評判は、我が国だけでなく世界にも聞こえていますものね。私も拝聴させていただいた機会がございまして、覚えていらっしゃいますか? 二年前の冬、国立劇場での……」
そこから錦城は思い出話を始めた。恐らくは事前に用意してきたのだろう。しかし嬉しそうに表情を変えながらも、時折俺の右手に目を落とし、悲しそうな目を向けるのは流石である。
俺は段々とこの少女の事が分かってきた。思い起こせば、錦城とは確か、名のある家ではないか。蔭木などという時代の遺物とは違い、千年以上前からこの国に根を張る貴族である。
その薫陶を受けたのか、彼女の振る舞いは堂に入っていた。成程、大抵の人間は、表情を作ることは出来るだろうが、雰囲気を作ることが出来るのは中々いない。表情と雰囲気の矛盾は、しかし齟齬なく向けられて、会話を円滑に進めようとしている。キャッチボールとして進めるのではなく、最初から最後まで支配しようとする意思がある。
錦城を契機として、他のクラスメイト達も俺に眼を向け、中には自然を装って会話に混じってきた者もいたが、遂に主導権を奪うことは叶わなかった。彼女は最後に、それまでで一番の悲痛を浮かべ、言った。
「よろしければ、私に蔭木様のお手伝いをさせていただけませんか? 勿論、補助となる者はいらっしゃるでしょうが、学内においては手が届かぬ事も多いでしょう。皆様もそう思いませんか?」
「そうですね! クラスメイトである私達が、蔭木様のお手伝いをするのは、道理というものです」
「私も賛成です。早速クラス委員として、候補を募りましょう!」
自然と私を私達にしているのも流石だったが、錦城はそこを指摘せず、ニコニコと推移していくままに見守っている。事実、その様なものが設立されれば、彼女がクラス内の影響力を握ることは確実だろう。初めに何かを成し遂げた者は、往々にして初めだけでは終わらぬものである。
しかし、「いいや結構」と俺は言った。少しの沈黙が広がる。「まあ、それは」と錦城だけがすぐに声を上げた。
「それは、大変申し訳ありませんでした。蔭木様の心情も考慮せず、勝手な振る舞いを……。過ぎた申し出でした」
「そう、そうですね。申し訳ありません! あの様な事があったのですものね」
「これは本当に失礼な事で……」
「ああ、いや」
俺は努めて笑みを浮かべ、右手をあげた。包帯が巻かれた二本指を振るい、「そうじゃない」と気楽さを演出して言う。
「冷や水を浴びせるつもりはないんだ。申し訳ないとか、そういう声を聞きたかったわけじゃない。ただそういうのは面倒臭いと思っただけだ。分かるか? これは自己紹介の延長だ。俺はそういう人間で、君達は俺をそういう人間だと扱ってくれ」
「はあ……?」
「勿論、学校及び社会に強制される事はあるだろう。男女仲良くしなさいとは、さながら小学校の標語のようだが、それが現実なんだから仕方がない。しかし、俺は社会が俺より上にあるとは思わないよ。社会が俺のためにあるとも思わないが。しかし境界線を引きたいのは事実だ。どこまでを許し、どこからを許さないか。それを決めるのは俺個人だということを君達には分かって欲しい」
それは男が言うべき言葉ではなく、女が言うべき言葉でもなかった。何せこれは現状の社会に対する挑戦に他ならなかった。男のために女が奉仕し、女のために男が奉仕する、厳密に分断された性別の、相互的な作用によって成り立つ社会とは、理念からして相容れぬ、男という役割を放棄した考え方だった。
それでもこれは本音だった。この世界には全体主義的な傾向がある。その中では個人の意思を発揮することは難しいだろう。しかし前世の記憶を持ち、そして今世の体験を経た俺としては、もう何かに縛られることはまっぴらだった。
クラスメイト達は失望するまでもなく『やはり』といった顔を浮かべた。失望するまでもなく期待していなかった証左だが、その中においても錦城は朗らかな笑みを見せ、
「蔭木様は、とても立派なお考えを持っていらっしゃるのですね」
と言って、改めてお辞儀をした。
「私、感服いたしました。蔭木様のお考えが、よくよく達成されるよう、私も助力していきたいと存じます」
それは言外に、見切りを付けたと言っているようなものだったが、それでも雰囲気は朗らかで、親しみのある声色だった。俺ほどよく躾けられていなければ、ここでほっと一息吐いていたことだろう。
そこに気付いたとしても、気を悪くすることはなかった。事実として、それは達成されるのだ。何も悪くない。俺自身、願ったり叶ったりだろう。
しかし、錦城の振る舞いはあまりに見事で、社会そのものを象徴しているようですらあった。社会において優れたる一部が支配的に振る舞う事で、男女の分断という全体は規定される。それは必要性から生じた社会政策でもあったが、政策は歴史を重ねる事で思想となり、常識となって、今や異端は蔑まれる時代となった。
「なあ、錦城優香」
「はい?」
「君の将来の夢はなんだい?」
錦城は、初めて表情を見せたように首を傾げた。俺は笑った。冗談を語るように右手を掲げる。
「俺の夢は今言った通り、俺という個人の維持、社会との対峙、挑戦な訳だが、君はどうなのかと思ってね。対峙する側は、どんな事を思っているのか。それを聞きたい」
「対峙とは、物騒なことを仰いますね。私は蔭木様の思うままに。何なりと申し付けて下さって良いのですよ」
「じゃあ申し付けよう。君の将来の夢はなんだ?」
「日本国大統領の席に座ることです」
臆面もなく、堂々と錦城は言った。「しかし」と彼女は苦笑する。同じく冗談を言うように、
「申し付けるのですね?」
と言った。
「ああ、申し付けた。それが俺の意思だったからな。気分を悪くしたかな?」
「滅相もございません! 今後も何なりと、都合の良いときに」
「そう、都合の良いときに、都合の良い振る舞いをしよう。それを試金石にしても良いな。社会はどこまでを許して、どこからを許さないのか」
「ええ、是非ともその様に」
「その様に、あくまで勘違いをして欲しくないから言っておくんだが」
俺は右手に合わせ、左手もあげた。笑みを浮かべる。錦城が怪訝そうな眼を向ける。
「俺は既に、社会に対して降参している。挑戦と、格好付けてはみたものの、それは妥協点を探ることでしかない。転覆も革命も、俺にとっては過ぎた言葉だ。どうか安心してくれ」
「……さようでございますか」
「さようだ。共に学園生活を楽しもうじゃないか。妥協点を探りながらね」
「妥協点」
「妥協点だ」
「それは、とても……」
錦城は何かを言いかけて、しかし笑みを浮かべた。「とても?」俺の問いに、彼女は朗らかに言った。
「それはとても、先進的な考えですね。私も蔭木様を見習いたく存じます」
錦城は笑みを浮かべ、深々と礼をして去って行った。方々のクラスメイトへ挨拶をしているようである。残された少女達も、慌てて礼をして彼女の背を追いかけていった。早くもクラスの中心人物が決まったという所だろう。
動きつつある流れを見つめながら「それはとても」と俺は呟いた。錦城が言いかけた言葉の後を想像して、しかし苦笑が漏れるばかりだった。彼女が言おうとした事など一つしかないだろう。
「それはとても、身勝手ですね」
それが、この世界における社会の言葉だった。