1
森の奥深く。遺跡のオアシス。
三つの席と、テーブル。
旅人、パイモン、そしてジェイドは、オアシスの中央の島に座っていた。石造りの橋を渡り、この場所にやってきた。
「ここ、砂漠のオアシスとそっくりだね」
ジェイドが周りを見回した。その青紫色の髪が、オアシスの光を受けて輝いている。
「こっちは森のオアシスだ! 砂漠のとは違うんだぞ!」
パイモンが得意げに胸を張って説明した。
「へぇ……森の中のオアシスなんて面白いね」
ジェイドは楽しそうに言った。好奇心に満ちた目で、周囲を観察している。
彼女は水面を見つめた。そこには、わずかに霧が漂っている。淡く、儚く、まるで幽霊のように。
「それで、旅人。何を話したらいい?」
ジェイドは旅人を見た。
「ああ、そうだな……」
旅人は少し言葉を濁した。少し考え込んだ後に切り出した。
「ジェイド、最近どうしてる? 傭兵をしてるって聞いたけど?」
「さっき聞いてなかったっけ、それ?」
ジェイドは少し不思議そうに首を傾げた。
「まぁ、近況は聞いてもらった方が良いと思ってさ」
旅人の声にはわずかな緊張が滲んでいる。
「まあまあね」
ジェイドはひょうひょうと答えた。
「傭兵稼業は相変わらず忙しいわ。依頼は途切れないし、腕を磨く日々よ」
彼女は少し遠くを見るような目をした。
「でも、一人だと寂しい時もあるけどね」
その言葉には、隠しきれない孤独が滲んでいた。彼女は少し寂しそうに微笑んだ。
旅人は、その表情を見て胸が痛んだ。
ジェイドは、父を黄金の眠りで失った。家族がいなくなった彼女を、旅人はずっと気にかけていた。だから、今日ここに呼んだのだ。
2
「そういえば」
ジェイドが話題を変えた。その声は明るく、さっきまでの寂しさを隠すように。
「マハールッカデヴァータ様が復活したんだよね。砂漠でも大きなニュースになってたよ。本当にすごいことだよね」
「ああ、色々あったよ」
旅人は頷いた。
「詳しく聞きたいな」
ジェイドは身を乗り出した。興味津々の表情だ。
「あたし、砂漠にいたから、詳しいことは知らないの。どうやって復活したの?」
旅人は、少し考えてから話し始めた。どこから、どう話すべきか。
「花神誕祭の夜だった」
旅人は言葉を尽くして、その計画の断片を説明した。
3
「……そんなことが起きていたなんて」
「スメールのみんなの反応も、すごかったんだぞ!」
パイモンが元気よく続けた。
「教令院での発表の時、みんな泣いてたんだ」
「そうなんだ」
ジェイドは興味深そうに聞いている。
「ああ」
旅人は思い出すように語った。
「全てと言うわけにはいかなかったが……ナヒーダとマハールッカデヴァータが並んで立って説明したんだ」
旅人の目には、あの日の光景が映っている。
「500年前のこと。世界樹の書き換えのこと。そして復活のこと」
「みんな、最初は信じられないって顔をしてたぞ」
パイモンが付け加える。
「でも、マハールッカデヴァータが話し始めると、会場の空気が変わったんだ」
「彼女は、とても優しい声で語りかけていた」
旅人は続けた。
「『私は戻ってきました。もう二度と、皆さんを置いていきません』って」
「その言葉を会場中が静かに聞いてたんだ。最後は歓迎して、みんなが叫んでた。学者も、商人も、子供も。みんなが」
旅人の目にも、涙が浮かんでいた。
「何度も、何度も。『お帰りなさい、マハールッカデヴァータ様』って」
「うんうん……あたしもそこにいたかったな」
ジェイドは神妙に何度もうなずいた。
「ああ、思い出すと、今でも胸が熱くなる」
4
「それで、クラクサナリデビ様とマハールッカデヴァータ様は、どうなの?」
ジェイドが尋ねた。
「二人の草神が同時にいるって、大変じゃない?」
「いや、とても仲良くやってるよ」
旅人は明るい声で言い切った。
「最初、ナヒーダは落ち込んでたんだ。マハールッカデヴァータの存在を消して、忘れてしまっていたこと。それが、彼女を苦しめていた。世界樹の記憶改変によって、マハールッカデヴァータがやった善行は、すべてナヒーダのものになっていたからね」
旅人は少し言葉を区切って続けた。
「ナヒーダは、それを知って苦しんでいた。でも、マハールッカデヴァータは言ったんだ。『あなたは立派に神を務め、私を救ってくれた。私が選んだ、本物の草神です』って」
「ナヒーダは立派な神様だぞ!」
パイモンが嬉しそうに言った。
「今、マハールッカデヴァータは教令院で研究に協力してるんだ」
旅人が付け加えた。
「でも、草神としての力も世界樹との繋がりも失ったから、彼女自身も講義を受けたりしてるんだ。かつて親友(花神)が背負っていた砂漠の歴史や痛みを、一から学び直すためにね」
「ええ? 神様なのに学生みたい」
ジェイドが驚いた。
「そうだな」
旅人は笑った。
「でも、本人はとても真剣で、どこか楽しそうだったよ。『罪を引き継いで生きるなら、まずはこの世界のすべてを知らなくてはね』って」
5
「アランナラたちも、すごく喜んでたぞ」
パイモンが話題を変えた。
「アランナラ?」
ジェイドが首を傾げた。
「森の小さな友人たちだ」
旅人は説明した。
「彼らが、数百年間もマハールッカデヴァータの記憶を守ってくれてたんだ」
「そんなに長い間……?」
ジェイドは驚いた表情を見せた。
「ああ」
旅人は頷いた。
「マハールッカデヴァータがヴァナラーナを訪れた時、アランナラたちは大喜びで飛び回ってた」
「『元草神様!元草神様!』って」
パイモンは楽しそうに語った。
「マハールッカデヴァータは泣きながら、一人一人を抱きしめてた」
旅人は言った。
「『ありがとう、本当にありがとう』って、何度も何度も。彼女が救われて、本当に良かった」
「みんな、待ってたんだね」
「ああ」
旅人は頷いた。
6
「砂漠の人々も、驚いてたんだ」
パイモンが続けた。
「三人で砂漠を訪れたんだ」
旅人が説明した。
「ナヒーダ、マハールッカデヴァータと……新しく生まれた、小さなマリーの三人で」
「そりゃあ驚くよ。生きてる間にそんなことがあるなんてね……でも、砂漠の連中は反発しなかったの? 昔の神様たちでしょ?」
「最初、砂漠の人々は戸惑い、警戒していた。でも、マハールッカデヴァータが、彼らの前に進み出て静かに頭を下げたんだ」
旅人は思い出すように語った。
「『私は、かつてあなたたちを見捨てた砂漠の業を、この身にすべて引き受けにきました。これからは森と砂漠の架け橋になりたい』って。元草神のその真摯な言葉と決意を聞いて、みんな徐々に心を開いていったんだ」
「それにさ!」
パイモンが笑顔で付け加えた。
「記憶をなくして子供の姿になったマリーが、砂漠の子供たちと一緒になって、無邪気に砂遊びをして笑ってたんだぞ。それを見た砂漠の大使たちも、毒気を抜かれたみたいに微笑んでたんだ」
「……誰かが言ってたよ。『古い怨恨が終わり、ニューエイジがスタートするのかもしれない』って」
旅人は続けた。
ジェイドは、静かに頷いた。
「本当に……そうなるといいね」
「なるさ」
旅人は確信を持って言った。
「あの三人なら、きっと。砂漠も森も、一つになれる」
7
しばらく、三人は黙っていた。
オアシスの水面が、静かに光っている。時が止まった世界のただなかにいるように、ただ三人の呼吸する音だけが聞こえていた。
旅人は、水面を見つめていた。
そこに漂う、淡い霧。『我ら』の残滓。ここで霧散した魂たちが、永遠のオアシスで眠っている。伝承の通りに。
心の中で、旅人は祈るように願った。
ジェイドの声が、届きますように。
でも、何も起きない。
水面は、静かなままだった。波一つ立たない。
旅人は、少し焦りを感じ始めていた。
もしかして、駄目なのか……?
「ねえ、旅人」
ジェイドの声が、静寂を破った。
「なんだ?」
旅人は顔を上げた。
「父さんのこと……覚えてる?」
旅人は、驚いて彼女を見た。
「ああ、もちろん。立派な人だった」
「父さんは……あんまりしゃべる人じゃなかったけど……」
ジェイドは遠くを見るような目をした。その目には、懐かしさと悲しみが混ざっている。
「いつもあたしを見守ってくれた。守ってくれた。でも……」
彼女の声が震えた。
「もう戻ってこないのかな……黄金の眠りから……」
「ジェイド……」
「あたし、最後に何も言えなかった」
ジェイドは涙を流し始めた。大粒の涙が、頬を伝い落ちる。
「『ありがとう』も、『愛してる』も、何も……」
彼女は水面を見た。そこには、わずかに霧が漂っている。
『我ら』の残滓。父が眠っている場所。
ジェイドは、ゆっくりと立ち上がった。足が震えている。でも、彼女は一歩を踏み出した。水辺に近づく。靴が水に触れる。でも、気にせずさらに進む。
「父さん」
彼女の声が、震えていた。
「聞こえる……?」
水面は、静かなままだった。何の反応もない。
「あたし……ジェイドだよ……あなたの娘……」
何も起きない。
ジェイドは、さらに声を大きくした。
「お願い……聞こえて……」
沈黙。
ただ、水面が彼女の姿を映しているだけ。
ジェイドの目から、涙があふれ出た。止まらない。声が震える。
「まだ眠ってるつもり!?」
そして、彼女は叫んだ。その声は、オアシス全体に響き渡る。
9
旅人がジェイドをここに連れてきたのは、友達として気にかけていたからだけではなかった。
マハールッカデヴァータから聞いた話があった。
『我ら』になって日が浅い者なら、縁者が呼びかければ、ジンニーとして戻ってこれるかもしれない。ナブ・マリカッタはもともとジンニーを誕生させたときに黄金の眠りの魂を使った。
旅人は、それを聞いて思った。
もしかしたら、ジェブライラも……
だから、ジェイドをここに連れてきた。ずっと会話をしていたのも、そのためだ。
ジェイドの声が、『我ら』の中の、この永遠のオアシスで眠っているジェブライラの魂に届くように。
でも、何も起きなかった。旅人は失敗したのかと思った。
ジェイドはまだあきらめきれずに呼びかけていた。胸が締め付けられる。
「まだ話したいことがたくさんあるの……! 一緒にいたいの……! お願い……戻ってきて……!」
その声が、オアシス中に反響した。木々が、壁が、天井が、その声を何度も繰り返す。
その時。
水面が、激しく波立った。