1
記憶の空間。
周りは白い霧に包まれている。足元は見えないのに、確かに立っている感覚がある。空気は冷たく、それでいて温かい。矛盾した感覚が全身を包んでいた。
「ここは……」
霧の中から、光の粒子が無数に浮かび上がってくる。それらは星屑のように瞬き、ゆっくりと旅人の周りを漂っている。記憶の断片。一つ一つが、失われた時間の欠片だ。
旅人は、最も近くで輝く光に手を伸ばした。指先が触れた瞬間、光が広がり、映像になった。
---
森の中。旅人は前にもナヒーダときたことがある。目の前に見える巨大な木は世界樹だ。その幹は天を突き、枝は世界そのものを支えているかのようだった。
その前で五体のアランナラが話している。彼らの小さな体が興奮で震えていた。
「招かれたのだ!」
「草神様の記憶、守らないと!」
「世界樹から受け取ったのだ! とても大切なもの!」
「世界樹! 世界樹が話しているのだ!」
アランナラたちの声が重なり合う。彼らは驚きと喜びで満ち溢れていた。
「当然なのだ! 草神様は大切な友達なのだ! 草神様の記憶を守るのだ!」
アランナラたちは元気よく返事をする。そして世界樹を見上げた。
「繋がりを断つ……? 世界樹と草神様の繋がりを……?」
一体のアランナラが首を傾げた。
「ただの存在として生まれ変われば……?」
「じゃあ、草神様は目覚めるのだ!」
「僕たちは記憶が命なのだ!」
「草神様の命、守るのだ!」
アランナラたちが元気よく言った。
「ずっと、ずっと、守り続けるのだ! 何百年でも!」
アランナラたちの声が森に響いた。その誓いは、純粋で、揺るぎないものだった。
---
映像が波のように揺らぎ、次の場面へと移り変わった。
アランナラたちが、ある場所に向かって走り出した。それはナブ・マリカッタを生き返らせて役目を終えた遺跡。
「ここなのだ! 世界樹が教えてくれた場所!」
「時が止まるから、記憶も消えないのだ!」
アランナラたちは遺跡の中に入っていく。最深部のオアシスの部屋。
そこで、彼らは円を描いて座った。そして、一人の女性が現れた。
ナブ・マリカッタ。
彼女の姿は疲れていた。目の下には隈があり、歩き方もどこか頼りない。それでも、アランナラたちを見た瞬間、彼女の顔に優しい笑みが浮かんだ。
「小さな友人たち、ありがとう。お願いを聞いてくれて、本当にありがとう」
彼女は膝をつき、アランナラたちと同じ目線になった。
「花神様!」
アランナラたちが一斉に声を上げた。
「ここは永遠のオアシスの技術によって時間が停止する場所。ここには、世界の改変は届かないわ。時が止まっている限り、記憶も、存在も、全てがそのまま保たれる」
ナブ・マリカッタは緑の結晶を取り出した。
「この緑の結晶は缶詰知識とプライマル構造体をもとにつくったわ。この結晶に世界樹からもらった記憶を移して守っていてほしいの」
「ここで守るのだ」
「草神様を、絶対に忘れないのだ」
「いつか……花神様が……僕たちを思い出してくれるのだ……そしたら……」
「そしたら、草神様を取り戻せるのだ!」
ナブ・マリカッタは、涙を浮かべていた。その涙は頬を伝い、地面に落ちる。
「ありがとう……本当に、ありがとう……私は……」
彼女の声が途切れた。
「私は、いつかこの記憶も失うでしょう。でも……いつか……きっと……」
ナブ・マリカッタは空を見上げた。
「必ず、取り戻す。彼女を。彼女の笑顔を。彼女の優しさを。この世界に、もう一度」
そして、彼女はアランナラたちに深くお辞儀をした。
「お願いね。小さな、でも強い友人たち」
「任せるのだ!」
アランナラたちが元気よく答えた瞬間、時間が止まった。
水の流れが凍りつき、風が静止した。アランナラたちは円を描いたまま、永遠の守護者となった。
---
映像が完全に消える。
旅人は息をのんだ。世界樹自身が、マハールッカデヴァータを生き返らせたいと願った。そしてアランナラたちとナブ・マリカッタが、その想いを受け継いだ。
「世界樹との繋がりを断てば……安全に生き返れる……? 方法があるのか……?」
旅人は呟いた。
「でも、どうやって……?」
少なくともナブ・マリカッタは知っているようだ。世界樹に知識が保存されていればナヒーダもわかるかもしれない。
少なくともマハールッカデヴァータの記憶の結晶がある。ナブ・マリカッタをよみがえらせた時のことを記憶しているはずだ。
その時、また別の光が旅人の目の前で強く輝いた。それは他の光とは違う、温かく、それでいて切ない輝きを放っていた。記憶の断片が、旅人を呼んでいる。
旅人は深呼吸をして、その光に手を伸ばした。
2
景色が変わった。
森の中の研究施設。学者たちが行き交い、資料を運び、議論している。
そして、一人の女性が立っていた。白い髪。緑の瞳。マハールッカデヴァータ。
彼女は疲れた学者に声をかけていた。
「少し休んでください。無理は禁物ですよ」
「でも、マハールッカデヴァータ様……」
彼女は微笑んだ。
「疲れた頭では、良い考えは浮かびません。休んで、また頑張りましょう」
学者は頷いて、休憩室に向かった。
マハールッカデヴァータは、その背中を見送ってから、自分の研究室に戻った。
旅人は、透明な存在として、その様子を見ていた。彼女には見えていない。
彼女は机に向かい、資料を広げた。禁忌の知識に関する研究。どうやって封じるか。どうやって人々を守るか。
彼女の目には、深い疲労があった。でも、諦めはなかった。
「必ず……方法がある……」
彼女は呟いた。
旅人は、その姿を見て思った。この人は、最後まで戦い続けたんだ。
3
記憶は流れていく。
次の場面。マハールッカデヴァータが、村を訪れている。
禁忌の知識に侵された人々を診ている。
「大丈夫ですよ。少しずつ、良くなっています」
彼女は優しく声をかける。
「マハールッカデヴァータ様……ありがとうございます……」
患者は涙を流していた。
マハールッカデヴァータは、その手を握った。
「諦めないでください。私も、諦めませんから」
旅人は、その光景を見て胸が熱くなった。
彼女は、一人一人を大切にしていた。名前も知らない人々を、自分の命を削ってまで守ろうとしていた。
4
記憶はさらに流れる。
マハールッカデヴァータが、ナブ・マリカッタと話している場面。
「マリカッタ、あなたは休んで」
「でも……」
「あなたのせいじゃないわ」
マハールッカデヴァータは、ナブ・マリカッタの肩に手を置いた。
「誰も、責めていない。私も」
「でも、私が禁忌の知識を……」
「それは、世界を良くしようとしたからでしょう?」
マハールッカデヴァータは微笑んだ。
「なら、一緒に解決しましょう。責任を負うのは、後でいい」
ナブ・マリカッタは涙を流していた。
「ありがとう……」
旅人は、その会話を聞いて思った。この人は、誰も責めない。誰のことも、大切に思っている。
5
また記憶が流れる。
マハールッカデヴァータが、世界樹の前に立っている。
「私の意識の断片を使ってください」
彼女は静かに言った。
「禁忌の知識を封じるために」
少し間があって彼女は続けた。
「でも、これしか方法がありません」
マハールッカデヴァータは強く言った。
「私は、この世界を守りたい。人々を守りたい。大切な人たちを守りたい。だから、お願いします」
マハールッカデヴァータの体から光が現れると、それは世界樹の中に消えていった。
世界樹の幹が震えた。枝が揺れ、葉っぱが落ちる。
「……これでナヒーダがすべてを終わらせてくれる……」
旅人は、その決意を見て思った。彼女は、自分の命よりも世界を選んだ。
6
記憶は、さらに進む。
夜。誰もいない部屋で、マハールッカデヴァータは一人座っていた。
そして、静かに泣き始めた。
「怖い……消えるのが、怖い……みんなに忘れられるのが、怖い……」
彼女は膝を抱えて、声を殺して泣いていた。
旅人は、その姿を見て胸が締め付けられた。
彼女は、本当は怖かった。でも、それを誰にも見せなかった。
一人で、全てを背負った。
旅人は、ただ見ていることしかできなかった。
7
記憶は流れ続ける。
マハールッカデヴァータの体調が、さらに悪化していた。彼女は黒潮と向き合っていた。でも、手が震えている。
「まだ……時間が……もう少し……もう少しだけ……」
彼女の体は、もう黒く染まり始めていた。
それでも、彼女は諦めなかった。
旅人は、その姿を見ていた。何もできずに。
8
また記憶が流れる。
マハールッカデヴァータが、世界樹の前に立っている。
彼女の前には、小さな苗があった。
「ナヒーダ……」
マハールッカデヴァータは優しく呟いた。
「あなたに、全てを託します」
彼女はナヒーダに触れた。
「あなたなら、きっとできるわ。この国を守ること。ごめんなさい……こんな重荷を背負わせて……でも……信じているから」
彼女は微笑んで、去っていった。
旅人は、その背中を見送った。
彼女は、最後まで優しかった。最後まで、誰かのことを想っていた。
9
そして、最後の記憶。
マハールッカデヴァータは、一人で砂漠を歩いていた。彼女の体は、もうほとんど黒く染まっていた。歩くのもやっとの様子だった。
旅人は、その後ろを歩いていた。彼女は立ち止まり、オアシスの中で座った。
「もう……ここまでね……」
彼女は呟いた。そして、空を見上げた。
「きれいね……」
彼女は一人で呟き続けた。
「私……世界を守れた……よね……みんな……幸せになって……」
彼女の体が、ゆっくりと光り始めた。消えていく。
「マリカッタ……ごめんなさい……ナヒーダ……頼んだわよ……」
彼女の声は、だんだん小さくなっていく。旅人は、その姿を見ていた。涙が溢れていた。
このまま、消えていく。一人で。旅人は、もう我慢できなかった。
「待ってくれ」
旅人は声をかけた。マハールッカデヴァータはゆっくりと旅人の方に振り向いた。
「ああ、マリカッタ……? 一人で抜け出してごめんなさい、こんな姿を見たらあなたは泣いてしまうでしょう……?」
マハールッカデヴァータが言った。目の焦点が合わず遠くを見つめているようだった。
(マリカッタ……? 彼女は最後、ナブ・マリカッタといたのか……?)
旅人は心の中で思った。しかし今はそれを問うべきではないと判断し、黙っておいた。
「違う、俺は……」
旅人は深呼吸をした。
「ただの旅人だ。でも……話がある」
10
「ここは……記憶の中だ」
旅人は静かに言った。
マハールッカデヴァータが、戸惑った表情で旅人を見ている。
「記憶……? あなたはいったい……」
「あんたはこれから消える。500年前のこの時に。でも、アランナラたちがあんたの記憶を守っている」
マハールッカデヴァータの目が見開かれた。
体からこぼれる光が止まり、彼女は不思議そうに自分の両手を見た。
息もいつの間にか整っていた。
記憶だと意識した彼女によって記憶の再現が終わったのだろう。
「そしてあんたを復活させようとしている人たちがいる。俺はどうするべきか判断するために来た」
「復活……?」
マハールッカデヴァータは旅人の目を見た。目の焦点が戻ってきていた。旅人の真意をうかがっているのだろう。
「ああ。世界樹との繋がりを断てば、安全に復活できる。世界樹自身が、そう言っていた」
旅人は真っ直ぐに彼女を見た。
「ナヒーダが待ってる。ナブ・マリカッタも。そして……世界樹自身が、あんたを必要としている」
マハールッカデヴァータは、しばらく黙っていた。風が砂を運び、オアシスの水面が揺れる。でも、時が止まった世界だから音はない。そうするうちに彼女の目に戻っていた力が抜けた
「……無理よ……」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
「私のことを誰かが覚えてないといけないわ……でも、世界樹の書き換えで……みんな忘れてしまう……」
「俺が覚えてる」
旅人は即座に答えた。
「俺は外の世界の人間だ。テイワットの外から来た」
マハールッカデヴァータは驚いた表情を見せた。
「だから、世界樹の書き換えは俺には効かない」
旅人は続けた。
「俺は、あんたの記憶を見た。あんたが、どれだけ優しくて、どれだけ強くて、どれだけこの世界を愛していたか」
旅人の声に熱が増した。
「そして、どれだけ怖かったかも見た」
マハールッカデヴァータの体が揺れた。
「一人で泣いてたのも、見た。誰にも弱音を吐かずに、全部一人で背負ってたのも、見た」
「そんな……ことまで……」
「あんたは、この世界に必要な人だ」
旅人は強く言った
マハールッカデヴァータは、涙を流し始めた。
「でも……」
マハールッカデヴァータは顔を上げた。涙で濡れた顔で。
「でも、私は弱かった……強いふりをしてただけで……本当は……ずっと怖くて……」
「それでも、あんたは戦い続けた」
旅人は優しく言った。
「怖いのに戦った。苦しいのに笑った。消えるのが怖いのに、世界を選んだ」
旅人は彼女の目を真っ直ぐに見た。
「それが、本当の強さだ。あんたは、誰よりも強くて、誰よりも優しかった」
マハールッカデヴァータは、涙を流し続けていた。
「私は……生きていていいの……?」
その声は、あまりにも切なかった。
「生きたいと思うのは……わがままじゃない……?」
「わがままじゃない」
旅人は強く、はっきりと言った。
「生きたいと思うのは、当然のことだ。正直に言ってくれ。生きたいのか、生きたくないのか」
マハールッカデヴァータは、旅人の目を見た。その瞳には、長い間押し殺してきた想いが溢れていた。
しばらくの沈黙。
そして、彼女は震える声で言った。
「私……本当は……」
涙が溢れる。
「生きたかった……」
その言葉は、絞り出すようだった。
「みんなといたかった……世界を、もう一度見たかった……」
もう、堰を切ったように言葉が溢れ出す。
「草花の成長を見守りたい……三人でいた時のように砂漠の風を感じたい……人々の笑顔を見たい……一緒に笑いたい……泣きたい……」
彼女は叫ぶように言った。
「生きたい……! 生きたい……! もう一度……もう一度だけ……みんなに会いたい……!」
彼女は泣き崩れた。
「忘れてほしくなんかなかった……! 消えたくない……! 生きたい……!」
旅人は、彼女の手を強く握った。
「わかった」
旅人の声は、揺るぎない決意に満ちていた。
「必ず、生き返らせる。あんたを、この世界に連れ戻す」
「本当に……そんなことが……?」
マハールッカデヴァータは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃの顔で。でも、その目には希望の光が宿っていた。
「ああ。世界樹自身が、あんたを生き返らせたいと思っている。世界樹自身があんたの記憶の結晶を用意した」
旅人は真剣な表情で言った。
「だから、これは世界の意志だ。あんたを止める理由はない」
マハールッカデヴァータは、涙を流して旅人を見つめていた。
「それと……俺は、砂漠を旅してきた」
「砂漠……?」
「ああ。アフマルの遺跡を巡って、砂漠の人々と話した」
旅人の声には、強い想いがあった。
「砂漠と森には、まだ格差がある。差別がある。昔……一人の王と二柱の神がいた時代は、違ったって聞いた」
旅人は続けた。
「キングデシェレト、ナブ・マリカッタ、そしてマハールッカデヴァータ。彼らが協力していた時代は、そんなものはなかったって」
マハールッカデヴァータは、旅人の言葉を静かに聞いていた。
「でも、今は違う。砂漠の人々は、森の人々に不信感を持っている。森の人々も、砂漠を理解していない。ナヒーダは頑張ってる。でも、一人じゃ限界がある。だから……」
旅人は彼女の手を握る力を強めた。
「あんたが必要なんだ。あんたの知恵が、経験が、優しさが。スメールには、あんたが必要だ」
マハールッカデヴァータは、涙を流し続けていた。でも、その涙は、もう悲しみだけではなかった。
「私……また……役に立てるの……?」
「役に立つとか、そういうことじゃない」
旅人は首を横に振った。
「あんたは生きていい。生きるべきだ。それだけで十分だ」
旅人は微笑んだ。
「でも、もしあんたが力を貸してくれるなら……きっと、たくさんの人が救われる」
マハールッカデヴァータは、旅人の手を握り返した。その手は震えていたが、確かな温もりがあった。
「ありがとう……」
彼女は微笑んだ。涙でぐしゃぐしゃの顔で、でも心からの笑顔で。
「ありがとう……旅人……あなたに会えて……本当に……」
11
光が満ちてきた。
記憶の空間から、意識が離れていく。
旅人は、現実に戻されていく。
でも、胸には強い決意があった。
絶対に、彼女を復活させる。
必ず。
12
遺跡の最深部。
旅人は結晶の前で膝をついていた。顔を両手で覆って、静かに泣いていた。
「旅人!」
ナヒーダが駆け寄る。その小さな足音が、静まり返った空間に響いた。
「旅人さん、大丈夫ですか!?」
ナブ・マリカッタも慌てて近づいた。その顔には、深い心配の色が浮かんでいる。
「旅人、しっかりしろ! 何があったんだ!?」
パイモンも飛んできて、旅人の周りを慌ただしく飛び回る。
旅人は、しばらく答えられなかった。
彼女の記憶を見た。彼女の想いを知った。彼女の恐怖を感じた。そして、彼女の「生きたい」という、あまりにも切実な叫びを聞いた。
それが、あまりにも切なくて。あまりにも重くて。胸が張り裂けそうだった。
「旅人……」
ナヒーダは、そっと旅人の肩に手を置いた。その小さな手は温かく、優しい。
「大丈夫……ゆっくりでいいから……落ち着いて……」
ナヒーダの声は穏やかで、母のようだった。
旅人は、しばらく泣き続けた。涙が止まらなかった。
そして、ようやく顔を上げた。目は真っ赤に腫れ、頬は涙で濡れている。
「俺は……彼女の記憶を……全部見た……」
旅人の声は、かすれていた。
「彼女が、どれだけ優しくて……どれだけ強くて……そして、どれだけ怖かったか……」
旅人は震える声で続けた。
「一人で、全部背負って……誰にも弱音を吐かずに……夜、一人で泣いて……」
旅人は結晶を見た。緑の光が、優しく反射している。
「でも、最後まで戦い続けた……最後まで、誰かのことを想い続けた……」
旅人の拳が握りしめられた。
「こんな人が……消えていいわけがない……」
ナヒーダは、旅人の言葉を聞いて、自分の胸に手を当てた。
心臓が、激しく脈打っている。
涙が、頬を伝う。
心が、知っている。
その人がどれだけ大切な存在か。どれだけ愛されていたか。どれだけ、自分が彼女を慕っていたか。
記憶はない。でも、心は覚えている。
ナブ・マリカッタも、涙を浮かべていた。その目は遠くを見つめ、失われた友への想いに満ちている。
「そう……ですか……彼女は……最後まで……」
ナブ・マリカッタの声が震えた。
「だから」
旅人は立ち上がった。足はまだふらついているが、目には強い決意が宿っている。
「絶対に、復活させる」
旅人は二人を見た。
「彼女は、生きたいと言った。彼女を必要としている人がいる。なら、俺たちがそれを叶える。必ず」
「ありがとうございます、旅人さん」
ナブ・マリカッタはうなずいて旅人の視線を受け止めた。
ナヒーダは深く息を吸った。涙を拭い、小さな体を真っ直ぐに伸ばした。
そして、微笑んだ。
「では、彼女を取り戻しましょう」
ナヒーダの目には、強い決意があった。
「草神として、そして……一人のブエルとして」
彼女は自分の胸に手を当てた。
「もし何か問題が起きたら、私が対処します。それが私の務めですから」
その目には、迷いがなかった。ただ、強い意志と、深い愛があるだけだった。
「ありがとう、ナヒーダ」
「こちらこそ」
ナヒーダは微笑んだ。
「旅人が判断してくれた。だから、私も決断できたわ」
ナヒーダは結晶を見た。
「スメールシティに戻りましょう。準備を始めなければいけないわ」
13
四人は遺跡を後にしようと歩き出す
その少し後ろを歩きながら、マリーだけが一度だけ、背後の結晶へと視線を投げた。
(……確かにこれは、あの子が遺した『記憶』の全て)
アランナラたちが命懸けで守り、旅人が見つけ出した、美しく清廉な光。
けれど、マリーの瞳にはそれとは別の、先ほど予知と確信に基づいて回収した缶詰知識の内容がよぎっていた。
自分のことだから過去の彼女が自分だけに残した何かがあると思って、自分の調査のルーティーン上を調べて見つけたものだ。
(でも、これだけでは足りない。……これは彼女を呼び戻すための『鍵』にはなっても、彼女そのものではないのだから)
マリーは暗い深淵で泥を被りながら、今もなお呼吸を続けている本物の親友の気配をその肌で感じていた。
この先に、誰も想像だにしていない別の地獄が待ち受けていることを、今はまだ彼女だけが知っていた。
マリーは何も言わず、前を行く三人の背中を追って歩き出した。
遺跡に残された結晶は彼らの背中を見送るように、静かにどこか寂しげに光を反射してきらめいていた。