地元で聞いた怪談   作:小鯢

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北の方の地図で見れば小さな点に過ぎない町では。冬は長く、雪が積もると外の世界との境目が曖昧になる。夏は短く、緑が濃くなる頃には、もう秋の気配が忍び寄っている。古い家々が並び、舗装されていない道がまだ残っている場所。都市部に出るには、電車で何時間か揺られなければならない。そんな不便さが、この町の空気を閉ざしていた。

この町には、子供たちの間でいくつもの噂がある。川の底に沈んだ祠の話、夜になると光る木の話、そして最近、中学生の間で広まっているのが「影が消える坂」の話だった。

町外れの林に、古い道から少し外れた場所に坂があるという。そこを上り下りすると、自分の影がなくなる。日差しがあるのに、足元に何も映らない。そんな馬鹿げた話を誰かが言い出し、最初は笑い話だった。しかし、噂には必ず尾ひれがつく。「影が戻らなかった子がいる」「その子は町から消えた」。そんな言葉が、静かな町にじわじわと広がっていった。

誰が最初に言ったのかは分からない。数年前に町を出た先輩の話だという者もいれば、林で遊んでいた子が見たという者もいる。確かなことは何一つない。ただ、坂の存在だけは本当らしい。古い地図には載っていないが、林の奥に、忘れられたように残っているという。

その噂は、日常の中に潜む異常の匂いを放っていた。学校の帰り道、誰かがその話をするたび、笑いながらも、心のどこかで本当にあるのではないかと思ってしまう。影が消える坂。そんな物が、この何の変哲もない町にあるのだろうか。

町外れの林は、夏になると深い緑に覆われる。舗装された道を外れ、細い獣道のような小径を進むと、やがて古い石の標識が苔に埋もれているのが見える。そこから先は、人が通った形跡がほとんどない。草が腰の高さまで伸び、風が吹くと葉が擦れ合う音が耳に残る。

噂に聞く坂は、そのさらに奥にある。林の中を抜けると、急に視界が開ける場所があり、そこに緩やかな上り坂が伸びている。土の道は乾いていて、両脇には低い草と疎らな木々。見た目は何の変哲もない。拍子抜けするほど普通の坂だった。

虫の声が響いていた。ジジジと鳴く蝉の声、草むらで跳ねる小さな音。鳥も鳴いている。空は晴れていて、日差しは強い。影はくっきりと足元に落ちている。噂に聞いたような不気味さはどこにもない。むしろ、拍子抜けするほど日常的な風景だった。

坂は長くはない。見上げれば、頂上らしき場所がすぐそこに見える。ほんの数十歩で登り切れるだろう。だが、その短い距離が、なぜか遠く感じられた。噂を思い出す。「影が消える」。そんなことが、この明るい日差しの下で起こるのだろうか。信じられない。けれど、好奇心は止まらない。

坂を登り始めたとき、何も起こらなかった。土の道は乾いていて、靴の裏にざらりとした感触が残る。日差しは強く、足元にははっきりと影が落ちている。拍子抜けするほど普通だった。噂に聞いたような不気味さはどこにもない。むしろ、林を抜けたことで空が広がり、明るさが増しているように感じられた。

数歩進んだとき、違和感が生まれた。影が薄くなっている。最初は気のせいだと思った。雲がかかったのかと空を見上げる。しかし、雲はない。青空が広がり、太陽は真上にある。それなのに、足元の影が淡く、輪郭がぼやけている。

さらに進むと、影は地面に溶けるように消えていった。足元を見ても、何もない。自分の形がどこにも映っていない。日差しは確かにあるのに、影だけが失われている。背筋に冷たいものが走った。虫の声も鳥の声も聞こえる。だが、それらは遠く、膜の向こうから響いているようだった。

坂の中ほどで、影は完全に消えた。足元だけではない。腕を動かしても、地面に何も映らない。自分がここにいる証が、ひとつ消えてしまった。空気が重くなる。呼吸が浅くなる。影が無くなった感覚が、皮膚の下に広がっていく。

下で待っている友達が写真を撮った。画面には姿が映っている。だが、足元には何もない。影がない人間が、そこに立っている。画面越しに見るその光景は、現実よりも異様だった。笑い声は出ない。誰も言葉を発しない。

頂上はすぐそこに見える。あと数歩で登り切れる。だが、その数歩が重い。影を失ったせいか緊張のあまり、地面に触れているのに浮いているようだった。

頂上を越え足を進めると、視界の端に黒いものが揺れた。影だった。地面に、自分の形が戻っている。最初は信じられなかった。何度も足元を見直し、腕を動かして確かめる。確かに、影はある。太陽の光に沿って、地面に伸びている。

安堵が胸に広がった。息が深くなる。音が近づく。虫の声が耳元で鳴り、鳥の声が林の奥から響く。世界が戻ってきたように感じられた。ほんの数歩、坂を離れただけで、すべてが元に戻った。影が消えたことが幻だったのではないかと思うほど、日常の感覚が戻ってくる。

だが、その安堵の裏に、冷たいものが残った。影が戻らない子がいるという噂が、頭の隅で囁いている。そこで私は怖くなり「もう、ここに来るのはやめよう。」と言った。その声は震えていた。友達は何も言わなかった。ただ、頷いたように見えた。私達は二度と坂には近づかなかった。

 

という話を転校生から聞いた。

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