地元で聞いた怪談   作:小鯢

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遊地蔵

夏の夜は、湿った熱気と甘い匂いに包まれていた。神社の境内には赤や橙の提灯が並び、ゆらゆらと揺れる光が夜空に小さな炎を灯している。太鼓の音が遠くから響き、屋台の呼び込みの声が重なって、まるで音の波が押し寄せてくるようだった。

佐々木は妹と並んで歩いていた。浴衣の裾が足にまとわりつき、下駄の歯がアスファルトを叩く音が心地よい。妹は綿菓子を抱えていて、その白い塊が夜の闇に浮かんで見えた。

「餅投げ、すごかったね」

妹が笑う。佐々木はうなずいた。神社の境内で行われた餅投げは、子供たちにとって一大イベントだ。大人たちが高い台から餅を投げ、子供たちは必死に拾う。佐々木も妹も、袋いっぱいに餅を詰め込んだ。

「おばあちゃん、喜ぶかな」

「絶対喜ぶよ」

二人は顔を見合わせて笑った。従姉妹の家に泊まるのは久しぶりだ。親戚が集まると、大人たちは決まって近況話に花を咲かせる。大人達の話は退屈だが、それでも祭りの余韻が残る夜道を歩くのは少し楽しかった。

集合住宅に着いたのは、夜の8時を過ぎていた。ロの字型に建物が並び、真ん中には小さな広場がある。滑り台とブランコ、砂場。昼間なら子供たちの声で賑わう場所だが、今は静まり返っている。電灯が白く光り、遊具の影が長く伸びていた。

二階の従姉妹の家に入ると、すでに親戚たちが集まっていた。テーブルには枝豆や唐揚げが並び、ビールの缶がいくつも転がっている。大人たちは笑い声を上げながら話し込んでいた。仕事のこと、親戚の噂、誰がどこに引っ越したか。佐々木と妹は退屈で仕方ない。

妹と目が合った。小さくうなずく。

「ちょっと外、見てくる」

二人はそっと廊下に出た。夜風がひんやりと頬を撫でる。廊下の手すりから広場を見下ろすと、電灯の光が白く地面を照らし、遊具の影が黒々と伸びている。静かな夜。祭りの喧騒が嘘のようだ。

廊下の手すりに身を乗り出すと、広場は白い電灯に照らされていた。砂場の縁がぼんやりと光り、滑り台の金属面が冷たく輝いている。昼間の喧騒が嘘のように、夜の広場は静まり返っていた。虫の声が遠くで響き、時折、風が木々を揺らす音がするだけだ。

佐々木は深く息を吸った。祭りの余韻がまだ体に残っている。浴衣の裾から漂う線香花火の匂い、屋台で食べた焼きそばの油の香り。それらが夜風に混じり、どこか現実感を曖昧にしていた。

「静かだね」

妹がぽつりと言った。声が広場に吸い込まれていく。

その時だった。佐々木の視線が、滑り台の上に止まった。何かがいる。小さな影。最初は子供かと思った。夜遊びに出てきた近所の子供が、親に隠れて遊んでいるのだろう、と。

だが違う。影は動かない。電灯の光がその輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。赤いよだれかけをつけた石の像――お地蔵さんだった。

「……え?」

妹が小さく声を漏らした。

お地蔵さんは、ゆっくりと滑り台を登っていた。石の体がぎこちなく、しかし確かに動いている。両腕を使って、金属の階段を一段ずつ登っていく。その動きは遅いが、迷いがなかった。

カタン。

硬い石が鉄の滑り台を叩く音が夜に響いた。お地蔵さんは滑り降りたのだ。石の体が金属面を滑り、最後に地面に着地する瞬間、鈍い音が広場にこだました。

佐々木は息を呑んだ。妹の手が彼の袖を強く握る。

一度だけではなかった。お地蔵さんは再び階段に手をかけ、登り始めた。登っては滑り、登っては滑り。その動作を何度も繰り返す。楽しんでいるようにさえ見えた。電灯に照らされ、その姿ははっきりと見えた。見間違いではない。

「……見たよね?」

妹が震える声で言う。

佐々木は答えられなかった。心臓が早鐘を打つ。耳の奥で血の音が響く。視線を逸らしたいのに、目が離せない。お地蔵さんの赤いよだれかけが、夜風に揺れた。

その瞬間、広場の空気が変わった気がした。風が止み、虫の声が消えた。世界が静止したような感覚。お地蔵さんの動きだけが、異様に鮮明だった。

「戻ろう」

妹がかすれた声で言った。

佐々木はうなずき、二人は無言で部屋へ駆け戻った。背後で、カタンという音がもう一度響いた。それが追いかけてくるように感じられた。

二人は冷や汗をかきながら部屋へ駆け戻った。扉を勢いよく開けると、大人たちの笑い声が一瞬止まり、視線がこちらに集まった。佐々木は胸を上下させながら叫んだ。

「おばあちゃん!」

おばあちゃんは驚いた顔で振り向き、佐々木と妹の様子を見て眉をひそめた。「どうしたんだい、そんなに慌てて」

佐々木は言葉を探しながら、必死に説明した。「広場に……お地蔵さんが……滑り台で遊んでたんだ!」

部屋の空気が一瞬で変わった。笑い声が消え、親戚たちの視線が佐々木に集中する。従姉妹が「え、何それ?」と眉をひそめる。妹は震える声で続けた。

「ほんとだよ……赤いよだれかけのお地蔵さんが、何度も滑ってた……」

おばあちゃんは目を丸くした後、ふっと笑った。「それはねぇ、隣のお寺さんのお地蔵様が遊びに来たんじゃないかねぇ」

その言葉に、従姉妹が顔を曇らせる。「ちょっと、怖いこと言わないでよ……」

二人は思わず窓の方を見た。そこには暗いお寺の屋根が夜空に沈んでいる。黒々とした影が、じっとこちらを見ているように感じられた。もう一度広場を見る勇気はなかった。

妹が佐々木の袖を引いた。「もう寝よう……」

佐々木はうなずき、二人は布団に潜り込んだ。耳の奥で、まだカタンという音が響いている気がした。

朝の光が障子越しに差し込み、部屋の空気を淡く染めていた。佐々木は目を開けると、昨夜の出来事が夢だったのではないかと思った。布団の中でしばらく動けず、耳を澄ます。カタンという音はもう聞こえない。代わりに、遠くで鳥の声が響いていた。

妹はまだ眠っている。小さな寝息が規則正しく続いているのを確認して、佐々木はそっと布団を抜け出した。扉を開ける。朝の空気がひんやりと頬を撫でた。

広場が見える。電灯は消え、滑り台は静かに朝日を浴びている。金属の表面が光を反射し、まるで何事もなかったかのように穏やかだ。砂場には夜の影も残っていない。お地蔵さんの姿も、どこにもない。

佐々木はしばらく見つめた。昨夜の光景が脳裏に蘇る。赤いよだれかけ、ぎこちない動き、カタンという音。あれは夢じゃない。妹も見た。二人で確かに見たのだ。

だが、今はただの静かな朝だった。

居酒屋の片隅で、佐々木はグラスを傾けながら語っていた。テーブルの上には焼き鳥の串がいくつも並び、醤油の香りが漂っている。周囲のざわめきが遠くに感じられるほど、彼の話に引き込まれていた。

「これが俺の子供の頃の不思議体験だ」

佐々木は淡々とした声で言ったが、その目はどこか遠くを見ていた。

私は笑った。「面白いね。でも、夢じゃなかったの?」

佐々木は首を振る。グラスの中で氷がカランと音を立てた。「あの夜、電灯に照らされたお地蔵さんの姿は、今も鮮明だ。赤いよだれかけ、ぎこちない動き、そして……カタンという音。耳に残ってるんだよ。あれは夢じゃない」

「妹さんも?」

「うん。妹も同じ記憶を持ってる。二人で見たんだ。だから、間違いない」

佐々木はしばらく黙り、グラスを置いた。居酒屋の喧騒が戻ってくる。笑い声、注文の声、テレビのスポーツ中継。だが、彼の沈黙はその中で異質だった。

「今でも、あの広場を通ると滑り台の音が聞こえる気がするんだ」

佐々木は低く言った。

「カタン、って。あの夜と同じ音が、耳の奥で鳴るんだよ」

私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。冗談にして笑い飛ばすこともできた。でも、佐々木の目は笑っていなかった。そこには確信があった。

「……そのお寺、まだあるの?」

「あるよ。広場の向こうに、今も黒い屋根が見える。夜になると、影が濃くなるんだ。まるで、こっちを見てるみたいに」

佐々木はグラスを再び手に取り、黙って酒を飲み干した。氷が最後にカランと鳴り、静かに沈んだ。

その音が、妙に不気味に聞こえた。

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