地元で聞いた怪談   作:小鯢

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天守閣

三月の夜はまだ冷え込みが残っていた。城の石垣を撫でる風は乾いていて、足元の砂利をかすかに鳴らす。岡本は懐中電灯を握り、ゆっくりと天守閣へ向かう階段を登っていた。夜間巡回は慣れた仕事だが、城という場所は昼と夜でまるで別の顔を見せる。昼間は観光客で賑わう展示室も、夜になると静寂に沈み、石壁の冷たさが際立つ。

階段の途中で立ち止まった。耳に何かが触れた気がした。

金属が擦れる音。

微かな、だが確かに聞こえた。上の方からだ。鎧の展示があるのは最上階の天守閣。展示物が崩れたか、それとも泥棒か。岡本は息を整え、足を速めた。懐中電灯の光が石段を切り裂き、影が揺れる。音は一度きりで、それ以上は何も聞こえない。だが、胸の奥に冷たいものが広がっていく。

天守閣に着くと、展示室は静まり返っていた。ガラスケースの中の甲冑は整然と並び、崩れた様子はない。窓は閉ざされ、鍵も異常なし。床には埃ひとつ落ちていない。岡本は懐中電灯を動かし、隅々まで確認した。何もない。音の正体は分からない。風が石壁を鳴らしただけかもしれない。そう思い込もうとした。

踵を返し、階段を降り始めた。石段は冷たく、足音が響く。下りるたび、闇が濃くなる。

その時、背後で音がした。

金属が擦れる音。

さっきと同じ、金属と金属が触れ合うような音。岡本は反射的に振り向いた。懐中電灯の光が階段を舐める。だが、そこには何もない。石段と闇だけが広がっていた。

心臓が速く打ち始める。耳を澄ますが、音は消えていた。岡本は無線機を握り、応援を呼んだ。声が震えないように努めながら、短く状況を伝える。

無線機から橋本の声が返ってきたのは、呼びかけてすぐだった。

「了解、すぐ行く」

その短い言葉に、岡本は胸を撫で下ろした。階段の闇はまだ重く、背後の静けさが耳にまとわりついている。懐中電灯の光を握りしめながら、岡本は階段の踊り場で立ち止まった。応援が来るまで、ここで待つのが得策だ。音はもうしない。だが、気配だけが残っている。

時間の感覚が曖昧になっていく。石壁の冷たさが背中に染み、息が白く揺れる。無線機の雑音が時折耳を刺すが、橋本の声は聞こえない。呼びかけるべきか迷ったが、言葉を発することが怖かった。声を出せば、背後の闇が応える気がした。

やがて、階段の下から足音が響いた。橋本だ。懐中電灯の光が闇を切り裂き、彼の姿が現れる。だが、その顔は怒りに染まっていた。

「おい、何やってんだ! 無線で何度も呼んだのに、返事がないじゃないか!」

岡本は言葉を失った。無線は正常に動いていたはずだ。応援を呼んだ後、沈黙を選んだのは自分だと思っていた。だが、橋本の言葉は違う。彼は何度も呼びかけていたという。岡本は無線機を握り直し、スイッチを確認した。異常はない。電源も入っている。雑音も聞こえる。だが、橋本には届かなかった。

「心配したんだぞ。何かあったのか?」

橋本の声は苛立ちと不安を混ぜていた。岡本は首を振り、簡単に状況を説明した。鎧の音を聞いたこと、階段で再び音がしたこと、そして何も見えなかったこと。橋本は眉をひそめ、懐中電灯を握り直した。

「もう一度、上を確認するぞ」

二人で階段を登る。石段が冷たく、足音が重く響く。天守閣に着くと、展示室は静まり返っていた。ガラスケースの中の甲冑は整然と並び、崩れた様子はない。窓も鍵も異常なし。床には埃ひとつ落ちていない。懐中電灯の光が甲冑の金属を鈍く光らせる。その光景は昼間と同じはずなのに、何かが違って見えた。

橋本は一通り確認すると、肩をすくめた。

「何もないな。気のせいじゃないのか?」

岡本は答えなかった。音は確かに聞いた。二度も。だが、証拠はどこにもない。無線の沈黙も、説明できない。橋本はため息をつき、階段を降り始めた。岡本も後に続く。背後の闇は、まだ何かを隠している気がした。

事務所に戻ったのは、午前零時を少し過ぎた頃だった。二人とも無言のまま、無線機を机に置いた。橋本はすぐにスイッチを入れ、チャンネルを確認する。雑音が流れ、呼びかけると応答が返ってきた。異常はない。岡本の無線も同じだった。電源も正常、バッテリーも十分。何度試しても問題は見つからない。

「なあ、岡本」

橋本が椅子に腰を下ろし、深いため息をついた。

「お前、あの間、何してたんだ? 無線で何度も呼んだんだぞ。返事がないから、正直焦った」

岡本は言葉を探した。あの時、無線は手元にあった。雑音も聞こえていた。だが、橋本の声は一度も届かなかった。自分の声も、届いていなかったのだろうか。理由は分からない。ただ、階段の闇に縫い付けられたように動けなかったことだけは確かだ。

「……悪かった」

それだけを絞り出すと、橋本は眉をひそめ、しばらく岡本を見つめていたが、やがて口元に笑みを浮かべた。

「まあいいさ。お前、幽霊でも見たんじゃないのか?」

その言葉に、岡本は苦笑した。幽霊そう言われても否定できない自分がいた。鎧の音は確かに聞いた。二度も。だが、証拠はどこにもない。展示室は整然とし、階段には何もなかった。無線の沈黙も、説明できない。すべてが闇に包まれていた。

橋本は立ち上がり、コートを羽織った。

「とりあえず、飲み物でも奢れよ。心配したんだからな」

岡本は頷き、財布を取り出した。自販機の前で、橋本が缶コーヒーを選びながら笑った。

缶コーヒーの冷たさが掌に染みる。階段の闇で聞いた音が、まだ耳の奥に残っていた。金属が擦れる、あの微かな音。

あれは何だったのか。

答えは出ない。だが、次の巡回でまた聞く気がしてならなかった。

 

と言う話をバイト先で聞いた

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