六月の昼下がり、山間の空気は湿り気を帯びて重かった。舗装の途切れた細い道を抜けると、噂のトンネルが姿を現した。コンクリートの壁は古び、苔が斑に張り付いている。入口は昼間にもかかわらず暗く、奥は底なしの闇に沈んでいた。ここは心霊スポットとして知られている。理由は単純だ。工事中、台風による急な浸水で作業員五人が殉職した。その事故が、今もこの場所に影を落としている。
三人は車を降りることなく、エンジンをかけたままトンネルの前で停車した。窓越しに見える闇は、昼間でも異様な深さを持っていた。湿った風が車内に入り込み、土と水の匂いが鼻を刺す。コンクリートの壁には古い水跡が縞模様を描いている。
ハンドルを握る手に汗が滲む。車をゆっくりと前へ進める。ヘッドライトが闇を切り裂くが、奥はすぐに飲み込まれる。タイヤの回転音が壁に反響し、外の世界が遠ざかっていく。湿った匂いが濃くなり、窓ガラスに曇りが広がった。
その時、視界の奥で何かが動いた。
五つの影。昼間の光景と同じ作業員の姿。透けている。ヘルメットの輪郭、そして水に濡れた作業服の線。彼らは走っていた。こちらに向かって。顔は見えない。だが、全身から必死さが伝わる。何かから逃げている。次の瞬間、車の中をすり抜けた。
冷気が車内を満たした。体を突き抜ける感覚はなかった。ただ、視界の端で影が通り過ぎるのを見た。五人の作業員は、車を抜けて後方へ消えた。だが、その背後に何かがあった。透明な濁流。水の塊が形を持たず、闇の中でうねっていた。音はない。だが、圧力だけが空気を歪めていた。
車は走り続ける。ハンドルを握る手に力が入り、呼吸が浅くなる。後ろを振り返る勇気はなかった。トンネルの出口が見えた時、胸の奥で何かが弾けた。光が差し込み、闇が後方に押し戻される。外の空気が車内に流れ込み、冷気が消えた。
三人とも無言だった。言葉を出せば、何かが戻ってくる気がした。車は速度を落とさず、トンネルを抜けた。昼間の光景と、今の出来事が重なり、現実感が崩れていく。
トンネルを抜けた瞬間、車内に重く張り付いていた空気がわずかに緩んだ。外の光が差し込み、湿った匂いが薄れる。それでも、胸の奥に残る冷気は消えなかった。三人とも無言のまま、ハンドルを握る手に力を込めていた。言葉を出せば、さっきの影が再び現れる気がした。
車は速度を落とさず、山道を進む。予定していた帰り道は、もう頭から消えていた。相談もなく、別の道を選んだ。ナビの画面に映る迂回路が、唯一の救いに見えた。舗装の悪い道を抜けるたび、タイヤが砂利を噛む音が耳に響く。外の風が窓を叩き、昼間の光が木々の隙間から差し込む。それでも、視界の端に闇が残っているような錯覚が消えなかった。
車内は沈黙に支配されていた。エンジンの唸りとタイヤの音だけが、現実を繋ぎ止めている。誰も後ろを振り返らない。あのトンネルの奥で見たもの透けた作業員の姿、必死に走る影、そして背後に迫っていた透明な濁流。すべてが脳裏に焼き付いて離れない。あれは幻ではない。三人とも見た。だが、体に異常はない。冷気も消えた。ただ、心臓の鼓動だけが速く、耳の奥で鳴り続けていた。
山を抜け、街が見えた時、ようやく息が深くなった。だが、安堵はなかった。恐怖は形を変え、静かな影となって心に沈んでいた。二度とあの場所へは行かない言葉にしなくても、三人とも同じ決意を抱いていた。
噂は本当だった。台風の夜、濁流に呑まれた作業員たちの記憶は、今もあの闇に留まっている。彼らは逃げ続けているのだろう。水のない世界で、終わらない濁流から。
車は街へと滑り込み、現実の音が戻ってきた。だが、耳の奥にはまだ、あの走る足音が残っていた。
この話をサークルの子から聞いた