V.V.VOX   作:EMM@苗床星人

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Log05 男達の矜持と少女達の神話は明太もちチーズの香り(前編)

 

 

 ボイボ寮の大浴場は、元々が企業の保養所か何かだったのか、個人経営のシェアハウスにしては無駄に広かった。

 それゆえにボイボ陵には時間帯ではっきりと男子と女子の入浴可能な時間が定められていて、、今は男子の入浴時間である。

 高い天井に反響するシャワーの音。

 立ち込める湯気の中、青山龍星は一人、熱い湯を頭から浴びていた。

 

 巨岩のような背中、そして鍛え上げられた四肢には、無数の古傷が走っている。

 それは決して、人間同士の喧嘩でつくような生易しいものではない。

 鋭利な爪で抉られた痕、牙で食いちぎられかけた痕、呪いによって焼かれたケロイド。

 彼は人の身でありながら、常に人を喰う人外と激戦を繰り広げてきた。

 それ故の勲章であり、同時に一般人には決して見せられない忌避すべき烙印でもあった。

 

(……ふぅ)

 

 かつては、銭湯に行くことすら躊躇った。

 だが今は、少し違う。

 忍者だの改造人間だの、もっとわけのわからない幼馴染との秘密を共有した今、この傷を必死にタオルで隠す必要はもうない。

 その事実が、龍星の心に小さな、しかし確かな安堵をもたらしていた。

 龍星の零したため息は、そんな小さな安心が体に溜まった緊張と共に湯煙に溶けていくようであった。

 

ガララ……。

 

 背後で、更衣室の引き戸が開く音がした。

 足音が近づいてくる。

 

ペタ、ペタ

 

 と湿ったタイルを叩く音。

 

(ん、誰だ? 時間帯的に武宏はまだ寝てるし……この足音の軽さは虎太郎か。珍しい、あいつも朝風呂派だったか)

 

 龍星は顔にへばりついた泡を流しながら、特に気負うこともなく声をかけた。

 

「ほら、そこにあるシャンプー……使っていいぞ、虎太郎」

 

 かつてのように過剰に身体を隠すこともなく、無防備な背中を晒したまま。

 彼は顔を覆う泡をシャワーで洗い流し、パチリと目を開けて——振り返った。

 

「……応、ありがとうな。気が効くじゃないか」

 

 しかしその声は虎太郎のそれではなく、視界に飛び込んできたのは小さくとも無骨な忍びの手ではなかった。

 蛍光色のマニキュアが彩る、白く細い指先。 それが、龍星が指差したシャンプーのボトルを優雅に掴み取る。

 

「…………え。」

 

 龍星の思考が停止した。

 視線が、その指先から腕を伝い、自然と隣へとスライドする。 隣の洗い場に腰を下ろしたのは、優美な曲線を描く白い肢体。

 ぬるりと、その背中にかかる赤く濡れた長い髪が動く。

 その隙間から覗く肌の質感は、男のそれとは決定的に異なっていた。

 座った衝撃で、ぷりゅん、と重力に従って揺れる、形の整った二つの果実。

 長い髪が身体のほとんどを覆っているとはいえ、その隙間から見える光景は、龍星の網膜に強烈な「女」という情報を焼き付けた。

 

 隣に座った、波音リツの——裸体。

 

 龍星は石像のように固まった——呼吸すら忘れた。

 対するリツは、眠たげに目をこすりながら、ポンプをプッシュして掌に液体を出し……ふと、龍星の凝固した視線に気づいて、自分の胸元を見た。

 

「んん……ん? あ、やべ」

 

 リツは、確率操作能力者である。

 その代償として身体の数値情報が日替わりで制御不能なランダム化を起こしてしまうのも龍星は知ってはいた——というかそれのせいで身をもって圧死しかけた。

 しかしまさか、性別までランダム化するのは知らなかった。

 彼女はさも「靴下を履き間違えた」くらいの軽いノリで、悪びれもせずに頭を掻きながら悪戯っぽくニカっと笑った。

 その行動で余計に強調された胸がぷるんと揺れる。

 

「アタシ、今日は女じゃねぇか、ワリィワリィ」

 

 一瞬の間。

 

 龍星の脳内で、かつて玄関で圧殺された記憶と、目の前の扇情的な光景がショートを起こす。

 

「っきぃーーーやーーー!?」

 

 広い浴場に、巨漢の口から発せられたとは思えない、乙女のような金切り声が反響して響き渡った。

 それは、最強の怪異ハンターが、抗いようのない『ラッキースケベ』に敗北した瞬間の断末魔であった。

 

 

 

「……このままじゃあ、マズいと思う」

 

 朝の風呂場での不可抗力とはいえ、あまりにも刺激的すぎたラッキースケベと、それによって浴びせられた精神的ダメージ。

 そこから命からがら部屋に逃げ帰ってきた龍星は、まだ赤みが引かない顔をタオルで拭いながら、集まった幼馴染二人と共にちゃぶ台を囲んで重々しく切り出した。

 

「そうかぁ? 俺は別に良いと思うけどなー」

 

 ちゃぶ台の上で煎餅をかじりながら、虎太郎は至って呑気に足を投げ出している。

 

「家賃は払わなくていいし、寧ろ住んでるだけで『監視協力費』とかいう名目で大家さんとこ(世界統合防衛局)から給料までもらえるんだぜ? 働かなくていいとか、忍びの里にいた頃に比べりゃ夢みてぇじゃん」

 

「いや……最近、おかしいと思ってたんだよ」

 

 虎太郎の楽観論を遮るように、隣に座っていた武宏が、膝の上で拳を握りしめ、恐ろしげに震える声で口を開いた。

 

「俺を執拗に追ってきていた、怪人組織『ゲルダゴン』の残党……その追撃が、ここに来てからパタリと止んだんだ。

それに、大家さんの組織から剣崎先生のカルテや、そらさんの工房に俺のメンテナンス用詳細データが共有されてるのを見て、不思議に思ってずんだもんに聞いたんだよ。『どうやって手に入れたんだ?』って」

 

 武宏はゴクリと唾を飲み込み、その時の恐怖を反芻するように青ざめた。

 

「そしたらあいつ……『あぁ、あの組織なら僕が完全に壊滅させといのだ、データはその後そらとつむぎに引っこ抜いもらってきたのだ』って……今日の天気を教えるくらいの笑顔で、当たり前みてぇに言いやがったんだ」

 

「えぇ……」

 

「俺が今まで必死に奴らから逃げて、戦ってきた意味って一体……」

 

 絶望のあまり頭を抱える武宏に、虎太郎は「あー……」と哀れみの視線を向ける。

 かつて命懸けだった戦いが、この寮の住人達にとっては散歩のついで程度の処理だったという事実は、男のプライドを粉砕するには十分すぎた。

 龍星は腕を組み、厳しい表情で二人に告げる。

 

「そろそろ俺達、本格的にこの日常の中で、戦力的にも金銭的にも『飼い慣らされてきてる』ことを自覚した方がいいんじゃねえか?

このままだと俺達……この寮のとんでもねえ女達の『ペット路線』だぞ?」

 

「「……ッ!!」」

 

 ペット。

 

 その単語の持つ屈辱的な響きに、虎太郎と武宏の背筋に冷たいものが走った。

 最強の天使、邪神、情報生命、アンドロイド、宇宙人といった、人外魔境の住人たち。

 彼女らに守られ、養われ、ただ愛でられるだけの存在。

 重い沈黙が、三人の男達の間に流れる。

 だが、現実は非情だ。龍星はため息交じりに続けた。

 

「しかし、この辺にいると仕事が無いってのも事実だ。

この辺の強力な怪異は、はっきり言ってボイボ寮の霊圧に恐れをなして、別の街へ逃げちまってる」

 

 龍星は、裏社会の情報網から得た知識を語る。

 

「それに最近、俺が所属してる『怪異ハンター協会』の仲間が言ってたんだが……怪異に通常兵器が効くようになっちまったらしい 。

それもこの寮がらみの世界規模の天変地異だってのがゾッとしないが

そのせいで、わざわざ専門家の俺たちに頼まなくても、自衛隊や警察で対処できるようになって、仕事が激減してるんだとよ」

 

「え、なに怪異ハンターの組織って。めっちゃ厨二心くすぐるじゃん、詳しく聞きたい」

 

「俺も聞きたい」

 

 シリアスな話の腰を折るように、虎太郎と武宏が目を輝かせて食いついた。

 

「今はその話じゃねえ!」

 

 と龍星が一喝し、二人は現状の厳しさを再確認する。

 

「あー、でも確かに……」

 

 虎太郎が腕を組んで天井を仰いだ。

 

「最近、俺の方にも裏の仕事の依頼が全然来ないんだよね。里の技術を活かした隠密調査とか需要あったはずなのに……やっぱ、ボイボ寮が噛んでるのかなぁ」

 

 虎太郎の推理は当たっていた、この街における情報関連はすべてそらと最近入居したつむぎの二人の手によって完全に把握されており、近辺でなんらかの諜報活動が行われれば即座に把握されてしまう。

 少しでも大きな組織であればこの街は手出し無用のブラックボックスとして知られてしまっているのである。

 

 特殊な技能を用いれる仕事がない。

 しかし金はもらえる。

 衣食住は完全に保証されている。

 考えれば考えるほど恐ろしい、此処はまるで楽園のようでいて、男としての尊厳を奪う檻ではないか。

 

「おいおいおい……龍星の言う通り、このままじゃ俺たちマジで飼い殺しじゃねえか」

 

 武宏が焦りを滲ませる。

 このままでは、ただの「居候A、B、C」に成り下がってしまう。

 沈黙の末——三人の男たちは、示し合わせたかのように同時に立ち上がった。

 その目には、失われかけていた「男の矜持」という炎が燃えていた。

 

「「「バイトをしよう!!!」」」

 

 三人の声が、狭い六畳間に重なる。

 

「少しでも、俺たちにも生活能力はあるんだと周囲に示すんだ!」

 

「おう! 俺たちだってちょっと頑張りゃあ引越し屋でも何でもできるはずだ!」

 

「折角改造されたんだから活かさねえと!」

 

 こうして、特殊な事情と異能を持った三人の男たちは、ボイボ寮という魔境におけるアイデンティティを確立するため、タウンワークを求めてコンビニへと走り出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ボイボ寮から少し歩いた先にある緋穂葉商店街。

 木枯らしが吹き始め、道ゆく人々がコートの襟を合わせる季節。

 そんな寒空の下を、雨晴はうは今にもスキップをしそうなほど、軽やかなステップで歩いていた。

 

(ふふっ、楽しみですぅ)

 

 彼女の足取りが弾むのも無理はない。

 冥王星からやってきた宇宙生物である彼女にとって、地球の『ボイボ寮』という特殊な環境以外で、初めて「友人」と呼べる人物ができたのだから。

 たどり着いたのは、商店街の一角。

 一見すると昭和の駄菓子屋のように古びて、しかしどこか温かみのある佇まいの店。

 その軒先に掲げられた、少し塗装が剥げかけた看板には『もちぞら模型店』と書かれている。

 

 ガララ、と引き戸を開けると、鼻先をくすぐるのは独特の刺激臭——シンナーと塗料の香り。

 そして目の前に広がるのは、天井まで堆く積み上げられたプラモデルの箱、箱、箱。

 まるで迷宮のように入り組んだ商品棚の奥へ向かって、はうはひょこりと顔を出して明るく声を上げた。

 

「もち子さん、こんにちはです!」

 

「——あ! いらっしゃい、はうちゃん!」

 

 はうの声に反応して、箱の城壁の奥からパタパタと小気味良い足音を立てて、一人の女性が姿を現した。

 巣の体温が高いのか、この肌寒い季節だというのに彼女の装いはノースリーブのセーターにエプロンという、見ているだけで寒くなりそうな薄着だ。

 しかし、その肌は健康的な血色に輝き、身長は低いながらも、セーターの上からでもわかるメリハリの効いた恵まれたプロポーションを誇っている。

 そして何より特徴的なのは、彼女の背後で嬉しそうに揺れる、ふわふわとした白い尻尾。

 彼女の名はモチノ・キョウコ。通称、もち子さん。

 亡くなった祖父からこの店を受け継いだ、若き店主である。

 

「待ってたよー! 今日は新しい塗料が入ったんだ!」

 

 シンナーの香りを香水のように漂わせながら、もち子は屈託のない笑顔ではうの手を取った。

 先日、はうが『宇宙からの色彩』という神話的寄生体に蝕まれ、路地裏で行き倒れていたところを、たまたま通りがかった彼女がプラモデルから実体化させた空飛ぶ模型ボードに乗って颯爽と救い出し、ボイボ寮にいる医者のところまでまで送り届けてくれた命の恩人である。

 あの劇的な出会いから数日……命を救われた縁は、いつしか「模型(プラモデル)」という共通の趣味を通して、種族を超えた友情へと変わっていた。

 

「わぁ、本当ですか!僕、車みたいな塗装とか興味あったんです!」

 

 はう的にはバイオ技術臭いようが効くかどうかと言う点であるが、それ以外にもプラモデルに用いる各種技術に最近のはうは目が釘付けであった。

 SFを実現化したいというプラモデラーの情熱はバイオ技術へ熱意を持つミ=ゴに通じるものがあるのかもしれない。

 

「流石はうちゃん、目の付け所が良いね! あっちの席で詳しく話そうか!」

 

 模型の迷宮の奥、秘密基地のような作業スペースで、宇宙人の看護学生と、不思議な力を持つ模型店主の、マニアックで温かい放課後が始まる。

 

 

 

 

 

 

 『コエイロ・ピッツァ緋穂葉町店』。

 迅速、熱々、笑顔をお届け!をキャッチコピーに、今や日本中にチェーンを拡大している新進気鋭のピザ屋である。

 その厨房の裏にあるスタッフルームには、焼きたてのチーズとトマトソースの香ばしい匂いが漂っていた。

 

「それでは、配達の基本要項を説明しますね」

 

 ピザ屋の制服——赤と白を基調としたポップなデザインのエプロン——を身につけた少女が、輝くような営業用スマイルでホワイトボードの前に立っていた。

 銀色の髪を愛らしいツインテールに結い、幼い見た目をした彼女のネームプレートには『バイトリーダー』の文字が輝いている。

 

 その眼前に、窮屈そうに同じ制服を纏った男——龍星、虎太郎、武宏が、まるで軍隊の閲兵式のように直立不動で整列していた。

 小柄な虎太郎は逆にすこしブカブカだがご愛嬌である。

 虎太郎と武宏は単に新しい職場の雰囲気に呑まれているだけだったが、真ん中に立つ龍星だけは様子が違った。

 彼の顔面からは、ピザ釜の熱気とは無関係の、冷たく大量の脂汗が滝のように流れ落ちていたのだ。

 耐えきれなくなったかのように、龍星が震える唇を開いた。

 

「……そ、その前にいいすか、つくよみ会長? なんでこんなところでバイt」

 

「つくよみちゃんです」

 

 食い気味に、それでいて声のトーンを一切変えずに、バイトリーダー——つくよみちゃんが訂正を入れた。

 その瞳の奥には、有無を言わせぬ絶対零度の圧力が渦巻いている。

 隣で見ていた虎太郎が、動かずに口端だけで龍星に尋ねた。

 

「……おい龍星、知り合い?」

 

「……さっき言ってた『怪異ハンター協会』の会長だ。

見た目に騙されるな、社会の裏に深く根ざした精霊種で、この業界のドンだ。

『つくよみちゃん』と呼ばないとさっきみたいに即座に訂正されるから気をつけろ」

 

「マジで!?」

 

 龍星の小声の解説に、虎太郎と武宏は信じられないものを見る目で、ゆっくりと視線を前方へ戻した。

 あんな可憐な少女が、龍星のような屈強なハンターたちを束ねる組織のトップだというのか。

 三人の視線に気づいているのかいないのか、つくよみちゃんはチョークを指で回しながら、涼やかな声で語り出した。

 

「例の天変地異の影響で、界隈のバランスが崩れましてね。

我が協会の売り上げも、上がったり下がったりと不安定なんですよ。

そこで、このピザ屋はリスクヘッジのための拡大事業の一環です」

 

 彼女はニッコリと微笑み、胸に手を当てた。

 

「あくまで、私たち『つくよみちゃんプロジェクト財団』の活動目的は、怪異を狩ることのみならず——『人様の役に立つこと』。

お腹を空かせた人々に美味しいピザを届けるのも、立派な人助け……そうでしょう?」

 

「(うちの協会の大元そんな名前だったの!?)」

 

 龍星でさえ今まで知らなかった——いや知りたくなかった組織の情報に白目を剥く、しかし正論である。

 しかし、その背後には巨大な組織の思惑が見え隠れしていた。

 

「あなた方の経歴も、全て調べさせていただきました。 龍星さんはお師匠のついなちゃんも判を押す凄腕のハンター、忍者の末裔、改造人間……。

普通の企業なら書類選考で弾くような『訳あり』ばかりですが、だからこそのスピード採用ですからね?」

 

 パチッ、とつくよみちゃんが可愛らしくウィンクをする。

 

「迅速な配達(キリング)が得意な皆さんなら、きっと『どんな状況』でもピザを届けられますよね?」

 

 その含みのある言葉に、これからバイトをする三人の男たちは一斉に喉を鳴らした。

 彼らの背中には、これから始まるであろう過酷極まる業務を予感させる、嫌な汗がじわりと滲むのだった。

 

「まぁ、そう畏まらないでください。うちはあくまで配達業務、普通のピザ屋さんです」

 

 つくよみちゃんは、聖母のような慈愛に満ちた微笑みでそう言った。

 だが、その言葉を額面通りに受け取るほど、目の前の三人は平和ボケしてはいなかった。

 「普通」のシェアハウスに行けば首を折られ、「普通」の挨拶代わりにクラゲにされ、「普通」の診察で脳髄を見せられたばかりなのだ。

 そう言うところに限って、直近で死にそうな目に遭う——というジンクスは、彼らの本能に深く刻み込まれていた。

 疑わしい。全力で疑わしい。

 

「うちの配達の根本原理、それは単純。注文から三十分以内にお届けすることです」

 

 つくよみちゃんは指を三本立てて、ビジネスライクに説明を続ける。

 

「渋滞、住所のあいまいさ、予期せぬ事態(アクシデント)……全てひっくるめて、三十分の制限が守られなかった場合は、配達料とピザ料金が全て無料となります」

 

「す、全て無料っすか!?」

 

 今まで忍びとして隠れて生きてきて、ピザの宅配システムなど考えたこともなかった虎太郎が、商売として成立するのかと驚愕の声をあげる。

 しかし、つくよみちゃんは真顔で、さも当然の真理のように頷いた。

 

「はい。でないと、チーズが固まった冷めたピザをお届けすることになってしまいます。そんな事、絶対にあってはなりません」

 

 彼女の瞳に宿るのは、経営者としての計算ではない。

 冷めたピザなどピザではない!という、狂信的なまでの食へのこだわりと、あくまでも理念を優先するがゆえの赤字を惜しまない、企業努力の方向音痴な無駄使い。

 それこそが、この『つくよみちゃんプロジェクト財団』の基本方針らしかった。

 

「それ故に、配達員は非常に限られるのです。あらゆる異常事態に対応し、なおかつチーズがとろけている間に届ける人員って、結構限られますからね」

 

 彼女はバインダーに挟まれた三人の履歴書(という名の個人データ)をペンで叩く。

 

「龍星さんと武宏さんは大型二輪免許をお持ちですね。そして虎太郎さんは、免許をお持ちでない代わりに——脚力はその辺の車両より速いと伺っています。パーフェクトです、三人とも」

 

 車両より速い徒歩(忍者走り)が戦力としてカウントされるピザ屋がどこにあるというのか。

 だが、ツッコミを入れる暇もなかった。

 

プルルルル……。

 

 タイミングを見計らったかのように、早速注文の電話が鳴り響く。 受付嬢が受話器を取り、手早く伝票を書き出した。

 

「さぁ、注文が入りましたよ。配置についてください」

 

 つくよみちゃんの凛とした声が飛ぶ。

 三人の男たちは、反射的に染み付いた体育会系のノリで、腹の底から声を張り上げた。

 

「「「お、押忍!!!」」」

 

「——返事は、『はい、よろこんで』ですよ!」

 

 にっこりと、しかし背筋が凍るような威圧感を含んだ訂正が即座に入る。

 

「「「は、はい、よろこんでー!!!」」」

 

 三人は慌てて背筋を正し、裏社会の流儀を捨てて、精一杯の営業スマイルと気合の入った返事をした。

 こうして、街の食卓に熱々のピザを届けるための、彼らの矜持を賭けたアルバイトが始まったのである。

 

 

 

 

 

 

パチン、パチン。

 

 ニッパーがプラスチックのゲートを断つ乾いた音と、パーツ同士がカチリと噛み合う微細な接合音が、心地よいリズムを刻んで響く。

 そこは商店街の喧騒から切り離された異空間、もちぞら模型店の奥にある店主の作業室だ。

 壁一面に、防音材代わりと言わんばかりに堆く積み上げられたプラモデルの箱たち。

 それらが外の環境音を遮断し、部屋に満ちるのは、イメージを膨らませるために流している深夜アニメの再放送の音声と、塗装ブースからシンナーを吸い上げる排気ダクトの低い唸りだけ。

 

 花の女子大生と、20代そこらの美少女。

 若い女性二人の休日の過ごし方として、それは果たしていかがなものかと言いたくもなる閉鎖的な光景だが、インドア派の趣味を持つ同志である二人にとっては、これ以上なく充実した「逢瀬」として成立していた。

 

「——はうっ、出来ましたぁ!」

 

 最後のパーツを嵌め込み、はうが高々とその作品を掲げた。

 彼女の掌に乗っているのは、丸みを帯びた愛らしいフォルムを持つ『ハグアーマー紲星あかり』のHG(ハイグレード)モデル。

 だが、それは説明書通りの「素組み」ではない。

 もち子に教わったばかりの塗装技術——下地に黒を塗り、その上からシルバーをドライブラシで擦り付ける技法によって、プラスチックの表面には使い込まれた鉄のような重厚感が宿っていた。

 それはもはや玩具ではない。戦場を駆ける本物の「鋼鉄」の質感を放っていた。

 

「おぉ……! やっぱりはうさん、良いもん持ってますねぇ」

 

 ルーペ付きの眼鏡をずらし、もち子が感心したように目を輝かせる。

 

「教えたばっかりの技術もどんどん吸収していって……流石は宇宙人ですねぇ。手先が器用すぎる」

 

「えへへ、普段から似たようなことをやってますので」

 

 はうは照れくさそうに笑い、自分の指先を見つめた。

 彼女の故郷、冥王星(ユゴス)。

 そこでは、極寒の宇宙空間や他惑星の環境に適応するため、生体部品を組み合わせて「バイオスーツ」を開発・製造することが日常だった。

 彼女もまた、地球への留学資金を貯めるために、両親が営むその工房を手伝っていたのだ。

 そして今も、この地球で看護を学ぶ傍ら、大学病院との密約により、地球の医療技術では困難な超高難易度の外科手術を「影の執刀医」として請け負っている。

 

(血管を繋ぐのも、神経を配線するのも、プラモのゲート処理も……僕にとっては同じ『組み立て』ですから)

 

 無機物と有機物。その素材の差こそあれど、設計図(DNAや説明書)に従って、パーツを正しい位置に配置し、機能するように接合する。

 はうにとって、それは等しく「完成」を目指す作業に過ぎない。

 だが——。

 

「でも、機能させるだけなら僕らの技術でもできますけど……こうして『汚し塗装』をしたり、『格好良く』見せるためにあえて手間を加えるのは、地球人独特の文化ですよね」

 

 はうは、重厚に輝くロボットをうっとりと見つめた。

 無駄のない機能美を追求するミ=ゴの科学にはない、非合理的だが愛おしい「ロマン」という概念。

 それこそが、彼女が地球人に憧れ、大きく影響を受けた「一味(スパイス)」だった。

 

「ふふ、それが『模型(ホビー)』の醍醐味だからね。命を吹き込むのは、性能じゃなくて『愛』なんだよ」

 

 もち子がウィンクをして、はうの頭をポンと撫でる。

 シンナーと、焼けたニッパーの匂い。

 種族も常識も異なる二人は、小さなロボットを通して、お互いの「作る喜び」を静かに分かち合うのであった。

 

「ちょっと貸してね」

 

 もち子は、はうの手から完成したばかりの『ハグアーマー紲星あかり』を受け取ると、慣れた手つきでディスプレイ用の支柱アーム付き土台へと固定した。

 ほんの少し、首の角度を下げ、脚を開き、武器を持つ腕の重心をずらす。

 たったそれだけの調整で、直立不動だったプラスチックの塊に、今にもスラスターを吹かして敵陣へ突撃せんとする「命」が宿った。

 

「わぁ……! すごいです、本当に動いてるみたいです!」

 

「ふふん、これが『ポージング』の魔法だよ。

 この子達はみんな、実在の飛行機や戦艦だろうが、アニメの架空兵器だろうが、等しく『物語』から生まれた存在です」

 

 もち子の細い指先が、はうが丹精込めて塗装した重厚な装甲を、愛おしそうになぞる。

 

「それを私たちの手で形にして、自分が作った物語(ポーズ)を添えて楽しむ……こうしてる間だけは、私たち自身がこの子たちの創造主——神様にでもなったかのような幸福を味わえる。私はそう思ってます」

 

 うっとりと語るもち子の模型哲学。

 そのロマンチックな言葉を聞きながら、はうは「神様」という単語に反応し、唇に人差し指を当てて小首を傾げた。

 

(神様、物語……かぁ)

 

 はうの脳裏をよぎるのは、ボイボ寮のリビングでジャージ姿で寝転がっている原初の神(ひまり)や、故郷の冥王星で大株主をやっていると噂の、千の貌を持つ這いよる混沌のことだ。

 彼女たちのような高位の神格は、自らを『執筆級(スクリプター・クラス)』——すなわち、この宇宙という物語を記述する側の存在だと定義していたはずだ。

 

「確かに……。僕の知ってる神様たちも、『物語を作る側』だって名乗ってる方が多いですねぇ。あれって、そういう趣味(ホビー)的な意味合いだったんでしょうか?」

 

「……ん? はうちゃん、それ一般人(わたし)の前で言っちゃっていいやつ? 正気度下がんない?」

 

 サラリと漏れ出た宇宙的真理(コズミック・ホラー)に、もち子が引きつった笑みを浮かべる。

 はうは「あはは、冗談ですよぉ」と笑って誤魔化したが、その視線はふと——もち子の大きなお尻の後ろで、感情に合わせてゆらゆらと揺れている「白いもの」に吸い寄せられた。

 

(……一般人?)

 

「もち子さん。地球人にしては、その……結構変わってると思うんですけど」

 

「うっ」

 

 はうの視線に気づき、もち子はビクリと肩を跳ねさせ、慌てて両手でお尻の後ろを隠した。

 

「わ、私だって謎なんですよこの尻尾は!

 多分先祖返りかなんかだろうって、昔お医者さんには言われましたけど……物心ついた頃にはもうあって」

 

 恥ずかしそうに顔を赤らめ、もじもじとするもち子。

 はうは瞬時に察した。

 宇宙には、菌類、甲殻類、不定形、半魚人……多種多様な種族が存在するが、自身の身体的特徴に対するコンプレックスや、触れられたくない部位というのは、銀河共通(グローバル)な乙女心なのだと。

 もち子にとって、それはこのフワフワの尻尾なのだろう。

 

「ち、地球人にもいろいろ居るんですねぇ……」

 

「居ますかねぇ……?

いえ、どっちにしろ私はただの模型屋の娘です! ちょっと尻尾が生えてて、プラモを本物みたいに動かせる特技を持ってるだけの、一般人です!」

 

 ふんす! と鼻を鳴らし、もち子は「本人も自信がないであろう一般人宣言」を高らかに行うと、誤魔化すように作業台へと向き直った。

 その背中を見つめながら、はうは心の中でそっとツッコミを入れる。

 

(……尻尾は百歩譲って先祖返りだとしても。

 私を助けてくれた時に見せた、プラモデルを巨大化させて空を飛ぶあの能力……あれを『特技』の二文字で済ませて良いものなんでしょうか……?)

 

 ミ=ゴの超科学をもってしても解析不能な「特技」を持つ、自称・一般人の模型屋店主。

 やはり地球という星は、深淵(ディープ)で面白い。

 はうはバイオスーツの中でくすりと笑い、再びニッパーを手に取るのだった。

 

 そしてもち子の作業もひと段落し、彼女は机と平行になるまで視線を落とし、組み上げ途中のプラモを舐めるように堪能していた。

 

「くっふっふ、PG(パーフェクトグレード)乙女合体ガチユリダー1/144も、ようやくここまで完成に漕ぎ着けましたよぉ」

 

 それは、飛行機型の二体が合体して一対の人型ロボットになるタイプのキットらしい。

 片割れである真紅の機体は既に完成し、赤い装甲を輝かせ、研ぎ澄まされた刃のような見事な塗装で自己主張している。

 対してもう一方、青い装甲を途中まで組ませた機体は、露出した複雑な内部フレームの一つ一つにもち子の工夫が光り、まるでハンガーでメンテナンスを受けている最中であるかのような、今にも動き出しそうな期待感に溢れていた。

 

「凄いですぅ。確かに、今にも発進しそうな迫力です」

 

「うへへ、ガチユリダー放送10周年で気合い入って設計され発売されたリアルグレード品ですからねぇ。ちょっと手を加えればこんなもんですよ」

 

 鼻の下をこすりながら、自慢げに語るもち子。

 そんな彼女の熱量に当てられたのか、はうはふと気になったように、自身の柔らかな頬に人差し指を添えて問いかけた。

 

「それで……その『ガチユリダー』って、どう言うお話なんですか?」

 

「——うっ!」

 

 もち子は息を詰まらせた。

 推しアニメの解説など、オタクが一度始めようものなら、どれだけ理性を総動員して抑えようとも、早口化して相手をドン引きさせるもの。

 しかもこの『ガチユリダー』、10周年記念モデルが出るだけあって、設定も人間関係も中々に濃い。

 一発でその魅力を説明し切る語彙力や自信など、もち子にはなかった。

 ここで下手に語り出せば、知識のないはうを置いてきぼりにし、自分の熱意だけが虚しく空振りするのは火を見るより明らかだ。

 それに、何より——。

 もち子は、ぎ、ぎ、ぎ、と油切れのロボットか、あるいは壊れた人形のようにぎこちなく首を回して振り返り、引きつった笑みではうに微笑みかけた。

 

「——見ます? 録画テープありますよ?」

 

「はうっ、見たいです!」

 

 キラキラした目で即答するはうに、もち子は内心、冷や汗をかいていた。

 何を隠そうこのアニメは深夜枠。

 そのタイトル『ガチユリダー(ガチ百合だ)』からも察せられるように、ごりっごりの百合アニメ——少女同士の重厚すぎる恋愛感情をテーマにした作品である。

 パイロット同士の「合体」がそのまま精神的な交わりを意味するような、純真無垢な宇宙人に見せて良いものか悩む際どい代物なのだ。

 

(あぁ、こんな純粋そうな宇宙人を、あっち側の沼に引きずり込んでしまって良いものか……!)

 

 一瞬の良心の呵責。

 だが、その純粋な瞳の輝きに逆らっては、布教を旨とするオタクの名が廃る。

 何より、異文化の人間があの名作を見て、良くも悪くもどう言う反応をしてくれるのかぜひ見たい! という業の深いオタク心には敵わなかった。

 

「……ちょ、ちょっと待っててくださいねぇ。

 あ、結構長いですし、ピザでも注文しましょうか?」

 

「はうっ! お友達と、ピザ食べながら鑑賞会……! やってみたかったんです!」

 

ぱぁぁっ!

 と、背景に花が咲きそうなほど純粋に反応するはう。

 その笑顔を見て、もち子は「もうどうにでもなれ」というワクワクと、未成年にお酒を勧めるかのような背徳的な罪悪感を同時に感じながら、ピザ屋への電話とビデオテープ探しに向かうのであった。

 

 

「えーと、ガチユリダー、ガチユリダー……うーん、やっぱりブルーレイ版を買い直しましょうかねぇ。テープがあると思うと、ついそっちでいいやって思っちゃうんですよねぇ」

 

 はうが来るからと、大慌てで模型店の“恥部”を適当に押し込んだ、もち子の聖域たる自室。

 彼女はその混沌の中で棚に頭を突っ込み、大きなお尻とその付け根から伸びる白い尻尾を左右に振りながら、ガサゴソとVHSをまとめた箱を丁寧にかき分けていた。

 しかし、そのリズミカルな振動が仇となった。

 棚の上に無理やり突っ込まれていた思い出の品々が雪崩を打ち、もち子の一番無防備な部分——柔らかく突き出されたお尻の上に、ぽむん、と落下して弾み、床へと転がった。

 

「ひゃんっ? ……あいたた」

 

 結構な重量があったその質量攻撃に、もち子は尻尾をピンと直立させて涙目で振り返る。 尻もちをつきそうになりながら、お尻をさするもち子。

 

「うぅ、こんな散らかったところ、はうさんには絶対見せられません……ありゃ、これは?」

 

 床に転がっていたのは、自分でも見た覚えがない、真っ黒な箱だった。

 表面には真っ赤な塗料で、複雑かつ未知の言語とおぼしき文字がびっしりと書き込まれている。

 そしてその天頂には、もち子がお気に入りの作品に刻むトレードマーク——五芒星の中央に燃える瞳を描いた紋章が記されていた。

 筆跡から見て、それはもち子の祖父のもので間違いない。

 そもそももち子がその紋章を使うようになったのも、祖父の影響だったのだから。

 

「これは……おじいちゃんの?」

 

 もち子が箱を手に取り軽くいじると、それはカキキキと複雑な音を立て、組み木細工のように展開して蓋が開いた。

 中に入っていたのは——。

 

「あっ、懐かしい! これ、ちょうど10年くらい前に作った『私』を模った粘土細工じゃないですか!」

 

 それは、乾いた紙粘土でできた、小学生の工作にしては妙にスタイルのいい、幼少期のもち子の写し身のような人形だった。

 

「待てよ? それならこの箱が落ちてきた位置に……あった!」

 

 もち子が箱の落下地点あたりをまさぐると、『乙女合体ガチユリダー』と背表紙に書かれたビデオテープが見つかった。

 

「えへへ、ありがとうございます、10年前の私。それと、おじいちゃん……」

 

 この部屋に集められたのは、獣の尻尾という変わった身体的特徴を持ちながらも、自身をただの人間として愛情深く育ててくれた、大好きな祖父との思い出の数々だ。

 もち子は愛おしそうに、その一つである紙粘土の人形に軽くキスを落とすと、部屋の片隅にある神棚の上にそれを安置し、パタパタと足音を立てて元の部屋へと戻っていった。

 

「はうさーん、見つけましたよぉ。放送当時に録画したビデオテープです!」

 

「は、はうっ? それ、記録素子なんですか? な、なんて原始的な……」

 

 遠くの作業部屋でそんな会話が微かに聞こえる中、静寂を取り戻した部屋。

 神棚の上で向かい合うのは、紙粘土のもち子人形と、五芒星の兜を被った一頭身の犬のような『御神体』だった。

 パチン、ともち子の黄金色の魔力が紙粘土の人形の頭上でスパークした。

 

『……久しいな、我が同胞の成れ果てよ。

現行生命に迎合し、そのような家畜の姿に再解釈されし哀れな旧き神よ』

 

 若い少女の、それでいて内臓に響くようなおどろおどろしい声が、紙粘土の喉などないはずの場所から響く。

 相対する犬の御神体は何も言わない。

 しかし、その御神体からは、一般人には視認できないもち子と同じ黄金色の神聖な魔力が、常に溢れ出していた。

 紙粘土の人形は、渇ききった砂漠が水を求めるように、その魔力を猛烈な勢いで吸い込んでいく。

 

『貴様が『旧き者』の遺せしものたちの守護者であると言うのなら、我が願いも叶えて見せよ……!』

 

 ひょこり、と。

 紙粘土の人形が、重力を無視するような軽やかさで神棚から床へと降り立つ。

 着地と同時、それは ぎち、ぎちち と、肉と骨が無理やり圧縮され、あるいは膨張するような湿った音と共に、急速に質量を増していった。

 

「ん、んんっ……ぅ、はぁぁ……ああんっ!」

 

 まるで、何年も着ていたきつすぎる衣服を脱ぎ捨てるような、開放感と万能感。

 人形だったモノは、どこか艶かしく、官能的な吐息を漏らす。

 乾いたパルプの質感は瞬く間に瑞々しい生身へと置換され、血管には熱い血が駆け巡る。

 現れたのは、もち子と全く同じ外見年齢、同じ輝く純白の髪と尻尾、そして、同じ肉付きの豊満な肢体。

 産まれたばかりの生まれたての全裸の肌には、玉のような汗がじわりと浮かび、その全身からは黄金色からどす黒い闇色へと変質した邪悪な魔力が、湯気のように立ち上っていた。

 その魔力は彼女の意思に応じ、まるで愛撫するように素肌の上を蛇のように這い回る。

 

「はぁ、はぁ……ぁんっ、ははっ、あはは! ついに、ついに顕現……できたぁっ!

私という新たな支配者の降臨を妨げた邪智暴虐の現行人類と、愚かな我が父の封印を破れたぞ!」

 

 彼女は自身の豊満な胸を、くびれた腰を、そして滑らかな太腿を自身の手で確かめるように愛撫する。

 神経が繋がり、触覚が世界を捉える快楽に、彼女は身をよじって恍惚の表情を浮かべた。

 闇色の魔力は一通りその肉体をねっとりと舐め尽くすと、露出の極端に多い戦闘衣服を形成する。

 赤い前垂れに、白いラインで旧き支配者の冒涜的な紋様が刻まれていく。

 

「現行生命の旧神の卵——10の魔法使いも今や番外がコソコソと隠れ住むのみ、あの月にいるはずの厄介な歴史修正者すら居ない可能性世界だと?

あっはは、あははは! 最高だ! 好きに蹂躙できるじゃないか!」

 

 もち子と唯一異なる、紅く怪しく輝く瞳がギラリと輝いた。

 彼女から溢れ出た闇色の魔力は、もち子が積み上げたプラモデルの山へと触手を伸ばし、まるで品定めするように這っていく。

 

「今こそ、凱旋の時だ。我がパレェドに相応しき現行人類の脅威を! 闇と絶望の化身を、物語宇宙の星霜より来たりて従え!」

 

 彼女の号令と共に、魔力を注入された箱が内側から突き破られる。

 アイカメラをギラリと赫く輝かせ、物語の中では倒されるべき『悪役』であったロボット達が、勝手に組み上がり、重厚な駆動音という産声を上げた。

 邪悪な笑みを浮かべ、新生した魔神は高らかに宣言する。

 

「さぁこの時より、この世界は——私のものだ!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーン。

 

 インターホンの軽快な電子音に応じ、マンションの6階の一室が開かれる。

 

「お待たせしましたー! コエイロピッツァでぇす!」

 

 虎太郎の張り上げた元気な声が廊下に響く。

 出てきた住人は、部屋着姿で財布を取り出しながらほころんだ顔を見せた。

 

「はいはーい、おぉ。早いなぁ、お疲れさまですー」

 

 虎太郎の提示した料金を支払い、熱々のピザを受け取って住人が部屋へと戻っていく。

 

パタン、ガチャリ。

 

 ドアの鍵が閉まる金属音を合図に、虎太郎の瞳から営業用の愛想が消え、鋭い獣のような光が宿る。

 彼は迷わず廊下の外側の手すりに手を突くと、そのまま逆立ちの体勢からバク転の要領で、6階の虚空へと身を踊らせた。

 

「——っと!」

 

 重力に引かれ落下する体。だが、彼はただ落ちるだけではない。

 空中で手首のスナップを利かせ、腰のベルトから射出した極細のワイヤーを外壁の金具へと瞬時に巻き付ける。

 

キュウゥゥゥ……!

 

 と摩擦音が鳴り、落下のエネルギーが絶妙に殺される。

 虎太郎は壁面を蹴り、エアコンの室外機を足場にし、まるでパルクールのようにジグザグと降下軌道を描くと、マンション下の駐車場で待機していた龍星のスクーターの後部座席へ直接、音もなくスタントマンのように舞い降りた。

 

「よし次だ、龍星!」

 

「了解した……!」

 

 虎太郎の着地と同時に、龍星がスロットルを回す。

 スクーターは軽快なエンジン音を鳴らしながら加速し、公道へと飛び出した。

 風を切って走る龍星のスクーターに、すぐに武弘の乗るスクーターも並走し、ヘルメット越しに楽しげな声を上げる。

 

「順調そうだな!」

 

「お互いな?」

 

 龍星がニヒルに口角を上げ、短く返す。

 虎太郎もまた、後ろのボックスを叩きながらウキウキとした様子で言った。

 

「見て見て、さっきのお客さんにお礼で缶のお茶もらっちゃった! これ、俺たちには天職なんじゃねーの?」

 

 虎太郎の言葉に、龍星も武弘も、ピザが届いた瞬間の人々の輝くような笑顔を脳裏に描く。

 良い客もいれば、悪い客もいる。

 それでも、箱を開けた瞬間の湯気と香りは、等しく人を笑顔にする。

 その瞬間に立ち会える充足感は、何物にも代えがたい。

 それぞれ出自も能力も違う「ヒーロー」である彼らにとって、守るべき市民の直の笑顔は何にも勝る救済だった。

 

「……っし、感傷に浸ってる暇はねえな。次の配達先行くぞ!」

 

「応よ!」

 

 龍星の気合の入った声に、虎太郎が元気よく応えた、その瞬間だった。

 

——シュピッ!

 

「「「は?」」」

 

 音もなく、鋭利な光の線が視界を横切った。

 直後、彼らの頭上にあった歩道橋が斜めに両断され、巨大な瓦礫となって彼らの進路へ落下してくる。

 

「何いぃ!?」

 

 いち早く反応したのは龍星だった。

 咄嗟に懐から数枚の銅貨をばら撒くと、それらは空中に一斉に固定され、光を放つ。

 ジャンプ台のように配置された銅貨の列が、二台のスクーターの足元へ即席の舗装路を作り出した。

 

「跳ぶぞッ!」

 

 二台のスクーターはウィリー状態でその銅貨の光路を駆け上がり、崩落する歩道橋の瓦礫の上を鮮やかに飛び越える。

 

ダンッ!

 

  と着地し、バックミラーの中で粉塵を上げる歩道橋を見て、三人は安堵の息をついた。

 

「何だよ今の、事故か!?」

 

 龍星の背中でバランスを戻しながら虎太郎が叫ぶ。

 だが、事態は事故などという生易しいものではなかった。

 

シュシュシュッ!

 

 空を切り裂き、白煙を巻き上げて細長い影が迫る。

 周囲の熱源を無差別に探知し、信号機やビルを破壊しながら、その内の一発が真っ直ぐ武弘めがけて飛来した。

 

「——っ、ミサイルぅ⁉︎」

 

 回避行動を取る間もない。

 武弘はスクーターのステップから足を離すと、その一瞬で右脚の一部を変身させ、重厚な装甲を展開した。

 

ガンッ!!

 

 着弾寸前、武弘はミサイルの中腹を強烈な回し蹴りで蹴り上げた。

 ひしゃげたミサイルは錐揉み回転しながら天高く蹴り飛ばされ、バチバチと放電したのち、遥か上空で大爆発を起こし、オレンジ色の花火となった。

 

 しかし、彼らは止まらない。

 止まるわけにはいかないのだ。

 

ピピピピピ! ピピピピピ!

 

 三人の腕時計に仕込まれた無慈悲なタイマーが、次の配達先のタイムリミットを告げている。

 

「ど、どうするよ!?」

 

「仕方ねえだろ! 今の俺たちはヒーローじゃねえ、ただのピザ屋の配達員だ! 仕事を優先するぞ!」

 

 焦る武宏に、龍星が一喝する。

 上空には、小型の悪党めいた黒い戦闘ドローンたちが群れを成して飛び交い始めている。

 だが、三人の漢たちはアクセルを緩めない。

 爆風と敵意の中、彼らはあくまで「デリバリー」を遂行するために、戦場と化した街を疾走し続けるのだった。

 

 

 

 高度数万キロ、衛星軌道上に浮かぶ魔術要塞衛星メタトロン・キューブ。

 その冷ややかな金属色に包まれた司令室には、今日も今日とて重苦しい空気が漂っていた。

 

「はぁ……今日も平和、平和、平和ってなんだ……?」

 

 司令官席で頬杖をつき、死んだ魚のような目でメインモニターを眺めているのは、この衛星の主であるボイボ寮の大家さんだ。

 彼が監視しているのは、地上にある天然火薬庫こと『ボイボ寮』。

 邪神冥鳴ひまりの捕獲失敗に始まり、情報生命体が起こしたグレイ・グー災害によるメタトロン・キューブへの被害、極めつけは奥の手である現実兵器『ハディートの瞳』がずんだもんの『ずんだアロー』に屈辱的な敗北を喫し、人智魔術の粋を集めた最終兵器でさえも正攻法から『魔法』に適う事はあり得ないと改めて証明された事。

 さらには、寮の修繕費に頭を抱えていたところにはうから持ちかけられた「冥王星の外部勢力からの技術・素材提供」という、本来なら世界統合防衛局の最上層部が慎重に審議すべき超法規的案件まで、なし崩し的に彼の胃袋にのしかかっていた。

 精神的疲労はピークを超え、今の彼は世界を守る司令官というより、ただの疲れ切った枯れた老人そのものだった。

 

「大家さん、大変です!!」

 

 その静寂を切り裂くように、職員の一人が血相を変えて駆け寄ってきた。

 

「ボイボ寮周辺の市街地で、詳細不明の無人兵器群が暴走を開始!

敵味方の識別信号なし、無差別破壊活動を行っています! そ、それと……この兵器群が纏っている魔力波形を見てください、これ!」

 

「あー? ……またどうせ、あの寮の誰かが鍋でも爆発させたとか馬鹿らしいトラブルの影響だろう?桶屋が儲かるだけだろ……」

 

 気だるげに視線を動かし、職員が突き出したデータタブレットを覗き込む大家さん。

 しかし、その網膜に映し出された波形パターンを認識した瞬間——彼の体から凄まじい勢いで老け込みが抜け落ちた。

 

「——ッ!?」

 

 カッ! と目が限界まで見開かれる。

 

「せ、世界の根幹からの大魔力の行使だとぉ!?

は、嘘だ、ありえん! この波形は……どこに隠れていやがった!? ま、『魔法使い』が出現したあああ!!」

 

 ヤケクソを起こしたかのような大家さんの絶叫が、司令室の空気をビリビリと震わせる。

 オペレーターたちは一斉に驚愕の視線を交わした。

 

『魔法使い』

 

 それは彼らが用いる異端技術群『魔術』の源流、世界の守護者となる代わりに天使と契約した者のみが扱える——世界に法則を追加し『願望を叶える力』。

 そしてボイボ寮設立の元凶にして最強最悪の天使ずんだもんが世界から隠した世界最後の守護者、東北ずん子の戦略的価値。

 その力の化身であり、大家さんにとって最大級の頭痛の種である『ずんだもん』という存在そのもの。

 それらに匹敵する、あるいは凌駕し得る新たな『理(ことわり)への干渉者』が、唐突にこの世界に出現したことを意味していた。

 

「あわわわ、わわ、わわわしの胃がっ!」

 

 大家さんは震える手で懐から胃薬の瓶を取り出すと、キャップを回す時間すら惜しいとばかりにギャリッと歯でこじ開け、中身をラムネ菓子のように口へ流し込み、バリボリと噛み砕いた。

 

「総員、第一級戦闘配置! 早急に、このふざけた魔法の行使元を特定せよ!!」

 

 粉になった胃薬を噴き出しながら、彼はモニターを指差して喚き散らす。

 

「あの寮のずんだに渡してなるものか!

これ以上あそこにわけのわからん特異点を増やしてなるものか!

新たな魔法使いは我々が確保する! 絶対、絶対あの寮に渡さんぞぉぉ!!」

 

「イエス・サー! 魔力逆探知、開始します!」

 

 大モニター上の地図には、市街地を血管や回路図のように走る魔力のラインが可視化され、高速でその『源流』へと遡っていく。

 目まぐるしく変わる数値を叩き出しながら、必死に作業する職員たち。

しかし、その背中で喚き続ける大家さんの姿を見ながら、彼らの脳裏には一様に同じ言葉が浮かんでいた。

 

(……良い加減諦めようよ、そこは……)

 

 どう足掻いても、厄介ごとはボイボ寮に集まる運命なのだと、彼らはとっくに悟っていた。

 

 

 

 一方、ボイボ寮のリビングでは。

 

『——続いてのニュースです。数日前に都心部の路地裏で発見された、“氷漬けのビル”の解凍作業が進み、中に閉じ込められていた悪徳AVプロダクションの社員達が、次々と病院へ搬送されていきます……』

 

 テレビ画面には、入り組んだ街中で一際異彩を放つ、巨大な氷柱と化した雑居ビルが映し出されている。

 そこから担架に乗せられ、カチンコチンに凍りついた男たちが運び出されるシュールな光景を、波音リツはソファに深く沈み込み、煎餅をバリボリと噛み砕きながら他人事のように眺めていた。

 

「やだねぇ、いつの時代も居るもんだ……。ま、自業自得ってやつか」

 

 同じく芸能活動を行っているリツは呑気に感想を漏らす。

 平和な午後のひととき。

 しかし、その静寂は廊下からの悲痛な叫びによって破られた。

 

「リツ! ちょっと手伝って! ずんだもんがまた剣崎先生の虫歯治療嫌がって、部屋に立てこもってるのよ!」

 

 四国めたんの切羽詰まった声。

 どうやら、寮の平和を脅かす歯医者の影に怯えた天使が、自室に籠城を決め込んだらしい。

 

「あぁ? 何やってんのさあの子は、まったくもう……」

 

 リツは面倒くさそうに頭を掻き、食べかけの煎餅を置いて立ち上がった。

 その瞬間。

 

『——た、只今別のニュースが入りました! 速報です!』

 

 テレビの画面が突如切り替わり、スタジオの緊迫した様子が映し出された。

 

『東京都緋穂葉町で大変なことが起きています! ロボットです! これは現実なのでしょうか!?

カメラさん、あそこ! ほらあれ! 私が幼い頃見ていたアニメの悪役ロボットが、今目の前でミサイルを放っています!』

 

「あぁ……?」

 

 リツが眉を吊り上げて画面を振り返る。

 そこには、黒煙を上げる商店街を我が物顔で練り歩く、異様な集団が映っていた。

 一つ目のタコ型メカ、キャタピラの下半身を持つ戦車型、ドクロの意匠を施した人型……。

 それらは明らかに、日曜朝のアニメに出てくるような「典型的な悪の組織のメカ」そのものであり、しかしその破壊力は紛れもない現実の脅威として街を蹂躙していた。

 

「なんだありゃ、悪趣味なパレードだな……」

 

 リツは呆れたように吐き捨てるが、画面の端で逃げ惑う人々の姿を見ると、その赤い瞳をスッと細めた。

 彼女は、右手の指先を空中に走らせる。

 ——『人死にが出る確率』。

 空中に赤い光の文字が記述される。

 その横に浮かび上がった現在の数値は『67%』。

 かなり高い、放っておけば間違いなく多くの犠牲者が出る絶望的な数字だ。

 

「……ふむ」

 

 リツは指先をスライダーでも下げるかのように、スッ、と下へなぞった。

 60……30……10……0%。

 数字は抵抗することなく下限へと張り付き、固定される。

 リツがフッと短い吐息を吹きかけると、その数式はキラキラとした粒子となってテレビ画面の中へと吸い込まれ、現地の因果律へと溶けていった。

 

(受理されたな、まぁこんなもんか)

 

 リツは満足げに頷く。

 彼女の用いる『BLESS能力』はあくまで「確率」の操作。

 物理的に存在するロボットを消したり、発射されたミサイルを無かったことにはできない。

 だが、「それが人に当たらない確率」や「当たっても奇跡的に軽傷で済む確率」を必然に変えることはできる。

 

「魔法の直撃までは防げないが、これで最悪の事態は回避できるだろ。 あとは……ま、大家さん達防衛局の仕事ってことで」

 

 彼女はパンパンと手を払い、画面の中の大惨事に興味を失ったように背を向けた。

 世界の危機よりも、今は目の前の身内の危機(虫歯)の方が優先順位は高い。

 

「っし、ちょっと待ってろー! おーいずんだもん、開けろー?」

 

ドンドンドン!

 

 とずんだもんの部屋のドアを叩くリツ。

 

「外えらいことになってんぞ! 怪獣映画みたいだ! ここの窓からなら特等席で見えるぞー!」

 

 彼女なりの気を引くための嘘ではないが、中から返ってきたのは案の定、涙声の拒絶だった。

 

「騙されないのだ! そうやってお外に出して、歯をガリガリする気なのだぁ!もう歯医者は嫌なのだぁ! 絶対に出ないのだぁ!」

 

「諦めろだーもんちゃん、削ったりしねえ乳歯を引っこ抜くだけだぁうはははは!」

 

 剣崎のサディスティックな高笑いに「びゃあああ!」と扉の向こうからずんだもんの悲鳴が聞こえ、より扉を抑える力が強くなる。

 

「あーもう、駄目だこりゃ」

 

 外ではロボット軍団の進撃、中では歯科治療への抵抗運動。

 二つの戦場に挟まれながら、波音リツはやれやれと肩をすくめる。

 今日も今日とて、ボイボ寮はある意味平和である。

 

 

 

 

 

 

『——西暦2034年。

突如発生したウイルス災害により、地球上の生命の半数が死に絶え、復興した未来』

 

 模型店の奥、小さなブラウン管テレビから、重厚なナレーションと悲壮感漂うBGMが流れる。

 画面に映し出されるのは、どこかへ消えたウィルスが猛威を振るった地上を恐れるようにして海の上に築かれた新たな生存圏——『海城都市:島京』。

 

『災害によって一様に何かを喪ったサイボーグの少女たちは、運命に導かれるようにして集い……謎の組織PAURが作り出した機械の神のパイロットに選ばれた』

 

 画面の中で、それぞれに身体の一部を機械化された美少女たちが、葛藤し、涙し、そして手を重ね合わせる。

 ウイルスを生み出した地球意思(ガイア)の悪意が生んだ、グロテスクな怪獣が迫る中、彼女たちはコクピットへと乗り込む。

 だが、その操縦方法はあまりにも特殊だった。

 

『機械神ガチユリダーは感覚を持たない! 少女たちの義体を通じてのみ、世界を知覚する!

 そう——回路を直結させた彼女たちが触れ合い、互いを想い、ときめいた時の精神エネルギーだけが、神を動かす燃料となるのだ!』

 

 緊迫した戦況。しかしコクピット内では、パイロットスーツに身を包んだ二人の少女が、顔を赤らめて指を絡め合っている。

 その感情の高まり——「尊さ」という名の出力係数が臨界点を超えた時、鋼鉄の巨神の目が光り輝く。

 

『あんたが……あんたが本当に、神様だっていうのなら! 私たちの願いの一つでも叶えてみせろぉぉ!!』

 

 ヒロインの魂の叫び。

 災害で家族を、身体を、日常を失った少女たちの祈り。

 それに応え、機械神ガチユリダーが天を仰いで咆哮を上げた。

 

『ウォォォォォォォォォ!!!』

 

 

 ——そんな、設定過多かつ情緒がジェットコースターのような劇中アニメを、はうは作業の手を完全に止め、食い入るように見つめていた。

 その瞳は瞬きすら忘れ、画面の中の理不尽な奇跡に釘付けになっている。

 

「はい……はい! 明太もちチーズピザで……よろしくお願いします〜♪」

 

 そんなはうの背後で、もち子が上機嫌な声で通話を終えた。

 コエイロピッツァへの注文を済ませた彼女は、スマホを置くと、そそくさとアニメに見入っているはうの隣に座り直した。

 

(……ど、どうかな? 引いてないかな? それともハマってくれてるかな?)

 

 ここで食い気味に『どうでしょうか?』と感想を聞こうものなら、布教に必死なオタク特有の圧が出てしまう。

 もち子は逸る気持ちを抑え、あくまで「ピザが来るまでの暇つぶしですよ」という顔を装いながらも、内心ではソワソワと膝をさすっていた。

 すると、CM入りのアイキャッチに入ったタイミングで、はうがぽつりと口を開いた。

 

「……地球人って、不思議です」

 

「——っ」

 

 はうの言葉に、もち子は一瞬だけ固まった。

 やはり、「女の子同士でイチャイチャしてロボットを動かす」という設定は、高度な文明を持つミ=ゴには「変なもの」として映ってしまったのか。

 冷や汗をかきかけたもち子だったが、はうは画面を見つめたまま、静かに、そして真面目なトーンで続けた。

 

「科学的な運命論や確率論と並行して……人同士の運命やら感情という不確定なものに、『意味』を見出そうとするんですね」

 

「え……?」

 

「計算上は無意味なはずの『祈り』や『ときめき』を、物理的な出力(エネルギー)に変換できると信じている。……非合理的ですが、とても興味深いです」

 

 それは、否定でも肯定でもない。

 宇宙生物学者としての、純粋な分析と感嘆だった。

 

「あ、あはは……まあ、ご都合主義と言えばそれまでなんですけど」

 

「それをただのご都合で終わらせないのが、やっぱり物語を描く人のこだわりなんだろうなって……あと!やっぱりロボットがかっこいいです!」

 

 もち子は少し安堵しつつも、予想の斜め上を行く「宇宙人視点の感想」に、頬を引きつらせながら相槌を打つ。

 どうやら、ドン引きされているわけではなく、むしろ「研究対象」としてもアニメとしても意外なくらい楽しく見てくれているらしい。

 その横顔を見て、もち子は「まあ、結果オーライかな」と胸を撫で下ろすのだった。

 

「私もね、はじめはこのアニメ、ただの過激な設定だなって思ってたんですよ」

 

 もち子は、画面の中で咆哮を上げる機械神ガチユリダーを慈しむような目で見つめ、静かに語り出した。

 

「でも、重要なのは女の子同士である点だけじゃないんです。

 このお話の中で、パイロットも、ガチユリダー自身も成長していくのがミソなんだと思うんですよ。

 ただ操縦するだけの関係から、一緒に生きたいって思える愛情の守護者として成長していく……神様と人間のお話なんです」

 

 もち子はアニメの魅力を語り終えると、すこし唇を結び、自身の後ろにある白い尻尾をそっと手で持ち上げながら言った。

 

「……これを見ていた頃ね、やっぱりこの尻尾のこともあってか、周囲から孤立してたんです。それで一人で部屋に籠もって、アニメを見ているだけのことが多い子だった私に……祖父が勧めてくれたのが、プラモデルでした」

 

 彼女の視線の先。

 棚のガラスケースに陳列されているのは、もち子が今まで作ってきたプラモ達だ。

 説明書通りではない。各々が自身の活躍するシーンを、もち子なりの感性と解釈で加味し、泥汚れや弾痕すらも美しく立体化した、唯一無二の芸術品たち。

 

「プラモは自由であり、平等です。

 楽しむのは作った人の個性じゃなくって、表したい世界。

 作りはじめは荒削りだったけど、新しい工夫や技術を駆使して、表現したいものを表現していく喜び……そこに共鳴したのも、あるかもしれませんね」

 

 もち子は、作業机の隅に飾られた、自らの孤独を救ってくれた祖父の遺影を見上げる。

 

「何も持たなかったものが、何かを得ていく喜びを……祖父とこのお話は、教えてくれたんです」

 

 もち子がしみじみと語る、寂しげだが芯の通った横顔。

 それを見て、はうの胸の奥底で、ときん、と何かが鳴り響いた。

 種族は違えど、その孤独と、それを埋める「何か」への情熱は、はうにも痛いほど理解できたからだ。

 

「もち子さん……」

 

「な、なーんて! いきなりクサいこと言っちゃってますね、私!」

 

 しんみりした空気に耐えきれなくなったのか、もち子はたははと照れ隠しに笑って頭をかいた。

 そんな彼女に、はうは首を横に振る。

 

「そ、そんなことないですよぅ。素敵なお話です」

 

「いやぁ、お恥ずかしい……」

 

「いえ、本当に。……ん?」

 

 はうは、くんくん、と鼻を鳴らした。

 先ほどまでのシンナーの匂いとも、注文したピザの匂いとも違う。

 

「え、あれ? クサいっていうか……何か、焦げ臭くないですか?」

 

 はうが、周囲の異常に気付いた、その時だった。

 

『——孤高をそのように解釈するか。いかにも惰弱な現行人類らしい考え方ね、「私(もち子)」』

 

ドォォォォォォン!!!

 

 部屋の静寂を、物理的な衝撃が粉砕した。

 地鳴りと共に、模型店の壁が紙細工のようにぶち破られる。

 飛び散る木材と石膏ボードの破片。

 侵入してきたのは、トラックほどもある巨大な鋼鉄の「指」だった。

 

「ひゃっ!?」

 

「あぶないっ!」

 

 咄嗟にはうがもち子に覆い被さる。

 展開された『高速動体静止フィールド』の不可視の障壁が、礫となって襲いかかる瓦礫を空中でピタリと静止させ、二人を守った。

 だが、破壊は止まらない。

 侵入した巨大な指は、そのまま天井の梁に引っかかると、まるで子供が家の模型を分解するかのように、無造作な力で跳ね上げられた。

 

ベリベリベリベリッ!!!

 

 耳をつんざく破壊音と共に、模型店の二階部分がまるごと剥ぎ取られ、吹き飛ばされる。

 突然の事態に、天井があったはずの場所には、寒々しい冬の空が広がっていた。

 

「な、な、なあぁっ!?」

 

 あまりの破壊と、聖域の崩壊に、もち子は頭を抱えて悲鳴を上げる。

 否、問題は破壊だけではない。

 強制的に解放された外の空気は、戦場の硝煙と、高出力ビームが空気を焼いた特有のイオン臭に充ちていた。

 そして、剥き出しになったもち子とはうを取り囲むように、空と地上から睥睨していたのは——先ほどテレビのニュースで見た、悪役ロボット軍団の赫く輝く瞳の群れであった。

 その絶望的な包囲網の中、中空から舞い降りてくる一つの影があった。

 重力を無視してふわりと瓦礫の上に立ったのは、もち子と瓜二つの容姿を持ちながら、露出過多な黒いハイレグの戦闘衣装に身を包んだ少女。

 彼女は、もち子を見て妖しい笑みを浮かべた。

 

「久しいわね、もち子……。

 いいえ、『旧き者(エルダーシング)』の誇りを忘れ、現行人類に堕ちた愚かで哀れな私よ……!」

 

 祖父との思い出が詰まった店の上で。

 もう一人の自分は、侮蔑と歓喜の混じった声で高らかに宣言した。

 

 

 

 

 

ズガァァァァン!!

 

 至近距離での着弾音と共に、凄まじい爆風がコエイロピッツァの入り口を襲った。

 

「「「うわぁぁぁぁ!!」」」

 

 三人の男たちは、まるで紙屑のように爆風に吹き飛ばされ、店内のフロアへと転がり込んだ。

 最後に戸を潜った虎太郎が、強烈な風圧に抗いながら、顔を歪めて大慌てで重い扉を閉める。

 

ガキンッ!

 

「はぁ、はぁ、はぁ……! リ、リーダーぁ! 駄目だ、外は思いっきり戦場と化してやがる! 仕事どころじゃねえ!」

 

 虎太郎が扉に背中を預け、ずるずると座り込みながら叫ぶ。

 龍星と武宏も床に大の字になり、肩で息をしていた。もはやピザの宅配どころではない。これは災害だ、戦争だ。

 

「——つくよみちゃんです」

 

 瓦礫の埃に塗れた彼らとは対照的に、一点の汚れもないエプロン姿のつくよみちゃんが、冷徹に、かつ食い気味に訂正を入れた。

 彼女は真剣な表情で頷く。

 

「確かに非常事態のようですね。ですが安心してください。

『つくよみちゃんプロジェクト財団』系列の施設は全て、有事の際は非常用シェルターとして機能するよう、幾重もの物理障壁、および新式魔術的防御結界を用いて建築されています」

 

「ま、マジかよ……」

 

 彼女の言葉通り、店内の窓にはすでに分厚い装甲シャッターが下りていた。

 外部の轟音は遮断され、たまたま店に来ていた客に加え、避難してきた近隣住民たちも、不安と安堵の混じった表情で身を寄せ合っている。

 ここなら安全だ。

 助かった、と三人の表情が綻んだ——まさにその時だった。

 

「——只今、非常用の緊急発進設備(カタパルト)を起動中です」

 

 つくよみちゃんの涼やかな声。

 その言葉の意味を理解した瞬間、三人の表情がピキリと凍りつき、石膏像のように固まった。

 

「……は? 『発進』って、あんたまさか……」

 

「新しいオーダーが入っています。30分以内に届けてください」

 

「正気かよ!?」

 

 龍星がガバッと起き上がり、血相を変えて叫ぶ。

 

「外はミサイルとビームが飛び交ってる戦場なんだぞ! 確かに俺たちなら届けられるかもしれねえが、相手だってそれどころじゃあ……」

 

「だからこそ、今あの方々はピザが必要なのです!」

 

 つくよみちゃんの凛とした一喝が、店内の空気を震わせた。

 彼女は胸に手を当て、瞳に熱い炎を宿して語りかける。

 

「天変地異、戦争、理不尽な災害……人々はいつだって、唐突な理不尽によって日常を失うリスクを抱えています。

 だからこそ、我々出前業界は『日常の守護者』として機能しなければなりません!

 どんな時でも、お腹を空かせたお客様に、温かい笑顔とピザを届ける事! それこそがプロの魂というものではないでしょうか、皆さん!」

 

「……ッ!」

 

 つくよみちゃんの悲痛な、そして気高い叫び。

 それは、彼らの中にある「漢(おとこ)」の部分を強烈に揺さぶった。

 虎太郎の脳裏に、先ほどお茶をくれた客の笑顔が蘇る。あの温もり。あの喜び。

 震える手で、己の胸を掴む。

 

「……そうだ、俺たちは今……忍者でも、怪異ハンターでもねえ。ピザの配達員だ」

 

「へっ、違いねえ。こんな程度の嵐で怯んでちゃあ、プロフェッショナルにはなれねえよな」

 

 武宏がニヤリと笑い、立ち上がる。

 

「ああ……俺たちの誇りを、今ここで見せる時だ!」

 

 龍星もまた、覚悟を決めた瞳で立ち上がった。

 その背中には、どんな戦場よりも重い「責任」と「誇り」が背負われていた。

 そんな三人の勇姿に、つくよみちゃんは満面の、天使のような笑顔を向ける。

 

「素晴らしいです。では、行ってきてください。

 ——今回の不明ロボット群の爆心地、『緋穂葉商店街』へ」

 

「「「へ?」」」

 

 ガシッ! と後ろから、岩のように重い保温機能付き配達バックを強制的に背負わされ、三人の口から間抜けな声が漏れた。

 爆心地。それはつまり、一番ヤバい場所ということだ。

 

「発進シークエンス、整いました!」

 

ガコン、プシューッ!

 

 つくよみちゃんの合図と共に、店の壁一面が回転し、隠されていたハンガーデッキが露わになった。

 そこでは、F1のピットクルーのような装備に身を包んだ店員たちが、龍星たちのスクーターを、空母の射出カタパルトのような装置にセットし、サムズアップしている。

 

「ちょ、ま、待っ——」

 

「ご武運を祈ります!」

 

 つくよみちゃんが、非情にも発進ボタンを叩いた。

 ズドンッ!!!

 強烈なGが三人を襲う。

 勢いのまま載せられた龍星たちは、ツッコミも、文句も、命乞いすら入れる間もなく、安全なシェルターから、ミサイルの飛び交う地獄の街中へと、問答無用で射出されていく。

 空中で彼らにできることは、ただ一つ。

 この理不尽な業務命令に対する、魂の絶叫だけだった。

 

「「「はい、よろこんでええぇぇーーーーっ!!!」」」

 

 男達はもはや泣きながら、それでも社訓を叫び、真っ赤な空へと吸い込まれていくのであった。

 

 

 

 

 

 

バラララララララッ!!

 

 鼓膜を叩く激しい風切り音と重低音が、一瞬にして二人の言い争いを物理的に押し潰した。

 上空を旋回しているのは、重武装を施された数機の戦闘ヘリ——『世界統合防衛局』の航空部隊である。

 機体下部の拡声機から、事務的かつ、有無を言わせぬ威圧的な警告が降り注いだ。

 

『——そこの仮定魔法使い! 直ちに魔力暴走を解き、降伏しなさい!

 こちらは世界統合防衛局です。抵抗の意思がない場合、速やかに投降しなさい! 繰り返す、速やかに投降しなさい!』

 

「ひっ、ひぃぃ!? う、うちが何かとんでもない事態の中心地になってるぅ!?」

 

 もち子が情けない声を上げて頭を抱える。

 だが、空に浮かぶ邪悪なもち子——『空の女王』は、不愉快そうに鼻を鳴らしただけだった。

 

「……チッ、五月蝿い被造物どもの軍隊が。私の頭上から命令するんじゃない!」

 

 女王が腕を横薙ぎに翻す。

 その意思に呼応するように、背後に控えていた悪役ロボット達が一斉にハッチを開き、無数のマイクロミサイルを発射した。

 

「対象からの攻撃を確認!」

 

「怯むな! 天変地異の影響で向こうにもこちらの兵器は通じる! 迎撃せよ!」

 

 ヘリの側面から突き出したミニガンが火を吹き、空中でミサイルを次々と撃ち落としていく。

 だが、相手は物理法則を無視した『魔法』の産物だ。

 撃ち漏らした数本の暴威が、不規則な軌道を描いてヘリのローターを食いちぎろうと迫る。

 

「させませんよ!」

 

「い、いっけえぇぇシールドビットぉ!」

 

 咄嗟に動いたのは、はうともち子だった。

 はうが懐から取り出した、SFチックだがどこか玩具めいた電気刺激銃のトリガーを引く。放たれたプラズマがミサイルの誘導を狂わせる。

 同時にもち子が投げたプラモが実体化し、幾何学模様の障壁(シールドビット)となって残る爆風を完全に防ぎ切った。

 ——しかし、その英雄的行為は最悪の形で記録された。

 戦闘ヘリのノーズカメラが、硝煙の晴れ間に立つ二人を捉える。

 コクピットの計器が、非常事態を告げる赤いアラートを点滅させた。

 

『——総員に通達! 不明ロボット兵器軍が纏うものと、今攻撃を防いだ少女の『魔力波形』が完全に一致!

 仮定魔法使いは、二人いる模様! 一人は敵対的、もう一人の行動は不明! 指示を乞う!』

 

 

 

 一方、防衛局司令本部『メタトロン・キューブ』。

 モニターに映し出された新たな解析結果と映像を見て、司令官席の女性——通称“大家さん”は、深々と頭を抱えていた。

 

「あのボイボ寮の異星人ん! 何故あんな所に居る!?」

 

 絶叫に近い悲鳴だった。

 画面には、あろうことか自身の管理物件(という名の隔離施設)の住人である、宇宙人のはうが映っている。

 彼女がそこに居るという事実。それは即ち、あの『人外魔境・治外法権・超常現象見本市』であるボイボ寮が、この件にガッツリ絡んでいるという証明に他ならない。

 

「し、司令! どうします? 相手は二人とも強力な魔力反応を持っています。とりあえず攻撃を仕掛けてみますか?」

 

 オペレーターの問いかけに、大家さんは血相を変えて立ち上がった。

 

「待て! 撃つな! バカ野郎!

あの寮が関わってるのならば、下手に動けばこちらが『ずんだ餅』にされる危険がある……っ糞ぉ!!」

 

 大家さんは悔しげにコンソールをガンッ! と叩いた。

 相手は悪の組織でも怪獣でもない。

 うっかり刺激すれば、世界を救うどころか、物理法則ごとねじ曲げられて部隊全員が枝豆ペーストにされかねない、歩く特異点なのだ。

 

 

 

「全くもって度し難い。私たちは支配者であって『魔法使い』……あぁ、旧神未満の守護者の新芽と誤認するとはな」

 

 空の女王は、自分たちに向けられた拡声器の警告を、虫の羽音でも聞くかのように払いのけた。

 だが、地上にはその態度よりも、彼女の格好に耐えられない少女が一人いた。

 

「ちょっと! そこの『私』! そんな痴女みたいな格好で厨二病的なセリフ撒き散らしながら、いつまでも浮いてるんじゃありませんよ!」

 

 もち子は顔を完熟トマトのように真っ赤にして、空を指差し吠え立てた。

 自分と顔も体型もそっくりなもちもちボディを、あろうことかあんな露出度の高い衣装で寒空に晒している。それは彼女にとって、自身の裸を見られる以上の公開処刑だった。

 

「わかりますよ、あなた『あの紙粘土の人形』でしょう! いくら10年前の私でも、そんな痛々しい厨二病は発症してなかったはずですよ! 一体何があったんですか!」

 

 もち子の剣幕に、空の女王は上空から「……っは!」と鼻で笑い飛ばす。

 

「この身体を恥じるのか『私』! 全く愚昧極まるな。旧式の身体が持っていた完璧な機能性をさらに先鋭化し、祖先がさらなる未来への対応のために人工進化(アップグレード)を重ねたこの玉体こそ、我ら『旧き者』の至宝だというのに!」

 

「さっきから旧き者とか、何の話ですか!」

 

 噛み合わない会話。空の女王の傲慢な物言いにもち子が困惑している隣で、はうはハッとした表情を浮かべた。

 先ほどから女王の言葉の端々に現れる奇妙な単語。

 それが、彼女の脳内にある古い記憶のアーカイブと合致したのだ。

 

「……っ! まさか、おじいちゃんの書斎でみた、地球最初の支配種族……?」

 

「ぇ……はう、ちゃん?」

 

 口元を押さえて戦慄するはう。その只ならぬ様子に、もち子は呆然と見返す。

 

「読んだ覚えがあります。まだ海に最初の細胞が生ずる遥か前……いえ、その原因となるべくして原始地球に降り立った、当時宇宙最先端の科学力を持った生体技術者集団が居たと。

 彼らは『ウボ=サスラ』の卵殻から原初の細胞を作り出し、海に放ち、現代の地球を形作る生態系の基礎を作り上げた。最初の旧支配者、地球生命の設計者、今は亡き滅びた最初の『地球人』……それが、『旧き者(エルダー・シング)』と呼ばれていたって」

 

 震える声で、禁断の知識を紐解くはう。

 その言葉の意味を理解するにつれ、もち子の視界は心臓の激しい高鳴りと共に揺らいだ。

 本能的な恐怖か、それとも“種”としての防衛本能か。

 もち子の尻尾が、怯える犬のように自身の内股にきゅっと巻き付いた。

 

「なに……言って、るんですか? わっ、私は……! 人間ですよ! ただの一般人です!」

 

「まだ言っているのか。いや……それも、当然か」

 

 女王は呆れたような、それでいてどこか失望したような冷ややかな視線でもち子を見下ろす。

 その瞳の奥で、どす黒い怒りの感情が徐々に膨れ上がっていく。

 彼女は、赤く鮮やかな血を滴らせた両腕で、己の豊満な胸を力一杯抱きしめた。

 

「愚かな私の『本物の両親』も、お前を発掘し『私』を人形と箱に封じたあの老人も、皆が皆してお前をずっと騙してきたのだからな……!

 この力も、そんな哀れな『私』にあの旧神が与えた贈り物。お前は……自らの正体を知ろうともせず、のうのうと模型遊びに興じて、『無かったことにされた私』を無視してきたんだからなぁ!」

 

 ギリッ、と唇を噛み締め、瞳に涙を浮かべた空の女王は、天に向かって腕を振り上げた。

 

「テケリ・リ! テケリ・リ!!」

 

 それは、人類の声帯では再現不可能なイントネーション。

 無数の意味を持った情報を圧縮し、ヨタカの鳴き声のような不協和音として再構築したような、原初の恐怖を呼び覚ます『支配の言葉』だった。

 指令を受けた大型の悪役ロボットが動く。

 それは足元にいた比較的小型の量産型ロボットを、まるで道端の石ころか何かのように、徐ろに鷲掴みにした。

 掴まれたロボットは抵抗などしない。ただ、支配者の意図を完全に理解し、自身の破滅を受け入れた無機質な瞳を明滅させるだけだ。

 

「故に、私はこの世界を終わらせて、今度こそ我らの時代を取り戻すために、こうして受肉したのだ!」

 

ブンッ!!

 

 大型ロボットが剛腕を振り抜き、小型ロボットを上空のヘリへ向けて投擲した。  砲弾のように飛翔する鉄の塊。

 

『なっ!? 退避、たいひー!』

 

 ヘリの乗員たちが絶叫し、急いでサイクリック・スティックを倒すが、もはや遅い。  放り投げられたロボットは、敵機への激突と自身の消滅を歓喜と共に受け入れ、その中枢設定に存在する超エネルギー炉心を限界突破(オーバーロード)させ——。

 

 カッッッ!!!!

 

 空中で、太陽のごとき閃光が弾けた。

 

 

 ——自爆特攻。

 

 小型とはいえ、架空の超兵器が抱え込んだエネルギーの解放は凄まじかった。  

 

ドォォォォォン!!

 

 という腹の底に響く轟音と共に、爆発の衝撃波が周囲に破壊と混乱を撒き散らす。

 爆風に煽られたヘリは、制御を失い、まるで木の葉のようにきりもみ回転しながら墜落していく。

 大地は悲鳴を上げ、その余波で「もちぞら模型店」の建物自体もギシギシと軋み、ショーウィンドウのガラスが粉々に砕け散った。

 

「きゃあぁっ!?」

 

 展開したシールドの中で、はうと必死に抱き合いながら、もち子が悲鳴を上げる。

 自分の愛する作品たちが、ただの爆弾として使い捨てられ、あろうことか現実の兵器を、生身の人間を傷つけていく。

 その光景への恐怖と、深い絶望。  だが、それとは対照的に——。

 

「あっはっはっはっは! 素晴らしい! 素晴らしいぞ、この破壊力、この創造性!」

 

 空の女王は、灼熱の爆風にその豊かな白髪とスカートを煽らせながら、恍惚とした表情で、心の底から愉快そうに高笑いを上げていた。

 

「これこそが現行人類唯一の利点だ! 愚かな知恵も、こうして我が手足となる兵器を生み出す贄としてなら価値がある!」

 

 彼女は炎上する空を見上げ、燃えるような赤い瞳を細める。

 そこにあるのは、命を命とも思わない、絶対的な上位捕食者、あるいは邪悪な神としての精神性そのものだった。

 

「気に入った! 私に従い、有益な玩具を作り続ける個体には、我ら旧き者が復権したのちも、ペットとして存在を許してやろう!」

 

 女王の傲慢な宣言。だが、それを遮るように、震える、しかし力強い声が響いた。

 

「あなた……自分が作ったロボットに……今、何をさせた?」

 

——カッッッ!!

 

 瞬時、戦場を黄金の輝きが包み込んだ。

 光の中から現れたのは、複数の機械の巨人たち。

 それらは墜落するヘリ群へと滑り込むと、鋼鉄の腕で優しく、かつ力強く機体を受け止めた。

 あるいは空中に放り出された兵士たちを、その巨大な掌で包み込むようにキャッチし、ふわりと地上へ降ろして着地する。

 

「ひぃあああ! ……ぁ、あ? ありがとう……」

 

 パラシュートが燃え、情けない悲鳴をあげて落下していた兵士は、自分をそっと地面に降ろしたトリコロールカラーの巨人に、腰を抜かしそうになりながらも呆然と礼を言った。

 ロボットは言葉を発さない。

 ただ、その無機質なフェイスプレートの奥に宿る瞳(カメラアイ)を瞬かせ、サムズアップのような仕草で『気にするな』と無骨にジェスチャーを返す。

 そしてすぐさま踵を返し、空の女王の護衛ロボットである自身の本来の敵——を食い止めるべく駆け出した。

 その背中を見送りながら、兵士は震える声で呟いた。

 

「あれ、俺が昔憧れてた……アニメのロボットじゃないか……」

 

 かつて少年だった自分が、正義に憧れ、自衛隊へ、延いては現在の防衛局に入隊する原動力となった勇者の姿。

 それが、紛れもない現実としてそこにあった。

 それも、一体や二体ではない。歴代の勇者たちが集結しているのだ。

 兵士はハッと我を取り戻すと、周囲で同じように助けられた仲間たちに声を張り上げた。

 

「おい、呆然としてる場合じゃない! あれは俺たちには最早どうしようもない次元の戦いだ!

敵情報をメタトロン・キューブへ送信! 俺たちは周囲で避難し損ねている一般人を救助するんだ!」

 

 そして、その黄金の光の根源で、もち子は怒りを抑えきれずに震えていた。

 恐怖による震えではない。理不尽への激しい怒りだ。

 

「もち子さん……あなたは、やっぱり……魔法の力を!」

 

 はうが神々しく輝く黄金の光を立ち上らせるもち子を見上げる。

 

「あんた、何やってるかわかってるんですかっ——!」

 

 怒りを込めて、もち子は上空に浮遊する自分と同じ顔をした女を睨み上げた。

 

「ここにあるプラモは、皆の夢を、憧れを、創造性を育むためにあるんです!

それをあんたは、ただ破壊のための兵器としてだけ使うって言うんですか!

あんたって人はぁ!」

 

 もち子の怒りを代弁するかの如く、周囲に集った機械の勇者たちが、一斉に駆動音を唸らせ、あん子の悪役の軍勢へと躍りかかった。

 輝く剣が、必殺の光線が、悪役ロボットたちの装甲を紙のように切り裂き、爆散させていく。

 空の女王は闇色の魔力を吹き出し、宙に浮きながら忌々しげに吐き捨てた。

 

「はっ、所詮は玩具の流用でしょうが!」

 

「そんな考えである限り、貴方はプラモ対決で私には勝てませんよ!

あなたには、物語に対する愛がない!」

 

 もち子の宣言通り、戦況は一方的だった。

 もち子が召喚した相手は、あまりにも「合理的」だったのだ。

 なぜならそれは、女王が召喚した悪役が登場するアニメの『主役』キャラクターたち。

 彼らが悪役に勝つことは、彼らが紡いできた物語そのものが証明している絶対の理だった。

 瞬く間に、主役ロボたちの攻撃が悪役ロボたちの装甲に致命的なダメージを与え、戦線を押し上げていく。

 追い詰められた女王は、ギリと歯ぎしりをして、手元の空間をねじ切った。

 

「なら、主役と並ぶ『悪』を召喚するまでだ!」

 

 女王が掲げた、禍々しいオーラを放つ真っ黒なプラモデルの箱。

 そこから、魔力に流されるように中のランナーとパーツが宙を舞い、勝手にパチパチと切断され、組み上がっていく。

 

「あ、ちょ。それ、それ!!素組みぃ!せめてやすりがけして、ああああっ!」

 

 その箱を見た瞬間、先ほどまで真面目な怒りに燃えていたもち子が、急に顔色を変えて狼狽し始めた。

 

「あ、あっあああっ! それ私の! 今組み立てるPGガチユリダー初回限定版同封の応募ハガキから、さらに抽選で当てた世界に百個しかない激レアのやつぅ!

や、やめて! それを先に組み上げないでぇ! ガチユリダー組み上げたら作る予定だったのちょっとぉ!」

 

 まるでおもちゃを取り上げられた子供のように、いや、聖域を土足で踏み荒らされたオタクの悲鳴を上げて両腕を振り回すもち子。

 そんな彼女の制止など意に介さず、女王は高らかに宣言した。

 

「確かにアニメの知識も有用だな『私』よ!私はこれ以上の悪役を知らない!

ガチユリダーと対を成す並行存在、ガイアを唆し死と滅びを呼び込む悪神!

現行人類を終わらせるには最も適した存在! 顕現せよ、終末時計クロノス!!」

 

ドォォォォォォォォン!!

 

 闇色の爆発が全てを包み込み、ドーム状に広がっていく。

 その圧倒的なエネルギー余波は、ついにもちぞら模型店の建物の限界を超え、支柱をへし折り、瓦礫の山へと変えていく。

 

「もち子さんっ!」

 

 はうが、咄嗟にもち子の腕を掴み、崩落する瓦礫から彼女を強引に引き寄せ、安全な位置へと飛び込んだ。

 

ガラガラガラガラ……ッ!

 

 土煙と闇の中から膨れ上がり、起き上がったのは、時計の意匠を不気味に歪ませたような漆黒の巨神。

 それは己の生誕を自分自身で寿ぐように、天を見上げて低く、重い咆哮を上げた。

 

『ヴォォォォォォォン……!!』

 

 咆哮と共に、彼女たちの魔力とも異なる闇色の『何か』が大地へゆっくりと染み込んでいき、その巨神を中心に空が毒々しい紅に染まっていく。

 それは、滅びへの秒読みが始まったかのようにも見えた。

 

「そうだ……全部壊し尽くせ、私を無かったことにする世界など、蹂躙し尽くしてしまえ……!」

 

 その胸部に展開したコクピットに女王が座り込み、融合するようにその体内へと収納した終末の巨人は、ゆっくりと……しかし確実に世界への蹂躙を開始した。

 

 迫る世界の終焉、もち子の過去に秘められた力の秘密、そして男たちのピザ配達は無事に完遂されるのか。

 そして、ボイボ寮のずんだもんは歯を治療されてしまうのか!

 

 

 

ビシリ……

 

 そしてボイボ寮のテレビが薄く光り、リツが定めた『確率を固定する言霊』に、小さい亀裂が入り始めていた……。

 

 

Log06 後編へ続く……。

 

 

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