【書籍化】救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ   作:流石ユユシタ

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第13話 黎明VS母怪異

 志乃は言葉を失った。

 

 目の前のスザク――いや、火の鳥様の翼が、夜気を焦がすように揺らめく。炎の羽が一枚、静かに散った瞬間、空気が震えた。まるで神話が、現実に染み出したかのようだった。

 

 

「……ス、スザクさん……じゃなくて、火の鳥様……?」

「そう呼ぶのはやめて。スザクでいいわ。今さら、志乃に神様扱いなんて、むず痒いだけだから」

 

 

 彼女は肩をすくめ、炎の翼をゆっくりと閉じる。焔がひとつ、ふっと消える。

 

「……じゃあ、本当に……お父さんが言ってた、火の鳥様が……スザクさんだったんですか……?」

「ええ、そうよ。二十年前の封印も、ワタシがやった。もっとも、完全には封じきれなかったけどね」

 

 志乃は息を呑む。そして、ある疑問が湧いた。

 

 

「……どうして、私を助けてくれたんですか? あ、あの、何か訳があるんですか?」

 

 そう尋ねかけた瞬間、スザクは首を横に振る。

 

「神は気まぐれなの。人の祈りなんて、届く時もあれば、届かない時もある。ただ――今回は、なんとなく動きたくなった。それだけよ」

 

 

 彼女の声は淡々としていた。けれど、どこか遠い哀しみが混じっていた。本当は違う。

 

 火の鳥――スザクが人の姿を取ってまで、志乃を助けた理由は、志乃の父・志夜が、毎日欠かさず神社に通い続け、火の鳥様へ祈りを捧げていたからだ。

 

 

──志乃の呪いを解いてください。お願いします。

 

 

 けれど、今それを言ってしまうと、この少女は精神的に不安定になると感じた。だからスザクは、あえて沈黙を選んだ。

 

 

「……そう、ですか。気まぐれ……なんですね」

「そうよ。神なんてそんなもの。人を救う時もあれば、見捨てる時もある。ただ……今は、あんたを見捨てる気にはなれなかった」

 

 

 志乃は小さく頷く。スザクの横顔は、焔のように美しく、そしてどこか人間よりも人間らしく見えた。

 

 

「……ありがとうございます、スザク……様?」

「スザクさん、でいいって言ったでしょ」

「……はい、スザクさん」

 

 その言葉に、スザクは小さく笑った。

 

 

「さ、行くわよ。アンタの姉を、取り戻すために」

 

 

 

 炎の残り香が夜風に溶ける。志乃は狩衣の袖を握り、スザクの背を追った。

 

 

 

 

 ――闇の向こうで、山神の封印が軋む音が、確かに聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◾️

 

 

 

 夜の山道は、湿った風に満ちていた。木々はざわめき、どこかで虫が鳴く。だが、それは普通の虫の声ではない。耳を裂くように、低く、長く、響く羽音。

 

 志乃とスザクは、灯りひとつない獣道を進んでいた。息をするたび、空気が重く、胸の奥にまで冷気が沈む。

 

「スザクさん……ここが願望山なんですよね……?」

「ええ。けど、願いを叶えるどころか、人を喰らう山だけどね」

 

 

 スザクは振り返らずに答えた。その背から放たれる霊力が、闇の中でかすかに揺らめく。スザクの霊力が、霊格が爆発的な上昇を見せていた。

 

 出会った時よりも、彼女のオーラが洗練されている。それが素人である志乃にも分かった。

 

 

 

「あ、あの、スザクさん、なんだか出会った時よりも、雰囲気が違うような……やっぱり、神様ってことがバレないようにしてたとか?」

「残念だけど、神様であることを隠そうとかしてた訳じゃないわ。昨日の炎を吸収したおかげよ。力が溢れてくるわ」

「そ、そうなんですね。神様もパワーアップさせる落ちてる炎って、なんなんですか?」

「知らないわよ。ワタシが知りたいわ」

 

 

 

 志乃は闇の中で輝く、スザクを見て安堵を抱いていた。やはり、この安心感は神様だからだろうか? と心の中で考えながら、歩き続ける。

 

 

 

 

「あの、願望山って、なんでそんな名前なんですか? 願いを叶えてくれるって、お姉ちゃんは言ってました。でも、恐ろしい場所なんですよね……?」

「……そうね。少し、昔話をしましょう」

 

 

 

 

 山道を歩きながら、スザクは振り返りもせず、淡々と語り始めた。

 

 

 

 

「──さっきも言ったけど、平安時代に山神は封印されたの。そして、それを管理する一族がかつては、ここに住んでいた」

「……」

 

 

 

 スザクはまるで、見てきたように、語り出した。志乃は何も言わずに彼女の背を追いながら、黙って続きを促す。

 

 

 

「ただ、管理する一族。と言っても、実際は封印を続けるために術の継続をしてたイメージね。そして……封印の術を継続するには」

「……」

「──生贄とか、人柱が必要だったの」

 

 

 

 

 ずっと、空気が重くなった気がした。スザクが口を酸っぱくして語る、怪異とは倒せない、どうしようもない存在。だから、封印をするしかない。

 

 

 そんなとんでもない化け物を何のリスクもなく、封印などできるわけがないのだ。

 

 

 

 

「ただ、そんな生贄をずっと出し続けるのを、その一族が拒んだのよ。当然よね。ずっと、子孫を封印の道具にするなんて事を、ずっと続けられないわ」

「……」

「だから、代わりを用意したの。この山には願いを叶えてくれる神様が居ると語り、旅人などを引き寄せるためにね」

「……え?」

「人柱を、自身達ではなく、別の場所から調達した。その際にここを願望山と名付けたの」

 

 

 

 

 願いを叶えるのではなく、願いを叶えると嘘を風潮し、そこに誘われた者を生贄の道具とする。

 

 それが、この山の名付けの由来だった。

 

 

 

「だから、ここは危険な山なの。もう管理する一族も、この場所から逃げてしまって名前だけが残っているけどね。でも、生贄も何もかも消えたここは、山神の封印が解け始めてしまった」

「お、お姉ちゃんは、だ、大丈夫なんですか? もしかして、生贄に?」

「いや、アンタの姉を攫ったのは山神。昨日も言ったけど、アンタを誘い出すために縁を残してるからまだ生きてるわ」

「そ、そっか。お姉ちゃん生きてるなら、良かった……」

 

 

 

 衝撃的な話からの、微かな安堵を抱いた。姉が生きているのであれば、志乃としてはなんでもよい思いだった。

 

 たとえ自分が狙われているとしても。

 

 

「アンタは特別美味しい餌に見えてるみたいね。実際、質の高い霊力が溢れてるし……狙われるのもわかるわ。昔なら贄とかにされた人間の霊力に似てるわね」

「に、贄ですか? 美味しいんですか? 私?」

「さぁ、ワタシはそこまで魅力に思わないけど。偶には最高級の美味しいお肉を食べたい人間の心理と一緒なんじゃないかしら?」

 

 

 

 スザクは本当に色々知っているなと、志乃は尊敬の眼差しを向ける。しかし、そこで志乃は新たな疑問を抱いた。

 

 

「色んなこととか、昔のことも詳しく知ってるんですね。流石神様、あれ、スザクさんって、何歳なんですか?」

「そうね。千二百ぐらいかしらね」

「お、おお、お若く、見えますね……?」

「それ、人間への褒め言葉だから」

 

 

 

 

 その時だった。前方の茂みがガサリと揺れ、誰かの足音が近づく。

 

 

 

 

「スザクさん、誰かいます……!」

 

 

 

  スザクは反射的に腕を広げ、志乃を庇った。炎が手のひらに灯り、闇が弾ける。

 だが、現れたのは獣でも怪異でもなかった。

 

 

「――ん? モンスターじゃないな?」

 

 

 軽い声。異様な余裕感を感じさせる。少年が木陰から顔を出した。赤色の着物に、腰には刀。あの、昼間――同級生と母親から、救ってくれた少年。

 

 

 

 

 

「あ、えと、れ、黎明、さん、ですよね? どうしてここに?」

「おおー、君は……さっきの子か」

「あ、私、志乃って言います、さ、さっきは、ありがとうございました」

「あぁ、俺が嫌だったからしただけだから」

 

 

 間の抜けたような表情。緊張感のある夜には似合わない、余裕のある雰囲気。なんだ、こいつ? とスザクは初見で疑問を抱いた。

 

 

 

 

「誰よ、こいつ、知り合い?」

「あ、すいません。さっきの話忘れてしまったのですが、同級生とお母さんから、守ってくれた人で」

 

 

 

 志乃は同級生と母親に、馬鹿にされ。自分が何も言い返せなかったことへの失望で、さっきまで心がいっぱいだった。だからこそ、途中で助けてくれた黎明の説明をするのを忘れていたのだ。

 

 

 なので、ようやくここで志乃は黎明のことを、スザクに語った。

 

 

 

「なるほど。さっきは自分が言い返せなかったことへの、後悔とか失望しか語ってなかったけど。この人間に途中助けてもらってた感じなのね」

「アンタ……陰陽師? 威圧したってことは、霊力使ったんでしょ?」

「ん? 違うけど。それと霊力じゃなくて、MPを使った」

「……まぁ、陰陽師じゃないのは察してたわ。陰陽師なら、そんな格好で夜にぶらぶらしないもの」

 

 

 

 

(MP? 何言ってるのかしら? 霊力を知らないってことは、無意識に力を使ってるタイプ……まぁ、霊力の威圧程度なら、それなりにできる人間はいるけど)

 

 

 

(陰陽師、怪異を少しでも知っていたなら、そんな格好で夜に外に出ないでしょうね。って、ことは志乃と同じ素人ってことね)

 

 

 

 

 

 色々と聞いて、スザクは一個の結論を出した。この少年は単純に、世間知らずで、何も知らないのに、とんでもない危険な場所に来てしまったのだと。

 

 

 

「つまり、怪異も何も知らない愚か者ってことね。しょうがないわね。一人で放ってもおけないし、志乃、これを一旦、自宅まで送るわ」

「あ、はい」

「いや、大丈夫。俺はモンスター討伐あるし、一日三十はノルマだし」

「……はぁ? ちょっと、愚かすぎるわ。アンタただの人間でしょ。さっさと家に帰らないと……死ぬわよ」

「俺は死なないよ」

「なんで言いきれるのよ」

「最強職の勇者だから、だな」

 

 

 スザクは頭を押さえた。この話が通じない人間、どう対処して良いのか、さっさと家に帰してあげないといけないなど。

 

 色々と頭の中で、考えを巡らせていた時だった。

 

 

 その時、空気が震えた。

 

 ――ぶぅぅぅぅぅぅぅぅん。

 

 

 大地が唸る。耳鳴りが起こるほどの羽音。空気が腐った血の匂いを帯びた。スザクは瞬時に志乃の前へ出た。手のひらに炎が宿り、焔の鳥が形を取りかける。

 

 

 

「なんか、来たわね……!」

 

 

 木々を割って、白粉を塗った女が現れた。胸から下は巨大な蜂。背中に巣を背負い、そこから蠢く何百という手足。膿と蜜の混じった液が滴り、地面を焼く。

 

 

 

「これは、蟲后(こごう)ね……!」

 

 

 

 スザクの顔色が一気に蒼白になる。そこら辺の汚れとは違う。穢れの上位とも言えるほどの霊力。

 

 一時的に、霊力を上げている自分でも勝てると、素直に言えなかった。

 

 

 

「お母……さん……?」

 

 その時、志乃はその怪異を見て、自身の母の名前を呼んだ。なぜなら、どこか、母親と怪異が似ている気がしたからだ。蟲后が歪んだ笑みを浮かべる。唇を裂き、甘く、狂った声を放つ。

 

 

「アハァァァァ……志乃ォ……可愛い志乃ォ……。やっと、会えたぁぁぁ……!」

「お、お母さん、なの……!」

「どうしてそんな顔するのォ!? お母さん、あなた、あなたのあなたのあなたのせいで!! こんな姿になったのぉ!!! いつもいつも、あなたはあんたはあなたは、不可思議な現象を起こす!!!! これもそうなんでしょ!! お母さんへのあてつけ、お母さんなんか、死んだほうがいいとか、ずっと思ってたんでしょ!!!」

「そ、そんなことは、思ってないよ、わ、私は」

「離婚する時も、まっさきにお父さんの名前を呼んだもんね!!! お母さんなんか、いらないって思ってたもんね!!!! こんなにも、お母さん苦労してるのに、頑張っていたのに!!!!」

 

 

 

 ヒステリック。蜂の怪異となって、篝火七姫は完全に話が通じない存在となってしまった。志乃もあまりに、禍々しくなった母に対し、ただ、恐ろしいと思うだけだった。

 

 

「そうやって、そうやって、いつもいつもいつも、私を恐れて、お父さんばっかりにひっついて!!」

「お、お母さんが、いつも私を爪でつねって……くるから、それが痛くて」

「そうやって、お母さんの努力は見ないふりをして!! 私はいつも家で、家を守って、家のことを全部やってたのに!!! 外にいるお父さん、家庭を顧みないお父さんといつも一緒!! やっぱり母親なんていらないんだ!! そうなのね!!!!」

「ち、違う、私もお姉ちゃんも……お母さんが怖かったの……」

「もういいいいいいいいいいいいい!!!!! やっぱり、産まなければよかった、私は子供なんてほしくなかったのに!!!!!!!!!!! でも、もういいいいいいいいいいいいい!! 新しい子供がこんなにも沢山できたんだもの!!!!!」

 

 

 彼女の背中から、無数の蜂が飛び立つ。闇を裂き、空を覆う羽音。空気が震え、志乃の髪が風に舞った。

 

 

 

「出でよ、わたしの子供たちィィィ!!」

 

 

 夜空が黒く染まった。無数の黄泉蜂(よもつばち)。全身節くれ立ち、複眼を光らせた蜂の怪人たちが、地を埋め尽くしていく。

 

 

 それだけではない。暗闇の奥、女の形をかろうじて保った蟲后(こごう)が、腹を大きく痙攣させるたびに、ひとつ、またひとつと蜂の怪人が産み落とされていく。

 

 

 まるで肉の繭を裂くように、背中の殻がパキリと割れ、粘液を引きずりながら羽音を鳴らす怪異が立ち上がる。

 

 

 ──ブゥウウウン……ブゥウウウウウン……。

 

 

 羽音が増えるにつれて空気が震えた。最初は十。すぐに三十。やがて五十を超えた頃には、足元の地面が影のように黒く見えるほど群れが密集し、複眼の反射光だけが点のように揺れている。

 

 

「……ハ……ァ……しのぉ、あなたも、わたしのこどもに、なりなさぃぃ」

 

 

 蟲后がひび割れた声で叫ぶと、蜂たちが一斉に首だけをこちらへ向けた。百の複眼に見下ろされる感覚は、視線というより刺される予告に近い。

 

 

 ひとりが低く身を構えた。それを合図に、他の群れも次々と膝を折り、四足獣のように地面を掻き、獲物へとじりじり距離を詰め始める。

 

 

 カサッ、カサッ、カサッ──。

 

 

 羽音ではなく、無数の足音。生きた黒い波が押し寄せてくるような、逃げ場のない迫り方だった。

 

 臭気すら変わる。鉄と腐敗の混じった生温い匂いが、喉に張り付いて吐き気を誘う。

 

 

 ひときわ大きな黄泉蜂が先頭に立ち、毒針をゆっくりと掲げるように尻を持ち上げた。

 

 

 たったそれだけの動作で、この場が狩りの開始に切り替わったのが分かった。

 

 

 ──ブゥゥゥゥゥゥンッ!!

 

 

 地響きのような羽音と共に、百の影が一斉に飛び上がった。

 

 

 ……夜空全てが虫で埋まった

 

 

 

「スザクさん、こ、これ……!」

「これは、黄泉蜂(よもつばち)ね。前にアンタと私を襲った怪異よ。こいつ自体はそこまでだけど……数が多すぎるし。蟲后(こごう)も居るとなると……逃げるしかないわ」

「は、はい」

 

 

 

(あれが志乃の母親。人間が怪異になるとしても、急に穢れの上位になんて、早々ならないわ。ってことは、山神が力を分け与えたとしか考えられない。もう、あっちの封印もほぼ解けてるのね)

 

 

 

 スザクは逃げる一瞬の間に、思考を巡らせる。そして、すぐさま志乃の手を取り、一時的に下山するため、踵を返して走り出そうとする。ついでに、先ほどまで一緒にいた少年も連れて行こうと、彼にも手を伸ばす。 

 

 

 だが――。

 

 

 

 

 

「モンスター多いな。ボーナスタイムだ。経験値多そう」

「はあああああ!? 何言ってんのよ!?」

「一応聞くけど、あれは俺が倒してしまってもいいよな?」

「馬鹿、無理に決まってるでしょ、逃げるのよ!!」

 

 

 

 

 黎明はスザクの言葉を無視して、前に出た。

 

 

 

 

 

「せっかくだし、全部まとめて狩るか。こんだけのモンスターを一度に、相手したことはない。だから、全体攻撃技は、試したことなかったんだ」

 

 

 

 

 

──その瞬間、スザクは目を見張る。

 

 その少年、朝霧黎明。その体から、爆発的な霊力が溢れる。それはまるで、急に嵐が発生したかのように、凄まじい勢いで彼を中心に突風が巻き起こる。

 

 

 

「は……?」

 

 

 

 スザクはその霊力を見て、何が起こっているのか理解をすることができなかった。人間、いや、全ての生物が超常的な現象を目撃した際、その存在の理解を超えた事象であると、脳が理解を拒んでしまう。

 

 

 劇的な霊力を見た際、それを飲み込めず、彼女は放心状態となった。

 

 

 

 

 ──その放心状態のまま、解決されない問題に対して、驚きの声が出てしまった。

 

 

 

 

 空気が震えた。黎明の足元から、地が微かに唸る。まるで天地が呼応するかのように。その中心に立つ少年の瞳は、どこか楽しげでさえあった。

 

 

 

「百体を超えるモンスターに、全体攻撃、どれほどの経験値が得られるのか、楽しみだ」

 

 

 

 理解を、拒んだ。この少年は、自分がなにを言っているのか分かっていない、どれだけの偉業を行なっているか、正しく理解をしていない。

 

 

 彼は世界の理を無視している。黎明は手を軽く掲げ、笑った。

 

 

 

 

「――名付けて……フレイム・テンペスト」

 

 

 

 

 

 瞬間、世界が反転した。音が消えた。空気が焼ける。色彩がたった一つの色だけを残して消失する。唯一残ったのは赤。  

 

 

 世界を染めるほどの赤が一つの中心へと収束していく。

 

 

 通常、陰陽術とは正装をし、言霊を経由し、神に祈りを捧げて補助を受けて初めて、神秘を引き起こすことができる。

 

 

 だが――黎明には、そのどれも省いている。正装もせず、言霊も存在しないのに、発動している。スザクの眼が、恐怖に開く。

 

 

 

(ま、待って……! 陰陽術って……どんなに才の秀でた人間でも……言霊、正装が必要なのよ!? それを省いて……術が発動……!?)

 

 

 

(それでいて、何この出力……)

 

 

 

(火の神、それに近い私が……()()()()()()()()()()()()()()()()!!!!!)

 

 

 

 

 

 黎明の手から、音もなく火が溢れた。それはまるで、嵐のように、災害のように無限と思えるほどに溢れ続ける。

 

 

 

 

「……燃え尽きろ」

 

 

 

 

 ただ一言。たったそれだけの命令で、夜そのものが燃えた。願望山を覆う樹々が瞬時に燃え落ち、黒煙を上げる間もなく灰へと還る。

 

 

 空を覆っていた黄泉蜂(よもつばち)たちは悲鳴を上げることすら許されず、触れた瞬間、蒸発していった。

 

 

 

 その数、百を超える。一体も残らない。まるで“存在そのものを否定されたかのように――。

 

 

 志乃が声を上げた。だが、それは恐怖ではなかった。あまりに綺麗で、あまりに異常な光景に、声が震えたのだ。

 

 

 

 

 

「……すごい……これ……火、なのに、綺麗……!」

 

 

 

 

 

 

 夜空を焦がすその炎は、まるで聖火のように澄んでいる。灰すら残さず、ただ穢れだけを消し去っていく。

 

 

 

 ──それとは、反対にスザクは震える唇を噛み締めた。

 

 

 

──火の神の眷属である自分が、火そのものに畏怖していた。

 

 

 

(何が、フレイム・テンペストよ、ふざけてる。ふざけるな。あんな、適当な名前と、適当な格好と、言霊も無視?)

 

 

 

(それでいて、神と等しい火力を叩き出すって……冒涜とか、そういうのを超えてしまってる……全盛期のワタシでも、こんなのは不可能)

 

 

(きっと、今行ったのは陰陽術火浄界(かじょうかい)……よね。五行術でもあり、発動するだけでも不可能に近い。安倍晴明でさえ発動するだけで精一杯。威力も低く、広範囲を焼くだけ程度だった)

 

 

 

(歴代の人間達の頂点とすら言われる、陰陽師でもその程度なのよッ。なのに、……あの威力……ッ!)

 

 

 

 

 

  地が焦げる音がする。けれど炎は広がらない。それどころか、必要なものだけを焼き尽くし、他の生命には一切触れない。制御が完璧だ。まるで世界そのものが、彼に従っているかのようだった。

 

 

 スザクはその様子を見て、震えが止まらなかった。

 

 

 

 

「な、なんなのよ、これ……。神でも、ここまで完璧な術制御は……!」

 

 

 

 その時、炎の向こうから声がした。狂気に染まった、女の悲鳴。

 

 

 

 

「アハァァァァァァァ!! 私の子供たちィィィ!! 燃やすなァァァァァ!!」

 

 

 蟲后(こごう)だった。背中の巣が半ば炭となり、溶け崩れながらも、彼女はなお喚く。

 

 

 

「この、すぐに焼かれて、役立たず!! あんたたちは母を守れないのォ!? 死ねばいいのよ!! どうせ母がいなきゃ何もできないんだからァァァァァァァ!!!」

 

 

 

 

 その叫びは、もはや怪異ではなく母親の呪詛だった。焼け爛れた顔を歪め、炎の中で狂ったように笑う。

 

 

 

「お母さんが死ねばいいと思って、わざとやられたのね!!! どうして、母親だけがいつもこんな苦労をしないといけないの!!!! こんなに生きづらい!!! あぁぁぁあぁあああ!!! やっぱり、アノ子達も母を裏切るのね!!!!」

「まぁ、全部全体攻撃じゃ、味気ないからね。一体は、ぶった切るか」

 

 

 黎明が小さく呟いた。刀を振る。その動作はあまりに自然で、誰もその終わりを理解できなかった。

 

 

 

蟲后(こごう)を、刀で切り裂いた際、その断面から爆炎が上がる。

 

 

 

 その僅か、一太刀で黎明の近接的な実力をスザクは理解させられた。

 

 

 

 

 

(こいつ、近接の攻撃も得意なのね。切るまでの迷いのなさ、流れるような太刀筋。どう考えても素人技じゃない。そして、炎を纏った刀の殺傷力の高さ。一つ一つが尋常じゃない)

 

 

 

 

 

 

(こ、こんなの、野放しでいいのかしら? これも封印指定クラスの化け物じゃないの!?)

 

 

 

 

 

(人間は何をやっているのよ。こんなの、さっさと封印しておきなさいよ。野放しにしていい存在じゃないでしょ!!)

 

 

 

 

 

「す、凄いですね」

「志乃、感激してる場合じゃないわよ……あれ、大化け物、化け物中の化け物なんだからっ」

 

 

 

 

 溢れる炎を志乃は、聖火を見るように眺めていた。彼女は、彼の炎に目を奪われてしまっていたのだ。

 

 その場に残ったのは焦げた蜂の殻と、風に舞う黒い灰だけ。

 

 

 蟲后――完全消滅。世界に静寂が戻った。しかし、志乃は燃えたぎる炎を見ながら、呆然と立ち尽くす。母が怪異になり、そして、その母が焼かれた。

 

 

 それでも涙は出なかった。あまりに現実離れしていて、感情が追いつかなかったのだ。もしかしたら、彼女は母親を恐れていただけで、愛してはいなかったのかもしれない。

 

 

 スザクもまた、言葉を失っていた。自分がどれほどの年月、怪異と対峙してきたか。

 

 どんな陰陽師も、怪異を滅することなどできなかった。封印か、鎮魂を待つか――それだけ。

 

 

 

 だが、この少年は違う。存在を削除した。

 

 

 

(……あの炎の残穢。これは……)

 

 

 スザクの心臓がどくんと跳ねる。本能で悟る。この存在は、世界の秩序の外側にある。

 

 

 

 

「ふむ……。終わったか、やはりそんなに強いモンスターは居なかったか。でも、流石にレベル上がった気がする」

 

 

 

 まるで軽いランニングを終えたかのような余裕の表情。その足もとに、焦げた地面が線を描く。

 

 

 中心には、彼の靴跡だけが残り、他は一片の塵もなかった。

 

 

 

「……アンタ、何者なのよ。強すぎるわ」

 

 

 

 スザクの声は、無意識に震えていた。神に対しても抱いたことのない、純粋な恐怖と畏敬が混じっていた。

 

 

 

 

「じーちゃんが言ってた。俺って、天才だって。さっきも言ったけど、最強職の勇者だから」

「……勇者って。ワタシは詳しく、知らないけど。あれかしら? ゲームとか? 出てくるやつ? 世界を救う、英雄的な存在?」

「──いや、英雄的な感じじゃない。あくまで職業的な意味で勇者ってだけなんだ」

 

 

 

 淡々と、起こした偉業に似合わぬ話し方。スザクは黙って、黎明の話の続きを促す。

 

 

「あんまり、善行を強いられるのは好きじゃないんだよね。俺は、単純にゲームみたいに、自由に自分の行きたいところに行けて、戦えたりするのが好きなんだ」

「……よく分からないわ」

「まぁ、世界を救う勇者、英雄とかじゃなくて。職業が勇者って感じ」

「……ふむ、全然分からないわね」

 

 

 

 自身が行った術、それがどれほどなのか理解をしていない。むしろ、あれくらい当然と言わんばかりの様子が、かえって恐ろしかった。スザクは心の底で確信する。

 

 

 

(この少年が、本気を出したら……。世界が、燃える)

 

 

 

 夜風が吹く。焼け野原となった山が、微かに赤く光った。その奥で、何かの鎖が軋む音が聞こえた。

 

 

 

(まさか……山神の封印……! 今の炎で封印も、多少、焼き切れてしまったというの……!?)

 

 

 

 

 スザクが目を見開いた瞬間、黎明が空を見上げて呟く。

 

 

「お、ボス戦が来る感じしてきたじゃん。テンション上がるなー。でも、前もこんな大々的な演出から、雑魚が来たことあったような……」

 

 

 

 軽い口調。だがその言葉が、世界を震わせた。封印が応じたように、山全体が呻く。

 

 

 木々がしなり、空気が悲鳴を上げる。山神の封印が、ついに完全に解け始めたのだ。

 

 

 しかし、それに恐れすら抱かず、余裕そうな表情をしている黎明。それを見て、スザクは息を呑む。志乃の手を掴みながら、心の奥で確信する。

 

 

 

 

(こいつ、まさか、神殺しでもするつもりなの……!)

 

 

 

 

 夜が震えた。

 

 

 

 突如として現れた少年から、彼女達は目を離すことができなかった。

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