【書籍化】救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ 作:流石ユユシタ
岩手県北上山地を越えた先。十年ほど前に地図から消えた村──
夜は異様に静かだった。風も虫もいない。まるで世界そのものが息を潜めているような不気味な沈黙。
その廃村に、白い狩衣姿の姉弟が足を踏み入れていた。
「……ここが、清泪村……この霊力の濃度、明らかにおかしいわ」
周囲に漂う霊気が肌に貼り付くようにまとわりつき、呼吸だけで心臓が圧迫されるようだった。
「異変なしって報告してた陰陽師……本当に調べてたのか? これ、明らかに異常な場所だろ。さっきの大学生達、止めて正解だったな」
弟の
二人は廃村の中を歩き続けており、その場所の異様さを身をもって痛感していた。
──次の瞬間、二人は【死】を意識した。
「「っ……!」」
蓮と紅は口を押さえた。喉の奥が勝手にめくれ上がるような、異様な焦りがあった。
一気に呼吸が早くなり、油断すれば過呼吸になってしまうと直感で分かった。
──後ろに、なにかいる
蓮が踵を返した瞬間──
──ぎり、ぎりぎりぎり……ぎ、ぎぎぎぎぎ……
耳鳴りのような、それでいて無機質な悲鳴のような音が頭蓋骨に直接響いた。
薄暗い廃村、その半壊している家から何かが出てくる。人型の化け物、顔の両目。黒い穴があり、口元にも黒い穴がある。
三つの穴は、真っ黒で全部を飲み込むようにこちらを見据えている。
──
人が死んだ瞬間、生まれる負の感情が死体に上書きされ、怨念として転生した存在。
「う、そ……こいつ……怪異……!」
「れ、蓮、これ、【穢れ】じゃないわよね……」
「そんなのより遥かに上だろッ」
紅の声は震えていた。呪喰の両目の穴が二人を見た瞬間──
膝が砕けるような衝撃が走った。
紅は、身体が硬直して動けなくなった。喉から声が出ない。息だけが荒く漏れる。
「っ……っひ……! う……」
金縛り。声も出ない。逃げられない。蓮が抵抗するように体を動かそうとするが……
「くっ……動きが……っ! 指一本すら動かねぇ……!」
呪喰の胸元に新たな穴が生まれる。それが、二人へと向きはじめる。空気が急激に冷たくなった。指先から熱が奪われ、意識が白く遠のいていく。
(死ぬ、死ぬ……死ぬ!!)
紅は恐怖のあまり、胃液がこみ上げ──
──オロロロロッッ!!
嘔吐した。だが声は出ない。涙も止まらない。
死に触れた人間の身体は、理屈ではなく本能で壊れる。蓮も、涙と涎を垂らしながら呼吸を荒げ、歯をガチガチと鳴らしていた。
「く……そ……っ! 誰か……誰か……!」
助けを求めたくても声は出ない。魂を抜かれれば終わり。死を迎えることは確実、それどころか完全な消滅。
このまま魂が吸われ──鎮静のように死ぬはずだった。
だが、その瞬間。
──あぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!!
村の奥から、別の呪喰の断末魔のような悲鳴が響き渡った。それはまるで、殺される直前に仲間へ助けを求めるような呼び声だった。
その声に反応してか、紅と蓮を拘束していた呪喰がピクリと動きを止め──胸の穴の能力を解除した。
次の瞬間、双子の全身の硬直が溶けるように解けた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
「動け……る……!?」
二人は床に崩れ落ちるように呼吸を繰り返し、喉を押さえながら荒く息を吸った。
呪喰はこちらを見つめたまま──何かに反応するように、ゆっくり踵を返す。そして、廃村の奥へ向かう。
双子を完全に無視して。その理由は依然不明だった。
怪異が餌を目前にして消えたのはなぜか? 蟻などいつでも踏み潰せると言う強者の余裕か、それとも……ただの気まぐれか。
死の直前から帰還した二人に、分かるはずもない。
「……っ、い、今の……見逃された……?」
「運を……使い果たした……ってレベルじゃねぇ……」
二人は肩を震わせながら、その場から後退るように離れた。ここにいれば確実に殺される。
理性ではなく、生存本能が叫び続けていた。
「に、逃げるぞ紅。今すぐだ。躊躇ったら終わる」
「……っ、わかってる……ここは、人間の居ていい場所じゃない」
二人は震える足で石畳を這うようにその場から離れようとした。しかし、ここで二人に更なる不幸が起こる。
村に入ったのは昼。お昼がちょうど回った頃だ。光があるからこそ、怪異が出にくい。
だが、村は深い霧に覆われ、天の光は遮られていた。さらに、それだけではない。
「おい、どっちに行けばいいんだよ……」
「方向感覚が分からないわ。霊力があらゆる場所に霧散してる……これは結界ッ。どうすれば……とりあえず、隠れるわよッ」
──二人は、恐怖から逃げるためだけに、安全な廃墟を見つける。
そこで、檻に囚われた動物のように二人は息を潜めた。
◆
そして、そんな二人が怪異に襲われる瞬間、そこから時間は少しだけ遡る。
呪喰の悲鳴が響く直前の、廃村別の場所。時刻は昼。しかし、村には昼の明るさが存在しなかった。
細く重い霧が村を覆い、木々は黒く光を拒み、人の気配は一切ない。
太陽が出ているはずなのに、光が届かない異様な空気。
「あれ、霧が濃くて光が遮られてるなー。ちょっと暗くてダンジョンっぽい感じがいいね」
その影から──ゆらり、と黒い穴の顔が浮かび上がる。
「おっと、初モンスター発見。MP……かなりあるね。しかし、人型モンスターは見たことあるけど、この感じは初めてだね」
呪喰は声を上げず、ただ胸の穴を開きながら襲ってくる。黎明は躊躇いなく走り込み──
「せいッ!」
鋭い一閃。だが手応えは硬い。刀は胸から腹まで切り裂いたが、完全に真っ二つにはできなかった。
「へぇ、思ってたより硬いね」
(影森町で戦った山神よりは格下であることは間違いないね。ただ、逆にそれ以外と比べるとこっちの方が強い)
刀で斬れなかったのに、黎明が落ち着いていられたのには理由がある。
本気で斬ったわけではなく、本来の力の十分の一にも満たない弱い力で斬りかかっただけだったからだ。
影森町では、山神を除きこの力でほぼ決着がついていた。しかし、この場で出会った怪物はその力では完全に切断できないほどに、肌が硬い。ただ、それに関しては調整などいくらでもできる。
まさに、強者の余裕である。
ただ、黎明とは裏腹に
目が合った相手の身体は、一瞬で硬直し、金縛りのように動けなくなれば、声も出なくなる。
これにより、双子の陰陽師の動きを完封していたのだ。
全ての行動が停止し、ただ、蜘蛛の巣に囚われたように食われるをの待つしかない。
しかし、呼吸だけはできるため、生きたまま恐怖を味わうことになる。
そして、
目の前に現れた人間の動きを止められなかった。
──それどころから、反撃を許し、一撃を喰らった。
その事実に混乱をしてしまっていた。この目の前の人間、これは間違いなく、自らを殺しうる。
そう思い至る
──微塵たりとも間違いはなかった。
殺されるかもしれない。人間であろうと怪異であろうと、死は恐ろしい。
その恐怖が
──絶対的に強化された呪喰の腕が、空気を裂く速度で黎明の首を払う。
その一撃は、もし相手がスザクだったなら命を落としていてもおかしくないほどの威力だった。
だが、その最高の一撃。それを黎明は、半歩下がりながら淡々とつぶやく。
「……よっと」
次の瞬間。
──ザシュンッ!!
刀が呪喰の体を縦に完全断裂。黒い怨念が霧散し、呪喰は消滅する。
理不尽。その言葉が
久しく忘れていた言葉。自らがどんな人生だったか、どうやって怪異になったかそんなことも忘れていた。
だがしかし、さきほど、自身が大学生をひたすらに痛ぶったのと、同じである。
理不尽。理不尽。圧倒的な理不尽。それを目の当たりにして、呪喰は自らの滅びを悟る。
「よし、経験値の感覚。かなりの量があるね」
黎明は満足げに刀を払う。しかし──呪喰が消える直前。最後の抵抗を行った。
──あぁぁああああああああああああああ!!!
それは悲鳴ではなく、呼び声。村の空気が震え、無数の場所から同じ波長の霊力が反応する。
全てを差し置いても、ここに来い。
それほどの圧を込めて。数多の人間や動物が今この廃村には入り込んでいた。
しかし、それらはいつでも餌にできる。だが、目の前の人間だけは絶対に安易に仕留めることはできない。
圧倒的なまでの実力、これを放置すればこの地に住まう怪異は全て滅ぼされてしまう。
そんな恐怖からの咆哮である。
「ん? 急に大きい声?」
そんなことに気づかず、黎明は呑気に辺りを見渡していた。しかし、そんな状態でも勘は鋭かった。
足音。気配。空気振動。その微細な変化に気づいた。
一体、二体、三体──
別方向から呪喰が三体、同時に現れる。黒い穴の目が黎明を捕捉するが──
「おっと、一気に三体もラッキーだね。経験値もやはり結構多そうだ」
再度、怪異を見据えた黎明はあることに気づいた。
「このモンスター、名前どうしようか」
見たことがない怪異。名前も特徴も詳しくは知らない。
「アンブラマンとかでいいかな。さて、アンブラマンA、アンブラマンB、アンブラマンCが現れた」
刀を逆手に構え、黎明は地面を蹴った。一体目の腕を掴み、肩に担ぎ上げるような勢いで真横に叩きつけ──
──ドシャン!!
地面ごと粉砕。黒い肉片が四散する。二体目の呪喰が胸の穴を開いて魂を吸い出そうと迫るが、
「速度のステータスが足りないね」
刀が一直線に穴へ突き刺さり──そのまま呪喰の体を消し去る。三体目が跳びかかる瞬間、黎明は視線さえ向けず振り抜いた。
──ズバァッ!!
黒い怪異は裂け、三体目も煙となって消えた。
──呪喰、全滅。
「よし。経験値かなり入るな。影森より美味い。ここ最高かもしれん。志乃が居てくれたらなぁ」
黎明は刀を背に収め、霧の中を歩き続けた。
◆
そして──黎明は霧の中を歩き続け、あることに気づく。
廃墟。その場所から、微かな霊力を感じたからだ。先ほどの怪異とは比べられないほどに低いが、黎明は確かに感じ取った。
──黎明が扉を開ける。するとそこには……
「あれ、人間か」
「……っ! に、人間!?」
「っ、な、なんだ、怪異じゃない、のか……」
安倍家の双子、その二人と黎明の邂逅。陰陽師の名家と現代の革命児が、こうして、出会ったのだ。