【書籍化】救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ   作:流石ユユシタ

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第43話 おっさんと黎明の人生相談

 

 夢を見た。

 

 それは、遠い記憶だった。透が、まだ若かった頃。

 

 二十代前半。黒髪は短く、目の隈もなく、背筋が伸びていた。彼は陰陽師として活動していた。

 

 【天才】。

 

 その名は、陰陽師の世界で広く知れ渡っていた。透の【霊眼】は、他の陰陽師には持ち得ない固有の能力だ。相手の強さを数値で見ることができる。

 

 それにより、怪異との戦い方を緻密に計算し、封印を行う。

 

 彼の封印成功率は、業界でも突出していた。

 

 しかし、透には密かな夢があった。

 

 ──怪異を、倒したい。

 

 封印では意味がない。封印しても、怪異はいつか解放される。それは対処療法に過ぎず、根本的な解決にはならない。

 

 だから、透は研究を続けていた。怪異を倒す方法を。

 

 そして、ある夜。透は単独で怪異と戦った。

 

 怪異全体で見れば、霊力の低い怪異だったが、それでも人間には手に負えないとされていた存在だ。

 

 だが、透は【霊眼】で怪異の弱点を見抜き、炎宝を叩き込んだ。

 

 それは怪異にとって確実に致命打ではあった。だが、怪異は完全に消滅することはなかった。あと一歩のところで、怪異はその場から逃走したのだ。

 

 

(……くそ、逃げられた。だが……封印だけじゃない。倒すことが、できる。そうすればやってくる。怪異に怯えることがなく、不合理に人が死ぬことがない)

 

(そんな、人間の時代が)

 

 

 透はその夜、震えながら確信した。人間は怪異を倒せる。彼は新たなる可能性を手に入れていたのだ。そして、妻に告げた。

 

「俺は、いつか怪異を全部倒す。封印じゃなく、本当の意味で」

 

 妻の秋は目を輝かせた。

 

「すごいよ、あなた。絶対にできる。あなたは特別だから」

 

 そう言われ透は笑った。妻の笑顔が、眩しかった。

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 夢は、暗転した。

 

 

 

 それは七年前のこと。透が戦った怪異に逃げられたすぐのことだ。再び、怪異が現れた。その怪異は透がいない時に現れ、妻を殺した。

 

 

──人間如きに、傷をつけられた怒りと復讐だったのだろう。

 

 

 透が駆けつけた時、もう遅かった。

 

 

 なぜなら、彼の妻は冷たくなっていた。

 

 

(……俺が、逃した。俺が、守れなかった)

 

 

 絶望をした透はその場に崩れ落ちた。その日から、彼の夢は消えた。

 

 怪異を倒す。そんな言葉は、もう言えなかった。

 

 何もかもが暗闇に閉ざされてしまった感覚であった。自分が安易なことを考えなければこんな事態にはならなかったと自分を責めてしまった。

 

 そして、結局行き着く先が地獄であると思い至る。怪異には勝てない。人間には無理だ。大事な人を失って彼の心は折れてしまった。

 

 怪異にはもっと強いのがいる。小さいのを一体倒したところで根本的な解決になるはずもない。

 

 そう言い聞かせて、彼は陰陽師を辞めた。娘と息子を守るために、危険から遠ざかった。

 

 そして、死んだような日々を送り始めた。

 

 

 

 

◾️◾️

 

 透は目を覚ました。昼だった。体は重く、熱もまだある。

 

 

 ただ、ずっと寝ていることは彼にはできなかった。起き上がり、リビングに向かう。そして、テーブルを見ると書き置きがおいてあった。

 

 

『買い物に行ってきます。心配せずに。瞳月より』

 

 

 

 きっと自分の体を心配し食材などを買いに娘は外に出ていると透は、すぐに理解をした。そして、少し眉をひそめた。

 

 なぜなら、この島が安全とは思えなかったからだ。昨夜の怪異の件もある。何かあってからでは遅い。

 

 だからこそ、彼は怠い体に鞭を打つように玄関に向かった。

 

 

 

 

◾️◾️

 

 外は昼の光で満ちていた。透は島の商店街へと向かった。瞳月が食料品を買うなら、そこだろう。

 

 商店街を歩いていると、遠くに見慣れた後ろ姿が見えた。和服、上が赤、下が白。白い髪。黒い瞳を持つ少年。

 

 そう、黎明だった。

 

(……またこいつか)

 

 透の全身が反射的に緊張した。しかし、昨夜の戦いを見た後では、最初に会った時の純粋な恐怖ではなかった。

 

 黎明は商店街の路地を歩きながら、何かを探すように周囲を見渡していた。

 

 透は、少し迷った後、声をかけた。

 

「……昨日は色々世話になったな」

「あ、おじさん。昨日はお疲れ」

 

 黎明は振り返って、にこにこと笑った。

 

「昨夜の鹿のモンスターを探してるんだけど。やっぱり、見つからないんだよね」

「……逃げた怪異を、また探しているのか」

「うん。やっぱりここまで居ないと、供島の方かな?」

 

 透は黎明を見た。やはり、黎明の全ての数値は桁違いの強さを誇っていると示した。

 

(昨夜の怪異。霊力459。人間には手に負えない存在を、この男は探している。楽しそうに)

 

「……なぜ、そこまで怪異を倒したい?」

「倒したら経験値が入って強くなるから」

「……どうして、強くなろうとする」

 

 透は気づけば、そう聞いていた。黎明は、少し考えてから答えた。

 

「え、強くなるのが、楽しいから」

「楽しい?」

「うん。成長してる感覚が、楽しいんだよね。それだけ」

 

 

 透はその言葉を聞いて、黙った。

 

(楽しい。成長が、楽しい。オレには……そんな感覚が、あったか?)

 

 無邪気。そんな黎明を見て、彼は何かを感じた。透はまた何か聞こうとした。しかし、言葉が出てこない。

 

 何かを聞きたい。強烈に何かを求めている気がする。しかし、それが何なのか、形にできない。

 

 透は口を開いては閉じた。また開いては、また閉じた。

 

 

 黎明は、そんな透を見て、少し首を傾げた。

 

 

「まだ、何か聞きたいことある?」

「……分からない。何かを、聞きたい気がするんだが、それが何なのか分からない」

 

 

 透は正直に答えた。

 

 

「あ、そうなんだ。まぁ、思い出したら聞いてくれればいいけど」

「……あぁ、そうか」

 

 

 透は視線を地面に落とした。一方で黎明は、しばらく黙っていた。ずっと付き合うのも面倒だけど、少しくらいなら話を聞こうと思うくらいの人の心が彼にはあった。

 

 そして、言った。

 

「どう? 何か思いついた?」

「……お前は生きる目的が明確なんだな。ただ、オレは何を、したいんだろうな。多分、それを考えていた、気がする」

「え? あ、そう。うーん、俺に聞きたいってことは、俺から答えが出るかもしれないって思ったってことかな?」

「……確かにな。サッカー選手になりたいのに、野球選手に話を聞きたいって人はあんまり少ない」

 

 

 透は、少し遠くを見るような目で言った。彼が求めているもの。その鍵は、黎明が握っている。そう、彼は思っていたのかもしれない。

 

 ふと、もう一度黎明を見た。

 

 

「……お前は怪異が怖くないのか?」

「モンスターは別に怖くないよ、経験値だしね」

「そうか。経験値か。いや、経験値ってなんだ? 時折言っているが」

「経験値は経験値だね」

「いや意味が……経験値。そうか、そういうことか。経験値は経験値。同義反復な言い回し。つまり、説明するまでもない当然のことだと言いたいわけだな。怪異との戦いから得るものは、言語化できるような単純なものではない。身体に刻まれる感覚、死線をくぐることでしか得られない何か。それを敢えて『経験値』という言葉一つに集約している。深く語らないのは、言語に表せるような概念ではないから、ということか?」

「え? あ、うん、そうそう、そんな感じ、深く考えても意味ないし」

 

 

 

 黎明は透が何を言っているのかよくわかってない。しかし、ニュアンス的には近いので、まぁ、あってるだろうと思っていた。

 

 

 

「そうか。怪異と戦うのは試練の如く。それを乗り越え新たな自分になることが、楽しい。つくづく、大した度胸だ」

「あ、そうなのかな? まぁ、試練、うんまぁ、経験値を得る戦闘は試練とも言えるのかな?」

「しかし、試練か。お前はこれまで多大なる死線を超えてきたと見える。そんな人生は辛いとは思わないのか」

「え? まぁ、モンスターと戦うのは楽しいし。寧ろ戦いたいし。だから、この島に来たんだけど」

「……なるほど。試練とは与えられるのではなく、自ら激突をしにいく。受け身ではなく、圧倒的な能動。それによってお前はそこまでの力を手にしていたのか」

「……?? あ、うん、そうかな」

 

 

 

 

 

 このおっさん、何言っているんだ? と一瞬だけ怪訝な顔をした黎明であったが、まぁ、ニュアンス的にはあってるのかな?

 

 と思い直して、追求はしなかった。

 

 

(この人、悩みすぎて疲れてるだろうなぁ。そっとして肯定だけしておこうかな。詩も話を合わせるのは大事って言ってたし)

 

 

 

──山の中から出てきて、黎明は人としても空気を読むという技術を身につけていた。

 

 

 

「オレは、多分、多大な力を持つお前を羨んでいるのかもしれない。恐怖も、常識も、歴史も、後悔も、全部を壊すような圧倒的な強さのお前を」

 

 透は息を飲んだ。戦っていた黎明の姿、瞳には何一つ、曇りも汚れもなかった。

 純粋に強い芯を感じさせるようだった。あの姿をみていると、自分も昔の熱が戻ってきている気がした。

 

「そうなんだ」

 

 一方で、黎明は適当に話をあわせているだけだった。

 

 この会話中ずっと、話を合わせることしかしていない。ただ、透がその頭脳を勝手に駆使して、勝手になにかに目覚めようとしていた。

 

 

 

「なるほど、分かってきた。オレも、お前のように強くなりたかったのだ。それはなぜか?」

「え? さあ?」

「お前が誰よりも自由に見えたからだ。対して俺はどうだ?」

「えっと……」

「そう、対してオレはずっと自分の殻の中で不自由で小さく、活力がない」

 

 透の思考と会話は止まらない。しかし、元天才と呼ばれた身。

 

 自身で語ることで、自分がなぜ燻っており、そして、それに対して憤りを感じているかに気づきはじめていた。

 

 

 

「そうなんだ」

「そうだ。オレは……自らに縄をかけていた」

「あー、そうなんだ。自分で限界を止めてたみたいな感じは分かるかも」

「ありがとう。お前のおかげで、俺は俺に気づけた」

「なにした覚えもないけど」

「お前の示した通り。そうだ、俺は、不自由だった」

「……あ、そうなんだ(んん? 示したっけ?)」

 

 

 

 

 この時、黎明は思った。

 

(うーん。結構話半分で聞いてたし、流しちゃったな。ゲームの時、会話シーンが長くてボタン連打してたら、展開が進みすぎてわからなくなった時みたいだ)

 

 

 そして、透は深読みをしていた。

 

(……自由、か。なるほど。オレは自ら可能性を閉じて、物事を悲観的に消極的に考えていた。だが、こいつは真逆。楽観的であり積極的。自分が怪異に勝てると確固たる自信を持ち、自ら挑み勝利を掴んできた。誰に何を言われたりしても、関係がない。自分の世界を持ち、そこに生きている。まさしく、自由か。結局、世界の常識に流されたオレとは対極なわけだ)

 

 

 透の胸の中で、何かが揺れた。

 

 

 

 かつて、自分も似たようなものを求めていた気がした。怪異を倒したい。封印ではなく、本当の意味で。

 

 それは、自由への渇望だったのかもしれない。常識を、陰陽師の世界の限界を、壊したかったのかもしれない。

 

 しかし、妻を失って、その感情は消えた。

 

 

(……オレは、終わっている。もう、そちら側に行ける人間じゃない)

 

 

 

 ──その時。降り注ぐ太陽が、雲に隠れた。

 

 

 ゆっくりと、しかし確実に。

 

 

 島全体が薄暗くなっていく。木々の影が濃くなり、海の色が変わった。空気が、重くなった。

 

 黎明は、ふとあたりを見渡す。

 

 風が、止んでいた。

 

 鳥の声も、波の音も、虫の鳴き声も。島を満たしていたあらゆる音が、まるで誰かが手で押さえたように、一瞬で消えた。

 

 

 完全な静寂。

 

 

 それは、自然な沈黙ではなかった。何かが、意図的に塗りつぶしているような、そんな不自然な無音だった。

 

 

 次の瞬間。

 

 

 島全体の霊力が、激しく揺れた。

 

 

 

──()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

◾️◾️

 

 

 

 ──まず、音が消えた。

 

 鳥の鳴き声、風の音、遠くの波音。全てが、まるで世界から切り取られたように消失した。

 

 不自然な静寂。それは、まるで世界が息を止めたかのようだった。

 

 次に、空気が変わった。

 

 ぞわり、と。背筋を這い上がる悪寒。肌が粟立ち、本能が警鐘を鳴らす。そして、商店街の人々が、一斉に動きを止めた。

 

 買い物をしていた主婦。店番をしていた老人。路地を走っていた子供。

 

 全員が、まるで糸が切れた操り人形のように、ぴたりと動きを止めた。

 

 一秒。二秒。三秒。

 

 長い、長い沈黙。

 

 そして──

 

 

 ゆっくりと、人々が顔を上げた。その目は、黒く濁っていた。

 

 瞳孔が開ききり、白目が黄ばみ、まるで死人のような目。感情も、理性も、人間らしさも、全てが失われた目。

 

 

 それは、昨夜の怪異と同じ目だった。

 

 

「……ッ、これは」

 

 透は息を飲んだ。全身の血が凍りつく。喉が渇き、心臓が激しく鳴る。

 

(呪い。島の人間全員に、呪いを? こんな規模の術を一度に? いや術ではなく、御技か?)

 

 人々の目が昨夜の怪異の目と同じだった。黒く濁った、感情のない目。

 

 そして、人々が一斉に首を回した。ギギギ、と。まるで錆びた蝶番のような音を立てて、不自然な角度で首を回す。

 

 その視線が、透と黎明に向けられた。十数人の黒く濁った目が、二人を見つめている。

 

 その瞬間、透の背筋に氷のような悪寒が走った。

 

 

(……やばい。これは、やばい)

 

 

「お、状態異常かな?」

 

 黎明は、まるで他人事のように呟いた。いつものように呑気に辺りを見渡している。

 

「……まさか、島の人間に呪いを」

 

 そんな黎明とは相反して、透は愕然とした。その瞬間、人々が一斉に動いた。老人も、主婦も、子供も。全員が、黒く濁った目で、二人に向かって走り出す。

 

 その動きは、まるで何かに操られているようだった。通常ではあり得ない速さを出しながら、二人に対し確実に距離を詰める。

 

 口からは、意味のない呻き声が漏れている。そして、よく見ると彼らの手には刃物、包丁や、大きな岩や鉄パイプなども握られていた。

 

 

 

「ふーん? これはモンスターじゃなくて、人間ぽいね」

「ぽい、というか。どうみても人間だろう!正気は失ってるようだが……」

「なら、あの人達から漏れるこのMPは誰かが操ってる感じなのかな?」

「……オレにはその漏れるMPとやらはみえんが、操られてそうというのは賛成だな」

「ほほう? 誰かが狙っているんだね。俺達をさ。これは、面白くなってきたね」

「そんな感想もつのはお前さんだけだろうよ! どうするんだ? まさか殺すのか!? もしかしたら、島民全員が相手だぞ!! お前なら勝てるだろうが、そんなことをしたら……」

「あとが面倒そうだよねそれは」

「じゃあどうするんだ!? あっちのほうではオレ達を殺すつもりだ」

「大丈夫、これくらいはね」

 

 

 

 

 黎明はにやりと笑った。まるで、新しいゲームを見つけたような、楽しそうな笑顔。

 

 

 そして、黎明が笑うのと同時に島民は持っている刃物やパイプ、石などを二人に向かって投げつける。

 

 

 一般的な人間なら、刃物や投石を避けることができずに致命傷になってしまうだろう。だが、しかし、黎明はどう考えても一般人ではない。

 

 

 持っていた刀を軽く振り、その風圧だけで全てを地面へと沈める。勢いよく飛んできた物体は、まるで急に重力に無理やり押さえつけられたようだった。

 

 

「……術使わずに、術みたいな現象を起こすなよ」

 

 

 思わず、透はツッコミをしてしまったが黎明はそれで止まることはない。すぐさま島民たちに向かって歩みを進める。

 

 黎明の言う通り、現れた島民達は【呪い】によって操られている。そして、それを解くために──

 

 ──彼は動き出していた。そのまま黎明は、人々の間を縫うように走る。

 

 一人目。手のひらが肩に触れた瞬間、淡い光が広がり、呪いが霧散した。二人目。すれ違いざまに、指先が腕をかすめる。それだけで、呪いは剥がれ落ちた。三人目は、気づく間もなかっただろう。黎明の手が背中に触れた刹那、もうそこには何もなかった。

 

 彼が行う行動は単純にして明快……触れる。光る。それによって呪いが解ける。

 

 呪いが落ちた島民たちは、意識も失い、崩れ落ちるように倒れていく。

 

 誰も傷つかない。

 

 ただ、呪いだけが消えていく。住民は黎明を殺す気であるが、黎明からすれば戦う気など、戦意すら一切存在していない。

 

 この程度、戦う相手としても認識もしていない。目の前の現実に透は声が出なかった。

 

 

 呪いを解くのがどれほど困難か、透は知っている。誰よりも知っている。呪いとは、術者の意志が絡みついた霊力の塊だ。それを解くには、構造を読み、慎重に、丁寧に、一つ一つ解体していかなければならない。熟練の陰陽師が、全神経を集中させて、ようやく一人分だ。

 

 

 しかし黎明は、触れるだけだった。それだけで、終わっていた。

 

 

(呪いを解く陰陽術は、クソ難しいんだよ。言霊、狩衣、そして安定して、心も統一してないと、解呪は普通は無理)

 

 透の足が、動かなかった。

 

 光の残像が人々の間を駆け抜けるたびに、また一人、また一人と呪いが消えていく。止まらない。淀まない。まるで、息をするように。まるで、歩くように。当然のこととして、こなしていく。

 

 

(だが、あいつにとっては……造作もないことなのか。単純な戦闘だけじゃねぇ、細かい術も全てが高次元)

 

 

(あれはもう、同じ生物とすら認識できねぇ、体丸ごと別細胞で構成されてるみてぇだ)

 

 

 じわりと、背中に何かが這い上がってくる感覚があった。

 

 恐怖、ではない。いや、恐怖かもしれない。しかしそれは、怪異に対して感じるような恐怖とは、まるで質が違った。

 

 これは──。

 

(憧れ、か)

 

 透は、陰陽師として生きてきた十五年間で、初めてその感情に名前をつけた。人間に対して、憧れを持っている。

 

 その事実だけが、透の中に静かに、深く、沈んでいった。

 

「……」

 

 透はその様子を見つめていた。

 

(こいつは……呪われた人間を傷つけずに、呪いだけを解いている。それを、あの速さで)

 

 透も陰陽師として動こうとした。だが、気づけば、黎明は既に全員の呪いを解き終えている。

 

 商店街の人々が、困惑した様子で周囲を見渡している。

 

「……え? なに、今」

「あれ、どうしてここに?」

「っていうか、何してたんだ?」

 

 

 

 誰かが呟いた。そして、次々と島民は口を開き始める。黎明は、正気に戻った人々の間を抜けて、また歩き出した。

 

 

「これは、昨夜の鹿のモンスターが俺に仕掛けてきたのかな。やる気があって、好きだね」

 

 

 黎明は前を向いたまま、にこにこと笑った。透は、その背中を見つめた。恐怖も、常識も、全てを壊すような自由。

 

 

 黎明はそれを体現しながら、迷いなく進んでいた。

 

 

(……眩しい)

 

 

 透は、そう思った。しかし、同時に、目を背けた。

 

 透は、ゆっくりと踵を返した。黎明の背中は、どんどん遠ざかっていく。

 

 憧れから遠ざかるように、透は離れていった。あれについていくことはできない。才能を腐らせた自分では、ついて行っても何もできない。

 

 

 そうだ。それより、娘を探さないといけない。

 

 もし島民全体がそうなってるなら、自分と同じで霊力がある娘は、呪いに抵抗があるはず。

 

 だが、だということは、襲われる可能性があることを示唆している。

 

 守りに行かなくては。

 

 

 

 だが、その足は、妙に重かった。何かを、置いてきてしまうような気がして。

 

 何かを、捨ててしまうような気がして。

 

 何かに、言い訳してるような気がして。

 

 透は、何かに突き動かされながら歩き続け……最後に黎明を振り返ると、走り出した。

 

 

 

 

 何者かが描いた物語は、この日、唐突に終幕に向かっているようであった。

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