【書籍化】救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ   作:流石ユユシタ

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第72話 土御門綾乃の本音

 光の明日の本拠地、その北側。人目につかない山林の中を、六人の陰陽師が進んでいた。

 

 先頭を歩くのは、土御門家の長女、土御門綾乃(つちみかどあやの)。その後ろには、父から与えられた五人の精鋭が続いている。

 

 最年長の葛城(かつらぎ)は、綾乃が幼い頃から護衛を務めている男だ。

 

 他には、結界術を得意とする三島(みしま)

 

 式神を操る女陰陽師、水城(みずき)

 

 言霊を誰よりも速く唱え、即座に術を発動する若松(わかまつ)

 

 そして、呪術を得意とする女陰陽師、琴平(ことひら)

 

 いずれも各地の封印任務を経験し、何度も怪異との戦いから生還してきた者たちである。

 

 

「それにしても、宗家のお嬢様も大変ですね」

 

 

 水城が、前を歩く綾乃へ話しかけた。

 

 

「安倍家の落ちこぼれが目立った程度で、わざわざ山奥まで来なければならないなんて」

「落ちこぼれでも、怪異を倒したらしいぞ」

 

 

 綾乃は無視するが、代わりに三島が淡々と答える。

 

 

「どうだか。安倍家は話を盛っている可能性もあるのでは?」

 

 

 そこに琴平が小さく笑った。

 

 

「美術館の件も、随分と話を大きくしているようですしね。安倍家の名を捨てたくせに、功績だけは欲しいなんて。見苦しいこと」

「怪異を倒したという話も眉唾です。共謀する連中がおり、話を大きくしてるだけでしょう」

「安倍家が本当に優れていたなら、四年前に滅びかけたりしませんよ」

 

 

 五人には、安倍家が再び評価され始めたことへの不満があった。

 

 土御門家に仕える自分たちこそ、現在の陰陽師を支える精鋭である。全国を飛び回っていた双子を、危険な仕事を押しつけられていただけの下働きだと見下していた。

 

 

「そうね。光の明日を潰せたら、あなたたちが今度は祭り上げられるかもね」

 

 

 綾乃は振り返らずに言った。

 

 

「それとも、手柄は全部土御門家のものかしら?」

 

 

 五人の会話が止まる。さすがにそれはない、と思ったが、もしかしたらと嫌な考えもよぎったからだ。

 

 

「意地の悪いことを仰らないでください、綾乃様」

 

 

 葛城だけが、いつものことだというように笑った。

 

 

「我々は、土御門家にお仕えできれば十分です。しかし、多少は評価をいただきたい」

「そう。それなら、必死になって働いてちょうだい。それ次第よ」

 

 

 先へ進むと、斜面の下に古い排水路が見えた。本拠地が築かれる前から、山水を逃がすために使われていた水路である。

 

 その入口は錆びた鉄格子で塞がれ、その表面に薄い結界が張られている。

 

 

「三島」

「お任せください」

 

 

 綾乃に命じられ、三島が符を取り出す。さらに他の四人も周囲へ散り、外から見つからないよう遮蔽の結界を作った。

 

 

急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

 

 

 符が青白い光を放つ。鉄格子を覆う結界が波打ち、音もなく裂けた。続いて錠前が術で切断される。

 

 

「この程度ですか」

 

 

 三島は鼻で笑った。

 

 

「陰陽庁も随分と慎重になったものですね。こんな結界しか作れない団体を、何年も監視していたとは」

「安倍の双子が来る前に終わらせましょう」

 

 

 若松が鉄格子を押し開く。

 

 

「あの二人に、また手柄を奪われては困りますから」

「手柄を奪われたうえ、話まで誇張されては敵わんからなぁ。ははは」

 

 

 六人は、暗い排水路へ足を踏み入れた。しかし、綾乃は今通ってきた道を少しだけ振り返る。

 

 

「ただの教団のくせに、結界ね。術を使える者がいる、か……」

「大丈夫ですよ。この程度の結界しか使えないのであれば」

「……そうね」

 

 

◆◆◆

 

 

 水路の中には、足首ほどまで水が溜まっていた。湿った石壁。鼻を突く黴の臭い。その奥に、僅かな腐臭が混ざっている。

 

 葛城が作った灯火の式神が、六人の頭上を漂っている。青い光に照らされた壁には、赤黒い手形が残されていた。

 

 

 

 小さな子供の手、指の欠けた手、さらに爪で石壁を引っ掻いた跡。

 

 まるで何十人もの人間が暗闇の奥から逃げ、ここで力尽きたかのように、手形は入口へ向かって続いている。

 

 しかし、出口まで十メートルほどの場所で全て途切れていた。

 

 

「止まりなさい」

 

 

 綾乃が足を止める。すると、後ろを歩いていた五人も、同時に動きを止めた。

 

 

「どうされました?」

「水を見なさい」

 

 

 先ほどまで緩やかに出口へ流れていた水が、反対の方向へ動いている。それは僅かな流れだった。しかし、六人の足元にある水が、暗闇の奥へ向かって集まり始めていた。

 

 

「何かいるわね」

「確認します」

 

 

 水城が一枚の札を取り出し、水面へ落とした。

 

 

「水に潜みしもの。その姿を示せ」

 

 

 札から青白い光が広がる。水路を進んだ光が、十メートルほど先にある壁際で止まった。

 

 そして、何もなかったはずの水面が盛り上がる。泥水の中から現れたのは、大型犬ほどの怪異だった。

 

 黒く膨れた胴体から、細長い足が何本も伸びている。頭部に当たる部分はなく、胴体の中央に人間の口だけがついていた。

 

 その口が大きく開く。

 

 

「みつけた」

 

 

 子供のような声が、水路に響いた。

 

 

「怪異です」

「見れば分かるわ」

 

 

 綾乃は腰から短刀を抜いた。残りの五人も、それぞれの持ち場につく。誰も怪異を倒せるとは考えていない。

 

 ──怪異は殺せない。

 

 陰陽師がどれほど術を打ち込み、その体を傷つけたとしても、時間が経てば元の姿へ戻る。

 

 人間にできるのは、怪異の動きを止め、霊具や土地に閉じ込めることだけだった。

 

 それは、この場にいる全員が理解している。

 

 

「三島、結界で動ける場所を制限しなさい」

「はい」

 

 

 三島が四枚の札を投げた。それぞれの札が怪異を囲むように石壁へ貼りつき、青白い結界が張られる。

 

 

「東西南北、四方を閉じる。四門封鎖(しもんふうさ)

 

 

 怪異が水を蹴り、綾乃たちへ向かって跳んだ。しかし、途中で透明な壁へ衝突する。

 

 何本もの足が結界を引っ掻いた。三島の札が揺れるが、結界は壊れない。

 

 

「水城。行きなさい」

 

 

 水城の持つ札から、白い犬の式神が二体現れた。二体は結界の内側へ飛び込み、左右から怪異の足へ噛みつく。

 

 怪異は式神を振り払おうと暴れた。それにより黒い足が一本、式神の腹を貫く。

 

 貫かれた式神は白い煙に変わったが、もう一体が怪異の胴体へ噛みつき、水の中へ押し倒した。

 

 しかし、すぐさま、その式神も噛み砕かれ、煙となって消えた。

 

 

 

「両方とも、壊されました」

「十分よ。動きを封じなさい。若松」

「すでに始めています」

 

 

 若松は、怪異が現れた時から言霊を唱えていた。一つの言葉を唱え終える前に、次の言葉を重ねる。

 

 

「地に伏せ、声を失い、動きを止めよ。汝が足を縛り、汝が口を閉じる」

 

 

 怪異の動きが鈍くなる。水の中で何本もの足が動いていたが、見えない重りに押さえつけられるように石床へ沈んでいく。

 

 すると、反撃をするように胴体にある口が開いた。

 

 

「みつけた。みつけた。みつけた」

 

 

 同じ言葉が、何度も繰り返される。

 

 

「琴平も怪異の動きを止めなさい」

「分かっています」

 

 

 琴平が黒い釘を三本取り出す。一本目を怪異の影に打ち込んだ。すると右側の足が動かなくなる。

 

 次に二本目。左側の足も石床に縫いつけられた。最後に、三本目を口の下に打ち込むと、繰り返されていた声が途切れた。

 

 

「葛城」

「こちらへ」

 

 

 

 葛城は懐から、小さな壺を取り出した。黒い表面に封印の術が刻まれ、口には赤い紐が巻かれている。

 

 

 

「この怪異なら、壺に封じられます」

「そう、さっさと終わらせましょう」

 

 

 

 葛城が壺の蓋を開ける。それと同時に綾乃は短刀の切っ先を怪異へ向けた。

 

 

「大地の神よ、御力を貸し給え。その力を器へ遷し、封を成さん」

 

 

 怪異の体から、黒い霧が立ち上る。何本もあった足が、先端から霧へ変わり、葛城の持つ壺へ吸い込まれていった。

 

 その壺に封印されまいと、怪異は抵抗する。石床へ爪を立て、結界の外へ逃れようと体を動かした。

 

 しかし、三島が結界を維持する。さらに、水城が新しい式神を呼び出し、怪異の胴体へ噛みつかせる。

 

 若松は言霊を繰り返し、琴平も三本の釘から手を離さない。それぞれが役割を忠実に遂行することにより、怪異の動きが小さくなっていった。

 

 やがて、胴体も霧へ変わっていく。まるで、徐々に体が崩壊していくようにも見えた。そして、最後に残った口が、綾乃へ向かって開く。

 

 

 

 

「みつけ――」

 

 

 言葉を最後まで発する前に、壺へ吸い込まれた。そこで、葛城が蓋を閉じる。赤い紐を巻き直し、その上から新しい札を貼った。

 

 これにより、怪異は完全に封印されたことになる。

 

 

 

 

「封印完了です」

「そう、大したことのない怪異で助かったわね。霊格は穢れかしら。しかも下位ね」

「はい。そうかと」

 

 

 三島が結界を解く。水城の式神も札へ戻った。

 

 しかし、怪異が封印されたとしても……葛城が持つ壺の中からは、今も弱い気配が漏れている。封印が破られれば、怪異は再び現れる。

 

 それでも、封印が続く限り、人間を襲うことはできない。怪異に勝つことはできない。だが、その動きを制限し、封じ込めることならばできる。

 

 そのために陰陽師は術を学び、複数人で怪異に対処する。

 

 

 

「この程度なら、予定に支障はありませんね」

 

 

 琴平が呼吸を整えながら言った。

 

 

「ええ。先へ進みましょう」

「安倍の双子なら、今の怪異も倒したと言い張るのかもしれませんね」

「実際には封印しただけでしょう。それを倒したと大袈裟に報告しているのでは?」

 

 

 水城の言葉に、何人かが頷いた。怪異を完全に倒せる人間など存在しない。それは彼らにとって、疑う必要すらない常識だった。

 

 

 

「雑談はそこまで。まだ教団の敷地にも入っていないわ」

 

 

 綾乃は短刀を鞘へ戻し、水路の奥へ歩き始めた。五人も、その後へ続いた。

 

 

「はぁ、こんなキモい場所から侵入しないといけないなんて」

「信者が多いようですからね。こっそりと侵入し、教祖を殺害。その後、徐々に戦力を削いでいくほうがいいかと」

「正面からだと、銃火器を大量に持たれている場合、こちらが不利ですからね」

 

 

 綾乃が呟き、それに対して、ついてきた従者たちが機嫌をうかがうように答える。

 

 

「それに、これも信者を洗脳するための作り物でしょう。逃げようとしたりすればこうした作り物で脅すのはよくあることです」

 

 

 水城は壁の手形に指を触れた。乾いているはずの染みから、粘ついた赤い液体が糸を引く。

 

 

「……随分と手の込んだ作り物ね」

 

 

 先ほどまでの笑みが僅かに薄れた。さらに奥へ進む。やがて、水路の先に鉄製の扉が現れた。

 

 扉の向こうから、微かな声が聞こえる。

 

 

「たすけて……」

 

 

 若い女の声だった。今にも消えてしまいそうな、悲しげで弱々しい声。だが、どこか違和感があった。

 

 

「中に誰かいるのか?」

「待ちなさい」

 

 

 若松が扉に近づく。だが、違和感を持った綾乃が止めるより早く、扉の隙間から白い腕が伸びた。

 

 それは人間の腕。ただし、肘と手首の間に、もう一つの関節がある。その腕は蛇のように曲がり、若松の首に巻きついた。

 

 

「がっ……!」

「ほ、炎の神よ。我が身を脅かす魔を罰する炎を。火界呪(かかいじゅ)!」

 

 

 水城が放った炎が、白い腕を包む。肉の焼ける臭いが水路に充満した。その術により拘束が緩んだ隙に、葛城が若松を引き戻す。直後、鉄の扉が内側から吹き飛んだ。

 

 その扉から現れたのは、白い服を着た女だった。顔も胴体も人間と変わらない。しかし、両腕だけが床に届くほど長い。

 

 指は途中から枝分かれし、片方の手だけで二十本を超えていた。そして、女の両目から、涙が流れている。

 

 

「たすけて。痛いの。神様、たすけて」

 

 

 泣きながら、裂けるほど口角を上げていた。

 

 

「怪異です! 封印の準備を!」

 

 

 琴平が黒い釘を取り出す。怪異が現れることは想定していた。先ほどと同じように動きを封じ、霊具へ閉じ込めればいい。

 

 しかし、綾乃だけは、目の前の女に僅かな違和感を覚えた。

 

 

(怪異……なのかしら。気配は怪異に近い。でも、完全に人間から離れているようにも見えない。まぁ、考えても分からないわね)

 

 

 綾乃が考えている間にも、女の腕は床を這っていた。焼け焦げた皮膚の下で、何かが蠢いている。

 

 黒くなった肉を内側から押し退け、新しい指が一本、また一本と生えてきた。

 

 

「もう再生してる……」

「げほげほ……くそ、さっきの怪異より強いぞッ」

 

 

 水城が後退する。隣の若松は自分の首を押さえながら、掠れた声を出した。

 

 人間は怪異を殺せない。

 

 焼いても、切っても、怪異は時間が経てば元の姿へ戻る。陰陽師にできるのは、術で動きを封じ、霊具や土地に閉じ込めることだけだった。

 

 それでも、一体であれば封印できる。先ほどと同じように役割を分け、怪異の動きを止めればいい。

 

 だが、この怪異は先ほどとは違う。格が違う。そんな考えが全員の中に浮かぶ。しかし、五人は恐怖を押し殺しながら、それぞれの霊具を構えた。

 

 

「……封印するわよ」

 

 

 綾乃の命令で、五人が動く。三島が結界を張り、水城の式神が長い腕へ噛みつく。葛城と琴平が霊具の鎖を投げ、若松は言霊を唱えるために息を吸った。

 

 

「西方を守護せし白虎、北方を守護せし玄武。四方を閉じ、内なる魔を――」

「たすけて」

 

 

 六人の背後から、同じ声が聞こえた。水路の暗闇から、もう一人の女が這い出してくる。

 

 顔には目も鼻もない。縦に裂けた口だけがあり、腹は妊婦のように膨らんでいる。その内側から、何本もの小さな手が皮膚を押していた。

 

 さらに天井から、硬いものが擦れる音がする。男の上半身が、蜘蛛のように張りついていた。

 

 よく見れば下半身はない。腰から生えた八本の人間の腕を動かし、首を百八十度回して六人を見下ろしている。

 

 

「ま、また……」

 

 

 琴平の声が震えた。奥の扉からも、裸足で水を踏む音が近づいてくる。一つではない。何十もの足音だった。

 

 

「くそ、短時間で封印するしかないわね、先に腕の女。霊具で足止めするわっ。そのまま、わたしも術を使う。アンタたちも使えるもの全部使いなさい!」

 

 

 綾乃が叫ぶ。五人が一斉に言霊を発する。さらに、持っている霊具も惜しまず使用した。綾乃の霊力の鎖が長い腕の女を縛り、四方へ展開された結界が怪異の姿を包み込む。

 

 

「大地の監獄!」

「岩石封じ!」

 

 

 女の体が、大きな岩に包まれる。怪異一体へ、六人分の術を集中させている。

 

 土御門家、そしてそれを支える者たち。彼らは凡人ではない。普通の陰陽師であれば、この時点で死んでいるだろう。

 

 

 それほど危険な事態なのだ。しかし、このままいけば封印できる。それほど、彼らには実力があった。

 

 

 だが、そう思った次の瞬間、怪異の胸元にある金色の太陽が赤く光った。それは、教団員が影森町で黎明たちに使った封霊石(ふうれいせき)だった。

 

 

 

 その効果……霊力の使用を封じる。

 

 

 

 

「なんだ!? じゅ、術が!?」

「待って、霊力も……」

 

 

 

 

 一部の者は違和感に気づいた。しかし、気づかなかった三島が再び言霊を発する。

 

 

 

 

「結界を張り直す! 急急如律――」

 

 

 言霊を紡いだが、術は発動しなかった。次の瞬間、天井から伸びた八本の腕が三島の頭と手足を掴んだ。

 

 

「え?」

 

 

 三島の体が四方に引かれる。三島の関節が、一斉に外れた。

 

 悲鳴を上げる間もなく、その体は天井へ引き上げられる。頭から石壁へ叩きつけられ、一度の鈍い音で動かなくなった。

 

 

「三島!」

 

 

 水城が叫ぶ。その足首へ、長い女の指が巻きついた。

 

 

「嫌、待って!」

 

 

 水城は水の中に倒れ、暗闇に引きずられていく。

 

 

「助けて! 葛城さん、綾乃様! わたしを――」

 

 

 曲がり角の向こうで、叫び声が途切れた。直後、引き千切られた腕だけが投げ返される。指には、呼び出せなかった式神の札が握られていた。

 

 

「ひっ……」

 

 

 事態が急変し、追い込まれたことを理解した若松は後退する。

 

 

「来るな! 僕は土御門家に仕える陰陽師だぞ! 安倍の落ちこぼれとは違う! 僕は――」

 

 

 膨れた腹を持つ女が、若松へ覆い被さった。腹が縦に裂け、中から伸びた無数の子供の手が、若松の顔と口を掴んだ。

 

 そのまま、腹の内側に引き込まれていく。抵抗する若松の両脚が激しく水を蹴った。やがて、それも腹の中に消える。

 

 膨れた皮膚の下に、人間一人分の形が浮かんだ。そして、内側から逃れようと押し続けていたが、すぐに小さくなって動かなくなった。

 

 

「逃げ、ないと……」

 

 

 仲間がやられた。その事実と、目の前の存在が自らの力量を超える。そう判断した琴平が背を向ける。二歩も進めなかった。扉の奥から伸びた白い腕が、その首を掴む。

 

 

「たすけ――」

 

 

 だが、助けを求める前に琴平の体が、暗闇に引き込まれた。そのまま肉を裂き、骨を噛み砕く音がしたかと思えば、数秒後には何も聞こえなくなった。

 

 綾乃に付いてきた五人いた精鋭のうち、四人が死んだ。封霊石が光ってから、一分も経っていない。

 

 

「綾乃様、逃げます! どうやら、霊力が使えなくなるようです。逃げるしかありません」

「……そうね」

 

 

 二人は来た道に向かって走り出す。しかし、こんな事態になっても、綾乃はどこか冷静だった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 気づくと出口は消えていた。来た時には一本道だったはずの水路が、いくつもの道へ分かれている。

 

 なぜか、角を曲がるたびに同じ石壁と白い扉が現れ、どれだけ走っても鉄格子へ辿り着けない。

 

 霊力が消えた影響で術による灯りは使えない。葛城が持っていた懐中電灯だけが、暗闇を細く照らしていた。

 

 

「さて、どうしようかしら?」

「分かりません! ですが、立ち止まれば追いつかれます!」

 

 

 後ろから、怪異たちの声が聞こえる。

 

 

「たすけて」

「光を」

「一緒に、帰りましょう」

 

 

 葛城は何度も振り返っていた。綾乃を心配しているのではない。追手との距離を確かめ、自分が逃げ切れるかを計算する目だった。

 

 逃げ続ける二人が狭い通路へ入った時、正面にも怪異が現れた。再び、長い腕の女。焼けたはずの皮膚は、既に元へ戻っている。

 

 背後からも、八本腕の男が近づいてくる。そして、背後の足音と気配から、完全に挟まれた。

 

 

「挟まれたわね。はぁ、潮時かしら」

「綾乃様。まだ、諦めるわけにはいきません。どうしても、生き残らないと」

「そう。アンタは生きたいと強く思ってるのね。でも、もう無理じゃないかしら。わたし達は相手の戦力を見誤ったわ」

「……えぇ、そのようですね。しかし、陰陽師たるもの、このようなことは想定しなくてはならない。綾乃様……申し訳ありません」

 

 

 葛城が呟く。

 

 

「何を謝って――」

 

 

 次の瞬間、葛城は、綾乃の背を力いっぱい突き飛ばした。それにより綾乃の体が水の中に倒れる。その先には、長い腕の女がいた。

 

 

「葛城……?」

「あなたは土御門家の娘でしょう!」

 

 

 その言葉のまま葛城は、綾乃が持っていた霊具まで奪い取った。

 

 

「今まで十分に恵まれてきた! なら、最後くらい私の役に立ってください!」

 

 

 幼い頃から綾乃を守ってきた男。何度も忠誠を口にし、命を懸けて守ると言っていた男。

 

 その顔には、綾乃への情など残っていなかった。

 

 

 

「あなたを食っている間に、私は逃げます」

 

 

 

 葛城は背を向け、別の水路へ走り出した。

 

 

「あいつ……最後の最後に裏切りやがったわね。まぁ、そうなるかなとは思ってたけど。この家を、本当の意味で支えてる奴なんているわけないし」

 

 

 綾乃は手を伸ばすことすらしなかった。ただ、走っていく葛城を遠目に見送るだけだった。

 

 ずっとその背中を見ていた綾乃だったが、葛城は一度も振り返らなかった。だが、綾乃を囮にしたにもかかわらず、彼は十メートルも進めなかった。

 

 暗闇から現れた白い信者が、葛城の前に立つ。

 

 

「退け!」

 

 

 葛城は奪った霊具を振るう。信者は刃を素手で受け止めた。手のひらから血を流しながら、笑っている。

 

 

「痛みを、光へ」

 

 

 信者の腕が、葛城の胸を貫いた。

 

 

「あ……」

 

 

 背中から、血に濡れた手が突き出る。そのまま、葛城は自分の胸を見下ろした。

 

 

「わ、私は……生き……」

 

 

 信者が腕を引き抜く。葛城は水の中に崩れ落ちた。生き残るために綾乃を差し出し、逃げ出した男は、数秒後に死んだ。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 残された綾乃の足首に、細い指が巻きつく。

 

 

「……キモい」

 

 

 思わず綾乃は水を蹴った。偶然、指の拘束が緩む。

 

 怪異も、彼女が諦めたと思っていたのだろう。まさか最後に抵抗するとは考えていなかった。

 

 その僅かな隙に立ち上がり、無我夢中で横道に逃げ込んだ。

 

 

「はぁ。どうせ、死ぬんだろうけど」

 

 

 そう言いながらも、彼女は走り続ける。気づくと狩衣は泥と血を吸い、重くなっている。

 

 何度も転び、膝の皮が剥けた。呼吸をするたび、口の中に鉄の味が広がる。

 

 死ぬことなど、どうでもいいと思っていた。人も、家も、世界も、いつか全てなくなる。

 

 必死に何かを残そうとする者たちは滑稽で、自分だけはその事実を受け入れているつもりだった。

 

 

 忠誠も、約束も、死を前にすれば簡単に消えた。だから世界など、どうでもいい。

 

 

 そう思っているのに。

 

 

 

 

「全部壊れるんだから、どうでもいい」

 

 

 

 

 

 達観していたはずの彼女だったが、徐々に足が震えている。涙が頬を伝っていた。

 

 

 

 

「あれ……あぁ、そうか。わたし……なんだかんだ、死にたくなかったのね」

 

 

 

 

 そう自覚した彼女は走り続けた。

 

 

 

 

(世界がどうなってもいい。全員どうせ死ぬ、なんて、達観した気になってただけなのね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生きたい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──それが彼女の本音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、ここで死にたくなかった。曲がり角を抜けた先で、白い服の信者が立っていた。

 

 

 信者の男は、血に濡れた鉈を持っている。それを見て、綾乃は急停止した。

 

 

 戻ろうとした背後からも、二人の信者が現れる。逃げ道はない。霊力もいまだに使用できない状態だった。

 

 

「侵入者」

「救済を」

 

 

 正面の男が鉈を持ち上げる。綾乃は短刀を構えようとした。しかし、短刀は葛城に奪われていた。

 

 何も持っていない手が、空を掴む。

 

 

 

 

「……くっそ、あの野郎ッ」

 

 

 

 

 

 鉈が振り下ろされる。それを見て、彼女はついに自分の死を悟った。自分が死ぬ瞬間など見たくない。その思いから、綾乃は目を閉じた。

 

 だが、暫くしても痛みは来ない。不思議に思った彼女は恐る恐る目を開く。すると、鉈を持っていた信者が白目をむいて倒れていた。

 

 その後ろに、別の信者が立っている。

 

 

 

「まぁ、さすがにこれは見過ごせない」

 

 

 

 ほかの信者も全て倒れていた。しかし、二人の信者だけが立っていた。一人は男で、もう一人は小柄な女性のように見える。

 

 

 

 

「あ、大丈夫?」

「……あなた、教団の人間ではないの?」

「うーん、この人は教団側じゃなさそうだし本当のことを言ってもいいかな?」

 

 

 

 

 信者の格好をした男は、同じく一緒にいる女の子に確認を取るようなそぶりをする。そして、同意を得ると再び綾乃に向かい合った。

 

 

 

「実は、今は信者役してるだけ。潜入中だから」

「そう……」

「あ、澪、この女の人、探してたお母さんじゃないよね?」

「え、えと、もうちょっと老けてます」

「あ、そう。違うんだ。確かにちょっと、顔色悪い感じだけど、同年代に見えるね」

 

 

 

 

 

 

 これが、土御門綾乃と黎明の初めての出会いだった。




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そして、明日も11時更新!! お楽しみに!
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