喜多郁代の徐々に奇妙な冒険──Like a Rolling Stone──   作:ほっこく

1 / 5
『ピンクジャージの少女』

 

 

「夜空に輝く星となるか、それとも泥道を転がる石となるか、その分かれ道にあなたは立っておられる」

 

 目の前の老婆がそんなことを言う。

 ありがちな水晶玉をギョロリと覗き込み、嗄れた声で、貼り付けたような笑みを浮かべながら。

 ここは最寄り駅の路地裏、怪しげな老婆が営む占い屋に私はいた。

 占い屋。といっても、しっかりとした店舗を構えているわけじゃない。とってつけた感満載の看板に、お決まりの黒天幕を備えただけの、イソスタで映えを狙えそうにはない様相のほったて小屋である。

 いやホント、高校受験を控えた中三の冬に、私はいったい何をしているんだろうなって、自分でも思う。

 今日だって学校から寄り道しないでまっすぐ帰宅して、受験勉強をするつもりだったのに。

 なんだって私はこんな胡散臭さが占い屋を始めたような場所で、今にもヒェッヒェッヒェと笑い出しそうなお婆さんの前に座っているのかしら。

 それに今年の運勢を占ってもらったら、やけに抽象的な結果が出てきたし……もっとハッキリ良いか悪いかだけ言ってくれれば分かりやすいのになぁ。

 

「えーっと、具体的にはどういうことなんですか?」

「肝心なのは出会いですぞ。人との出会いが、あなたを良くも悪くも転がすことになるでしょう」

 

 そう言って老婆は本当にヒェッヒェッヒェと笑った。

 具体的って言ったのに……ようするに友達は選んだ方がいいってこと?

 

「まぁ大体そんな感じですな」

 

 急にふわっとしたけど大体そんな感じらしい。

 なるほど、友達を選ぶ。

 ものは試しにと、私は進学を考えている秀華高校での、まだ見ぬ出会いを想像してみる。

 うーん、でも私って来るもの拒まずというか、友達を選り好みするタイプじゃないのよね。好き嫌いで人付き合いできる人間じゃないし。

 だから出会いが肝心だって言われても、正直言ってピンとこない。高校での私は普通に友達を作って普通に楽しんでいると思う。

 人生を変えるような特別な出会いなんて、もし叶うのならしてみたいくらいだ。

 

「ヒェッヒェッヒェ!! そう心配せずとも、星と星とが引かれ合うように、人の出会いとは『引力』。人は人と、出会うべくして出会うのです」

「……出会うべくして、出会う」

「えぇ、そうです。そうなのです。今日この時間この場所で、私とあなたが出会ったように」

 

 あいも変わらず嘘くさい嗄れた声だったけれど、老婆の言葉には不思議な説得力があるように思えた。

 確かに、普段の私なら駅近の裏路地の、見るからに妖しい占い屋の幕をまくったりなんてしない。

 今日はたまたま裏路地に目線がいって、偶然この天幕が目に入った。その存在感に目を引かれたのか、はたまた心を惹かれたのか、結果として私はここにいる。

 なら、少しは期待してもいいのだろうか。

 私にもチャンスはあるんだって、普通の私が、普通じゃない私になれる、そんなチャンスが。

 

「チャンスはいつだってあなたの前に転がり込んでくるもの。好機を逃してはなりませぬぞ。ちなみにラッキーカラーはピンク」

「唐突なラッキーカラー」

「そして占い料2,000円!!」

「うぅ、中学生には痛い出費だわ」

「じゃあまけて200円」

「じゃあ?!」

 

 それでいいの?!

 ……なんというか、真面目に考えて損をしたような気がする。

 本当にいいのかと思いつつ財布から小銭を取り出し、特にこれといって後ろ髪を引かれることもなく、裏路地を立ち去ろうとすると、これはサービスです。なんて言って老婆が私を引き留める。

 振り向いた私に向かって、老婆は祈るように呟いた。

 

「願わくば、あなたが『特別』であらんことを」

 

 その言葉に押されて、今度こそ、占い屋を後にする。

 いつもどおりの通学路に戻りながら、けれど私の頭はいつもとは違うことを考えてしまっていた。

 特別……特別かぁ。

 だいたい、特別って簡単に言われても困るのよね。

 自分で言うのもアレだけど、私は俗にいうところの要領がいい子だ。

 勉強も運動もそこそこできて、友達だって多い。

 私は学校生活を楽しんでいるし、なんだかんだ両親に愛されているんだなって自覚もある。今の人生になんの不自由も感じていないし、高校への進学にだって不安感は全くといっていいほどない。

 それを考えれば私は間違いなく、疑いの余地なく、幸せなんだと思う。

 だったら、これは贅沢なのかもしれない。

 お門違いの分不相応な想いなのかも、わからない。

 いや、きっとそうなんだろう。

 私は恵まれているのに、満たされないでいる。

 楽しいはずなのに、自分の人生味気ないなって、心のどこかでぼんやり思ってる。

 同じように心のどこかで、それはただ隣の芝生が青いだけだって、身も蓋もないのことを呟いている私もいる。

 

 私は特別じゃない。

 

 私がそうでないことを、私は知っている。

 夜空で輝く眩い一等星のように、私が特別ではないことを、私はよく知っている。

 ほかでもない、自分自身のことだから。

 唯一無二の存在には、なれないって事実を。

 でも。

 それでも私は、特別な何者かになりたいと、どうしようもなく願っている。

 だから、これは。

 

 この『物語』は──

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 前略。

 いくら練習してもギターが全く弾けません。

 4月初旬である。

 下北沢の路上ライブで一目惚れした先輩が新しくバンドを組むにあたってギターボーカルを募集していると知り、ギターのギの字も知らないくせに後先考えず応募した私はあれよあれよと追い込まれていた。

 ローンを組んでギターを買って、それから毎日、初心者用の動画を参考に私なりの努力をしてみたけれど。

 結果は散々。

 ぼーんぼーんと、低い音が鳴るばかりで、ちっとも手本通りの音が出せないのだ。

 ギター未経験でもライブまでに死ぬ気で頑張れば何とかなるんじゃないかって、あまりに甘い目算をしていた私は救いようのない阿呆だった。

 予定されているライブの日まで残り1ヶ月弱、それ以前に先輩からくる音合わせの誘いをかわすのだって限界がある。

 このままじゃダメなんてことくらい、私が一番よくわかってる。なにか手を打たなきゃってことは。

 じわじわと、これまで味わったことのない、嫌な感情が心の中へと染み出してくる。

 これは『不安』だ。

 私は、私の心はいま、とても不安定になっているんだ。

 そんな心のアンバランスさに引き寄せられたのか、朝の占いでは牡牛座が最下位だったし、高校の入学祝いで買ってもらったばかりの上着には通りすがりのトラックから泥をかけられるしで、登校したタイミングですでに擦り切れていたメンタルは、小テストの解答が全て一段ズレていたことで限界に達した。

 はい、もうなにしてもダメ。

 まだお昼だけど本日の喜多は以上をもちまして閉店です。

 ガラガラ、ピシャーン。

 私は心の中のシャッターを閉じて、そのまま机に突っ伏した。

 

「あれ、どしたよ〜喜多ってば。なんか嫌なことでもあった?」

 

 虚無顔で消しカスをこねていると、閉じたばかりのシャッターをこじ開けて、中学時代からの腐れ縁である佐々木次子もとい、さっつーが顔を覗き込んできた。

 

「ダメよさっつー、今日の私はダメダメなの。一緒にいたら貴女までダメになっちゃう……」

「いや〜、心配しなくても喜多は普段からときたまダメだよ」

「そんな言い方ってある?!」

 

 あからさまに落ち込んでるんだから、話しかけるなら話しかけるでちゃんと慰めてよね。

 そうやって視線をジトっと向けてみると、さっつーは性格が悪い猫のように笑いながら、私の真正面に腰を下ろした。

 その顔に悪びれた様子が一ミリもないものだから、私の頬が膨らんだのは必然で、仕方のないことだと思う。

 

「で、実際どうしたのさ。元気なさげだからちょっぴり心配してるのはホントね」

「そこは普通に心配してよっ。今日は色々あって……まぁ、それだけじゃないんだけど、とにかくテンションが下がってたの」

 

 私が答えると、さっつーは目線を教室の後ろへチラリと向けて、続けて言った。

 

「ふーん……それって、ここんとこ毎日持ってきてるギターと関係ある話?」

 

 うっ、鋭い……

 まさか後ろの棚に置いてたギターケースから当たりをつけてくるなんて。

 さっつーってば、かなり適当な性格してるくせして妙に勘のいいところがあるのよね。

 本当は誰にもバレないように家で練習したいけど、うちはマンションだし。

 

「えぇと、うん……関係、なくはないかも?」

「なにそれ、歯切れ悪いな〜。どしたん? 話きこか?」

 

 い、言えない。というか言いたくない。

 先輩目当てに嘘ついてバンドへ入ったものの、肝心のギターが全く弾けるようにならなくて困ってるのよね〜。なんて言えるワケがない。

 我ながらやらかしてる自覚はあるし、嘘から真を捻り出そうとしている真っ最中なのだ。

 叶うことならこの秘密は墓まで持って埋めてしまいたい。

 ということで、私はギターの話題に触れない範囲で、今日あった出来事を、事のあらましを語って聞かせた。。

 聞き終えたさっつーは苦笑いを浮かべて、あっけらかんと言う。

 

「うん。なんていうか……こう、ドンマイっ」

「ねぇ、もっとマシなリアクションはできないの?」

「なんだ、マジな反応が欲しかった?」

「そういうわけじゃないけど……」

 

 真面目なさっつーって、それはそれで、なんだか調子が狂ってしまいそうだし。

 

「でもさ、いつまでもクヨクヨしたってね〜。切り替えていかないとじゃん?」

「……そうね」

「んー、思ったより重症ぽいな〜。気晴らしに甘いものでもって思ったけど、あいにく放課後は埋まっててさ」

 

 悪いね。と、両手を合わせるさっつー。

 どうやら本当に心配してくれているらしかった。伊達に4年も同じ教室で過ごしているわけではない、それくらいは分かる。

 さっつーなりに、私を気遣ってくれたんだって、ちゃんと分かってる。

 

「……ううん。話を聞いてくれただけで十分、ありがとう」

「そ? まぁ、残念でした会はまた今度ってことでよろ〜」

「残念でした会?!」

 

 だから言い方、言い方が悪いんだってば。

 ぺろっと小さく舌を出して逃げていく確信犯の友人へ、私はえいやと消しゴムのカスを投げつけた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 放課後。

 さっつーのおかげというか、せいにするべきか、とにかく多少は気が紛れた。気がする。

 いつまでもクヨクヨしたって仕方がないのは確かにそうだし、切り替えていかないとね。

 今日も今日とて、いっぱしのギタリストになるべく練習あるのみだ。

 私がギターに触れる時間と場所は限られていて、そういう意味では、放課後の空いた教室はベストとまでは言えずともベターな選択だと思えた。

 こうして、学校が閉まるギリギリまで練習ができるのだし。

 

 ぼーん、ぼーん、と。

 

 ギターの弦を弾けば、低くて重い音が鳴る。お手本として流している、音楽系オーチューバーが奏でる音色とは似ても似つかない音だ。

 きっと弦の押さえ方が間違っているんだろう。そうでも思わないとやってられない。

 練習を始めてしばらく経つけれど、このギターとかいう楽器は初心者が独学でどうこうするには難しすぎるのよね。

 弦の押さえかた一つとったって、メジャーだのマイナーだの急に言われても頭に入ってこないし。などと、心の中でそうぼやく。

 ……本当は分かってる、私は今からでも誰かに教えを乞うべきなのだ。ライブに間に合わせるためにも、ギターが弾けないってことを隠したい一心で独学にこだわっていた、今までの自分から抜け出さなきゃ。

 ギターをケースにしまいながら、私は一つの決断をする。

 決めた。明日だ、明日になったら友達を頼ってギターを教えてくれる人を探そう。

 

「うーん、やっぱり軽音部の人かしら……」

「あら、喜多さん? どうしたの〜、こんな時間まで」

 

 そうやって私が決心していると、心に決めていると、不意に教室の扉が開いた。

 顔を覗かせたのはどこか気怠そうな雰囲気の女性、数学の坂似(さかに)先生だ。

 先生は私が背負ったギターケースに目を向け、なにやら納得した様子でこう尋ねてくる。

 

「もしかして、居残って練習中だった? そろそろ門限の時間だよ」

「えーっと……すみません、坂似先生」

 

 なぜだか、悪戯がバレてしまったような気持ちになって、返事が歯切れよく出てこなかった。別に責められたわけでも、攻める口調で問いただされたわけでもないのに。

 きっと、これも心が不安定になっているせいだ。先輩たちに嘘をついている罪悪感があるから、何でもないようなことなのに、自分に非があると感じてしまってる。

 そんな私の内心が顔に出ていたのか、坂似先生は苦笑を浮かべた。

 

「でも、いいね〜。先生も昔はバンドの追っかけしてたから、なんだか懐かしいわ」

「へっ、そうなんですか?」

 

 先生ってば賑やかな場所は苦手そうなのに。

 

「そうそう、推しのバンドは何年も前に解散しちゃったんだけど、ギターのお姉さんがカッコよくってね〜。今は下北でライブハウスの店長してるんだったかな〜っとと、話がそれたわね」

 

 こほん、と坂似先生は軽く咳払いをし話を続ける。

 

「じゃあ先生職員室に戻るから、片付けが終わったら帰るのよ〜」

「は〜い、さようなら先生」

「えぇ、さようなら。気をつけてね〜」

 

 ひらひらと手を振り坂似先生が去っていったので、放課後の空き教室にはまた私1人だけだ。

 窓を見やれば、傾いた日差しが今更のように眩しかった。

 時間も遅いし、先生の言うとおり帰らなきゃ。

 練習スペースのために動かしていた机と椅子を元に戻して、買ったときより不思議と重く感じるギターケースを背負いながら、廊下に出る。

 廊下に出ると、視界の隅で人間大のピンク色の芋虫が廊下を這っていた。

 ……んん? 今なんて??

 私は私のモノローグに物申した。

 目を擦ってもう一度見る、よく観てみる。

 もしかしたら幻覚かもしれない。色々あって疲労が溜まっていたし、疲れ目なのかも。

 あらためて確認すると、やっぱり人間大のピンク色の芋虫が廊下を這っていた。

 えぇ……?

 むしろ見間違いであって欲しかったけど、驚いたことに事実らしい。

 ただ、よく観たおかげで分かったのは、人間大の芋虫だと思ったそれが実際は正真正銘の人間で、そう見えていたのはピンク色の長髪に、これまたピンク色のジャージを着ていたせいってこと。

 ジャージの上には学校指定のスカートを履いていたので、少なくとも秀華高校の女子生徒なのは間違いない。よかった不審者とかじゃなくて、いや挙動はだいぶ不審だけど。

 ピンク色の芋虫あらため、ピンクジャージの少女はロッカーの隙間に用がある様子で、廊下でうつ伏せになりながら、潰れるんじゃないかってくらいロッカーに顔を押し付けている。やや顔の造形が崩れる勢いにつき正直ちょっと怖い。

 ときおり「見つからない……」と呟くあたりから察するに、彼女はなにかを探している最中のようだ。

 私はしばし考えた。

 これ、声をかけた方がいいのかしら。見なかったことにして家に帰るって選択肢もあるけれど、なんならそれが普通の反応だと思うんだけれども。

 ……ただ、私がここで帰ったら、見て見ぬふりをしてしまったら、彼女はこのままずっと一人で探し物を続けるような、そんな気がした。

 うん、話しかけてみよう。なんたって今年のラッキーカラーはピンクだし。

 自分でもよく分からない言い訳をして、私はピンクジャージの少女へ言葉を投げかけた。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

「────っ?!」

 

 誓って、誓って驚かせようなんて気持ちは欠片もなかったことを、先に述べておきたい。

 私が声をかけると、彼女はロッカーから弾かれたように飛び上がり、慌てた様子で数歩後ろに下がっていく。

 まるで前に動画で見た、背後にきゅうりを置かれた猫みたいだった。どうしよう、怖がらせてしまったみたい。そんなビックリするような声の大きさでもトーンでもなかったはずなんだけど。

 距離にして4mくらい離れたところで、ようやっと止まった彼女と目線が合わ……ない。全然合わない。淡い水色の瞳とまったく視線が交わらない。

 私から合わせにいっても「あっ」「うっ」と声にならない声と共に、ぬるっと避けられてしまう、まるで私には見えないものを目で追っているかのようだった。

 ……もしかしてだけど、これ絡まれたって思われてる? 知らない人がちょっかいをかけにきたって誤解されてない?

 

「あの、ごめんなさい。驚かせるつもりはなくて、なんだか困ってるみたいだったから」

 

 声をかけてみただけなの、と。

 そう弁明したところ、ピンクジャージの少女は彷徨わせていた瞳をゆっくりと私に向け、なぜだかホッとしたようにため息を吐き、間髪入れずに顔を青ざめたと思えば、びっくりするくらいスムーズに両膝をついて頭を床につけた。

 いわゆる、土下座である──じゃない、彼女のとった行動について触れている場合じゃない。

 こんなところを誰かに見られたら絶対勘違いされる。私が彼女を虐めているってあらぬ誤解を生んでしまう。

 まずは土下座を止めてもらわないと。

 そう考えた私が一歩目を踏み出すのと、ピンク色の頭頂部から言葉が零れたのはほぼ同時だった。

 

「つ、通報だけは勘弁してください……っ」

「なんでそうなるの????」

 

 思わず素で聞き返せば、今にも消え入りそうな声色で、次のような回答が聞き取れた。

 

「あっ、ち、違うんです! 私……そ、その、探してて、ろ、ロッカーを漁ってたわけじゃなくて……」

 

 なるほど、なるほど……なるほど? そういうことね、つまり私にロッカーを物色している、言葉を強くするのなら窃盗を行なっていると思われたんだって、そう彼女は考えたらしい。

 なんというか、事態を悪く考えすぎというか、考えが過ぎるんじゃないかしら。

 兎にも角にも、このままだと話が前に進まない。埒が明かないともいう。

 なので、私は努めて明るく微笑みながら、こう尋ねることにした。

 

「私、1年5組の喜多っていうのね。あなたは?」

 

 お互いに初対面なんだし、とりあえず名乗り合わないことには相手をなんで呼べばいいかも分からないもの。

 少なくとも、こうやって挨拶をすればそこから先は知り合いだ。

 

「あっ、1年2組、ご、後藤ひとりです……」

 

 こちらに悪意や害意がないと伝わったのか、ピンクジャージの少女はおずおずとした様子で、それでもちゃんと顔を上げて名前を教えてくれた。

 やっぱり同級生だったのね。まぁ、この階のロッカーに用があるんだから、当たり前って感じだけど。

 しいて言うなら、彼女が頭をめり込ませていたロッカーが2組のそれではなく、4組のものであったことから、先ほどの態度にあぁと相槌を打ちたくなる私だった。

 

「よろしくね、後藤さん。それで探し物をしてたってことであってる?」

「あっ、はい。す、すみません、視界の邪魔でしたよね……」

「そんなこと思ってないけど……ちなみに、なにを探してたのか聞いても平気? もしかしたら力になれるかも」

「えっ、えと……その……あの」

 

 なんだろう、とても言い辛そうだ。

 そんなに口に出しづらい探し物なのかしら。

 いやでも、この反応は……

 言葉を濁し言い淀む後藤さんに、私は一つの仮説を立てた。

 もし、彼女の探しているのが失くした物じゃなく、隠された物だとしたら? 入学してから一週間かそこらでまさかとも思うけど、後藤さんの過剰ともいえる反応を考えれば考えるほどに、私の中で嫌な予感がどんどん広がっていく。

 だとしたら、余計に放ってなんて置けない。放って置いて、いいはずがない。

 

「後藤さん! 大丈夫だから、このことを誰かに言ったりはしないし、ぜったい最後まで一緒に探すわ!」

「あっ、えっ……え?」

 

 後藤さんは困惑した様子で右往左往しているけど、ここは押しの一手しかありえなかった。だってそうしないと遠慮されそうなんだもの。

 すると、私の熱意が伝わったのか、後藤さんはくるりと後ろを向き、数秒たって振りむいた。その手に握られていたのはボールペンとB5用紙、彼女は用紙をこちらへ差し出しながらモゴモゴと口を動かす。

 

「あっ、じゃあ、あの……こんなものを見ませんでしたか」

 

 そこに描かれていたのは、一本の矢だった。

 矢じりの部分に虫の彫刻が施されており、注釈によると材質は石で、長さは約40cm。もちろんだけど見覚えはない。

 とても上手な絵なんだけど、これ振り向いてる間に後藤さんが描いたってこと? でも彼女の手はぜんぜん動いてなかったような……

 

「えっと、なにかしらこれ。演劇の小道具?」

 

 少なくとも個人の所有物には見えない。

 私の早とちりだったのかしら。

 

「あっ、あの、そのっ……み、見てないんだったらいいんです。き、喜多さんも早く帰ったほうがいいと思いますっ。し、失礼しました! 」

「ちょっと後藤さん?!」

 

 そんな私の反応から察したらしく、後藤さんはそそくさと廊下を去ろうとする。引き止めようにも足に迷いがなさすぎて無理だ。

 けれど、私の声が届いたからなのか、彼女は一瞬だけ振り返った。とはいっても、顔は下を向いてて表情までは分からない。

 

「も、ももももし……この『石の矢』を見つけても、」

 

 そこで言葉を区切り、俯いた顔の、髪の隙間から言葉が溢れる。

 

「──絶対に触らないでください」

 

 言うだけ言って、今度こそ後藤さんは走り去ってしまう。

 残された私の耳には、とても真剣で、明瞭に聞こえた最後の忠告だけがこびり付いていた。

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

「あら、スマホどこに仕舞ったっけ……?」

 

 そのあと、つまり後藤さんが脱兎の如く去ってしまったあと、モヤる気持ちはありつつも今日のところは帰ろうとしたタイミングで、私は気づいた。

 スマホがない。

 カバンの中にも制服のポケットにもない。

 これは由々しき事態だ、自他共に認めるSNS中毒の私にとって、スマホはもはや3本目の腕みたいなもの。自分の腕をその辺に置き忘れるなんて、今日の私はやっぱりダメダメだ。

 え〜と、教室で練習してたときは確かにあったわよね。お手本用に動画流していたし、間違いない。

 そのあとは先生と話して、帰り際に後藤さんと会ったから……あるとしたら教室、よね? 他に選択肢はないはず。

 もう部活時間も終わって校内はガラガラだし、ささっと回収して私も帰らなきゃ。

 気持ち駆け足で教室に向かって廊下を進めば、人気がないのもあって自分の足音がやけに大きく聞こえる。

 他に人影はないけれど、音が反響するせいで自分の真後ろを誰かが歩いているような、そんな感覚がした。

 思わず足が止まる。

 いや、いやいや。流石に気落ちしすぎよ私ってば。大丈夫大丈夫、後ろには誰もいないしスマホはすぐ見つかるしギターだって教えてもらえればきっとライブに間に合う、だから私は大丈夫。

 大丈夫、なんだから。

 脳裏に浮かぶ嫌な未来予想を追い出すように、私はかぶりを振った。

 ……ただ一応、念のため、後ろを振り返って確認してみる。当たり前だけど廊下には誰もいやしない、奇妙な矢尻の『石の矢』が転がっているだけだ。

 よし、後方確認終了。誰もいないわね。だ、れも……??

 もう一度振り返る。

 どこかで見た矢だ。

 どこかで、というか今さっき後藤さんが私に見せた絵の、『石の矢』だ。

 モノクロの絵では分からなかったけど、矢は深い金色をしていた。40cm程度の長さで、不思議と目を惹かれる、目が離せないと言ってもいい。

 一歩、また一歩と私は矢に近づく。

 あとはもう屈めば手の届く距離だ。

 ほら、こうやって──

 

 『絶対に触らないでください』

 

 …………っ!?

 すんでのところで手を止められたのは、後藤さんの言葉を思い出せたからだ。

 この『石の矢』やっぱり変よ、そんなつもりは全くなかったのに、ほぼ無意識で手を伸ばしていた。

 というより、そもそも。

 たった今通り過ぎたはずの廊下に、なんで矢が落ちてるの? こんな目立つものを見落とすはずがないのに。

 心臓の音が、心拍数のあがる音が聞こえる。

 あー、もう。

 なんでまたスマホがない時に限って、いや仮にあっても後藤さんとは連絡先の交換してないから意味ないかもだけど。

 どうしよう、触れないからって放置するのも危ないだろうし。

 うん、とりあえずスマホ、スマホを取りに行こう。誰か後藤さんの連絡先を持ってるかも、それで彼女に矢があるって伝えられれば……

 目を離すのも怖いけど、仕方ない。

 やること決めたらさっさと動く。自分にそう言い聞かせて、私は教室へ行くため矢に背を向けた。

 そして。

 ストン、と。信じられないほど軽い音がして。

 『石の矢』が私の心臓を貫いた。

 

「…………え?」

 

 身体が熱い。

 貫かれた左胸だけじゃあなくて、そこから指の先までの全身が燃えるように熱い。

 なのに、私にはもうどうすることもできない。

 貫通した矢尻が私の血に濡れて、赤く光っているのが見える。

 それまでだ。

 私が見られたのは、それまで。

 意識が暗転する。

 

 これが、始まり。

 私という人間が転がり出すまでの、『物語』の始まり。

 そうだ。

 

 この『物語』は

 わたしが転がり出す物語だ

 

 肉体が……

 ……という意味ではなく

 夜空の星から泥道の石という意味で……

 

 わたしの名前は

 『喜多郁代』

 

 最初から最後まで

 本当に謎が多い少女「後藤ひとり」と

 出会ったことで……

 

 




To Be Continued
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。