喜多郁代の徐々に奇妙な冒険──Like a Rolling Stone── 作:ほっこく
ふわふわと浮いているような感覚がする。
これは、あれね。
朝目を覚ます前の、意識は覚醒しつつあるけど体はまだ寝てるときのやつ。もう夢とかは終わってて、あとはただ目覚めるだけの数瞬間。
でも私、いつ寝たんだっけ……?
お風呂とか、お夕飯とか、そもそも家に帰った記憶もないような……
おかしいわね、上着に水をかけられたり小テストが散々だった記憶はあるのに、そこから先の、具体的には放課後の記憶が薄ぼんやりとしてる。
え〜っと、確かギターの練習をしてて、坂似先生と話して……そうそう、後藤さんとも知り合って少しだけお話ししたのよね。
それで、そのあとは……
あぁ、そうだ。
思い出した。
私は死んだんだ。
『石の矢』に後ろから心臓を貫かれて。
そんな事実を、私は今更ながらに思い出した。
いくらなんでも唐突すぎる。
まだ高校生になったばっかりなのに、バンドだってまだ一回も演奏してない。ちゃんとギター弾けるようになって、堂々と先輩達の横に並びたかった。
友達とやりたいことだって山ほどあったし……お、お母さんとお父さんに、もう会えないんだ。
それがとても、とても悲しい。
……けど、じゃあ待って。今のこの時間ってなんなの? いわゆる走馬灯的な? でもなんの過去バナも流れてこないし、なんだったら最初の頃より意識がはっきりしているような気すらする。
ほら、まるで誰かに手を引かれて身体が浮き上がっているみたい。
そう思って見上げれば、頭に地球儀の被り物をした細身で人形っぽい誰かが私の手を掴んで引っ張り上げようとしていた。
「いや誰?! というより何?!」
つい叫んでしまった。
がらんとした廊下に私の声が虚しくこだまする。
「あ、あれ。ここ廊下だわ、学校の」
そう、廊下だ。
体感時間ではほんの少し前に私が死んだはずの、まさにその場所だ。
そっと左胸に手を添える、ちゃんと心臓が脈を打っている。私、生きてる!!
見れば制服には血の染みなんて付いてないし、廊下も綺麗なままだ。極め付けにあの『石の矢』がどこにもない。
……あれは夢だったってことなの? いくらギターの練習で寝不足気味とはいえ、放課後に廊下のど真ん中でうたた寝するなんて。
正直なところ違和感しかない。
ただ、現状への疑問は尽きないけれど、時間には限りがある。
端的に言えば、我が家の門限が迫っていた。
いっけない、すっかり忘れてたわ……っ。
母はルールに厳しい人だ。
門限破りなんてした日には、その日が私のバンド除名日になってしまう。
でも間に合うか結構際どいのよね、先に少しだけ遅れるかもって連絡したら許されないかしら。まだ決まったわけじゃないけど、一応ね、保険をかけといたほうが……って、あぁそうだスマホ!! スマホを取りに行かなきゃ。
そのために戻ってきたのに、今日はなんだかイベントが盛り沢山で疲れちゃった。
そんなことを考えながら、私は教室のドアを引いた。
「あら、さっきぶりね喜多さん。なにか忘れ物?」
教室には先客がいた。
数学の坂似先生だ。
いつも柔らかい笑みを浮かべてて、なぜか眼だけは気怠げな人。
にしては、妙に溌剌な雰囲気を感じる。
「えと、机にスマホ置きっぱなしにしちゃって」
「そうなんだ、もしかしてこのスマホだったりする? 今拾ったんだけど……」
そう言って坂似先生は手に持ったスマホをこちらに見せた。
うん、パステルピンクに白色の手帳型ケース。間違いない、私のスマホだ。
「それです!! 私のスマホ、先生ありがとう〜」
「いえいえ、どういたしまして。あ、そうだ喜多さん。私も今探してるものがあってね」
えっ、なにかしら。
私このまま踵を返して自宅にダッシュしなくちゃなのに、先生の探し物を手伝う流れだったりする?
思わず身構えてしまった私に、坂似先生は極々マイペースにこう告げた。
「『石の矢』を見たよね? 金色で、40cmくらいの」
「…………は、え??」
言葉が詰まる。
頭の中がゴチャゴチャして、上手く考えがまとまらない。
坂似先生は、私の反応を見越していたように、あくまで朗らかに笑った。
「あはは、そっか見たんだ。見たんだね〜喜多さん……じゃあ、コレも見えるのかな」
先生が呟くと、机の上に巨大なカニが現れた。
……えぇ??
あまりに突拍子もない展開が続いて私の脳みそはもうパンク寸前って感じだ。
でもカニだ、カニがいる。
机の上に、横幅が1.5mはありそうなカニが跨っている。
体が白色を基調としていたり、関節のパーツが捻れたパイプに見えたりと、現実のカニとはいくつか違う点もあるけど、概ねカニだ。
私の態度から、なにかを察したらしく、先生はますます上機嫌になって歩み寄ってきた。
「見えるんだね……じゃあ、あなたが『矢の守護者』ってことでいいのかな?」
「え〜と、先生? 私ホントに何が何だかよく分からな──」
「さぁ矢を渡しなさい!! 『キャンサーズ』!!」
言うが早いか、カニはその見た目からは想像できないほど軽やかに走り出す。
私に向かって一直線だ。
「だから人違い!! 人違いですって!!」
なによ『矢の守護者』って!! むしろ襲われた側なんだけど?!
恥も外聞もなく、壁に体当たりする勢いで横っ跳びした私の、元いた場所をカニが突き抜けた。
進行上の机にハサミを振り下ろす。
メキャアッ!! と、冗談みたいな勢いで机が潰された。
背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒が走る。もし、あんなもので殴られたら今度こそ死んでしまう。
「いいのよ喜多さん、遠慮せずに見せてみて、あなたの『スタンド』を!!」
「もうっ、知らないってば!!」
勢いよく振り回されたハサミを避けられたのは、もうほとんど偶然で、運が良かったからとしか言いようがない。
私の代わりにひしゃげた椅子と机が、教室の床を埋めていく。これじゃあ足の踏み場がなくなる一方だ。カニはそんなのお構いなしに突っ込んでくるんだから、廊下に出て一階まで降りなきゃ。
広い場所まで行ければ逃げ切れるかもしれない。
幸い、今ならまだカニと距離が取れている。
私は覚悟を決めて教室のドアに突貫した。
「素直だなぁ喜多さん、動きがと〜っても素直」
「あぐぅ?!」
背中になにか固いものを叩きつけられ、私は床に転がされた。
なんで、カニはまだ向こうにいたはず。
目線をやれば、そこにはハサミを振り抜いたあとのカニが見える。そっか、椅子を投げつけたのね。確かにそれなら距離は問題じゃなくなる。
「うーん、戦い慣れてない。というより成りたて……? まさか、活動を再開した矢が選んだ1人目ってこと?」
ブツブツと独り言を続けながら、坂似先生とカニが近づいてくる。
に、逃げなきゃ。逃げなきゃいけないのにっ。
駄目、まだ身体が言うことを聞かない、背中から響く鈍痛で足腰に力が入らない。
助けを呼ぼうにも息がうまく吸えないせいで声が……
「ごめんね〜喜多さん、目撃者は残せないの。この身体だと色々とルールが多くて、困っちゃう。だから、ね?」
なにが、ね? よ、
こんな理不尽があっていいんだろうか。
学校で先生に殺されかけてるだけでも異常事態なのに、死因はカニに潰されました、とか。
本当に、今日はなんて日なんだろう。
朝から不幸続きで、死んだと思ったら生きてるし、そしてまた死のうとしてる。しかも教室の床に転がされたまま。
『肝心なのは出会いですぞ。人との出会いが、あなたを良くも悪くも転がすことになるでしょう』
ふと、数ヶ月前に聞いた、老婆の占いを思い出す。
……え? 転がされるって、そういう意味? 物理的な話なの? こう、なんていうか比喩的な表現じゃなくて??
わっかんないわよ! そんなの〜!!
心の中でそう叫んでいると、もう目の前にカニがいた。大きくハサミを振りかぶっている。
「さようなら、喜多さん」
「いやー! 人生最後に考えることが占いへのダメ出しなんて絶対いや!!」
ハサミが叩きつけられる。
そして、私の身体はドアの方向へ数十センチほど引き寄せられた。
「あら……?」
坂似先生が不思議そうに首を傾げる。
けど私も同じくらい意味が分からない。
なに、今の。背中を引っ張られた、とかじゃなくて、身体が丸ごと動いたような。変な感じだった。
「……そう、目覚めつつあるんだね。なら余計に見逃せない」
止めてくれないかしら、そうやって1人で勝手に納得するの。
ヨロヨロと壁を支えに立ち上がる。
謎現象のおかげで寿命がちょっぴり延びた。
ただ、ちょっぴり延びただけになるかも。
まだ膝が笑ってて走れそうにないもの。
だから、次の一撃はきっと避けられない。
ハサミを限界まで広げたカニが、そのまま勢いをつけて襲いかかってくる。数十センチ動けたくらいじゃ、どうしようもない範囲だ。
でも、だからって諦める理由にはならないと思った。
目をつぶらずに、正面から相手をよく観る。
頭とか、心臓とか、絶対に守らなきゃいけない場所への直撃だけはダメだ、他を犠牲にしてでも耐えてみせる。
それが私の精一杯だから。
カニが迫る。
そして、私は聞いた。
「あっ、『アローン・アゲイン』」
自信がなさそうな、か細い声だった。
背後から聞こえた、その声を合図にカニの動きがピタリと止まる。
正確には、止められた。
カニの両ハサミを掴んだ、宙に浮く二本の腕にだ。
振り向けば、そこには顔を青くしたピンクジャージの少女がいた。
坂似先生が目を細める。
「あなたは、確か2組の……あーっと、」
「後藤さん?! どうしてここに」
明らかにうろ覚えな先生を無視して問いかけたところ、後藤さんは目線を下に向けたまま息も絶え絶えに話し始めた。
「あっ、その……ぜぇ、矢を探してたら音が聞こえて、はぁ、走ってきたんで、すけど。い、息が持たなくて……」
「う、うん。助けてくれてありがとう後藤さん。無理しないでね」
「あっはい」
助けてもらっておいてアレだし、どの口でって話なんだけれど……大丈夫なのかしら。
「そうそう後藤さんね、貴女いつも学校指定じゃないジャージ着てるって職員室で話題に上がっていたよ??」
「ゔぇ?! あっ、す、すみません……!!」
大丈夫じゃなさそう。
「しっかりして後藤さん!! よく分からないけど先生をやっつけに来てくれたんでしょ!?」
「あっはい」
返事をするや否や、二本の腕がカニを押し込みにかかる。こうして見ると腕というより歴史の教科書で見た金属鎧の、肩までのパーツみたいだ。
肘の部分から手首にかけては数本のチューブが伸びていて、機械のような印象も受ける。
そして何より、一目見て
最初は拮抗していた押し合いも、少しずつ後藤さん優勢に傾いているように見える。それにともなって余裕があった先生の表情も次第に強張っていく。
「このパワーっ、『キャンサーズ』以上の破壊力を……っ!! まさかあなたが矢の──」
「あっ、『アローン・アゲイン』」
「──なぁ?!」
決定打になったのは、後藤さんの背後から現れた三本目の腕だ。ハサミを掴まれて身動きの取れないカニを、上から滅多撃ちにしていく。
一発、二発、三発と腕の大きさからは考えらない威力の打撃音が響いて、甲羅の破片が辺りに散らばり、最後に一際大きな音が鳴った。
見れば、カニの甲羅が真っ二つに割れている。
やった、後藤さんの勝ちだ。
けど当の本人はそう思っていないようだった。
「ほ、本体へのフィードバックがない……それ、に、この手応えのなさ、これって……」
どことなく険しい顔の後藤さんに対して、坂似先生はしてやったりと口元を歪めた。
よく観れば真っ二つに割れていた甲羅が、ひとりでに細かくなっていく。
いや、そうじゃあない。元々が細かいんだ。
大きいと思っていたカニは、小さいカニの集合体だった。
「そう、お察しのとおりだよ。私のスタンドは個にして群、群にして個。それが能力」
更に言うなら、と先生は高らかに告げた。
「『キャンサーズ』!! すでにッ!! 包囲網は完成しているッ!!」
ガチャガチャと音がする。
四方八方に散らばった椅子と机の隙間から、無数のカニが私たちを威嚇している音だ。
完全に囲まれた、一体いつの間にこんな。
「こ、甲羅の破片……っ」
後藤さんの呟きで私も理解した。あの小ガニ達は大本のカニから剥がれた甲羅で、坂似先生は狙ってこの状況を作ったのね。
「認めるよ後藤さん。確かに、素のスタンドスペックはあなたの方が高い。けど……喜多さんを守りながら、この『キャンサーズ』を捌き切れるかなぁ?!」
坂似先生の言葉で、無数の小ガニがハサミを鳴らしながら殺到する。
言われなくても分かってる。
私はお荷物だ。
後藤さん一人なら切り抜けられるのであろう状況を、危機的にしてしまっているのは私の存在で、だから私は。
「後藤さん、私のことはいいから!! 先生を止め──」
「あっ、『アローン・アゲイン』!」
……へ?
足もとが消えた。
浮遊する腕の一本が教室の床を殴った直後のことだ。
殴りつけた箇所を中心として、足もとの床が直径2m程度の円を描くように、綺麗さっぱり消え失せた。
間抜けな声とカニ達をその場に残して、私の身体は下の階へと真っ逆様に落ちていく。
「きゃあ!! お、落ち──てない?!」
「あっ、き、喜多さん。だだだ、大丈夫ですか」
た、助かった。
後藤さんが操る3本の腕に救われたみたい、器用に両脇を抱きかかえてるから安定感が凄いわ。
「大丈夫、ありがとう後藤さん。また助けられちゃったね。でも今のって……」
「あっ、はい。『アローン・アゲイン』。き、教室の床を仕舞って戻しました。わっ、私のスタンドは仕舞ったり戻したりする、能力なので……」
彼女が天井を指差したので釣られて見ると、私たちが通ってきた穴は、まるで最初からなかったかのように消えていた。おかげでカニ達が穴から追いかけてくることもない。
え〜っと、つまり後藤さんの力ってことなのよね? 凄いわ後藤さん、超能力者みたい。でもでも、そんな便利な力があるなら。
「それで坂似先生を仕舞っちゃうのはダメなの?」
「あっ、その、スタンドとスタンド使い、あああとスタンドの影響を受けているものは仕舞えなくて……つ、使えない能力ですみません」
「あぁ小ちゃくならないで後藤さん!! 先生はその、すたんど使い?? だから無理ってこと??」
「あっはい」
スタンドとか、スタンド使いとか、その辺は意味不明だしあとで絶対に説明してもらうつもりだけど、だったら話は早い。
「なら私を仕舞って、そしたら戦えるのよね??」
「あっ、えっ、き、喜多さんを?!」
狼狽える後藤さんに私は迷わず頷いた。
さっき坂似先生も正面からだと分が悪い、みたいなこと言ってたし、足手まといがいなくなれば後藤さんはきっと勝ってくれる。
「ほ、本当にいいんですか? まま前にやったときは、戻したあと悪酔いしてるし、記憶の混濁も見られるから二度とやるなって、い、言われてて…….」
「それ聞いて今凄く後悔してるけど、二言はないから!!」
だから絶対勝ってよね。
そう言うと、後藤さんはコクコクと小さく何度も首を縦に振る。
そして宙に浮く腕、後藤さんが『アローン・アゲイン』と呼んでいたうちの一本が私に触れた。
……触れたんだけど、なにも起こらない。
どういうこと? 今の話だと前例はあるみたいだし、人間はダメってわけじゃなさそうなのに。
何かの不具合を疑ったのか、後藤さんは再チャレンジをすることにしたらしい、もう一度腕が私の肩に触れた。
しかし私は依然として変わりなくここにいる。原因はなんなのかと、肩に触れっぱなしの腕へ視線を向けると、後藤さんは教室へ来たときよりも真っ青な顔で言った。
「あっあの、喜多さん。も、もしかして、見えてます??」
「この腕のこと?? こんなに目立つんだもの、ちゃんと見えてるけど……」
むしろ見逃すことなんてある??
当たり前のことを答えたつもりだったのに、後藤さんの顔色は青を突破してドリンクバーの飲み物を全部混ぜたような色になりつつあった。
「あっあっ、どどど、どうして……最初は見えてなかったのに、まっまままさかぁ……きっ、喜多さん!! あっ、あのあと『石の矢』を見たりは、してないですよね……??」
「えっと、見たっていうか……矢に刺される夢を見たっていうか──」
正直なところ、アレが実際起こった出来事なのか半信半疑ではあるし、ぶっちゃけると今は生きてるんだから夢でも現実でも問題ない、みたいな。
でも後藤さんからすると大問題だったようね。
彼女はその場で膝をつき、両手を膝の前に揃えて深々と頭を下げた。ついでに三本の腕も肘を曲げて指先を床につけている。
今にも死にそうな声色で、後藤さんは懺悔した。
「たっ、大変申し訳ありません……私が矢を仕舞っておけなかったせいで……」
「だから土下座はやめて〜!! よく分からないけど私、怒ってないから!!」
「でっ、でも矢に刺された人は、しし死ぬかスタンド使いになるかの二択なので」
「え、じゃあ私ホントに死ぬところだったの??」
「あっはい」
そこは嘘でも誤魔化して欲しかった……
けど、待って、矢に刺されたら死ぬかスタンド使いになるかの二択で、スタンド使いっていうのは後藤さんや先生みたいな超能力者のことよね。
私はまだ生きてる……なら、そういうことなの??
「後藤さん、私は生きてるわ。ってことは」
確認を取るため口を開くと、求めていた言葉が即座に返ってくる。
「あっはい、スタンド使いです。そ、そもそもスタンドが見えるのはスタンド使いだけ、だから……」
自宅で私の帰りを待っているはずのお母さん、お父さん。
あなた達の娘は、どうやら超能力者になったようです。
To Be Continued