氷の心と、繰り返す誓いの熱 ~Re:Zero Starting Life in Another World Side:Emilia~   作:こてつ

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「どうしてあなたは、そんなに傷だらけになってまで、私を愛してくれるの?」

これは、そんな問いを抱き続けるエミリアの視点で描く『Re:ゼロから始める異世界生活』です。
スバルの「死に戻り」を知らない彼女にとって、彼の献身はあまりに不可解で、痛々しく、そして温かいものでした。

第1話で描くのは、王都の路地裏で起きた「最初の出会い」。
スバルの死に戻りによって世界が再構築された今、エミリアの記憶からは永遠に失われてしまった時間軸の物語です。

「サテラ」と名乗った理由。
最期にスバルの手を取った時の心情。
なかったことになった時間の中で、彼女が抱いた氷解の予感を綴ります。


第1章 見過ごせない性分

1.焦燥と路地裏

 

「待って! 返しなさい!」

王都の通りを駆け抜けながら、私は焦燥感に胸を焼かれていた。

人混みを縫うように逃げていく、小柄な金髪の少女――フェルト。その手には、私の運命を握る『竜の徽章』が握られている。

あれがなければ、私は王選に参加することさえできない。ロズワールとの契約はおろか、スタートラインに立つことすら許されないのだ。

「パック、どっちに行ったかわかる?」

「微かだけど、気配は貧民街の方へ向かってるね。でもリア、だいぶ焦ってるよ。マナが乱れてる」

頭の中に直接響くパックの声に、私は足を止めずに深呼吸をする。

わかってる。焦っても仕方ない。でも、心臓が早鐘を打って止まらない。もし見つからなかったら? もし、あの大事なものが悪用されたら?

「……お願い、見つかって」

祈るような気持ちで、私は貧民街へと続く薄暗い路地へと足を踏み入れた。

路地裏に入ると、独特の湿った空気と異臭が鼻をついた。

急がないといけない。一刻も早く。

そう逸る気持ちにブレーキをかけたのは、路地の奥から響いてきた下卑た怒声と、鈍い打撃音だった。

「――!」

足を止める。関わっている時間はない。徽章を取り戻すのが最優先だ。

理性がそう叫ぶ一方で、私の足は勝手に音のする方へと向いていた。

角を曲がった先。そこには、三人の男たちに囲まれ、地面にうずくまる黒髪の少年の姿があった。

珍しい服装をしている。見るからに弱そうで、ボロボロに痛めつけられて。

それでも、彼は必死に何かを叫ぼうとしていた。

(……見過ごせないわ)

私は心の中で深いため息をついた。

本当に、私は損な性分だ。自分のことすらままならないのに、目の前の誰かが傷つくのを無視できないなんて。

でも、もしここで通り過ぎたら、私はきっと一生後悔する。

「――そこまでよ、悪党」

私の口から出たのは、自分でも驚くほど凛とした声だった。

男たちが一斉にこちらを向く。

そして、助けられた少年の顔が上がった。

黒い瞳。血と泥にまみれた顔。

私を見た瞬間、彼の表情が凍りつき――次の瞬間、まるで世界で一番美しいものを見たかのように、間抜けなほど純粋な感動に染まるのが見えた。

男たちは私に気圧されたのか、あるいは私の背後に浮かぶパックの気配を感じ取ったのか、捨て台詞を吐いて逃げ出した。

路地に静寂が戻る。私は氷のマナを霧散させると、彼に向き直った。

「期待されてるとこ悪いけど、全然知らない」

徽章を盗んだ少女について尋ねた私への答えは、残酷なまでの否定だった。

がっくりと肩を落とす私を置いて、彼は「なんなら手伝うけど」と強がって立ち上がろうとし――そのまま糸が切れたように、顔から地面に倒れ込んだ。

鈍い音がして、彼が動かなくなる。

「……で、どうするの?」

「関係ないでしょ。死ぬほどじゃないもの、放っておくわよ」

パックの問いかけに、私はつんと顔を背けて歩き出す。

そう、関係ない。私は助けた。それで十分。これ以上、時間を無駄にはできない。

……でも。

背後から聞こえる、苦しげな呼吸音。

頭を打っていた。このまま誰も来ない路地裏で、もしものことがあったら?

「……うう、もうっ! わかったわよ!」

私は踵を返し、倒れている少年のもとへと駆け寄った。

本当に、私はどうしようもないお人好しだ。

 

2.膝枕の理由

 

少年が目を覚ますまで、少し時間がかかった。

治癒魔法で外傷は塞いだものの、彼はなかなか意識を取り戻さない。

仕方なく、私は路地の隅に座り込み、彼の頭を自分の膝に乗せて様子を見ることにした。

(うなされて頭を動かしたら危ないもの。これは治療の一環よ)

そう自分に言い聞かせる。

パックが巨大化して、私の膝の上で眠る少年を面白そうに覗き込んでいた。

「リア、膝枕なんてしてあげて、優しいね」

「違うわよ。これは……そう、監視。彼が変なことをしないように見張ってるの」

「はいはい、そういうことにしておこうか」

私の膝の上で、少年は無防備な寝顔を晒している。

黒髪に、三白眼。この国ではあまり見ない容姿。

不思議と、彼からは悪意を感じない。むしろ、どこか懐かしいような、安心するような匂いがする気がして……私は無意識に、彼の髪に指を滑らせていた。

やがて、彼が身じろぎをした。

「あ、目が覚めた?」

彼が目を開ける。

状況を理解した途端、彼は「美少女の膝枕か!」なんて叫んで、あろうことか私の太ももの感触を楽しもうと頬ずりをしてきた。

……やっぱり、変な人。

巨大化したパックを見ても、「モッフモフやぁ」などと危機感のないことを言っている。

彼――ナツキ・スバルと名乗った少年は、何も持っていないと言いながら、私を手伝うと申し出てきた。

恩返しがしたい、と。

一度は断った。巻き込みたくないし、役に立つとも思えなかったから。

けれど、彼は食い下がった。

「俺は恩返しがしたい。貸し借りはきっちり返す。そうでなきゃ気持ちよく寝られねぇ」

その瞳は、真っ直ぐだった。

無力で、無一文で、事情も知らない異邦人。それなのに、どうしてそんなに必死になれるの?

まるで、私を助けることが自分の使命だと言わんばかりに。

「邪気は感じないし、素直に受け入れておいた方がいいと思うよ?」

パックに諭され、私は渋々彼の手を借りることにした。

……嘘。本当は少し、嬉しかったのかもしれない。

損得勘定抜きで、ただ純粋な好意で私を助けようとしてくれる存在が、今の私には眩しかった。

 

3.「サテラ」という名の嘘

 

貧民街への道すがら、スバルはずっと喋り続けていた。

「九時五時とか公務員みてぇだな……精霊の雇用形態も案外シビア……!」

「アルミ缶の上にあるミカン!!」

「足が痙攣したから家にけえれん(帰れん)とかどうだ」

彼の口から飛び出すのは、聞いたこともない言葉や、意味不明な冗談ばかり。

私が理解できずに首を傾げると、彼は悔しそうに頭を抱える。

「公務員」? 「アルミ缶」? 東の国の言葉なのかしら。

その必死でおどけた様子がおかしくて、少しだけ笑ってしまった。

彼の隣にいると、徽章を盗まれた焦燥感が少しだけ薄れる気がする。

「そういえば、なんだけどさ」

ふいに、スバルが私を見上げた。

「けっきょく、飼い猫の名前は聞いたけど、君の名前は聞いてないなと思ったり」

心臓が跳ねた。

名前。

銀色の髪、紫紺の瞳、ハーフエルフ。

そして私の本当の名前を知れば、彼はどう思うだろう。

今まで通り、気安く笑いかけてくれるだろうか。それとも、他の人たちのように、恐怖と憎悪の目を向けて去っていくだろうか。

――怖い。

この心地よい距離感が、壊れてしまうのが。

だから私は、とっさに最悪の嘘を吐いた。

「――サテラ」

嫉妬の魔女の名前。この世界で最も忌み嫌われる禁忌の名。

これを聞いて離れていくなら、それまでだ。あるいは、彼を遠ざけるための防壁として。

「お?」

けれど、スバルの反応は拍子抜けするほど軽かった。

「サテラとでも呼ぶといいわ」と私が重ねて言うと、彼は少し考え込んでから、「呼びにくいから」と笑った。

魔女の名前を知らない? それとも、気にしない?

私の卑怯な試し行為すら、彼は無自覚に乗り越えてしまう。

「――趣味が悪いよ」

パックの呟きが胸に刺さる。わかってる。私は臆病だ。

でも、もう少しだけ。この「お節介な異邦人」との奇妙な時間を、続けていたかった。

 

4.闇、そして熱

 

日が暮れ、パックが結晶石の中へ戻ると、世界は急速に冷たさを増した。

スバルと二人きり。心細さがないと言えば嘘になる。

でも、彼が隣で「任せろ」と空元気を張り続けてくれるから、私は前を向いていられた。

たどり着いたのは、貧民街の最奥にある盗品蔵。

巨大な防壁を背にしたその建物は、不気味な静けさをまとっていた。

「ここは俺に任せてくれ」

スバルが前に出る。

いつもなら止める場面だ。危険だから。彼は弱いから。

でも、彼が私を見る目には、不思議な力があった。「信じてほしい」と訴える、強い光。

「スバルを信じてみる。……うまくいったら儲けものぐらいの気持ちで」

「そこは後半を本音じゃなくて、『私のために頑張って』ぐらい言った方がやる気出るぜ?」

減らず口を叩いて、彼は暗い蔵の中へと入っていった。

私が渡した微精霊の光が、闇の中に吸い込まれていく。

……遅い。

外で待っている時間は、永遠のように感じられた。

壁に耳を当てても、中から何の音も聞こえない。

話し声も、物音もしない。あまりにも静かすぎる。

胸騒ぎがした。

スバルの言いつけ通り、外で待っているべき?

いいえ、もし中で彼に何かあったら。私は彼を巻き込んだのだ。私のために、彼は危険な場所に飛び込んでいったのだ。

「――やっぱり、待ってられない」

私は扉に手をかけた。

その先に、あんな絶望が待っているとも知らずに。

扉を開けた瞬間、鼻をついたのは鉄錆の臭い――濃厚な血の臭い。

暗闇の中に、微精霊の光が転がっている。

その頼りない光が照らし出したのは、床に広がる赤い泉と、そこに倒れているスバルの姿だった。

「――バル?」

思考が停止する。

駆け寄ろうとした、その瞬間だった。

背中に、熱い衝撃が走った。

痛みよりも先に、焼けるような熱さを感じた。

何かが、私の体を切り裂いたのだと理解するのに、数秒かかった。

力が抜ける。

地面が迫ってくる。

視界が霞み、赤い色が世界を覆い尽くしていく。

(ああ……どうして)

私は倒れ込み、冷たい床に頬をつける。

すぐ目の前に、スバルの手があった。

だらりと力なく伸びた、白い手。

私の指先が、彼の指に触れる。

ごめんなさい。

巻き込んでしまって、ごめんなさい。

あんなに一生懸命、私のために動いてくれたのに。

名前も、本当のことを教えてあげられなかった。

意識が途切れそうになる中、かすかに、彼の手が私の手を握り返してくれた気がした。

「……っていろ」

声が聞こえた。

幻聴かもしれない。虫の息のはずの彼から、そんな力強い声が出るはずがない。

でも、その声は確かに彼のものだった。

「俺が、必ず――お前を、救ってみせる」

そんなこと、言わなくていいのよ。

あなたはもう、十分頑張ったじゃない。自分の命を落とすほどに。

 

意識が遠のいていく。

氷のような私の心が、最後に感じたのは、彼の手の温もりと――その言葉に宿る、火傷しそうなほどの「熱」だった。

――こうして、私の「最初の」物語は幕を閉じた。

これから始まる、繰り返される運命の歯車を知る由もなく。

 




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第1話、いかがでしたでしょうか。
スバル視点では「訳も分からず殺された」1周目ですが、エミリア視点だと「見ず知らずの少年が命がけで守ってくれた」という、全く違う色合いの物語になります。

最後、薄れゆく意識の中で聞いた「救ってみせる」という言葉。
この言葉と温もりが、死に戻りによってリセットされた世界でも、彼女の魂のどこかに残っていたらいいな……そんな願望を込めて書きました。

次回、世界はリセットされます。
スバルにとっては「2周目」ですが、エミリアにとっては「新しい1周目」。
記憶をなくした彼女と、記憶を背負ったスバルの、切ないすれ違いが始まります。

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