クソデカハムスターに転生した俺、2000年努力して最弱から魔王になる 作:yumui
レリクイア第二課題の舞台――シャーウッドの森。その早朝、森の奥で小さな影が動いていた。
茶色の髪を肩で束ねた少女が、湿り気を帯びた落ち葉の匂いの中でしゃがみ込み、指先で青いキノコを摘み取る。キノコは月の名残りのように淡い光を帯びており、彼女の白い指にかすかな青を移した。
少女の顔の左半分は、布の重ねあわせで丁寧に覆われている。包帯の隙間から漏れる光さえ拒むように、静かで、触れれば壊れそうな影があった。
「……これだけあればいいかな」
小さく言うと、少女――ヒュッテは籠を抱え、森の奥へ伸びる細道を歩きはじめる。鳥の声の代わりに、不規則な風の音が枝を揺らし、時折ひそひそと話し合うようなざわめきを落としてきた。
森の奥にひっそりと立つ、苔むした丸屋根の家。煙突から細い煙が上がっている。
扉を開けると、薬草の匂いが一気に流れ出し、優しい緑髪の魔女が振り向いた。
「おかえり、ヒュッテ」
「ただいま、スランさん」
ヒュッテは籠を差し出し、スランはその中身を見てふっと微笑む。
「青いキノコ、今日もきれいに採れたわね。ちょうど実験していたところなの」
家の奥では、淡い赤の薬液が煮立ち、所々で星屑のような光が弾けている。ヒュッテは湯気に包まれながら、遠くの空を見つめるように口を開いた。
「もうすぐ……レリクイアの挑戦者たちが、この森に来る頃ですよね」
「そうね。人が増えると賑やかになって、少し面倒でもあるけれど……。ヒュッテ、お前は本当に参加しないの?」
スランは振り返り、少女の包帯を見つめる。
ヒュッテは胸の奥を押しつぶされたように顔を伏せた。
「わたしには……無理です。」
「優勝すれば、お前の呪いを解けるマジックアイテムが手に入るかもしれないのに」
それはヒュッテ自身、一度は夢見たこと。
包帯の下の“呪い”は、夜ごとに疼き、心の奥を黒く塗りつぶそうとする。
しかし、彼女は静かに首を振った。
「……でも、わたし、怖いんです。挑戦するのは」
スランはひとつ息をつき、少女の肩に手を置く。
「いいのよ。選ばないのも自由。ここにいるなら、私が守るから」
ヒュッテの張りつめた表情が、ようやく少し緩んだ。
その瞬間、森を渡る風が、遠い気配を運んできた。
「ここが第二課題、シャーウッドの森……」
エルベリスは、森に足を踏み入れた瞬間、体の芯をひやりと撫でる空気を感じた。
森は薄明かりだけを通し、木々が壁のように並んで道を狭めている。
「気をつけろよ」
リベットが肩で風を払うように言う。「ここは“迷いの森”とも呼ばれてる。普通の森と違って、入った瞬間から方向感覚がズレ始めるんだ」
「言われなくても、その雰囲気は十分伝わるよ……」
マリアが盾を握りしめ、ファウは耳をぴんと立てて周囲を見渡した。
リベットは歩きながら、ふと思い出したように語り始める。
「この森にはな、昔“鍵巫女”が住んでいたらしい。身体から眠りの魔香を生み出す呪いを持っていて、村にも街にも住めなかったんだと」
「……そんな呪い、あるんですね」
ファウが眉尻を下げる。
「ひどい話だろ。でもそこに、五大神のひとり“メリア”の血を引く救世主アリオスが現れた。巫女の願いを聞いて、森全体を“迷いの森”へと変えてやったんだ。巫女が、誰にも迷惑かけず暮らせるようにな」
「優しい人だったんだね」
エルベリスが呟く。
「まあな。逆に言えば、俺らみたいな挑戦者は余計苦労するわけだが……」
一行は薬草を採りながら進み、野生動物を仕留め、川辺で解体した。血の匂いを流し、水辺の風を浴びながら、焚き火で肉を焼く。
ぱちぱちと火が弾ける。煙が高く昇り、森の天井に吸い込まれる。
「……この森、夜は何が出てくるんだろうな」
ファウが串を回しながら言う。
「迷ったら最後、って話は聞くが……」リベットが骨を火に放り込む。「まあ、俺たちならどうにでもなるだろ」
マリアは焼けた肉を皿に移しながら笑った。
「この前のヒルカよりはマシだといいけどね」
その名を聞いた瞬間、エルベリスは無意識に自分の首元へ手を当てた。
あの金属音、あの圧。思い出すだけで心臓がひと跳ねする。
「……早く終わらせよう。この課題」
小さく呟いたその声は、森の奥の誰かに届いた。
なぜならその頃、森の深部の小屋で、ヒュッテが静かに窓の外を眺めていたからだ。
包帯の下で、淡い光が脈打つ。
外からスランの声がした。
「ヒュッテ、火を強くするから窓閉めておきなさいよー」
「はい……」
窓を閉じながら、ヒュッテは胸に手を当てた。
心臓の鼓動が、知らない運命を呼ぶように揺れている。
「もしも…私にも…………」
少女は祈るように目を閉じた。
森は、そっと彼女の願いを飲み込むように揺れていた。
朝霧の降りるシャーウッドの森。その奥で一本の川が細く光っていた。
小川のせせらぎは、森のざわめきを薄め、世界を柔らかい水色に染めてゆく。
その水辺で、ひとりの少女が静かに身を沈めていた。
茶髪を束ね、肌に触れた包帯が白く浮かぶ。
少女――ヒュッテは、腕をゆっくり洗いながら小さな息を吐いた。
レリクイアの挑戦者たちがこの森へ入ってきている。それがわかっているからこそ、朝の静けさを選んで水浴びに来ていた。
しかし――。
「……ん? あ、川だ! 水浴びできるじゃん!」
明るい声が木々をかき分けた。
ヒュッテは顔を上げ、たちまち肩を跳ねさせる。
現れたのは、昨日見た挑戦者たち。
マリアが目を輝かせ、リベットが呆れ顔で後に続き、ファウは眠たそうに髪をかき上げている。
エルベリスは荷物を抱え、半ば引きずられるように歩いてきた。
「ひっ……人……挑戦者……」
ヒュッテは胸元を押さえ、半分逃げ出しそうになる。
「ん?誰だ?」
「あ……あの、私は……その……」
「ん? 奇遇だなー。まあいいや!」
マリアはさっそく服を脱ぎ捨て、笑顔で両手を広げた。
「暑かったし、川で汗流そう! 先に入ってる人がいるなら安心だしね!」
「マリア、魔物の気配にもっと警戒しろって」
と言いながら、リベットも結局腰紐をほどきはじめた。
ヒュッテの警戒は、森の朝霧といっしょに薄れていった。
挑戦者たちは争う様子もなく、川の冷たさに歓声を上げ、ただ素朴に喜んでいた。
「エルベリス、ここ冷たいですね」
「ファウ、ちょ……ちょっと近かないか……!」
川の浅瀬で、ファウがエルベリスの背にぴたりと寄り添って座り込む。
背中に押し付けられる彼女の豊満な果実の柔らかさを感じて、エルベリスの心臓は慌ただしく跳ねた。
(やば…ちんこ勃ってきた…)
しかしその裏で、エルベリスは別の不安に落ちていた。
(……もしかして、俺、男として見られてない…?仲間内では可愛いペット扱いなのか……?)
胸が当たっているとか、それ以前の問題に思えてきて、彼は両手で顔を覆った。
マリアはリベットに水をかけ、リベットは笑いながら水をかけ返し、そんな中でエルベリスの心の中だけが、妙に複雑に渦を巻いていた。
ヒュッテはエルベリスに近づき、そっと声を落とした。
「私、ヒュッテって言います。あの……レリクイアって、どうですか?」
彼女の包帯越しの視線は、恐れと好奇心が混ざった色をしている。
エルベリスは正直に答えた。
「大変なことも多いけど……楽しいよ。新しいことばかりで、仲間と笑える時間があるから」
ヒュッテの胸に温かさが灯った。
そして、包帯に触れながら小さく呟く。
「……私、本当は……参加したいんです」
エルベリスは驚いて顔を向けた。
「王の宝物庫に、顔に掛かった呪いを解くアイテムがあるかもしれなくて……。でも……これは全部、私の魔法の失敗のせいで。…挑戦したら、また失敗するんです、きっと」
「怖いのか?」
その問いに、ヒュッテの喉がひくりと震えた。
答えようと唇を開いた、その時――。
「……な、なんだあれ!?」
「ひっ……!?」
木々の間から、もう一組の“エルベリスたち”が姿を現した。
「え? え!? 俺!? なんで俺がもう一人!?」
「こっちの私のほうが可愛いから本物よね?」
「貴方こそ偽物でしょ!」
マリアがマリアに食ってかかり、リベットは自分そっくりの人間と殴り合いはじめた。
ファウ三人は互いの体型を褒め合っている。
ヒュッテは震えながら状況を見つめていた。
「…………? あれ…?」
そして、さらに悲鳴。
「やっと着いたと思ったら……なんで俺たちがもういるんだ!?!?」
三組目の“エルベリス一行”が、心底困惑した顔で現れた。
川辺は混沌の坩堝となった。
落ち着く暇すらない中、ヒュッテが手を叩いた。
「ま、まってください! とにかく見分けをつけましょう!」
彼女の提案で、
川で水浴びしていたエルベリス組:右袖をまくる
最初に紛れ込んできたエルベリス組:左袖をまくる
最後に現れたエルベリス組:両袖をまくる
という識別方法が決まり、ようやく三組を区別できるようになった。
「で、エルベリスB、今朝食べたものは?」
「えっ……あ、やべ、なんだったか……」
「じゃ、じゃあお前は昨日食べたものを言えるのかよ!」
「それはもちろん……なんだっけ?」
「貴方こそ偽物よ!」
「そっちが忘れてんじゃん!」とマリア同士が噛みつく。
ファウ三組は相変わらず穏やかに談笑し、
リベットBとCは川で殴り合い、Aは必死に止める。
ヒュッテabcは三人揃って包帯を押さえ、眉間に皺を寄せていた。
そして――マリアABCが一斉に剣を抜こうとした瞬間。
「待って!!」
ヒュッテabcは同時に顔を上げた。
「たぶん……皆さん、全員が“本物”なんです!」
「……へ?」
「Aは昨日の記憶を無くし、Bは今日の記憶を無くしています。Cも何らかの記憶を。それぞれの記憶が断片的に消えているんです」
「“迷いの森”は、アリオスの奇跡で成り立ってます。
きっとこの川は“記憶を分割する水”になっていて……あなたたちは一時的に三つの自己に分かれてしまったんです!」
その言葉が、森の奥まで響いたかのように――。
三組のエルベリスが眩い光の粒となり、
重なり、
一人に戻った。
「……すごいな、ヒュッテ。森の謎を解いたんだ」
「え……えへ……」
ヒュッテは顔の包帯の下まで熱くなり、目をそらした。
気づけば夕日が森に伸び、空気は橙色に染まっていた。
「今日は、うちに泊まっていくのはどうですか?」
ヒュッテは指をもじもじと絡めながら言った。
「夜の森は危険だし……スランさんも喜ぶと思います」
「おお! 魔女の家か!」
「ぜひお世話になるよ」
「ファウ、荷物頼む」
「はい」
一行は笑いながら支度を整える。
その背中を見つめながら、ヒュッテの胸には小さな希望が芽生えていた。
(……まだ怖い。でも……この人たちとなら……もしかしたら…)
少女は包帯にそっと触れ、深く息を吸った。
シャーウッドの森は、その風でヒュッテの決意をやさしく撫でた。