「なんというか、年季が籠もっているというか……」
「ボロボロだね……」
戦車道履修者の前に並べられた戦車たちは、どこからどう見ても使えそうにない状態であると全員が思った。
秋山優花里は戦車に対する愛故か、どうにかしてお世辞を捻りだしたが、沙織はストレートに言い切った。
みほもこの場にいる全員と同意見というか、これで戦車道をやる気なのか、という最もな疑問が湧いて出てきた。
そもそも最初の時点でいきなり、戦車に乗るとか座学をやるとかではなく、
「どっかに戦車があるから皆で探してきて~」
と杏が言い出した時点で何となく不安、いや、はっきり言って嫌な予感がしていた。
こんな戦車の扱いなんて生まれてこの方、したことが無いしそもそも知らないみほにとって、色んな意味で新鮮だった。
黒森峰でこんな扱いを戦車にしたら、どうなるか恐ろしくて想像したくない。
「えっと、四号D型、三号突撃砲、M3リー中戦車、八九式中戦車に、38t軽戦車。それと三号M型ですか。四号と三号だけとても綺麗ですけど」
「優花里さん、よく分かったね」
「当然です!」
友人になったばかりの優花里は、あんなボロボロの状態の戦車でも正確に車種を当てて見せた。
こんな知識量を持っているなんて、元居た学校でも見たことが無い。思わず褒めてしまうぐらいだ。
優花里とみほは、戦車を探しているときに友達になった。
大洗女子学園にしては珍しく戦車大好きである。なんでも小さい頃から戦車が大好きで憧れていたらしく、兎に角戦車関係の書籍や資料を読み漁っていたらしい。
戦車道をやりたいとも思っていたらしいが、実家が学園艦にあるそうで大洗女子学園に進学。誰とも共有が出来ない戦車の話を燻ぶらせて過ごしていたところに、戦車道復活ということでいの一番に飛び付いたという。
見た目は普通の少女だが、中身は黒森峰や他校戦車道チームでも問題無くやって行けるぐらいの超が付くほどの戦車マニアだ。
あれだけボロボロで錆び付いて、所々装備が欠けたりしている状態の戦車を見ても正確に車種を見分けられるのだから相当なものである。常明でも驚くぐらいだろう。
「どう?西住ちゃん。動かせそう?」
「ふぇっ?」
杏に問われて、それぞれの戦車の状態を確認してみる。
見た目通り、錆と油の手触りだが、中の方まで傷みきっているわけでは無さそうだし、足回りもこれと言って特に破損も無い。
「中身はともかくとして、外装は錆びを落として必要な個所の部品を交換して、油をさせば大丈夫だと思います」
「そっか、そりゃよかった」
みほを筆頭に、各戦車のざっとした修理が必要な部分を書き出していく。
外装はともかく、内装は総取り換えをしないと駄目だろう。長い間水に晒されたりしていたし、照準器や無線機はどうやっても使えそうにない。
しかしそれだけ直してしまえばすぐに使える、と言うのがみほの下した診断だった。
(それにしても、この三号……)
口に出すわけでは無かったが、並ぶ戦車の中の三号戦車にみほはどことなく見覚えがあった。
記憶の中のものと細部が微妙に違っているので確証は得られないし、この違和感をみほは具体的に言葉で説明することが出来ない。
ただなんとなく、違うなという、消し去ることの出来ない感覚が残るだけ。
「大丈夫そう?」
三号を見ていたみほに杏が声を掛けると我に返る。
「はい。どの戦車もちゃんと整備すれば大丈夫だと思います」
そう言って、みほは自分の感じた三号に対する違和感を一旦仕舞っておくことにした。
「かーしま~、あとよろしく~」
「はっ。それでは今から戦車の洗浄を行う!外も中も、綺麗にするように!」
「え~っ!?掃除からやるの~!?」
まさか最初の戦車道が、戦車の捜索で、その次が戦車の洗車だとは誰も思っていなかった。
沙織のその一言が全員の気持ちを代弁していたことは、皆まで言うまい。
「自動車部が錆を落として掃除しておいてくれれば明日までに動かせるようにする、と言ってくれているんだ。我々の誰もが出来ない整備の部分を引き受けてくれているのだからつべこべ言わずやれ!」
戦車に乗れると思ったのに~、とか文句を言いながらも動き始めた。
上級生にあそこまで言われて反抗出来る下級生は、少なくとも戦車道履修者の中には居なかった。
「も~、戦車に乗れると思ってウキウキしてたのに~」
「明日には乗れるらしいですから、我慢しましょう?沙織さん」
文句を言う沙織を華が窘めるが、周りの皆も大体おんなじ意見だ。多分、これに文句を言っていないのはバレー部四人組だけだろう。
そんな様子に対してみほは苦笑を浮かべるしかない。
「でも武部殿、これから私達が乗る戦車なんですし、自分達で綺麗にした方が愛着が湧きますよ」
「優花里さんの言う通りですよ、沙織さん。これからお世話になる戦車さん達なんですから」
「え~……。うーん、でも確かにそうだよね。これもモテ道の為だと思えば!よし、頑張ろー!」
体操着に着替えた皆は桃に指示されて掃除を始めた。
自分達の戦車を自分達で綺麗にして、最低限の整備をする。
これはみほの古巣である黒森峰でも当たり前のことだとして行われていた事だ。戦車道の教えとして、『人車一体』という考えがあるが、どちらが無かったとしても、何も出来ないという考えである。そのことを忘れない為に行うのだ。
そしてもう一つ、目的がある。
日常的に戦車に触れていることで、戦車の扱いが上達すると言われていたからである。大事に扱えばそれだけ愛着が湧いて、何も思わなくても自然に大事に扱うようになる。
そういう観点から見れば、今の行いはみほ的には賛成であった。
とは言ってもこれだけボロボロの状態の戦車を、元通りになるまでにどれだけの時間と労力が掛かるか想像したくない。自動車部は明日までには動かせるようにする、と言っていたらしいが、本格的に戦車道の練習を始められるのは何時になるのやら、みほは分からなかった。
ーーーーーーー
「やってるやってる」
窓から外を覗いた常明は、その視線の先に並べられた戦車と、体操着に着替えてモップやデッキブラシ、タワシで擦ってホースで水を架けながら戦車を磨く少女達が映っていた。何故か柚子だけ水着だけど。
まぁそんな様子をまじまじと眺めるわけにも行かない。
男としては非常に、目線を逸らしたくないぐらい眼福な光景だが、視線を逸らして椅子に腰掛ける。
「それで、角谷は参加しないのか?」
「私は他にも色々とやることがありますので。これでも生徒会長って忙しいんですよ~」
干し芋を食いながら何を言うか、とも思うが。
ともあれ二人の関係性は監督と生徒というものに変わっていた。
「しんどいのは苦手で。業者を雇ったほうが良かったんじゃ?その分座学に時間を割けたのに」
「それじゃ意味が無いんだよ。学校だって自分達で掃除をするだろ。それと同じで自分の使うものは自分で手入れする」
「精神論的なことですか?」
「いやいや、他にもちゃんとした理由があるんだよ」
「まさか立派な淑女に、とか言い出さないですよね?」
「馬鹿言え、戦車道をやってる女って基本的に男よりも逞しいとか言われるんだ。淑女とは?ってレベルでな」
「それ、言って良いんですか?」
「俺の母親見て違うって言えるんなら、言ってみろ」
常明にそう言われて、杏は苦笑する。
なんせ彼の母親は西住流家元、まぁ女傑と言ってもいいような存在だ。それを生まれてから近くで見てきた常明の話には、妙な説得力があった。
「馬鹿にするわけでもないが、戦車道が世間でなんて言われているか知っているか」
「いえ」
「モテない女を更にモテなくするための武道、だってよ」
そう言われて杏は確かにその通りかも、と思ってしまった。
そりゃ男側からしたら、戦車乗り回して砲弾飛び交う競技を好き好んでやっている女なんて、どう考えても恐ろしい。それに戦車道をやっているヤツは頭に血が上り易いという話も良く聞く。それを考えたら男は戦車道乙女相手に、引いてしまうというのも分かる話だった。
「話を戻して、戦車を自分達で洗う理由って?」
「まぁお金がもったいないってのも一つの理由なんだけどさ。戦車って不思議なもんで、触れば触るほど戦車の事が分かって来るんだ」
「それって戦車の状態とか、ってことですか?」
「そう。見た目では分からないけど走らせてみると「なんか履帯の調子が変だな」、とか「エンジンになんか問題があるかも」「砲塔の旋回がなんか変だな」って感じにね。見た目ですぐに分かる違和感から、見ただけでは分からない違和感を察知することが出来るようになる」
「へぇ」
「一流のスポーツ選手とか技術者とかはこういう、分からない異常って言うのを察知する能力が高いらしい。それは戦車道でも共通して言えることで、実際俺も戦車に乗っている時に違和感を感じることがあって、整備班に見て貰ったらやっぱり、って経験が何度かある」
杏はスポーツに打ち込んできたりしたわけでは無いのでよく分からない話だったが、みほやバレー部チームなら分かりそうな話だな、と思った。
「じゃぁここで問題。なんで良くないって分かるのか、気付けるんだと思う?」
常明に聞かれて、杏は考える。
杏は普段はあまり本気を出そうとしないが、かと言って頭が悪いわけではない。それどころか生徒会長を任されるほどに利発である。
学校の成績も、定期考査で学年一位をポン、と獲れてしまうぐらいには。
「普段と違う、って分かるから」
「大正解。厳密に言うと、自分の扱う戦車や車、機械の(最高の状態)を知っていて、それがどういうものなのかが分かるからだ。無意識のうちに常に比べているとでも言うのかな」
「有名なF1レーサーに、ある日自分のマシンに乗りたくないって言った人がいる。そしてその人はその日が自分の命日になった、って話もあるぐらいだからな。多分、その時のマシンの不調とか異常とかを直感で分かったんだろうね」
「なるほど。そこまでに至れ、とまでは行かなくてもざっくりとした『ものさし』ぐらいは持っていてほしいと言う事ですか」
「そういうこと。ちゃんとしたものさしを持てるようになるまで時間は掛かるだろうけど、習慣として戦車を身近に感じられるぐらいにはなって貰わないと困る」
ま、本当の目的はまた別にあるんだけど、と常明は心の中で思う。
みほ以外は戦車に触れるどころか、間近で見る事すら初めて、というわけだ。自分達の乗る戦車がどういう戦車なのか、すら当然分からない。
当然、そんなんでは戦車の良い状態、悪い状態なんて見分けられる筈も無いし、だがそれでは困る。
では彼女達に圧倒的に足りていないのは何か、というと経験値である。
みほや常明が生まれてからずっと戦車に触れて生きてきたというのと同じである。
「自分達であれだけ頑張って手入れして、ピカピカになるまで磨き上げた。そりゃ当然興味が湧くよな」
「そうしたら自分達が乗る戦車がどんな戦車なんだろう、って思う子も出て来る」
「そ。そしたら調べるぐらいのことをするやつも出て来るだろ?」
携帯を当たり前のように持っている時代だ。
検索すれば情報が簡単に手に入る訳だし、ましてや情報過多とまで言われるような世の中になりつつある。当然、戦車の事なんて名前やスペックと言った簡単なものから、その戦車の歴史や詳細な運用方法ですら分かる。
「なるほど。自分達の扱う戦車がどんなものなのかと言うのを知っていて欲しい、と言うのが本当の目的ですか」
「正解正解。即効性は無いけど得た知識ってのは足りない経験値をある程度埋めてくれる。それはあの素人だらけの戦車道チームにとって大事なことだ。勝敗を分ける事もあると言っていいかもしれないし」
何かを作る時は説明書を読んだりするだろう。例えば身近なところで行くとラモデルとか。
要は基本となる部分はきっちりやるべきである、という話だ。
杏はもっとぶっ飛んだところから始まると思っていただけに、余りにも常識的なスタートに内心驚いているのは内緒である。
「それで、角谷の用件ってのは?」
「用件、って言っても先生に紹介してもらった人に電話をするだけなんですけどね」
「あぁ……、あの人ね」
紹介したは良いが、常明は内心その人が若干苦手だった。
多分、来てくれって言ったらすぐに来てくれて、下手したら数日居座る可能性すらある人だ。本業の事を考えれば暇なわけじゃないだろうにどうやっているんだか。
常明の脳裏に浮かぶのは陸上自衛隊の制服に身を包んで豪快に笑う、自称『常明の姉貴分』である。
西住流の門下生であった彼女は、必然的に常明と知り合うことになったのだが、こう、なんというかテンションが独特な上に雰囲気もこう、特異なもので常明はあんまり得意なタイプの人間では無かった。
戦車に関しては優秀なのだが、それ以外が壊滅的、とまでは行かないものの、常明の総評としては優秀だけど変な人、である。
「最初から先生が指導する、じゃ駄目だったんですか?」
「外から見た評価って言うのを明確にしておきたかったってのが一つ。他にも色々あるけど」
そう言って常明は何も言わなかった。
杏も特に聞き返すようなことはせず、多分その内に分かるだろうと勝手に納得した。
「自動車部曰く、戦車は明日の昼までには全部動かせるようになるそうです。戦車道の授業も午後からですし、間に合うとのことです」
「待て待て待て。幾ら何でも速過ぎるだろう。夕方までに綺麗にすることが出来たとして四輌で割っても明日の正午までに一輌辺り5時間とか、それぐらいだぞ?」
「まぁ自動車部は出来るって言ってますからねぇ~」
「そ、そうか……、うん、まぁ早いに越したことは無いんだけど」
何と言う非常識的な整備速度だろうか。
何をどうやれば戦車一輌辺り、五時間程度で整備出来ると言うのか常明は全く分からなかった。凄腕と言われている実父ですらチーム単位で動いて1輌辺り半日は整備に掛かると言うのにそれの半分以下、下手したら3分の1ぐらいの時間で戦車を整備するとか、自動車部どうなってんだ、と常明は内心思った。
「顔合わせも明日、で良いんですよね」
「うん、それでいいよ」
「……もしかして緊張してるんですか?」
「柄にもない、みたいな顔して言うなよ。女子高生相手に話す機会なんてこちとら殆ど無いんだぞ。どんな扱いをすればいいのか分からないし。ましてやこっちの印象を決める初対面なんだ。緊張するなって方が無理だよ」
一応、何故か繋がりのある女子高生もいるにはいるが、あいつらはかなり特殊なタイプだ。というかあんなド変人を一般的な女子高生だなんて言いたくない。妹達ですら何年も会っていないのに、初対面の女子高生相手とか常明にとっては異星人とか、異界人レベルで道の存在だ。
それに色々と気を使わないとならないというのもある。髭を剃って髪の毛を整えて、体臭にも気を付けないと。正直常明にとってそう言った類のことは面倒臭い、と言う部類のものでありやらなくていいならやらないと言うのが西住常明という男である。
だからってやらなかったら、と思うと恐ろしくて身震いしてしまう。
「いよいよ、ですね」
「あぁ」
溜息を一つ吐いて、自分が如何に無茶無謀なことをやろうとしているのかと思う。
戦車道新興チームが強豪校犇めく全国大会で、その頂を目指す。漫画なんかにはよくある設定だが、いざ自分がそれを監督として率いていく、となると楽観するどころか、非常に厳しい。
「十%以下、ってところか」
常明がざっと試算した勝率をボソッと口にする。
杏はそれを聞いて自分の身体が固くなるのが分かった。
今、杏が目の前にしているのは戦車道における西住常明、という存在だった。それを見るのは初めてであり、そしてその迫力に押されていた。
それでも常明は、なんだかこの状況を前にして滾って来るものがあった。
それは、大学選抜でのあの時のように。
「そんなに、厳しいですか」
「現時点ではな。はっきり言って旧式ばかりの戦車で優勝出来る可能性は間違いなく十%を下回る。希望的観測を含めて十%もあるなら良い方だ。それぐらい厳しいよ」
口には出さないが、現実的なところでの大洗女子学園戦車道が全国大会で優勝出来る可能性は、三%ぐらい。
これはみほがチームを率いた場合という仮定で考えた勝率であり、みほが居なかったら一%以下。まぁ初戦で叩き潰されて終わり、という感じだ。
戦車道の世界は運やまぐれでどうこう出来るほど楽な世界ではない。
今の大洗の状況を考えれば四強と当たれば即終了、それ以外の高校と当たることを祈る、当たったとしても負ける可能性が高い、というレベルである。
「無茶で、無謀で、困難であることは重々承知しています。だけど、それでも不可能と言われたぐらいで諦めるわけにはーーー」
「誰が不可能なんて言った?」
常明の一言に、杏は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で常明を見る。
引き受けた以上、それを成してやらねばならない。
「戦車道に限らず、勝負の世界に絶対は無い。なにより俺が直接出るんじゃなくて、お前達を勝たせるというのが役目だ」
「……」
「まぁ、俺は魔法使いじゃないからな、勝率を十%から、五十、六十%にすることは出来ない。だがーーー」
ふぅ、と一息吐いて。
「十%の勝率を何が何でも掴み取らせることぐらいはやってやるさ」
にやり、と笑って言った。
杏はそれを見て、なんとも頼もしく感じた。
ーーーーーーーーーー
翌日。
戦車倉庫に向かうと、あれだけボロボロだった戦車達は綺麗に塗装までされていた。
「あ、先生」
「……本当に整備したのか」
「はい?」
自動車部が戦車倉庫で何やら今後の改造計画、という会話をしているところであった。
なんにしても十八時間も掛からない内に四輌の戦車を完璧に整備し終えていることに常明は驚愕するしかなかった。
「お前達、本当にありがとうな」
「いえいえ、新しいマシンを弄れるってだけでこっちはもう」
成程、こういうタイプか。
「ちょっとエンジン掛けさせてもらうぞ」
「あ、はい」
それぞれの戦車に乗り込んで、エンジンを掛ける。
そして前後にちょっと動かして、ちょっと旋回して元に戻して、砲塔の方も昇降装置、照準器、トリガーなど全部が問題無く動くか確かめる。
無線機などの内装系も問題無く動くことを確認して。
「どうです?なんかおかしいところありました?」
「いや、怖いぐらい完璧だな」
「でしょ?」
自慢げに、誇らしそうに言う四人。
「一つ聞きたいんだが、三号、滅茶苦茶弄っただろ」
「駄目でした?」
「駄目じゃないが、あれ、初心者にはマトモに動かせないぐらいになってる」
「あ~……。そっか、そうだよね。凄い丁寧に整備されてて、なんか熟練戦車乗り、って感じの人が乗るようなチューンアップされてたからつい……」
「一応、初心者用にチューンアップし直しといてくれるか。あれで動かさせたら最悪事故になる」
あんなチューンアップを施された三号を乗りこなせるのなんて、本当に熟練じゃないと無理だ。
あれに初心者が乗ったら振り回されて、常明の言った通り最悪事故になって怪我人が出かねない。それぐらい玄人向けのチューンアップをされていた。
そう思うと同時に、自動車部の四人はそれはもうウッキウキで三号を弄繰り回したんだろうなぁと思った。
「分かりました」
「悪いな。後で飯でも奢ってやるから」
「やった!みんな~、先生が後でご飯奢ってくれるって~!」
「「「おぉ~!!」」
三号の再調整だけ頼んで、監視塔の方に向かう。
午後の授業までまだ二時間ぐらいはあった。
ーーーーーーーー
大洗女子学園戦車道チームにとっての初戦車道は、なんというか呆気ないぐらいにあっさりと終った。
四号は自分で動けるので自力で戦車倉庫まで戻って来て、それ以外の戦車はあとで自動車部が回収しておいてくれるという。本当に何から何まで自動車部頼りだ。
みほも、あれだけトラウマだった戦車が、こんなにもあっさりなんともなく終わってしまうとは思ってもいなかった。
チーム分けとしては、四号にみほ、沙織、華、優花里、そして途中で乗って来た冷泉麻子のチーム(麻子は戦車道を受講していないのだが)。
三号突撃砲に歴史好きが集まった歴女チームの四人。
M3リーには一年生六人チーム。
38tには戦車道復活の首謀者である生徒会チーム三人。
八九式にはバレー部チーム四人。
最後に常明が持って来た三号戦車には船舶科の荒くれ者チーム五人。
以上のようなチーム分けとなり、これから活動していくことになる。
みほにとって四号は古巣である黒森峰でも乗っていたりした上に、性能としてはバランスが良くとても扱いやすい戦車だった。
何より初心者ばかりのチームにとってはその扱い易さ、乗り易さがとても有難いものだった。
時を少しだけ戻して。
こうして分けられたチームは、教官が来るよ~、という杏の声もあって戦車倉庫前に整列して待っていた。
沙織なんかはイケメン教官が来ると言われて(騙されているとも言える)それはもう楽しみにしていた。
沙織だけでなく、受講者全員が戦車道という未知の経験をこれから体験出来るとあって心躍らせて教官の登場を待ち侘びていた。
そんな時である。
学園艦の上空を、一機の輸送機が通過すると、旋回して戻って来た。
かなりの低空に舞い降りてそのまま着陸してしまうのではないか、というぐらいで、機体後部からとんでもないものを落として言った。
重量44tの鉄の塊、陸上自衛隊が世界に誇る最新鋭戦車、10式戦車であった。
そのド派手な登場の代償は、駐車場のフェラーリF40(ざっくり5億5千万円ほど)を着地の轟音と共に吹き飛ばし、そして更に10式戦車で引き潰すというもの。
F40の所有者である学園長はあまりの出来事にその場で気絶したらしい。
そしてその鋼鉄の悪魔の中からは陸上自衛隊の制服に身を包み、肩章には一等陸尉の階級章を携えた女性が現れた。
名を蝶野亜美。
陸上自衛隊富士教導団戦車教導隊所属の、戦車に於けるスペシャリストであり、そして西住流門下生にして、何故か常明の姉を自称する変人である。
登場の時点で全員度肝を抜かれていたどころか、余りにもインパクトのある登場の仕方にドン引き。監視塔から覗いていた常明は絶句して学園長にどう説明しよう、と頭を抱えた。(補填は戦車道協会が行い、そして戦車道協会は防衛省に請求し、事の顛末を聞いた上層部に亜美はそれはもう、史上稀にみるぐらいこっぴどく叱られた)
この登場の仕方に理解の追い付かない生徒を気にせず自己紹介をして生徒会によって教導を頼まれたという説明もしていたが、全員この辺の記憶は曖昧。みほもそうである。
理由は超高級車が一瞬にしてスクラップのゴミに成り果てたからであるが、沙織はイケメン教官が来ると言われていたのに、女性だったとことにがっかりするなど、ある意味通常運転だった。
しかもそんな状況を整理する間も無く、誰もが教導とはなんなのか?と思うぐらいの勢いゴリ押し教導が開始された。
「考えるな、感じろ!」という無茶苦茶な精神で、事前説明も何も無く、開幕いきなり戦車に搭乗させられて模擬戦開始。
操縦すら碌に出来ないのに、である。
常明も流石に頭を抱えた。
戦車はおろか、自動車の操縦すらしたことのないクラッチもギアも知らない操縦手。
方向転換指示の為に操縦手にドロップキックをブチかます車長。
変なテンションになって砲撃を始める砲手。
連携訓練も何もしたことがないからギコギコと壊れる寸前なんじゃないかというぐらいのぎこちない動きをする戦車。
途中、何故か昼寝をしていた沙織の幼馴染である麻子が乗り込んできて。
戦車に触ったことも無いのに初心者とは思えないぐらいの勢いと練度で迫る八九式と三突。
砲弾が命中した衝撃で気絶する華。
吊り橋の上で操縦手が気絶したから立ち往生した四号。
主砲をぶっ放すが砲弾があらぬ方向に飛んで行く38t。
次々に相手を撃破していく四号に恐れをなして逃げようとして、泥に嵌って擱座するM3リー。
本当に無茶苦茶だった。
みほの表情が、色んな意味で疲れているのは仕方が無いことだった。
「麻子~!自分で立ってよー!」
麻子が沙織にもたれかかるようにして支えられている。
慣れないことをしたからなのか、以前登校しているときフラフラと歩いていた時ぐらい眠そうだ。
みほは麻子に感謝していた。
なんせマニュアルを読んだだけで見事な操縦をやってみせ、四号チームを模擬戦の勝者に導いた立役者である。
みほからすれば、マニュアルを読んだだけで完璧なまでに戦車を操縦するという離れ業をやってのけた麻子は、今は電池の入っていないオモチャのように、動かなくなっていた。いや、動きたくないというべきだろうか。
「慣れないことをして疲れた……」
「さっき授業をサボってまで昼寝してたじゃん!」
文句を言いつつも支える沙織を見て、みほは昔からずっとそう言う関係性だったんだろう。
なんとなく、麻子は甘え上手で沙織は甘やかし上手なんだろうなぁ、とみほは思った。
「華さん、大丈夫?」
「はい……。気分も良くなってきましたし。沙織さんに蹴られた肩が少し痛いですけど」
「ごめんって、華」
「大丈夫ですよ」
気絶から復帰したばかりの華は、優花里に支えられながら立っていた。
肩は、うん……、湿布でも貼っておいてほしい。
「つかれたぁ~」
「凄かったねー」
口々に初めての戦車道の感想を言い合っている。
鉄臭い、油臭い、重い、暑い、明日筋肉痛かも~、とか軽い愚痴は聞こえてくるものの、おおむね肯定的な意見だった。
みほは良かった、と安心した。
「集合!せいれーつ!」
杏の大きな号令で、全員がチームごとに並ぶ。
そこに亜美が前に出てきた。たぶん締め括りを行うのだろう。
「皆、グッジョブベリーナイス!初めてでこんなにガンガン動かせるのなんて初めて見たわ!これだけ動かせれば上出来よ!」
亜美は純粋に関心して褒めていた。
一名を覗いて全員が戦車に触ったことすら無い素人集団、と最初に聞かされていたのにいざやらせてみたら自分の想定よりも遥か上を行くレベルで戦車を動かし、模擬戦をやって見せた。
「特に四号チーム!とてもいい動きだったわ!八九式チームと三突チームも良かったわよ!」
名前を呼ばれた三チームは、特に動きが良かった。
八九式チームと三突チームなんかは本当に初心者か?と疑いたくなるレベルで戦車を走らせ、そして三突チームに至っては初弾から命中弾まで出して見せたのだ。これは純粋に驚くべきことである。
「本当にみんな、凄かったわよ!初めてとは思えないぐらい!私の指導なんて必要無かったんじゃないかしら、そう思うぐらいにはね」
(((((あの人、何もしてないような気が……)))))
そんな全員の心の声が聞こえてきた気がするが、気のせいだろう。
「この調子ならすぐに上達するわ!あとは、走行訓練と砲撃訓練をしっかりやれば良いわ。分からないことがあったら何時でもメールや電話で聞いてね。これからも頑張ってね、グッドラック!」
「一同、礼!!」
「「「「「ありがとうございましたー!」」」」」
そうして亜美は颯爽と去っていった。
みほは今日の事を振り返って、なんというか、これからも戦車道をやって行けそうだと思った。
色々とハプニングがあったりしたが、それでも皆が楽しんで笑って戦車に乗っていたのだ。なんだか、色々と精神的に疲れることはあったけれどそれでも充足感をみほは覚えていた。
今まで悪夢に魘されていたけど、なんだか今夜は安心してよく寝られるかも、とみほは自然と笑っていた。
「解散、と行く前にみんなちゅーもーく」
いざ解散となる前に杏が声を掛ける。
何だろう、と皆が不思議に思う。これ以上何があると言うのだろうか。亜美の様な、登場の仕方レベルのインパクトはもう結構だ、と皆思っていたが。
「明日から、まぁ正確には数日前から監督を務めてくれている人を紹介するよー」
ざわざわとどよめく。
それはそうだ、いまさっき亜美レベルのインパクトはもう結構、と思っていたところにこれである。
亜美は一日だけ、と言うのは聞いていたがこれから先継続して戦車道を教えてくれる人が、という驚きだ。
いや、正直に言おう。
(((((あんなインパクトある登場の仕方はもう勘弁してほしい……)))))
何故か全員の心が一致した。
「じゃ、どぞー!」
杏の声に招かれて、戦車倉庫の中から姿を現した人物に、騒めきがより大きくなる。それぐらい皆にとって驚く箇所が沢山あったのだ。
紺色を基調とした、幾つかの刺繍が刻まれた飾り気が無いながらも、よく似合う恰好の良いタンクジャケット。オリーブドラブ色のズボンにブーツ。
この場にいる全員が見上げるぐらい高い身長と、服の上からでも分かるほどに鍛え上げられた身体。
深い黒色の髪は短く揃えられ、綺麗に整えてセットされている。
整った顔立ちと、表情や目、雰囲気、声はとても落ち着いていながらも、他者を圧倒する覇気がある。
そして何よりも皆が驚いたのはーーーー。
「初めまして」
男性だった、ということだ。
低く落ち着いた、さりとて安心感のある大人の声は騒めく一同を一瞬にして静かにさせる。
「西住常明と言います。君達に戦車道を教えて、そして全国大会優勝に導くために来ました。よろしく」
綺麗なお辞儀と共に笑みを少し浮かべて言った。
「「「「「ええええぇぇぇぇ!?」」」」」
数秒の静寂の後に、凄まじい、歓声なのか悲鳴なのか分からないぐらいの、女子高生特有の甲高い声が暫く響いた。
「お、お、男の人!?」
「キャー!?なにあれイケメン!」
「あれは間違いなくエーススパイカー!バレー部に欲しい!」
「キャプテン男の人は無理です!」
「男の人!スタイルも良い!服装も良い!目付き鋭いけど顔も良い!」
みほの肩を沙織が絶叫しながら連打する。
そのパワーはいったいどこから出てきているのだろうか、と普段のみほだったら思えただろう。
だがみほはそれどころでは無かった。
「お兄ちゃん……?」
呆然と、辛うじて一言口に出せた。
自分がどんな表情をしているのかみほは分からなかったが、視線の先にある彼の表情は、苦笑いであることは間違い無かった。
あんまり活躍出来なかったサメさんチーム。