玉輿-消えにし後は澄み渡る空   作:ミズアメ

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第四話 犬神蠱術

 戦闘開始から、およそ十分。

 

 傑と悟は、嗣狼の頭を合計で三度潰した。しかし未だに目標を祓除できていない。

 捻り潰そうとも、叩き砕こうとも、呪霊が行う通常の呪力消費のみで簡単に再生する。その異常なほどの耐久力は、傑だけでなく悟にすら舌を巻かせた。

 

 それだけではない。

 

 術式によって、嗣狼は肉体を変化させる。

 普段の服を着た獣人の姿をベースとして、尻尾を巨大化させたり、針状の体毛を飛ばしたり、爪を何メートルも伸ばして遠方の敵を突き刺すなどの小技を使う。更に五メートルから十メートルほどの巨大な四足獣に変身したり、首から下を鬼火のような形に変化させることすらした。

 ある意味で一番厄介なのは、首だけの姿だ。

 一切の攻撃能力を持たず移動速度も遅い代わりに、敵の攻撃を始めとしてあらゆる物体を全て()()()()()。恐らくは低級呪霊のみが持つ、壁を擦り抜ける能力の発展形。幽霊のように実体がない状態であり、この姿の嗣狼は悟の『蒼』ですら捉えられなかった。

 肉体の変化には呪力の“起こり”こそあれ時間差はほとんどなく、巧みに姿を変える嗣狼に対し、有効打を与えることができない。

 ただし、それは嗣狼も同じ。無下限呪術を持つ悟には一切の攻撃が通用せず、底なしに呪霊を呼び出し適切に指揮する傑にもダメージを与えられない。

 

 戦闘は膠着していた。

 

「どう思う、傑」

「……そうだな。これは私見だが」

 

 嗣狼から距離を取り、傑と悟は状況の確認を行う。

 

「相手は呪物から成った呪霊。恐らく、本体である呪物を破壊しない限り死なない……ということなのだろう。前例がなく信じ難いが、そうでなければ説明がつかない」

「ってことは、その呪物を見つけ出す必要があるか。そっちの方が早く終わりそうだし」

⦅―――いいや、その必要はないぜよ。何故ならそれは、御前(おまん)等の目の前にあるきのう⦆

 

 見下し、侮蔑し、笑いながら。嗣狼は告げる。

 

⦅儂は呪物であり、同時に呪霊でもあるきに。つまり儂自身が本体っちゅう訳じゃ⦆

 

 情報の開示。

 ただ己の強さと特異性を誇示しているだけではない。自らの能力を底上げするために、わざわざ教えたのだ。

 

「―――ハッ! ご親切にどうも!」

 

 方針は変わらない。

 頭を潰しても祓えないのなら――相手の呪力が尽きるまで、潰し続ければいい。

 

 再び、二人と一体が激突する。

 

 絶えず目標の左右か前後を挟む形で立ち回り、互いが作った隙へ確実に攻撃を滑り込ませる。

 嗣狼の呪力は膨大だが、無限ではない。

 こうしている間にも、確実に消耗している。

 

「―――ギア上げてくぞ! 傑!」

 

 端正な顔に、歓喜と興奮が相乗した凄まじい表情を浮かべて。悟が吼える。

 

 腹を起点に巡る呪力。それは、大きく振り被った右の拳に収斂される。ありったけの呪力を込めて振るわれた一撃は、避けること能わず。無下限呪術の術式順転によって敵自身の体が拳に吸い寄せられるが故に。

 当然、霊体化はさせない。傑が絶え間なく攻撃を叩き込む。

 恐らくは“縛り”。攻撃を受けている間、嗣狼は霊体に姿を変えることができない。その事実を、二人は既に看破していた。

 悟の拳が、嗣狼の腹に突き刺さる――その瞬間。

 爆ぜるは暗黒の火花。極限の集中と、無下限呪術によってもたらされた、百万分の一秒に炸裂する衝撃。それによって空間が歪み、呪力が黒く発光する。

 

 ―――――黒閃!

 

⦅ぐぼぉっ!?⦆

 

 左胸が大きく抉られるようにして弾け、腕が肩ごと千切れ飛ぶ。

 黒閃の威力は平均で通常の2.5乗。これは打撃ではなく、呪力の強化値の上昇率を指す。

 例えば呪力で強化した打撃の威力が5倍である場合、黒閃時に発生する衝撃は56倍。100倍なら100000倍となる。その一撃を、あの五条悟が全力で炸裂させたのだ。嗣狼が負ったダメージは、見た目以上に重い。

 

 そして―――

 

 遅れることなく。棍棒に呪力を込めた傑が、嗣狼の脇腹を打ち据える。

 黒く爆裂する呪力。

 傑もまた、当然のように黒閃を決めた。

 

 黒閃を狙って出せる者は存在しない。

 

 傑はもとより。無下限呪術で吸い込む反応を生み出すことができ、且つ精密な呪力操作を可能とする六眼を持つ五条悟ですら絶対ではない。しかし二人はできて当たり前とでも言うように、平然と黒閃を打ち込んだ。

 それだけ、二人が呪術師として優れているということの証左。

 現代最強の名は、伊達ではない。

 

 そして黒閃を決めた者は、アスリートでいうところの『ゾーン』に入った状態となる。ボルテージが極限まで高まり、その者が持ち得る潜在能力(ポテンシャル)の120パーセントを発揮できるようになるのだ。

 

⦅―――――ッ!⦆

 

 流石に堪えたか。嗣狼は頭と鬼火状の胴体だけの形をした霊体に自らの姿を変え、二人から距離を取った。

 それから再び獣人の姿となるが、目に見えて憔悴している。

 

「ようやく底が見えてきたな」

「ああ。よかったよ、朝までには終わりそうだ」

⦅チッ、糞餓鬼共が⦆

 

 忌々し気に顔を歪めて、嗣狼が毒づいた。

 

 ―――■ましい。

 ―――■ましい。

 

 歯を噛み締め、ギリギリと軋ませる。

 

⦅……フン、えいじゃろう。御前(おまん)等が雑魚じゃないっちゅうことは、認めちゃるきに。―――ほんなら。こっからは儂も、本気でやらせて貰うぜよ。儂のとっておきの()()()を見せちゃるき。目ん玉かっぽじって、よぉく見とけや餓鬼共!⦆

 

 宣言して、嗣狼は左手で掌印を結ぶ。

 人差し指と中指を立て、それ以外の指を握り込んだ相。刀印。

 

 その瞬間、嗣狼の背後の空間が開いた。

 

 傑が呪霊を出す時の現象に近い。口を思わせる暗黒の空間が開き、中から何かが姿を現す。

 それは、地蔵だった。

 全長は嗣狼と同等か少し大きい程で、随分と横幅もある。しかしその頭身は非常に低い。

 赤子を模した三頭身の像。

 ソレは全身が黒い鉄でできていて、唯一顔面のみが乳白色に濁った玻璃――水晶硝子になっている。

 合唱した供養の地蔵。額には『壱』という文字。

 その下腹部には、干乾びた木乃伊が固定されている。胎に腰から下を収め、胸に前腕を取り込んだ姿は、罪人が磔にされている姿を連想させた。

 

「式神―――!」

 

 見た目から能力が判断できない。

 傑は油断なく、棍棒を構える。

 

⦅白髪の餓鬼。まずは御前(おまん)の術式を探らせて貰うぜよ。()()試すき、覚悟せぇ!⦆

 

 嗣狼が大きく息を吸って胸を膨らませ、仰け反る。そして丸めた手を口元に添え、口を窄めて大きく息を吹きかけた。

 

 

 犬神蠱術(いぬがみこじゅつ)、第壱番――“(イブシ)

 

 

 吐き出された息吹は、呪いを帯びた紅蓮の火炎となって大気を焼いた。

 広範囲に吹き出された焔。それは傑と悟だけでなく、森をも炙る。火はあっという間に葉という葉、枝という枝、樹という樹に燃え移った。

 

「……まったく。人里から遠く離れた山の中とはいえ、なんてことをするんだ」

 

 傑がぼやく。

 彼は咄嗟の判断によって飛行可能な呪霊に乗り、上空へと逃れていた。

 

(……森への燃え広がり方が妙だな。あの炎――燃やす対象を、術師がある程度は自由に選択できるのか。温度はそこまで高くはないようだが……縛りか? だとすれば消すのは難しいだろうな。ということは……―――本命は煙か?)

 

 口元を袖で覆う。

 生物が火に焼かれた場合、その死因となるのは喉が焼けて呼吸困難となる場合や、酸素を奪われた状態で煙や一酸化炭素を吸い込んでの窒息死がほとんどである。

 この炎は、それを狙ってのものだと傑は推察した。

 

(何にしても――どうなってる?)

 

 肉体を変化させるのが相手の術式だと、傑は考えていた。だが、嗣狼は炎を操っている。

 呪霊にせよ人間にせよ、一人が持つ生得術式は一つ限り。漏瑚や花御、陀艮など、自然への怖れから生まれた呪霊が有する術式は多芸だが、それにしても奇怪だった。

 

 無下限呪術の『蒼』を使い、悟もまた上空へと退避する。

 

 炎の熱、煙による窒息。どちらも無下限呪術で防ぐことができるが、酸素を奪われるのは辛い。無論、『蒼』を使って空気を確保することはできる。だが指向性や導線の確保などを意識して呪力操作を行うのが面倒だった。

 

 その後を追い、嗣狼が跳躍する。

 

「悟―――」

「アイツの術式だろ? アレは……―――ッ! 傑! ()()()()()()()()()!」

 

 血相を変えて、悟が叫んだ。

 

 嗣狼の背後――彼に追随し、同等速で移動していた地蔵が、黒い穴に呑み込まれる。そして同じ形の像が出現した。

 像の外観はほぼ同じ。唯一、額に書かれた文字が異なっている。

 

 ―――『伍』。

 

 だがそちらよりも、傑の目を引いたのは。式神の出現と同時に嗣狼の口元と舌に浮き上がった、青い紋様だった。

 蛇の目と牙を模した呪印。

 

 ―――――呪言!

 

 

 犬神蠱術、第伍番――“(ハヤシ)

 

 

⦅【堕ちろ】!⦆

「しまっ―――」

 

 突然の、敵の有り得ない術式行使による驚愕。そして頭の内側を守るという慣れない呪力操作。この二重苦が、卓越した技量を持つ呪術師である夏油傑をして、防御を遅れさせた。

 

 傑は、呪霊共々、地面へと――凄まじい速度で堕ちていく。

 

 堕ち切るのを待つつもりは毛頭ない。むしろ敵の落下の勢いを利用して大ダメージを与えるべく、嗣狼は構えた。

 堕ちる傑を、嗣狼の爪が捉える。

 殺った。

 嗣狼は確信する。しかし、それが現実になることはなかった。

 

「『蒼』―――――!」

⦅チッ!⦆

 

 強制的に悟の方へ吸い寄せられる。これで傑を確実に殺すことは不可能となった。

 

 だが、ただでは済まさない。

 

⦅【動くな】!⦆

 

 再び浴びせられる呪いの言の葉。それは悟だけでなく、傑に対しても向けられたものだ。

 受け身を取ることも、術式を使って呪霊に庇わせることも許さない。無様に大地と接吻するのがお似合いだと、炎の中へ憎き敵を堕とす。

 

「傑!」

⦅ガハハハ! 他人の心配をしちょる場合がか、御前(おまん)!⦆

 

 哄笑を叩き付け、嗣狼は悟に殴り掛かる。だが、拳は当たらない。

 

⦅チッ、呪言も通じんがか! 本当に面倒臭い奴やねや! ―――お!?⦆

 

 露骨に顔を歪めて舌打ちする嗣狼。その顔面を、悟の拳が襲う。

 空中で身を捻って回避するが、しかし無下限呪術によって生じた引力までは防げなかった。

『蒼』によって、嗣狼の体は捻り潰されながら引き摺られ、地面にまで落ちる。その際、彼の背後に静かに佇んでいた地蔵型の式神が破壊された。

 

 式神が破壊されると同時に、嗣狼の口から呪印が消える。

 

「―――お帰り」

《ぐっ!?》

 

 待ち構えていた傑が、棍棒で嗣狼の顔面を打ち据えた。

 

《(呪力で肉体を強化して、落下の衝撃を抑えたがか!)》

 

 カンフー映画のように、何度も地面を弾みながら吹き飛ぶ嗣狼。終点は大木の幹。樹に背中を叩き付けられ、ずるずると地面に落ちる。

 

「大丈夫か、傑」

「問題ないよ、悟。それより、あの呪霊の術式だが。―――アレは、奴が()()()()()だな?」

 

 傑が確認を取ると、悟は頷いた。

 

 犬神は他者の財産を奪い取り、その上で殺す呪いだ。

 この場合の財産とは、金銭や名誉などに留まらない。その者が持つ肉体や呪力、生得術式なども対象に含まれる。

 

《―――正解じゃ》

 

 のっそりと立ち上がり、嗣狼は二人を睥睨しながら答えた。

 

《儂は、儂が喰った呪霊や術師が持つ生得術式を自分の(もん)にできる。儂が手に入れた宝じゃき、自由に使い放題っちゅう寸法ぜよ》

「―――使い放題、ってのはちょっと違うだろ糞犬。適当吹いたって無駄だ。お前が使えんのは、自前の変化を除けば、出してる式神が持ってる奴一つきりだろ。他の術式を使うには、式神を別の奴と入れ替えなきゃならない」

「そして式神の入れ替えには、一秒から二秒程度の時間がかかる。また、式神が破壊された場合、その式神に対応した術式は二度と使えない。―――そうだろう?」

⦅チッ……⦆

 

 忌々し気に顔を歪めて、嗣狼は舌打ちした。

 

 ―――■ましい。

 ―――■ましい。

 

 傑と悟の指摘は全て当たっている。嗣狼の術式――犬神蠱術は強力だが、それ故に制限も多い。

 ただし、一つだけ誤解している――というよりも、想像が足りていない部分がある。

 嗣狼が溜め込んだ財はまだまだある。番号は食った順番ではなく、技として使うに当たって便宜上割り振っているものでしかないのだ。

 呪言は貴重ではあるが、まだ幾つかのストックがある。

 ここは黙して語らず、呪言の手札はなくなっていると思わせた方が都合がいい。

 

 しかし。

 

《(……認めざるを得んか。儂の手持ちの財産(じゅつしき)で、あの無下限呪術を突破するのは無理じゃな。それにさっきの黒閃で受けた傷も大きい。呪力をこじゃんと持ってかれた。天地がひっくり返っても儂が負けることはないじゃろうが、ダラダラやっちゅうと足元を掬われかねんきのう)》

 

 ならば、どすうるか。

 

 決まっている。領域展開――それ以外にない。

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