短かったのに濃密だったVer4.3、Ver4.4がどうなってしまうのか...今から楽しみです!
お気に入り、評価、ここすき等々大変励みになります!
ケリュドラとのチェスを終えてから数日が経った。
その間は新兵たちの教練や警邏、セイレンスの晩酌に付き合ったりと大忙しだ。
そんな日常の中、屋敷に帰った俺は一息つきながら両剣の手入れを進める。
「───」
静かで落ち着いた状況、その中に居ると言うのに俺の心は全く落ち着くことがなかった。
いつもなら鼻歌混じりにする手入れもただ淡々とこなすだけの作業と化している。
思わずため息を吐いてから両剣の手入れを止め、気分転換を目的に部屋の外に出た。
もう殆どの住人が家に帰っている頃合いだと考えて、適当に散歩をしようと屋敷を出ようとすると馴染み深い気配が近づいてくるのを感じて足を止める。
「あ!やっぱりここに居た!」
「ようトリビー、何か用事でもあったか?
っていうか、もしかしなくてもその手にあるのって俺への手紙か」
「うん、そうだよ。
カイザーからポネウスに渡ちてってお願いされたの」
「カイザーから、か」
手紙の差出人の名前を聞いて顔を顰めそうになるのを無理矢理止める。
俺は何とか平静を保ちながら手紙を受け取って中身を見る。
そこには単調に綴られた一文があった。
「『明日、指定した時間に創世の渦心に来い』ねぇ」
「創世の渦心?
どうちてあそこにポネウスを呼ぶんだろう...。
ポネウス、もちかちて何かやっちゃった?」
「何もやってねぇよ。
ってか真っ先に出てくるのがそれってトリビー...」
「べ、別にポネウスを信じてないわけじゃないんだよ!?
でもカイザーがわざわざ呼び出すってことはそういう意味かなって...そんな顔ちないでってば!」
俺がトリビーに何とも言えない微妙な顔を向けていると彼女の抗議の声が屋敷に響く。
その声が届いたのか、コツコツと足音を立てながらまた一人見知った顔が現れた。
「師匠も師範も、一体何の騒ぎですか」
「ようライア、いや~ちょっとトリビーがな」
「うぅ...ごめんねライアちゃん」
「成程、理解しました。
悪いのは師範ですね」
「本当に理解できてたか?
それ依怙贔屓入ってないか?」
ライアの判断により、今度は俺が抗議の声を上げることになってしまった。
いつもなら断固として戦う姿勢を見せる所なのだが、今日はそうもいかない。
込み上がってくる言葉を飲み干し、ライアに向き直る。
「ライア、頼みがある。
明日、市場とか雲石の天宮辺りにいつもより多く金糸を張り巡らせておいてくれないか。
それと何か異変があったら警備兵を向かわせてくれ」
「...師範、それはどういう意図でしょうか。
明日、何かあるのですか?」
「明日...それってカイザーに呼ばれてる事と関係あるの?
ポネウス、あたちたちに何か隠し事ちてない?」
「あ~隠し事は....すまん、してる。
ただコレに関しては他言は出来ないんだ」
そう言って顔を顰める俺を見て、トリビーとライアは顔を見合わせる。
二人は暫くそのままだったが、どちらともなく互いから視線を外す。
そして心配そうな表情を俺に向けてきた。
「カイザーと何をやるのか知らないけど、あんまり無理はちちゃ駄目だからね。
何かあったら遠慮なく頼ってね!」
「私としてはもう少し詳しく聞きたいのですが...師範にも考えがあるのでしょう。
それを信じてみようと思います」
「...ありがとな二人とも」
二人に礼を言ってから部屋に戻り、もう一度手紙に目を通す。
そこには先ほどの文と明日向かうべき時間が記されている。
俺は大きくため息を吐いて、寝台の上に身体を投げ出す。
ついに明日、ケリュドラはことを為すつもりなのだろう。
そしてその時俺は────
「この手で、カイザーを...」
ケリュドラを、殺すのだろう。
その事実を考えると身体も心も重くなる。
だが、ケリュドラ自身が自らの命を差し出す事に躊躇い以上俺がいつまでもうだうだ考える意味はない。
「その筈なのに...なぁ」
結局、こうして大した答えも出せないというのに考えに耽ってしまっていた。
ケリュドラがその命を捧げようとする理由は分かっている、それは火を追う旅の為だ。
今現在、遠征の失敗が原因で火を追う旅の信頼は落ちている。
その上ケリュドラの暴政も相まって市民たちが彼女に向ける不満は尋常ではない。
だからこそ、彼女は自身の命を他者に奪わせる事で利用としようとしていた。
自らが死ねば不満は晴れ、自らを殺した者は称えられる。
そして、ケリュドラを殺す者が火を追う旅を歩む者であるのなら────民衆の信頼を持ち直すことも出来るだろうと彼女は考えていた。
合理的、そうとしか言えない選択。
俺には到底思いつきもしないものだったが、話を聞き納得してしまったのが駄目だった。
そうなってしまえば断れない、背けられない、見捨てる事なんて出来る筈もない。
何より────
「皆に、やらせるわけにもいかねぇし...」
トリビーたちに仲間殺しをさせる事だけは、避けたかった。
ライアも、サフェルも、キャストリスも誰であったとしてもだ。
その中には当然、セイレンスも含めている。
今の彼女はケリュドラを嫌っている、だからといってセイレンスの手でケリュドラを殺させるのは話が違う。
手を汚すのは、俺一人で十分だ。
「──やってやるさ。
例え、皆に嫌われたとしても」
幸いなことに誰も、ケリュドラの計画には気づいていない。
疑いこそあるが、ライアも全容を知りはしないだろう。
後は明日、苦しませないようケリュドラの命を奪うだけ。
それはトリビーの姉妹たちの最期を看取る過程で既に習得済みだ。
後はもう、その時を待つだけ。
俺は絶え間なく湧いてくる思考を耐えるように目を瞑った。
* * *
ケリュドラに指定された時刻、それはあっという間に訪れた。
俺はその時刻に合わせるように、霊水の盆を使って創世の渦心へと降り立つ。
息が詰まる感覚に襲われる中、俺は渦心の中心へと歩を進める。
その最中、ケリュドラとの出会いから今までの記憶が光のように一瞬で流れていく。
それを頭を振って払いのけながら歩いていると渦心の中心に辿り着いた。
俺も覚悟を決め、いつの間にか下を向いていた顔を持ち上げ正面を見る。
「は?」
────そこには、二つの見知った人物が居た。
一人は地面に横たわっていて、渦心に流れる水を黄金の色に染めながら光の粒子になって消えていく。
もう一人は横たわっている目の前の相手を見下ろしていて、黄金の液体が滴る剣を持っていた。
俺はその二人を見て、小さくか細い声を漏らす。
だって、今俺の目の前で広がっている光景は...俺が避けたかったものそのものだったからだ。
「何で....」
「...金色のカジキか。
キミも彼女に呼ばれたのか」
「何で...お前が....」
「何か言ったか?
申し訳ないがもう少し大きい声で言ってくれ」
「っ!
何で!お前が!!カイザーを殺してるんだ!!!セイレンス!!!!」
渦心に声が響く。
その声に怒りは無く、ただただ困惑に満ちたものだった。
何故、よりにもよってセイレンスがその手を血に染めているのかと。
「そういう事は俺に任せれば良かっただろうが!!
お前らがわざわざ苦しむ必要なんてどこにも「違う」...あ?」
「彼女を殺したのはワタシの選択だ。
ワタシが選び、ワタシが決めた結果が今この状況。
それをキミに背負わせる気はない」
「っクソッ!!」
やり場のない感情から声を荒げてしまう。
今この場でセイレンスに向ける言葉はもっとあるはずだというのに、それが一向に出てこない。
その代わりに俺の口からは小さく怒りを孕んだ声が漏れ出る。
「嵌めやがったなカイザー....!」
何故ここにセイレンスが居て、彼女の手によってケリュドラが死んでいるのか。
その答えにある程度の察しは付いていた。
暴君を殺した者は民衆から称えられる。
ケリュドラはその功績を俺ではなく、セイレンスに託したのだろう。
しかしそんな事はどうでもいい、功績なんて最初から興味なんてありはしない。
ならば、セイレンスに己を殺させる気だったのなら何故俺を渦心に呼んだのか。
以前ケリュドラは俺に己が居なくなったらセイレンスの手綱を引けと言っていた。
今日俺はその役割の為にここに居るのだろう。
「やはりキミは、ワタシを許せないか」
「...何言ってやがる?」
「ケリュドラを殺した、それはキミたちを裏切ったという事だ。
以前の約束に続いて、ワタシは再度キミを裏切った。
許される事ではないだろう」
困惑から黙り込んでしまった俺を見て、セイレンスは自らに対して怒りを抱いていると思ったのだろう。
だがその予想は見当違いもいい所だ。
もし今俺が怒りを抱くとしたら自分自身か、ケリュドラ以外にありはしない。
俺は一度大きく深呼吸をしてから、セイレンスに向き直る。
「別にお前に対して許せない云々とかは関係ねぇよ。
俺だって今日、カイザーの命を奪うためにここに来てたんだから人の事言える立場じゃねぇし」
「...そうなのか。
キミも、その目的で来たんだな」
「多分色々理由とかは違うと思うけどな。
....セイレンス、お前これからどうするつもりだ」
「.......」
「カイザーを殺して、お前はどうするつもりなんだ。
これから先も俺たちと火を追う旅を歩むのか、それとも別の道を選ぶのか。
教えてくれないか」
俺の問いにセイレンスは顔を伏せる。
その様子からは何を考えているのかは分からない。
だが、何となく俺にはセイレンスが何を考えているのかを察することが出来た。
「俺たちと歩くつもりはない、だろ」
「!....あぁ。
ワタシはもうキミたちと歩むことは出来ない」
「...まぁそうだよな」
俺が言ったセイレンスの答えは見事に合っていたようだ...正直合ってない方が嬉しかったのだが。
多分、ケリュドラは自らに向けられるセイレンスの想いを読み間違えていたのだと思う。
ケリュドラの予想では自らを殺した後は俺たちと共に火を追う旅を続けるのかと思ったのかもしれないが、実際はそうもいかない。
セイレンスにとってケリュドラは明確な象徴、それは傍から見ても明白だった。
そんな存在を失った彼女の心境を思えば、セイレンスの選択をどうこう言えるはずもない。
「キミたちならワタシが居なくても問題は無いだろう。
きっとどんな壁でも乗り越えられると信じている」
「お前が居なくなったら滅茶苦茶に困る気しかしないけどな。
ってか、その言い方だとオクヘイマにも残る気は無いんだなセイレンス」
「あぁ、ワタシはこれからスティコシアに向かおうと思う。
そこであの地で没した戦友たちの為に演奏をするつもりだ」
「...そう、か。
個人的にはここに留まってほしいけど...そうもいかないんだろうな」
「それはオクヘイマを守る戦力として、か?」
「一人の友人として、だよ」
セイレンスは俺の答えを聞いて小さく笑う。
俺はそれに思わずため息を吐いていると、ふと違和感に気づく。
その違和感とはセイレンスの表情だった。
彼女の表情は先ほどまでとは、何かが違っている。
それが何が原因かが分からずにいると、セイレンスが静かに口を開く。
「キミは、裏切り続けてきたワタシにそう言うのだな。
あぁ、キミがそう言うのであればワタシも自らの願いを口に出すのも悪くはないかもな」
「.......セイレンス?」
「金色のカジキ、ワタシと共にスティコシアに向かい共に過ごしてくれないか。
これはヘレクトラという一匹の魚としての、心からの願いだ」
「────」
何も言えなかった。
セイレンスの言葉が聞こえなかったわけでもない、理解できなかったわけでもない。
だというのに、俺は何も言えずにただ立ち尽くしていた。
だがセイレンスは動けずにいる俺に反して、ゆっくりと一歩ずつ近づいてくる。
「今のオンパロスでキミ以上にワタシを知る者は存在しないだろう」
一歩、黄金色が混ざった水面に波紋が生まれる。
「今まで共に戦ってきて、ワタシもキミという存在を十分理解している」
一歩、美しい黒髪が流れる波のように動く。
「キミが共に居てくれれば、ワタシは孤独を味合わずにいられる」
一歩、セイレンスとの距離が子供一人分も無いほど埋められる。
「キミが共に居てくれれば、何も恐ろしく感じることはない」
一歩の距離は最早ない、その代わりに俺の頭を固定するようにセイレンスの両手が頬に添えられる。
意識が、視線が、吐息が、セイレンスの全てが俺に向けられるのを感じる。
どこか暗さを感じる瞳に見つめられた俺は、何も言えず、動けず、目を逸らすことも出来ない。
そんな俺を直視しながら、セイレンスは笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。
「だから────ワタシと一緒に来てくれ、ポネウス」
蠱惑的な声を響かせながら微笑むセイレンス。
俺は今までに見たことの無い彼女の様子に息を吞む。
そんなセイレンスを俺は真っ直ぐに見つめ頬に添えられた手を取り────
「悪い、セイレンス。
俺は...その道を選ばない」
そっとその両手を降ろした。
俺の答えを聞いて、セイレンスの笑みは消える。
その代わりに小さく息を漏らすと先ほど詰めた距離を空け、自嘲気味に笑った。
「分かっていた....分かってはいたがやはり堪えるな。
....ワタシがトリビーたちより早くキミに出会えていれば、キミはワタシを選んでくれたか?」
「もしもの話は勘弁してくれ、答えに困る」
「フフ、それは悪かったな。
まぁ誘いを断られた憂さ晴らしだと思ってくれ」
「性格悪いっての....」
俺が参ったように頭を掻いていると、セイレンスは突如として振り返り渦心を満たす水に近づいていく。
遠ざかっていく歩みに迷いは無く、俺が困惑している間に彼女は水辺に辿り着いていた。
そこまでになって、俺はようやくセイレンスの意図に気付く。
「...もう行くのか」
「あぁ。
胸に秘めていた願いも、皆に残すものも最早ワタシにはないからな。
後はスティコシアに向かうだけだ」
「そうか......。
────おい、セイレンス!!」
水に飛び込もうとするセイレンスを俺は一際大きい声で呼び止めた。
彼女は踏み込もうとした足を止め、俺の方を振り返る。
不思議そうに見つめてくるセイレンス、俺は彼女の疑問に答えるように背に背負っていた得物を手に取った。
「俺から贈れるものは何もない。
だからこそ餞別代りの最後の一戦をお前に申し込む」
「────」
「さぁどうする。
俺はどっちでも構わねぇぞ」
「──分かりやすい挑発だな。
だが、断る理由はない」
そう言ってセイレンスは双剣を取り出し、ゆっくりと進んで来る。
俺もそれに合わせて両剣を持つ手に力を入れながら、セイレンスに向かって行く。
そして、互いの間合いに入った瞬間渦心に火花が散った。
「俺とお前、最後の勝負だ!
思う存分、戦り合おうか!!」
「あぁ、互いに悔いを残さないようにな」
こうして開戦の狼煙は上がった。
この戦いに先は無く、得ることもない。
ただ、満足の為の戦いが始まった。
* * *
タイタンが生まれたとされた創世の渦心、その聖地で火花が散り鋼の音が響く。
信心深い者がこの光景を見てしまえば気絶しかねないほどに殺意に満ちた荒々しい戦闘。
セイレンスは渦心を滑りながら切りかかっては引いてを繰り返し、俺はそんな彼女を追いかけ力いっぱいに両剣を振り回す。
互いに決定打がなく膠着しているこの状況。
その均衡を先に破ったのは、セイレンスだった。
(水面が泡立ってる?
あれは────な!?)
セイレンス目掛けて走る俺の視界の端に不可解なものが映った。
それを見た俺の意識はそこに引っ張られる。
一体アレは何か、と考えた瞬間にその泡は即座に魚の形に形成された。
その水で出来た魚は俺目掛けて勢いよく飛んでくる。
それに驚きながらも飛んでくる魚を両剣を振る事で潰していく。
だが、今注意すべき事は別にある。
(今の魚...今までとは違う!
いや、今はそれより...来る!)
俺が飛んでくる魚に対処している隙を突いてセイレンスが飛び込んでくる。
視界に映るのは刺突の構えをしながら突っ込んで来るセイレンス。
唐突な魚に対処していたが故に彼女の刺突を迎撃できない。
だからこそ、俺は仕方なく狙われてるであろう部位に両剣を構え防御の体制を取る。
そしてセイレンスの剣が両剣にぶつかった瞬間、俺の身体に一気に重さが加わった。
「グッ!!」
「守ったな。
では畳みかけるとしよう」
防御したが故の不調、俺の弱点をセイレンスは的確に突いてくる。
突き刺してきた剣を両剣に押し付けたまま、もう片方の剣を振りかぶった。
俺の肩口から身体を斜めに切り裂くであろう軌道。
まともに食らえば深手は避けられないそれを前に、俺も両剣を持っていない方の手を振り下ろされる剣に合わせその側面を殴り飛ばす。
無理矢理に軌道を逸らされた剣を持っていたセイレンスは大きく体勢を崩した。
俺はがら空きになった胴体目掛けて蹴りを叩き込む、しかしそれは俺に突き刺そうとしていた剣を防御に回すことで防がれる。
だが当然それだけで勢いを殺しきれずにセイレンスは大きく後ろに交代する。
本来ならばこのまま追撃を仕掛ける所だったのだが、先ほどの防御による不調が大きかったせいか咄嗟には動けない。
結局、一度目の衝突は俺に負担がのしかかる事になった。
「ふぅ....やってくれたな、セイレンス。
前まで水の魚は自分の傍からしか出せなかったろ」
「確かにそうだ。
そうだが、忘れたのか金色のカジキ。
ワタシは今《海洋》の半神なのだぞ?
以前よりも出来ることも増えるというものだ」
「.....成程ね。
いや、別に忘れてたわけじゃねぇけどな...本当だぞ?」
「忘れていたようだな。
まぁいい、これから嫌でも忘れられないようにするだけだ」
そうセイレンスが呟くと彼女の傍の水面が先ほどよりも強く大きく泡立ち始める。
俺がそれに嫌な予感を抱くと同時にセイレンスに向かって突進を行う。
それは彼女が水で何かを作ろうとするのを止めるための行為だった。
そして、両剣を振りかぶりセイレンスに刃が届く────その瞬間に俺の身体は強い衝撃によって勢いよく吹き飛ばされてしまう。
俺は渦心の地面に二回三回と跳ねながらも何とか体勢を整え、自身を吹き飛ばした正体に目を向ける。
そこには、水で出来た大蛇のような魚がセイレンスの周囲を守るように渦巻いていた。
その長尺の魚はこちらを一瞥するような動作をしたかと思うと、俺目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。
「あっぶねぇ!!」
何とか紙一重で長尺の魚の突進を避けるが、その魚はすぐに再度突進を仕掛けてくる。
しかし、最初の不意打ちじみた突撃ならまだしも二度目ならば対処は可能。
突っ込んで来る長尺の魚にぶつかる瞬間、身を屈めて魚の下に潜り込む。
そのまま両剣の刃を魚の腹に突き刺し、突進の勢いを利用して真っ二つに切り裂いた。
後方で魚が元の水に戻り地面に落ちるのを見て一息つくと、間髪入れずにまた別の魚が飛んでくる。
その魚の先端は刃のように鋭利に尖っており直撃すれば貫通は免れないと一目でわかる程だ。
だが────
「さっきの長魚みたいにはいかねぇぞ、と!!」
先ほどの長魚のような不意打ちはもう食らわない。
俺は向かってくる魚の先端を素手で掴み取る。
尚も刃のような魚は俺を突き刺そうと藻搔くが、掴まれているせいでそれ以上は動けない。
力を籠め、俺はその魚を持ち上げ一気に振り下ろすと地面に叩き付けられた魚は弾けて水の形に戻った。
どうやら再度魚が飛んでくる気配はなく、セイレンスの方に視線を向けると俺は思わず顔を顰める。
「あれは...面倒くさそうだな」
俺の視界にはセイレンスの他にも水で出来た魚が俺という獲物に狙いをつけていた。
まぁそれ自体はいいのだが...問題は数だ。
先ほどの長尺の魚や刃のような魚、他にも多数見たこともない魚がひしめいている。
あの数が一気に向かってくれば対処は面倒な事この上ないだろう。
まだ救いがあるとすれば、セイレンスに動く様子が見られない事だろうか。
恐らく俺との正面衝突を避けるためだろう。
大量の魚で俺の相手をしつつ、隙を見せた瞬間に切りかかってくると見た。
(なら俺が取るべき行動は────)
俺はセイレンスに向かって走り出す。
だが、俺がそうすれば当然魚たちは俺に殺到する。
四方八方から到来する魚の群れ、俺はそれらを隙を晒さないように避けていく。
丁寧に、気を付けて、散らさないように動き回る。
その間にもセイレンスの様子に目を向け、様子を伺った。
彼女は依然としてこちらを注意深く見ており、いつでも動けるように構えている。
────しかし、今はその注意が俺にとってはありがたかった。
「さぁ────ぶっっっ飛べ!!」
襲い掛かる魚たちを一瞥してから、俺は全力で両剣を振り抜いた。
その衝撃により、一か所に留められた魚たちが一気に水になって弾け飛ぶ。
視界いっぱいに広がる大量の水、それは先ほどまで見えていたセイレンスが見えなくなるほどの量だ。
────そして、それは彼女もまた同じこと。
セイレンスも、大量の水により俺の姿は見えない筈。
だからこそ、その瞬間を逃しはしない。
持ち替え、構え、狙いを定める。
その工程が終わった瞬間、俺の手から両剣が放たれた。
「!?っ来るか────」
両剣は水の壁を破りセイレンスへと迫る。
彼女も意表を突かれたようだが対処は簡潔だった。
手にしていた双剣の片割れで自らに迫る凶刃を弾く。
だが、セイレンスの意識は最初から両剣にはない。
彼女の視線は水の壁に向けられる、その先に居るであろう俺という脅威に対処するために。
その判断は正しい、だが向ける場所だけが違った。
俺が狙うのはセイレンスの側面、視界の外側。
本来ならば元々居た場所からは大きな遠回り、それも普段のセイレンスなら気づかない筈がないほどの行動だ。
だが、俺の姿を水の壁が隠し彼女の注意は両剣の投擲が妨害する。
それだけあれば俺がセイレンスの視界外から攻め込めるだけの余裕が生まれるというものだ。
「!っそちらか!」
「オォォォォオオ!!」
セイレンスが気付いた時にはもう遅い、既に俺の拳は彼女の胴体目掛けて放たれている。
しかしセイレンスもただ大人しく拳が当たるのを待つほど大人しくない。
両剣を弾いた剣の片割れを自身の胴体と俺の拳の間に滑り込ませる。
そして直撃する拳と剣。
鈍い音が鳴り響く中、セイレンスの顔が苦悶に歪む。
咄嗟の防御では、俺の怪力から放たれる拳を防ぎ切れなかったのだ。
一瞬の均衡、その後は勢いよく吹き飛ぶだった。
大きく、大きく殴り飛ばされるセイレンス。
彼女に追撃を加えるため、俺は弾かれた両剣を拾い上げ走り出す。
目標のセイレンスは依然として体勢を崩したまま、立て直すにはもう幾ばくかの時間が必要だろう。
このまま向かえば刃が届く、そう確信し速度を上げる。
だが地面を強く踏み込んだ瞬間、何かに脚を取られてしまった。
「あぁ!?
何だ...ってこれさっきの魚か!」
脚に視線が向けるとそこには先ほどの長尺の魚が脚に巻き付いていた。
一体いつの間に仕込んだのか、俺が驚いている間にも脚が強く締め付けられる。
舌打ちをしながらその魚を両剣で切っていると、突如として全身に寒気が走った。
身体が震えるほどの殺気。
その発生源であるセイレンスに目を向けると彼女は既に体勢を立て直している。
思わず歯噛みをしていると、セイレンスと目が合った。
そして、理解した────彼女は決着をつけるつもりだと。
「────」
俺は静かに両剣を構える。
セイレンスが決着をつけるために全力を出すことは分かっている、ならば俺はその全力に応えるだけだ。
彼女もそれを分かっているのだろう。
セイレンスは双剣を構え、バイオリンの絃を弾くように動かす。
するとその動作に合わせるように大気が震え、渦心の水がセイレンスの下に集まっていく。
そうして形どったのは、余りにも巨大な姿だった。
人間一人は簡単に飲み込めるほどの巨躯が大口を開け、俺に向かってくる。
それに飲み込まれたら致命的な結果は免れないだろう。
────だというのに、俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
意識を己の内に向け、以前のようにそこにあるであろうモノを掴み取る。
身体に満ちる虚無感を両剣の柄を血が出るほど握りしめることで耐え忍ぶ。
一瞬の意識の空白、そこから戻ったその時両剣から稲妻が迸り始める。
そうして現れるのは偽物の『天罰の鉾』、セイレンスの全力の一手に応えられる俺の数少ない切り札。
使うのは《大地》のタイタン戦以来だが、問題なく発動してくれた。
それに安堵しつつ、自分目掛けて飲み込まんとする大魚目掛けて『鉾』を振り抜く。
瞬間、空気は吹き荒れ大魚は『鉾』を振った衝撃によって消し飛ぶ
その衝撃は大魚を放ったセイレンスにも届き、戦闘不能にするには十分すぎるほどだった。
「当たってればの話だけどなぁ!!」
そう言って、俺は即座に両剣を構え振り返る。
そこには双剣を構え走って来るセイレンスに姿があった。
彼女の顔が少しだけ驚いた表情を見せるが、俺にとっては予想通りだ。
セイレンスなら、全力の技を出した後でも動いてみせるだろうという確信を俺は持っている。
その確信通りにセイレンスは今こうして二振りの刃を振りかぶっていた。
剣が一本、俺に振るわれる。
俺の頭部目掛けて振るわれたそれを両剣の刃をぶつける事で軌道を逸らす。
しかし、間髪入れずに二本目の剣が突き出され俺の心臓を穿たんと突き進む。
本来ならば防御を取ればいいだけのその一撃。
だが、ここで防御してしまえば再度俺の身体は不調に襲われる。
それを避けるために再度両剣を用い、軌道をずらそうとするが────セイレンスが放つ突きは俺の想定よりも速かった。
俺がそれを弾く前に刃は心臓に届いてしまうだろう。
最早、俺が狙える場所は一か所だけだった。
突き出される刃に、振るわれる刃。
その二振りの行く末の結果は────
「────随分と懐かしいなセイレンス」
「────そうだな、まさか再びこうなるとは思わなかった」
互いの急所に向けられる事で終わったのだった。
俺の両剣の刃はセイレンスの首に、セイレンスの剣の切っ先は俺の心臓に。
どちらももう少し動かしていれば命を奪いかねないほどの距離に、刃が置かれている。
そして、その光景はいつかの俺とセイレンスが初めて戦ったあの模擬戦の決着を思い起こすものだった。
「引き分け、か。
煮え切らない結果になってしまったな」
「.....引き分けねぇ」
引き分け、セイレンスが言った結果にどうにも納得がいかなかった。
彼女が半神になってから大した時間は経っていない。
それはセイレンスが取った戦法からなんとなく察していた。
普段の流麗な剣技は控え、水の魚での攻撃を主軸に動く。
セイレンス自身、半神になったことで今までと感覚が違う部分があったからこその判断だろう。
だが、その状態の彼女に俺は苦戦を強いられた。
もしもセイレンスが万全の状態で戦っていれば俺は────
「────いや、引き分けじゃねぇよ。
俺の負けだ」
「何?
しかしワタシの刃とキミの刃、確かに互いの急所に向けられていただろう」
「これは俺の矜持の問題なんだよ、大人しく勝ちを受け取ってくれ」
「...そうか。
キミがそう言うのであれば、大人しく勝利を受け取って「ただし!」...ただし?」
「今回『は』だからな!
次戦うときには俺が完璧に勝って今日の負けを帳消しにしてやる!
精々楽しみにしてな!」
俺の宣言を聞いて、セイレンスは目を白黒させる。
まぁ負け惜しみとしか取れない発言を堂々と言い渡されたのだ、混乱するのも無理はない。
だが、なんとなく言うべきだと思ったのだ。
これから一人でスティコシアで過ごすであろうセイレンスに、気休めであったとしても『次』があると伝えたかった。
たったそれだけの単純な理由だ。
「────最後までキミは変わらないな」
「んー変わる余裕が無いだけな気がするけど」
「それならそれで構わないだろう。
何よりワタシは今のキミが好きだ」
「....そうかい」
そうして暫くの間、俺たちは他愛のない話を続ける。
今までの事、皆への伝言、セイレンスの私物の扱い。
軽口、笑い、約束を交わしながら話し続ける。
ほんの短い間の最後の一時だった。
「またな、セイレンス」
「あぁ、またいつか」
その言葉と共にセイレンスは渦心の水に潜っていった。
水面を覗き込むが、既に彼女の姿は見えない。
揺れる波紋が俺とセイレンスを分けたように思えた。
そう感傷に浸っていると、ふと身体から力が抜ける。
踏ん張る力も碌に入らず、結局俺は仰向けに倒れ込んでしまった。
「....『天罰の鉾』の代償か。
前よりかはマシだな」
以前『天罰の鉾』を使ったときはジョーリアとの長期戦の疲労もあり、身動き一つ取れずに気絶してしまった。
だが今は意識はハッキリしているし、少し休めば自力で動けるだろう。
しかし碌に動けないとなると大して出来ることも無いのだが、頭は自然とケリュドラとセイレンスの事を考え始めていた。
「.....クソ」
意図せず罵倒が口から漏れ出る。
それは一体誰に向けたものだったのか、その答えは自分自身意外に居なかった。
ケリュドラの遺体は粒子となって消え、弔う事も出来ない。
セイレンスは独りでスティコシアに留まり、恐らくもう会うことも出来ない。
結局、俺が出来た事なんて一つもなかった。
「クソ...クソッ!」
ケリュドラに一緒に背負わせろなどとほざいておいて、彼女が背負うものを最後まで理解できなかった。
セイレンスを引き留めることも出来ずに、餞別なんて誤魔化しでお茶を濁した。
己がするべき事を、何一つとして為せなかった。
「クソッ!クソッ!!クソがぁっ!!!」
情けない、不甲斐ない、何たる体たらく。
己への怒りが収まらず、喉が潰れるほどに声を荒げて叫び続ける。
そうやって自身への怒りを吐き出し続け、渦心に罵声を響かせた。
そんな事をしても、何も得る事などないと分かっておきながら俺は叫ぶ。
一人で、叫び続けた。