コツ、コツと無機質な音が天幕の中で響いていた。
一度音が鳴ったかと思えば、暫く経ってから再び鳴る。
今度はその音から間髪入れずに音が鳴る。
そんな不規則な間隔で鳴り続ける音は天幕に置かれた盤から出ていた。
その盤を挟んでいる二人の人影。
一人は考え込んでいる様子で眉間に皺を寄せて盤を見ている。
もう一人の対面に座る人影は盤ではなく、対面に座る人物が悩んでいる様子を見て嗜虐心に満ちた笑みを浮かべている。
暫くその状態が続くと延々と頭を悩ませていた人影が突然バッと顔を上げる。
「ここならどうだ!」
そう言って盤の上に置いてある駒を音を立てながら移動させる。
その白色の駒は堂々と敵陣である黒駒の中に入り込む。
その駒を放置すれば、相手は大きな損害を被る事だろう。
白駒を置いた青年は自慢げな表情をしながら対面に座る少女を見る。
しかし、少女は小さく鼻で笑い黒駒を前方に進める。
「チェックメイトだ」
「は!?
いやそんな馬鹿な.....あ」
少女、ケリュドラの勝利宣言を聞き対面に座るポネウスは盤を凝視する。
そこにはいつの間にか逃げ道が一つも無くなっているキングの駒が置かれていた。
ポネウスは肩をガックリと落として呻き声を上げ始める。
そんなポネウスの様子を見ながら尚もケリュドラは楽しそうに笑っていた。
「犠牲にする駒の判断を誤り、攻める機会を逸したな。
だが、初めての対局の割には悪くない手だった」
「....まだ覚えたばっかだしな。
次は絶対に負けやしないさ」
「その言葉が真実になる日は遠そうだがな。
まぁ好きに言うと良い、敗者の言い分を聞くことも王の務めだ」
ポネウスの精一杯の負け惜しみすら簡単にあしらうケリュドラ。
何か言い返したい所だが、ここまで三連敗している時点で何を言っても負け惜しみにしかならないと判断して、苦々しい表情のまま話題を変える。
「それにしてもケリュドラが俺をチェスに誘うなんて珍しい事もあるもんだな。
普段は一人かセイレンスとやってるだろ」
「普段はそうだ。
だが今日は巡剣卿の疑問に答えようと思ってな」
「...気づいてたのかよ」
「当たり前だ。
僕を誰だと思っている」
ケリュドラの言う通り、俺は彼女に対して少し不信感を抱いている。
それは彼女の傲慢さや野心、周りの全てを盤上の駒と見ているかのような言動からきているものもあるが、何より俺への指示が不信の理由の大半だ。
ケリュドラの指揮能力は凄まじいの一言だ。
敵の動きを読み、的確な一手を指すことでより効果的に敵を殲滅してきた手腕は彼女に匹敵する指揮官は今のオンパロスには居ないだろうと思わせるほどだ。
だからこそ、ケリュドラが俺へ下す指示が噛み合わない事に疑念を感じていた。
「じゃあ聞かせてもらうけど、なんで俺を戦場で使わない?
俺を戦場で暴れさせた方が戦争も早く終わるだろ」
「...巡剣卿、お前の実力は僕も認めている。
確かに巡剣卿や剣旗卿を最前線で動かせばお前の推測通り簡単に聖都までの道を切り開けるだろう」
「じゃあなんで...」
「だがこの軍は剣旗卿と巡剣卿の二人で出来ているわけではない。
戦場での栄光を、名誉を求めて来た者たちはお前たち二人で全てを済ませる軍を良しとはしない。
不満は解消する場が無ければいずれ爆発する。
その者たちが不満を溜めた末にどのような愚行を犯すのかは問題ではない、重要なのはそういった者たちが裏切る事自体が問題なのだ」
「何をやるかじゃなくて裏切る事自体が?」
「そうだ。
一度でも裏切りを許してしまえばあらゆる不満に火が付きやすくなり、再び裏切りを招く事になる。
ましてやその理由が軍の運営によるものなら尚更、その先にあるものは軍の崩壊だ」
見ている視点が違う。
ケリュドラの話を聞いてそう感じた。
俺が戦争の事だけに意識を割いている中、彼女は全体を俯瞰して軍が崩壊しないように手を、頭を動かしていた。
少なくとも彼女が言った通りならば、これ以上俺が不信に思う理由はない。
「とりあえず...納得はした。
けど万が一って事もあるし陣に戻らずに前線で待機してた方が良いんじゃないか?」
「......」
そうケリュドラに提案してみると、彼女は探るような目を向けてくる。
まるで心の中を見透かしているかのような視線に思わず身が固くなってしまう。
今の提案がそんなに気に食わなかったかと思ったその瞬間ーーー。
「....巡剣卿、そこまで戦場に残ろうとする理由は運命卿か」
ケリュドラはこちらの思惑を簡単に看破してしまった。
「大方、前線で戦況を確認する運命卿を守るつもりなのだろう?」
「....そうだよ、何か文句でもあるか?
黄金戦争が始まってからアイツらはどんどんやられちまってる。
せめて俺の手の届く範囲のアイツらを守りたい、そう思うのは間違ってるか?」
「別にその思想自体は間違ってなどいない。
間違ってはいないが、運命卿が己が命すら含めた全てを懸け、火を追う旅に身を投じた事を忘れたわけではないだろうな?
運命卿は知恵も力も意思も持たない幼子ではない、お前に守られなければ何も出来ない雛鳥ではないぞ」
ケリュドラは咎めるような声で語りかけてくる。
彼女は重苦しい圧を発しながら、こちらの返答を促す。
「アイツがどんな覚悟でこの旅に出たかなんて百年前から忘れたことなんざねぇよ、アイツが無力なんて巫山戯た事も言うつもりはなんてない。
だけど俺はアイツが苦しむ姿も、傷つく姿も、死ぬ姿も俺は見たくない。
だから、まぁ、俺がアイツを守ろうとするのは結局の所ただの自己満足だよ」
「そうか、忘れていないのならいい。
戦場では先程の事を忘れない限り先に動く事を許す。
...しかし、もし運命卿の意思を無下にしているのなら僕直々に首を刎ね飛ばすところだったぞ」
「流石にカイザーに俺は殺せねぇよ。
俺を殺すつもりならセイレンスを呼んでこなきゃーーー」
「ワタシならここに居るぞ、金色のカジキ」
「....何で居んのお前?
ていうかいつから居やがった」
「カイザーとキミがチェスをしていた辺りからだ。
今日は三連敗で済んで良かったな」
「最初からじゃねぇか....」
ケリュドラの物騒な発言に軽口で返すと背後から声をかけられる。
その声の主は先ほどの軽口で話題に出した人物、セイレンスだった。
どうやら彼女は俺とケリュドラがチェスをしていた頃からずっとこの場に居たらしい。
だが今まで何故姿も気配も見せずにいたのかと懐疑の視線を送る。
「そんな目で見ないでくれ。
ワタシはただカイザーに命令されてここにいるだけだ」
「セイレンスはこう言ってるけど、カイザー様は何か言うことはあるか?」
「お前が僕に対して不信を抱いているように、僕もお前に対して完全に信を置いているわけではないということだ。
特にお前は運命卿の事となると頭に血が上りやすいようだからな。
不測の事態に備えて剣旗卿を控えさせておいただけだが何か文句でもあるのか?」
「...なんもねぇよ」
ぐうの音も出なかった。
ちょっとからかうつもりで声をかけてみれば理詰めで完封されてしまった。
というか前から常々思っていたが俺を理詰めする時だけ嫌に気合が入っているような気がしてならない。
まぁ、これを問い詰めてもまたボコボコに言い返されるのが目に見えてるから言わないが。
「所で剣旗卿、僕は指示するまで入るなと言っていた筈だが何かあったのか?」
「あぁ、断鋒卿と冬霖卿が率いている先行部隊から報告が入ったから伝えにきたんだ」
「あの二人からの報告か...。
巡剣卿は牽石卿に早急に戦争の準備を進める様に伝えよ。
伝え終えたらお前も戦争に備えておけ」
断峰卿のラビエヌスと冬霖卿のセネカ、二人は俺やセイレンスには及ばずとも精強な戦士でケリュドラからの信も厚い。
その二人からの報告とくればケリュドラの反応も妥当なものだろう。
彼女からの指示に従い、天幕から出ていく。
ただ何故だろうか、次の戦争でこの黄金戦争は何か重要な転換点を迎える。
そんな予感が胸から離れなかった。
* * *
「カイザー、彼の事がそんなに気になるのか?」
ケリュドラはたった今ポネウスが出ていった場所を眺めていた。
その目には何かを思案する様な様子が見られる、その様子を見てとったセイレンスは彼女に問いかける。
「あぁ、つくづく巡剣卿はクレムノス人らしく無いと思ってな」
「クレムノス...たしか《紛争》のタイタンを信奉する都市国家だったか?」
「そうだ、あの都市国家の戦士たちは戦場での栄光や名誉ある死を尊ぶ。
この軍にもクレムノスの戦士は数多くいるがどの者も重視しているものは変わらない。
巡剣卿を除いてな」
「なるほど...。
だが、それは戦いにおいて何を大切にしているかという話だろう。
そこまで深く考える様なことなのか?」
「普通ならそこまで考える様なことではない。
だが、巡剣卿に課す役割の事を考えると少しばかり気がかりでな」
「金色のカジキの役割....。
カイザー、キミは彼に何を任せるつもりなんだ」
「ここで言わずとも、そう遠くないうちに知る事になる。
今は先行部隊からの報告をせよ」
「...わかった。
ルキア、イカリア、コリンス、この三つの都市国家が同盟を組んで進軍を開始したそうだ」
ケリュドラは眉根を上げる。
セイレンスが口に出した都市国家はそのどれもが強大な軍事力を持つ都市国家だ。
それらが同盟を組んだとなれば一筋縄ではいかないだろう。
特にルキアの僭主とは因縁浅からぬ間柄。
相手の方からなにか仕掛けてくる可能性は大いにある。
「進軍を開始したと言ったな。
どこへ向かっているのかは分かっているのか?」
「あぁ、それについても報告が上がっている。
どうやら奴らはーーー
聖都オクヘイマに向かっているらしい」
聖都オクヘイマ。
それはケリュドラが率いる軍の目的地であり、火追いの旅において要所となる場所。
そこがもし三つの都市国家による連合軍によって踏み荒らされてしまえば、火を追う旅に大きな打撃を食らうことになるだろう。
そんな危機的状況だというのに、ケリュドラの顔には焦りも後悔の表情も浮かんでいなかった。
それは隠し切れないほどの野心を表した凄絶な笑みだった。